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鎌倉扇ガ谷御朱印巡り①

2024-10-27 | 御朱印めぐり
鎌倉の御朱印巡り、これまで北鎌倉・二階堂・小町大路などの寺院の御朱印巡りをご紹介してきました。

今回は扇ガ谷などを回ってみましょう。扇ガ谷は鶴岡八幡宮の北にあたるエリアです。室町時代にこの地に住んだ上杉定正が「扇谷殿」と呼ばれたことが地名の由来だとされます。このエリア独特の谷戸(台地の端が浸食されてできた谷状の窪地)に家やお寺があります。日当たりがあまり良くない上に夏は湿気が溜まりやすく、冬は寒いと言われます。


今回は都内に泊まりましたので都内で残っている寺院のお参りから。まずは巣鴨駅で下車しましょう。駅前の白山通りを北へ、豊島市場の先で右に曲がりましょう。突き当たりに本妙寺があります。

本妙寺は1571年に日慶により駿河で創建された法華宗陣門流の寺院です。その後徳川家の江戸入りにより江戸城清水御門内に移転、その後本郷丸山に移転します。1657年に起きた明暦の大火では本妙寺の檀家の娘の供養のために燃やした振り袖が火元であったとの噂が立ち、俗に「振袖火事」と呼ばれるようになりました。しかしながら本妙寺は火事の後で廃絶も移転も命じられておらず、老中であった阿部忠秋の邸宅が火元であり、本妙寺が火元の汚名を引き受けたのではないかとも言われています。

その後陣門流の総本山・本成寺の再建資金調達のため本郷丸山の土地を手放し1911年に巣鴨の現在地に移転、1945年の空襲でほとんどが焼けたものの復興し現在に至っています。剣豪として知られる千葉周作、遠山の金さんのモデルとされる遠山金四郎の墓があります。

本妙寺の御首題です。


山手線で日暮里へ。

日暮里は京成線との乗換駅として、谷根千へのアクセスとして終日賑わう駅ですが、目立たない南口があります。山手線で最もマイナーな田端駅の南口に次いで目立たない入口です。

この南口から行けるのが天王寺です。

天王寺の歴史は複雑で、元は鎌倉時代に日蓮の弟子・日源が創建した感応寺でした。感応寺は徳川家光らの庇護を受けた大きなお寺でしたが、その頃日蓮宗では幕府など時の権力者から独立し施しを受けないべきとの「不受不施派」と受けることは構わないとする「受不施派」との宗派対立が生じました。これを巧みに利用したのが江戸幕府で、不受不施派の池上本門寺と受不施派の久遠寺とを対論させ(ほぼ出来レースで)久遠寺の勝ちとして不受不施派を弾圧します。不受不施派の感応寺は天台宗に改宗させられ、お寺の名前も天王寺に変えさせられたのです。

天王寺はその後彰義隊の戦いに巻き込まれて被害を受け、さらに寺地の一部を谷中霊園として東京都に移管、また戦災を生き延びた五重塔は1957年に心中事件で放火され焼失しています。

天王寺の御朱印です。

それでは鎌倉に行ってみましょう。
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