AIJ投資顧問事件以来厚生年金基金の話題が新聞を賑わせていますが、中でもよく名前が挙がるのが長野県にある長野県建設業厚生年金基金です。
私が知っているだけでもこの基金は以下のような問題を立て続けに引き起こしています。
・事務長が約23.8億円を持ち逃げし海外逃亡。
・AIJ投資顧問に年金資産の1/3にあたる66.9億円を投資し回収不能。
・未公開株に約70億円を投資したものの投資先の経営状況が劣悪で時価が大幅に目減り
・運営に不安を感じた加入業者1社が脱退を求めたが基金が拒否したため裁判に。
基金側は裁判所の和解勧告を拒否し、8月に長野地裁により基金側全面敗訴の判決が下る。
これだけでも無茶苦茶な運営だと分かりますが、細かく見てゆくとさらにダメっぷりが分かると思いますのでご紹介します。
極端な例ではありますが、厚生年金基金の運営実態を知っていただきたいと思います。
[長野県建設業厚生年金基金とは]
長野県にある中小の建設業者が加入している厚生年金基金です。長野県では田中康夫元知事による「脱ダム宣言」などの影響もあり一時公共工事が大幅に削減された影響で倒産する建設業者が続出し、加入員が減っているのが現状です。
このため元々運営が苦しい環境にありますが、ガバナンスの欠如が様々な問題を引き起こすことになりました。
[事務長の持ち逃げ]
一般に厚生年金基金は総責任者である理事長(加入企業の社長から選任)、運営全般を切り盛りする常務理事(社会保険庁OBなど)、事務方を取り仕切る事務長以下の職員がいます。ところが理由がよく分からないのですが長野県建設業厚生年金基金は2003年頃から常務理事が空席となり実質的に事務長が基金を切り盛りしていたようです(もちろんこれは違反)。事務長は基金が採用した民間の人材でいわゆる天下りではありません。
理事長は自分の会社があるため非常勤で、基金の公印を事務長が勝手に持ち出せるような状態だったそうです。この立場を悪用し、事務長は加入した各社より振り込まれた掛金を勝手に払い戻して着服していたようです。偽の決算書を事務長自身が作っているために基金ではチェックできず、分かっているだけで23.8億という莫大な額が横領されています。
総幹事(運用や給付を行う金融機関)の生命保険会社が基金理事長に対し「掛金が少ないのではないか」と指摘して初めて分かったというお粗末ぶりです。しかも基金の内部調査中に事務長は海外逃亡してしまい、大半の金が行方不明のままになっています。事務長の行方が分からなくなってからようやく警察に相談したという泥縄ぶりです。
事務長は東南アジア某国への出国記録があるためICPOを通じて照会をかけているようですが、2年経った今でも見つかっていません。
[AIJ投資顧問への投資]
長野県建設業厚生年金基金は一般的な国内外の株式や債券への運用をほとんど行っておらず、ヘッジファンドであるAIJ投資顧問などに大半の資産を投資していました。AIJに投資した額は基金の年金資産の実に1/3に上る66.9億円です。これがほぼ全額消えてしまったというわけです。
しかも信濃毎日新聞の報道によると長野県建設業厚生年金基金はAIJ投資顧問への資金委託を一旦は解約し、全額を引き上げていたようです。ところがAIJ投資顧問の浅川社長の説得を受け、基金の資産運用委員会や理事会といった正規の手続きを経て払戻金のほぼ全額を再度AIJに委託していたようです。何を審議して決めたのか知りませんが基金の正式な機関決定がされている以上、理事長以下各理事には責任が生じる可能性が高いです。
AIJの事件発覚後に長野県建設業厚生年金基金の理事長がテレビ取材に応じ「私たちは騙された」と語っていましたが、この経緯を見ると皆さんはどう思うでしょうか?
[未公開株への投資]
未公開株とは東証などに上場していない会社の株式です。将来の成長を見込んで投資するもので上場時には大きな利益が回収できる可能性がありますが、半面経営が脆弱で倒産する危険性もあります。上場株式ですと市場で売却できますが未公開株では引き取ってくれる相手がおらず売りたくても売れないリスクがあります。
そんなリスクの高い未公開株に70億円ほどを投資していたようです。ところが投資先が不良ファンド業者で、運転資金を確保できず破産した会社や自転車操業に陥っている医療系の会社などが投資先となっており、現在の時価は20数億円ではないかと言われています。
実はこの怪しげな未公開株への投資の件は事務長の持ち逃げが発覚した頃から専門誌で報道されていました。今まで基金はこの件に対し何か調査してきたのでしょうか?
[基金脱退を巡る裁判]
こんなメチャクチャな運営をしているため、加入している会社のうち1社が「脱退させて欲しい」と基金に申し入れました。年金資産の不足額のうちこの会社の分と合理的に計算される金額を払って脱退することを申し入れています。ところが基金側は難癖を付けて拒否し、代議員会でも否決します。
このためこの会社は長野地裁に脱退が有効であることの確認を求めて提訴します。このような裁判は全国であり、今までは和解という形で脱退が認められてきました。ところが長野県建設業厚生年金基金は裁判所の和解案を拒否、判決に持ち込まれました。会社側の主張がほぼ全面的に認められ、「やむを得ない事由」がある場合は代議員会の議決を経なくても脱退が認められるという関係者ですら思ってもみなかった判決が下されました。判決は前例のないもので、長野地裁にとっては厚生年金基金の制度から調査を強いられる非常に骨の折れる裁判であったそうです。よくこれだけの判決が出せたと思います。
基金側は高等裁判所に控訴していますが、ひっくり返すことのできる何かがあるのでしょうか?
[厚生労働省の対応]
このように放漫運営を続けた長野県建設業厚生年金基金に対して厚生労働省は財政の特に悪化した基金として「指定基金」に指定し、実名の公表を行うと同時に担当である関東信越厚生局が重点的に指導を行っています。
厚生年金法では厚労省は不法行為が著しく指導も受け入れない厚生年金基金に対して解散命令を下すことができます。今回の場合解散命令を出しても問題ないくらいメチャクチャな運営がされていますが、伝家の宝刀を抜こうとしていません。
これは解散となった場合、現在年金を受けているOBの年金や現在働いている人の将来の年金を奪うことになるからだろうと考えられます。こんな基金に税金を投入することは社会から厳しい批判が出るのは明らかですから、OBや現役の従業員を救うにはあくまで自主的な再建を促すしか手がないのが実情です。
常務理事を欠員にしたまま長年放置するなど歴代の理事長をはじめ理事経験者には基金運営に求められる忠実義務を果たしていないとも受け取られる行為が見受けられます。忠実義務を果たしていないなら歴代の理事長等には賠償責任が生じるとの見解もあり、今後どう責任を取るのか注視しています。歴代の理事長以下は自分たちの責任で現在年金を受けているOB、そして大切な従業員の老後の生活を不安に陥れていることをもっと自覚して欲しいと思います。
[結局何が問題なのか]
厚生年金基金に対してマスコミは問題の根源を「天下り」だと決めつけましたが、この基金の無茶ぶりを見る限り基金側の運営ガバナンスとかコンプライアンスとかが全く欠けていることが問題の根源だと分かると思います。
マスコミは中小企業に対して甘く、国に対して厳しい論調を繰り返していますがそれだけでは問題は解決しません。中小企業にもガバナンスの確立とコンプライアンス体制の整備が求められているのが今の世の中であり、「ワシの言うことが会社の方針」という昔ながらのオーナー社長では時代に通用しなくなってきているのかも知れません。