40日間、椎間板ヘルニアで入院した折、毎日寝ているので髪の毛が鬱陶しく、病院の床屋で坊主刈りにしてもらった。それ以来、私は坊主頭が気に入ってしまって、自分でバリカンで刈っている。7000円のバリカンが20年も持ったから、実に経済的でもあった。
さて、女性が髪を切って、暖かいといってもまだまだ寒い強風の春一番に吹かれるというのは、どんな気分であろうか。長年・・24年も坊主頭でいると、想像が付かない。まして、女心に疎い私といたしましては・・・・・
40日間、椎間板ヘルニアで入院した折、毎日寝ているので髪の毛が鬱陶しく、病院の床屋で坊主刈りにしてもらった。それ以来、私は坊主頭が気に入ってしまって、自分でバリカンで刈っている。7000円のバリカンが20年も持ったから、実に経済的でもあった。
さて、女性が髪を切って、暖かいといってもまだまだ寒い強風の春一番に吹かれるというのは、どんな気分であろうか。長年・・24年も坊主頭でいると、想像が付かない。まして、女心に疎い私といたしましては・・・・・
誘われて、ある酒造会社の蔵出しに行ったことがある。案内されて酒蔵を見学し、数種類の酒(純米大吟醸、純米吟醸、純米、本醸造など)を試飲していると、若社長がやってきて「いかがですか」と問うので、
「申し訳ないが、どれも私には甘過ぎる。料理に合うとは思えないけど」などと、本心ではあるが余計なことを言ってしまった。ところが若社長は、自信ありげに私の意見は無視して
「うちの酒には一切味の素は入っていませんので」
私は、開いた口がふさがらず、話す気が完全に失せてしまった。
昨日のニュースで、浪速酒造の3万円の大吟醸が、醸造用糖類やアルコールを入れた安物の酒だったそうだが、さもありなん。確か以前「越の寒梅」の偽物も摘発されたそうだし、酒造業界もなかなか怪しげである。
なんと中国では、餃子に段ボールを入れているそうだし、ドブ川に浮く油を回収して再利用しているそうだから、上には・・・・・いや下には下があるものだ。
さて、「鬼ごろし」とは、「鬼も殺すほど不味いお酒」という意味だったのが、それを逆手にとって名付けたところ大評判。今では「鬼も前後不覚になるほど美味い辛口の強い酒」という意味になってしまったようです。
とにかく、「鬼ごろし」などという名前に騙されてはいけないのです。日頃から、味覚を磨いて騙されないようにしましょう。
東京 K病院のお嬢様方
「動物の赤ちゃんは、どうして皆可愛いのだろうか」・・・・「弱者が生き延びるために神様が与えたから」だろうか。そうだとしても残念ながら、肉食動物には通用しないが・・・・では、「どうして可愛いと感じるのだろうか」・・・・
さて、植物にだって同じことが言える。この句のように、ヨモギ(蓬)の芽生えを見て、赤ちゃんの新芽に気付いた、その小ささや形、作者の発見の喜びと驚きが感じられる。
「俳句は観察」というけれど、この句、正に観察から生まれた句と言っていいだろう。
「今の仕事を辞めたら、次にしたいことは?」
「特にしたいことはないけれど、「寺男」ならばやってもいいかな」
南の地方都市の外れの山の中の寺がいい。寝る部屋があって、食べさせてくれれば、無給でも構わないよ。庭掃除、植え木の手入れ、草むしり、何でもやるよ。薪割りはお手のものだしね。その他どんな雑用でもやるよ。雨の日や句会のある日を休みにしてくれれば、言うことないね。
但し、梅が有名で、時期になると観光客やテレビ局がわんさかやって来るような寺は、絶対お断りだね。
自分で買って、自分で吸うのが本来の愛煙家。ところが、禁煙しているのにもかかわらず、煙草を見ると吸いたくなるのが、中毒症状。そこで、中毒が人の煙草を吸う吸い方にも色々ある。
1貰い煙草 「吸いませんか」と人に勧められて吸う煙草。
2乞食煙草 「一本下さい」と人に要求して吸う煙草。
3盗み煙草 テーブルに置いてあるのを、本人の承諾なしに勝手に吸う泥棒煙草。
「恐喝煙草」や「お色気煙草」など考え出したら切りがないので止めておく。
さて、この句の作者は、男性に勧められて吸う、女性の「蛍族」のようである。そこには、妖しげな触るるばかりの春の月が出ていたのであろう。
フクジュソウ(福寿草)
一般的に「春は苦み、夏は酸味、」として、定着しているようだが、「秋は甘味・旨み」「冬は、甘味・滋味・厚味・塩味」などと、やや混乱しているようだ。
いづれにしても、春先から出回る山菜類には苦みがつきもの、ではなぜ春に苦いものを食べるか。調べてみると、苦みを持つ食品は冬の寒さで固くなった筋肉をほぐし目覚めさせる効果があり、又体に貯まった老廃物を出す作用もあるのだとか
そうとなれば、早くも店先には菜の花などの春野菜が並び始めたのだから、大いに春野菜を食べて、固くなった筋肉をほぐし老廃物を出そう。
飛梅(とびうめ)は、樹齢1000年を越える白梅。九州・太宰府天満宮に植えられた梅のなかではいちばん先に咲き始めるという。
菅原道真は、平安京朝廷内での政争に敗れて、大宰府へ左遷されることになったが、屋敷内の庭木の内、梅・桜・松との別れを惜しんだ。その時に詠んだ歌が
東風吹かば にほひをこせよ 梅の花主なしとて 春な忘るな
道真を慕う庭木のうち、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからというもの、悲しみに暮れて見る見るうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったという。
しかし梅と松は、道真の後を追いたい気持ちをいよいよ強くして、空を飛んだ。ところが松は途中で力尽きて、摂津国の八部郡板宿近くの後世「飛松岡」と呼びならわされる丘に降り立ち、この地に根を下ろした。(飛松伝説)
一方、梅だけは見事その日一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったという。
日本人は、こういう類の法螺話が大好きなのである。めでたし、めでたし。
「陶の狸」と言えば、信楽焼が有名。しかし、生産量は5%に過ぎず、建築土木用タイルが55%でトップ。
「狸」は、昭和26年頃、天皇陛下が歌を御詠みになり,それがマスコミに取り上げられ、有名になったそうである。又、「他を抜く」というごろ合わせから、商売繁盛の縁起として商店などに好まれて置かれるようになったとか。
確かに、風花が舞う寒い日と、とぼけた愛嬌のある狸の取り合わせは、なんとも可笑しい。但し、私個人としては、陶の狸を作る気にはなれないし、まして置く気にもなれない。
この世に、誰とも会わない、と断言できる道など存在しない。道は、人が通るために人工的に作られたものであり、例えば獣道のように、誰かが通っていつの間にか自然に道になったものを言うからである。
では、この句の道はどういう道か。それは作者の考え方、生き方を決意表明している抽象的な道ではあるまいか。身内など一切の人を拒否した、孤独なへそ曲りのようにも感じられるが、そうではなく、誰にも頼らず生きていこうとする独立心を示しているのではあるまいか。
例えば、芸術や学問などの分野においては、前人未到の道を開拓することが最も重要だ。しかし、その道で成功したり、目的を成就することは、全く幸運な一部の人間に限られているのであって、それは実に困難なことなのである。
随分昔のことだが、夕暮れの山焼きで火を止める頃、一組の夫婦が守る中を、激しい真っ赤な火柱が立っていた。美しいその光景をなんとか一句にまとめたい、と思っていたが、なかなか適切な言葉が見つからないでいた。
心火、劫火、業火、活火、急火、炎火、熱火、猛火、情火、浄火、神火、怒火、烈火・・・・・・辞書には、なんと229件の「○○火」があった。
最初は、「心火」としたが、今では「浄火」が相応しいと思っている。浄火とは、神聖な火。神仏にささげるけがれのない火。
五智如来(五大如来、金剛界五仏)は、真言密教で五つの千恵を五体の如来にあてはめたもの。作例としては、東寺講堂の像が有名。
弘仁14年(823年)、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)は、嵯峨天皇から東寺を給預された。この時から東寺は国家鎮護の寺院であるとともに、真言密教の根本道場となった。
講堂の須弥壇中央には、大日如来を中心とする五体の如来像(五智如来)、
向かって右(東方)には金剛波羅密多菩薩を中心とする五体の菩薩像(五大菩薩)、
向かって左(西方)には不動明王を中心とした五体の明王像(五大明王)
須弥壇の東西端にはそれぞれ梵天・帝釈天像、須弥壇の四隅には四天王像
以上、全部で21体の彫像が整然と安置され、羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)を構成している。
この句、人為的な「梅の」ではなく、「梅は」であるから、境内に咲く梅を指している。
一口に京都の町と言っても、繁華街や下町、寺社の多い町など様々な顔があるに違いない。それを前提に「湯ざめのような街」とはどういう街なのか。それは、期待感を持って京都にやって来たが、興ざめしてしまった、というようなことかもしれない。
つまり、京の街に対して余り好意的ではない、ということは確かなようだ。。しかし、それ以外は、分かるような分からないような・・・・。「湯冷めのような」は、寒さ、冷たさという皮膚感覚ではあるが、それが「京の街」にかかると、心理的感覚の様相を呈する・・・・良くは分からないが面白い句ではある。
(まんさくや からびしこけの いしぼとけ)
マンサク(金縷梅、満作、万作)(マンサク科マンサク属)は、春に他の花に先駆けて咲くので「まず咲く花」ということで、「まんさく」になっていったらしい。又、花が沢山付くので「豊年満作」から命名されたとも。欧米でも人気があり、「魔女の榛(はしばみ)」という名前もついているそうだ。
最近、群生地におけるマンサクの集団枯死に関する情報が目に付くようになった。2月25日の誕生花で、花言葉は「幸福の再来」。
ネコヤナギ(猫柳)は、ヤナギ科ヤナギ属の落葉低木。山間部の渓流から町中の小川まで、広く川辺に自生する、ヤナギの1種。銀白色の花穂を猫の尾に見立て「ネコヤナギ」と名付けられた。えのころ柳、川柳ともいう。
猫柳というと、四国遍路の途中、吉野川の広い中州で出会ったときのことを、必ず思い出す。朝の光に輝く姿が、実に美しかった。
歳時記に載っている不思議な句を発見。①「世が果てる」とは、人の世が果てるということだろうが、隕石の落下や、核戦争、新種病原菌などによる人類の滅亡を想定しているのだろうか。それとも、単に自分が死んだら・・・程度のことだろうか。
②蕗の薹を「ひとり」と人称しているのは何故か。植物を君・お前・と言ってもおかしくはないが、「ひとり芽吹く」と言われると違和感を感じる。
選者の山本健吉が、何故この句を選んだのか。又、googleで検索したが、俳句も作者も全く記録が出てこないのは何故か。
さて、今日私は蕗の薹を6個も採ったので、蕗の薹味噌を作る予定。それを6人芽吹いていたなどと思ったら・・・・・この句の作者は、生涯決して蕗の薹を採らなかっただろうし、食べなかったのだろう。それは、断言できる。
そうだとすると、作者は日頃何を食べていたのだろうか。いづれにしても、疑問の多い句ではある。