一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

381  赤とんぼ少年老ひて来たりけり  

2011年09月30日 | 

  

(あかとんぼ/しょうねんおいて/きたりけり)

 

私(遊石)は、一日は長く、裏腹に一年はなんて短いのだろうと思い、生きている人間です。今は毎年老い衰え続けています。

 

昔は、足腰も呼吸も比べものにならぬくらいしっかりしていたのに等と、過去を振り返って見ることも有りますが、その時の過去はたかだか十年程度のことです。 

 

その時、この句に出会い驚きました。過去を振り返るスケールの大きさにです。トンボを追いかけ遊んでいる少年と言えば まあ十才以下と思いますが、この会のメンバーの年から考えれば五十年以上前のことでしょう。

 

ところがこんな大過去と比べ、俺も老けたものだなー、とは面白過ぎます。思わず笑ってしまいましたが、座主の作と知り納得です。(遊石記)

 

アサマフウロ(浅間風露)

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380  霧深しされどこの道ひたすらに   遊石

2011年09月29日 | 

(きりふかし/ されどこのみち/ ひたすらに)

 

来日したインドのお坊さんが言っていた。「生きることは苦である。もしも疑うなら、例えばあなたの大好きな食べ物を、食べ続けてごらんなさい。好きな音楽を聞き続けてごらんなさい。必ず苦痛になります」この時は、何故か「なるほど・・・」と納得したものだ。

   

つまり、老病死が苦であることは誰でも分かるが、生きることが苦であることは、現代のように物の溢れた未曾有に豊かな時代では、なかなか分かりにくいのだ。

 

しかし、戦争も病気も飢餓も知らずに、人生を謳歌してきた幸福な私達にも、必ず老病死という苦がやって来るのであって、誰ひとり逃れることはできない。

 

この句の「霧深し」は、そういう人生の先行きに対する不安や恐怖を意味しているのだが、「この道をひたすらに歩もう」という作者の決意表明に、私は大いなる賛辞を送りたい。

 

イヌタデ(犬蓼)赤まんま、とも

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379   2011年9月 岩戸句会 

2011年09月28日 | 岩戸句会

 星月夜独りうどんを喰って寝る   遊石

霧深しされどこの道ひたすらに 

 

かぐや姫が落せし鏡月の海     

秋暑し白布を剥がす開眼墓

 

太閤忌はかりの上の金指輪     炎火

太閤忌流るるラップミュージック   

 

日の丸を挙げし家あり敬老日    洋子

一病は仕方なきこと栗拾う

 

何事も潮時引き際太閤忌      正太

ニコライ堂暑き正午の鶏頭花

 

秋の声さらさらさらと米洗ひ    章子

秋草のそのかそけさを束ねたる

 

寝待月枕代わりの太閤記      歩智

秋の夜は更けてまたよしハワイアン

 

台風裡棟梁の声けたたまし     豊春

妻遺し旅立つ日もある太閤忌

 

秋彼岸待ちたるごとく友の逝く   侠心

年長けつ思いも古りて秋彼岸

 

ちんぽこの痒き少年蚯蚓鳴く    雲水

赤とんぼ少年老ひて来たりけり

 

天高し三日坊主の一万歩      稱子

誰にも告げず花野に隠れてしまおうか

 

勝負あり法師蝉対彼岸花      空白

野分痕壊れ傘カサ路の側

 

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378  わが秋思オオカミ少年死するなり

2011年09月27日 | 

(わがしゅうし/オオカミ少年/しするなり)

 

学生時代、インドのオオカミ少年の話を読んだことがある。要約すると

 

ある時、赤ん坊がオオカミにさらわれ、オオカミの子供として育てられてしまった。それから10年ほど経って、オオカミの群と共に生きる少年が発見された。四つん這いに歩き、オオカミと同じように吠えた、という。

 

しかし、少年はオオカミの群れから切り離された。大人たちが、言葉を教えたり、人間生活ができるように様々な努力をしたのだが、とうとう少しの言葉を話せるようになっただけで、適応できずに死んでしまった、という。

 

この話から、私が導き出した結論は、「人間は、環境によって作られ、環境に支配されている。本来、人間としての個性や知性、思考力などは全くないのだ。 

今の自分が悪いのは、自分のせいではなく環境のせいである。従って、自分を変えるには今の環境を変えねばならない」

 

そしてこの結論から、私は家や親から離れる決意をしたのである。親から見たら、実に残酷な決意ではあった・・・・・・

 

私の人生に影響を与えた新聞記事では、この「オオカミ少年」以上のものはまずあるまい。

 

ハギ(萩)・園芸種の「江戸絞り」

 

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377  玄関に海が来てをる野分かな   照れまん

2011年09月26日 | 

(げんかんに/ うみがきておる/ のわきかな)

 

「野分」は、「のわき」が正しいようだが、「のわけ」とも読む。秋の暴風雨で台風などをさす。

 今年の台風12号も15号も、結構な爪跡を残した。浸水した家々も多いから、まさにこの句のようだったろう。津波でやられた石巻は、地盤沈下で満潮ともなると、今まさにこの句の通りだ。

 

掲句、作者によると、20年前の台風の時の作という。作者の解説は、以下のコメント欄をご覧下さい。

 

73 枝豆や台風未だ名を持たず

 

ということは、日本が誕生して以来、地震や台風、津波、噴火、山津波などは必ずあったわけで、これからもずーっと自然災害はあり続けるのだ。

 

ところが「災害は忘れた頃に必ずやってくる」わけで、諺通り忘れてのんきに暮らす方がいいのかもしれない。いつもおどおど暮らしたってどうにもならないからだ。

 

シロバナハギ(白花萩)

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376   銀行の鈴虫鳴かず元気なり

2011年09月25日 | 

(ぎんこうの/ すずむしなかず/ げんきなり)

 

 

「あそこのケースの鈴虫、鳴かないんだけど、どうして?」

「えっ、そうですか・・・・・」

 

「まだ時期が早いのかなあ?」

「さあ・・・そうかもしれませんね・・・・」

 

「冷房が強過ぎるからかな?」

「はあ?・・・・・・」

 

「もしかして、鈴虫、過密過ぎるのかもよ」

「はあ?・・・・・・」

 

「そうか、もしかしてメスしかいないんじゃないの?」

「掛けてお待ち下さい!!!」

 

ツルボ(蔓穂)ユリ科

 

 

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375  虫の夜の虫を無視してハワイアン

2011年09月24日 | 

(むしのよの/むしをむしして/ハワイアン) 

 

 去年の10月に結成したハワイアンバンド。誘われて参加を呼びかけてみたら、10人も集まってしまった。

 しまった!と思ってももう遅い。そして、やらざるを得ない羽目に・・・・ 

 

月一の練習で、1年にも満たないのに早コンサートとは、まったく図々しい連中だ。少しは身のほどを知って欲しいのだが・・・・・・・

 

なのだが観客はどういうわけか大喜び。会場を提供してくれた方からは、「こんな楽しいパーティは、初めてだ」などと、大冗談とも大世辞ともとれるお言葉をいただいた。

つまり、演奏する方もする方だが、聞く方も聞く方なのだ。

 

 あろうことか、クリスマスパーティーの予約まで入ってしまったから、またまた驚き。写真の通り、爺と婆の、特に「虫の夜のババが元気なハワイアン」でした。

 

 

 

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374 ちんぽこの痒き少年蚯蚓鳴く

2011年09月23日 | 

(ちんぽこの/かゆきしょうねん/みみずなく)

 

ミミズ(蚯蚓)は鳴かない。鳴いているのは、ケラ(螻蛄)、通称オケラだそうな。いつごろから、その事実が分かったのかは、分からない。

 

 子供の頃、たぶん小学生の頃、捕まえたオケラの胴を抓まんで、「けんちゃんのちんぽこ大きいか」と言うと、オケラは必ず手を一杯に広げるので「けんちゃんのは大きいと言ってるぞ」と言って笑ったものだ。

 

 そんな冗談にムキになって怒る奴もいて、(今で言う「いじめ」と言えなくもない)怒れば怒るほど、何度もやって腹がよじれるほど皆で大笑いしたものだ。そして、友達の誰もが怒らなくなったら、この遊びは終了、つまり卒業したことになる。

 

以下、蚯蚓が鳴くということが、まことしやかに言われていたころのお話だとか。

昔々、蛇は歌上手だったが目がなかった。

蚯蚓はその歌上手の蛇を訪れ、

「歌を教えてくれたら代わりに目を差し上げましょう」と持ちかけた。

蛇はこの申し出を受け入れ、蚯蚓に歌を教え、代わりに目をもらった。

だから、ミミズには目がないそうな。

だから、ミミズは鳴くそうな。

 

 

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373  枝豆や台風未だ名を持たず

2011年09月22日 | 

(えだまめや/たいふういまだ/なをもたず)

 

 台風は、初めは単なる番号で呼ばれ、爪跡や被害が大きいと地名などを付けた名前が付いた。私の子供の頃には、室戸台風や狩野川台風、伊勢湾台風など凄いのがかなりあった。

 

今回の15号も12号と同様、名前が付かないだろう。そう言えば、どういう訳か最近の台風は、被害が大きくても番号以外の名前を付けない・・・・・

 

そこで調べてみると、実際は、発生した途端に国際的な名前が付くそうだ。各国持ち回りの名付けで、最初から決まっている、という。今年の12号のアジア名は、Talas(フィリピン語で鋭さと言う意味)

 

 つまり、名前に親しみを感じないから、気象庁も新聞社もテレビ局も報道しないのかもしれない。

 

フヨウ(芙蓉)

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372   台風の怒涛見ている雨合羽

2011年09月21日 | 

 (たいふうの/  どとうみている/  あまがっぱ)

 

さてさて、12号に続き、またまた台風15号が接近中。只今四国沖を北上中だ。既に被害が出始めている。とにかく、雨が良く降る。12号では、2400ミリ降ったというから凄い。

 

そんな台風の最中、よせばいいのに、海を見に行く馬鹿がいる。中には、波に攫われてあの世へ行く者が、必ずと言っていい程いるから不思議。それが、人生経験を積んだはずの御老人だったりするから、尚更不思議に思う。

 

 防波堤の高いところで、今は安全であっても、突発の大波が来るかもしれないんだから、危ないじゃないか。

 あの合羽を着ている人、誰だろう。もしかすると、波に攫われたがっているのかもしれない。などと思いながら、合羽さんに近づいて、結局男二人で話しこんでいたりするから、私も馬鹿の一人だ。

 

サンショウ(山椒)の実

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371  みんみんに歩調を合わす登攀路

2011年09月20日 | 

(みんみんに/ほちょうをあわす/とうはんろ)

 

 ミンミン蝉の鳴くテンポは、ミンミンによって結構違う。しかし、大体Andante(歩くような速さ76~108)に収まるんじゃないか、と思う。

 

 山道と言っても、平らもあれば登りも下りもあるから、こちらの歩くテンポも時によって結構違う。ところが、私とみんみんのテンポが、限りなく近づく時がある。そしてぴったり合った時は、実に愉快だ。上り坂で2テンポ1歩の時もあるし、平地で1テンポ1歩の時もある。

 

 速い蝉は元気一杯の盛りだろうか、ゆっくりの蝉は先がないんだろうか、などと考える。そして、みんみんが鳴かなくなったら、いよいよ晩秋。

 

 

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370  樹上より青松虫のしぐれかな

2011年09月19日 | 

(じゅじょうより/あおまつむしの/しぐれかな)

 

数年前、庭の山桜の樹上で鳴く虫の声に気付いた。当時から都会で問題になっていた、例の外来種のアオマツムシの声だった。湯河原の町の街路樹で鳴いているのを、その1.2年前に聞いていたから間違いない。

 

その後毎年数が増え、今や我が家の虫時雨の主役は、このアオマツムシになってしまった。何せアオマツムシの声のボリュームはすごい。カンタンやコーロギ類も鳴いているが、声がかき消されてしまう。

 

だからこの句、決して感動して喜んでいるわけではなく、日本古来の虫達、特にカンタン(邯鄲)の音色の好きな私としては、実に腹立たしく思っているのだ。

 

だからと言って、「腹立たしき青松虫の時雨かな」では、いかにも下品でいけませんよね。

 

以下、大好きなカンタンの声です。

 

http://www.youtube.com/watch?v=nUnv1MSx-Is&feature=related

 

 

タラノキ(楤の木)

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369  秋暁や何処へ去れる夢の母

2011年09月18日 | 

 (しゅうぎょうや /いずこへされる/ゆめのはは)

 

20才の頃、フロイドの「夢判断」の影響で、2,3年夢日記を付けていたことがある。枕元に日記を置いて、目覚めたら直ちに灯りを付けて夢を記録していた。しかし、その夢を分析し、自分の生き方に反映させることは、とうとうなかった。残念ながら、ノートの所在が分からない。

 

さて、母が亡くなって10年近く経った頃の夢。母が、父ではない知らない男と去ってゆく後ろ姿を、私が見送っている。

私は唖然として言葉が出ず、唯後ろ姿を見送るのみ。目覚めてから、なんともやるせない気分になったのを覚えている。

 

 それにしても最近、昔ほど夢を見なくなった。年のせいかなあ。たぶんそうだろう。ぼけると、夢を見なくなるんだろうか。

 

 

ハナシュクシャ(花縮砂)、別名ジンジャー

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368  運動会綱固くして曳き合へり

2011年09月17日 | 

(うんどうかい/つなかたくして/ひきあえり)

 

   幼稚園の運動会で、父兄の綱引きに引っ張り出されたことがあった。私は「セーノ、セーノで引っ張りましょう」と怒鳴った。この言葉が功を奏したのだろう、ぴったり全員の息が合って、とうとう優勝してしまった。その優勝決定戦の時、負けた組の一人が「こいつら、本気になってやがる」と捨て台詞のように言って悔しがった。 

  

 この一言で、私は子供の頃のある心理状態を思い出した。つまり、「一生懸命やる」ことを笑う風潮だ。 

 

 そういう風潮に強い心理的影響を受け、自分の行動や発言が規制されていた、ことを思い出したのだ。横一線で前に出たり、他人と違うことをしない。つまり、目立たないようにすること。

 

  今でも、そんな風に自分を規制してはいまいか?・・・絶対、無意識に規制している、と思う。 

イタドリ(虎杖)

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367 秋霖の路地に積まれし空火鉢

2011年09月16日 | 

(しゅうりんの/ろじにつまれし/からひばち)

 

 焼き物業界が本当の不況になってゆくのは、やはりバブル崩壊からだろう。しかし、特に円高が進み、輸出関連が大きな打撃を受けたのは更に10年以上遡る。更に、ビニール・プラスチック・アルミ缶などの発生が衰退を早めた。

 

 焼き物は、12,000年前の縄文時代の土器に始まり、弥生時代を経て、奈良時代の土師器(はじき)がある。その後、仏教の伝来と共に朝鮮半島から須恵器(すえき)の技術が入って来た。須恵器は、1300度にもなる薪を使う穴窯で焼かれ、現在とほとんど変わらない。

 

 須恵器は、室町時代になると、備前・丹波・越前・美濃・信楽・常滑のいわゆる「六古窯」で生産され、産業として盛んになった。貯蔵用の種壺や水甕が有名。

 

 常滑は、少なくとも600年以上、もしかすると1万年近い歴史があるかもしれない、歴史ある焼き物の町。そういう町の路地に積まれた売れないであろう大量の火鉢。

 

 近代化と共に、焼き物やガラス瓶は忘れられ、ペットボトルや紙パックにとって替わり、大量のゴミを生みだした。安全を無視した大量生産は、賢い者のすることとは、とても思えない。

  

ヌルデ(白膠木)の雄花?

ヌルデの雌花?

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