(せいにあき よにもあきたり さつきふじ)
ポールウァレリーが、第一次世界大戦後「諸君、嵐は去った。にもかかわらず、われわれは、あたかも嵐が起きようとしている矢先のように不安である」と言ったそうだが、これは「太平洋戦争後」や、「東日本大震災後」に置き換えても通じる名言ではないだろうか。
確かに、私の青春時代は「不安の時代」であったし、「虚無の時代」でもあった。神の死を宣言したニーチェのニヒリズムやサルトルの実存主義、ドストエフスキーなどを訳も分らないながらも読んでいれば、必然的に陥る暗黒の世界だろう。
さて、この句に共感するのは、青春時代から休みなく続いている私の「虚無感」に起因している。つまり、私の気分にぴったりなのである。
この作者に、私は共感はしても憐みは感じない。「五月富士」によって、こういう厭世的な句を作る人間が自殺する、とは考えにくいからである。
シライトソウ(白糸草) ユリ科シライトソウ属