これから冬に向かう日に当たって、「我老いむ」とは、さすがである。老いを悲観せず、かと言って攻撃的でもなく、決然として受容している感じがするからだ。作者はきっと、病に対しては「願いを持ちて我病まむ」だろうし、死に対しても「願いを持ちて我死なむ」であろう。
いづれにしても、私達は「老病死」を避けることはできず、たとえどのような最後であっても、決して悲しまず、決して怒らず、あるがままを受け入れる以外、方法はない。
但し今の私には、作者の願いがどのような願いなのか、想像もつかない。
これから冬に向かう日に当たって、「我老いむ」とは、さすがである。老いを悲観せず、かと言って攻撃的でもなく、決然として受容している感じがするからだ。作者はきっと、病に対しては「願いを持ちて我病まむ」だろうし、死に対しても「願いを持ちて我死なむ」であろう。
いづれにしても、私達は「老病死」を避けることはできず、たとえどのような最後であっても、決して悲しまず、決して怒らず、あるがままを受け入れる以外、方法はない。
但し今の私には、作者の願いがどのような願いなのか、想像もつかない。
地球がグローバル化して狭くなり、世の中の動きが見えてくると、細かいからくりまでは分からないにしても、どこの国のどんな奴らが世界を動かしているか、がなんとなく分かって来る。つまり、政治家や財界人など人間の仕業によって、世の中が動いているのだ。
したがって、貧乏神や福の神が活躍したのは江戸時代、せいぜい戦前までだろう。この句の作者は、小林一茶(宝暦13年5月5日~ 文政10年11月19日(陰暦))
ドウダンツツジ(灯台躑躅、満天星)
堆肥箱に堆肥を積んだ次の日、真ん中に棒を突き刺して開けた穴に、指を入れてみた。ほのかに暖かい。次の日は更に暖かく、40度くらいはありそうだった。
デンちゃんは、箱の隙間から洩れ来る匂いを嗅いで、いよいよ舐め始めた。外気温は10度くらいだから、順調に発酵して、美味しい匂いがしているからに違いない。。その箱に開けたわずかな隙間から、蠅が一匹入って行った。
ヤツデ(八つ手)
声を絶対出すはずのない石が、声が出そうだ、という。芭蕉の「岩にしみいる蝉の聲」と同様、あり得ないことを想像で言っている。又よくみると、、「小春日や」ではなく、「小春日の」であるから、「小春日の声」が石から出そうだ、とも解釈できる。
しかしやはり、誰かが座ったら声を出す石と想像するのが、一番面白い。例えば、可愛い男の子が座したなら、うふっと笑うかもしれない。妙齢の女性が座したなら、アハーンと艶っぽい声を出すかもしれない。小錦のような巨漢が座したなら、グェとひどい声を出すかもしれない。いずれにしても、読者の想像はふくらむ。しかし実際、座したのは喜久さんである。石は一体どんな声を出したのであろうか。
クロガネモチ(黒鉄黐)
この句の着眼は、「聞きながら」としたところであろう。但し、作者が掃除していて、その音を作者が聞いている、のでは話にならない。そうではなくて、別の誰かが道路か庭などを掃除していて、その掃除の音を聞きながら、作者は別の何かをしているのだ。
仕事かもしれないし、料理や縫物、編物かもしれないし・・・・・と、読者は何を想像しても良い。つまりはっきり言わないことで、読者に想像の余地を与え余韻を残し、この句は成功している。俳句が、省略の文学と言われる所以である。
コフクザクラ(子福桜)
384回でも書いたが、「子供の日」、「成人の日」の命名は正しい。しかし、「敬老の日」、「勤労感謝の日」は、どこの馬鹿が名付けたか知らないが、間違っている。俳句をやっている人なら分かると思うが、「老人の日」、「労働の日」が正しい。理由を説明する必要はなかろう。
アメリカでは、Labor Day(労働の日)の意で、9月の第一月曜日と定められている。アメリカは、この名付けに関しては賢い。
但し、IS(イスラム国)ができたのは、アメリカブッシュ大統領のイラク戦争が根本原因である。アメリカやロシア、EU諸国が、ISを壊滅できたとしても、テロは絶対に無くならないだろう。やはり、ベトナム戦争、アフガン侵攻、そしてイラク戦争を起こしたロシアやアメリカは馬鹿だ。
但し、武器輸出して、意図的に後進国に内戦を起こさせているのかもしれない。「大量の難民」という副作用は、想定外、それとも想定内?
それにしても、我が家のデンちゃんは、人間よりもはるかに賢い。
サザンカ(山茶花)
我が家の純粋な雑種犬、そろそろ5才になるデンの冬毛が、去年まではほとんど抜けなかったのに、今年は今頃になって大量に抜けている。普通、真夏に抜けるはずなのに、どうして冬の今なのか不思議だ。犬の冬毛を「木の葉髪」と言って良いのか分からないが、時期が時期だけにお許し願いたい。
さて、株式会社ニトムズの「コロコロ」は、粘着テープでゴミを張り付ける極めて単純な掃除用品。ある商品名を俳句に取り入れるのは、私としてはたぶん初めてです。
堆肥箱とブロワ―、草刈り機、手箕
毎日毎日、落葉が降るようになった。朝起きると、敷き詰められた落葉に驚く。しかし、雨も続いたこの2,3日、落葉集めはやっていない。
さて、落葉を箒で集めれば「落葉掃き」、熊手で集めると「落葉掻き」、ブロワ―で集めると「落葉飛ばし」である。吹き寄せた落葉を、堆肥箱に手箕(てみ)で集めるのは、やはり手仕事である。
落葉焚きをして、焼き芋をしていた頃が懐かしい。
今年芽吹いた枇杷の葉が、黄緑から濃緑に変わり、花も咲き始めた。葉を摘んで枇杷茶にする、今が好適期。枝ごと伐って、葉をむしり取り、更に鋏で五センチほどに切って乾す。3kgほどを5個の大ザルに干す。
晴れてくれれば乾いて有り難いのだが、最近はどうも雨が多い。今日も雨が降りだし、降ったり止んだりを繰り返している。正に時雨であろう。
(さざんかも すうりんくわえ たいひつむ)
30年前、廃業する材木屋から大量の材木を貰ったことがある。中には、燃してしまうには惜しい木材が沢山あったので、倉庫にとって置いた。
今日、その木材を使って、1m×1m×1mの底抜けの堆肥箱を作ってみた。毎日出る生ゴミと、落葉、ストーブの木灰、それに鶏糞、油かすを混ぜて堆肥を作ることにしたのだ。さて素人に、はたして堆肥が上手くできるだろうか。
ムラサキシキブ(紫式部)
(ふゆぬくし ややにあごひげ つかまれて)
東京から、もうすぐ1歳になる男の子を連れて、若い夫婦がやって来た。男の子は人懐っこく全く人見知りせず、私の眼鏡や無精髭に驚くどころか、興味深々。
夫婦二人の陶芸教室だったので、結局私が男の子のお守り役をすることになった。薪ストーブを焚いてはいたが、子供を抱いて熱いほどの体温に、久し振りに汗をかいてしまった。そして彼は、私の腕の中ですやすや眠ってしまった。
40年前、陶芸を始めた頃、ギターを弾くには爪を伸ばしておかなければならない。陶芸は爪を切らねばならない。決断は爪を切を切ることにして、ギターは諦めた。その頃一番好きだったのが、ジルベールベコーの「神の思いのままに」。
アメリカでも翻訳、編曲されて「Let it be me」として大ヒット。エルビス・プレスリー、ボブ・ディラン、ニーナ・シモン、ジェームス・ブラウンなどが歌っている。お聞きになりたい方は、私のおすすめの「神の思いのままに」を聞いてみて下さい。もう一人、ペチュラ・クラークもどうぞ。
キンセンリョウ(金千両)
「神渡し」とは、陰暦十月、神無月に吹く西風のこと。由来は、出雲に集まる神様を送る風で、鳥羽や伊豆の船人言葉だそうである。しかし、西風は、出雲から関東方面へ吹く風だから、出雲へ行くには関東では向かい風になってしまい、送ることにならない。
もう一つ、同じ神無月に「星の入東風(いりこち)」というの船人言葉があって、これなら東風だから出雲に行くには絶好の追い風で送ることができる。
ちなみに「星の入東風(いりこち)」の星とは、れっきとした日本語、スバル(昴)のことで、プレアデス星団とも言われ、冬の星座を飾る七つの星のかたまりで、オリオン座や北斗七星と共に冬の季語でもある。
食用菊(もってのほか)
NHKのドラマの「おしん」のモデルは、バブル崩壊後に倒産したスーパー「ヤオハン」の創立者「和田かつ」さんと言われている。熱海ヤオハンは、ダイエーに買い取られ、その後経営不振に陥ったダイエーが、イオンに転売した。
さて先日、いつも行かないイオン系列のマックスバリューでビールを買った。その時、次回に使える「100円割り引き券」をくれた。だから昨日再びイオンに行ってビールを買った。値段は、4370円-100円=4270円(税込)だった。
今日調べてみたら、いつも買う湯河原のエスポットでは、4187円(税込)だった。つまり、イオンに一杯食わされたのである。
ジョロウグモ(女郎蜘蛛、上臈蜘蛛)
昨日は立冬でした。テラスの大皿にヤマガラ、メジロ、エナガ、ソウシチョウが水浴びに来ていました。ソウちゃん、あなたを入れられなくてごめんね。
今日は来なかったけど、コガちゃん、ヒガちゃん、シジュちゃん、ヤマバちゃん、モズちゃん、キビちゃん、ヒヨちゃんも時々来るんですよ。
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