毎年恒例の浄土宗京都教区の寺院大公開に今年も行ってきました。
この寺院大公開は総本山の知恩院だけでなく、街中の小さな檀那寺も対象となっており、普段拝観できないお寺もお参りできます。合わせて御朱印の有無も公開しており興味深いイベントです。
一方で近年檀那寺の多くは公開期間が非常に短くなっており、中には期間中公開日は1日だけ、それも僅か2時間というお寺もあります。公開日と時間を確認しながら計画を立てる必要があります。
今回は南区の上鳥羽周辺のお寺を回ってみたいと思います。上鳥羽はJR京都駅の南にあたるエリアで、東の鴨川・西の桂川・南の巨椋池に囲まれたエリアです。平安末期には白河上皇の鳥羽殿(今の城南宮)が置かれ、鎌倉以降は西園寺家の荘園となっていました。1918年に一部が京都市に編入され、下京区→南区となっています。一帯は名神高速の京都南ICに近く、物流関係の企業が多くなっています。
上鳥羽へは市バスが便利です。近鉄京都線に上鳥羽口駅がありますが、「口」が付いているとおり東に大きく離れています。上鳥羽を通るバスは18・19系統などです。
振り出しはJR京都駅です。
京都駅からは19系統が利用できますが、八条口からになります。通常利用する烏丸口ならどこからバスが出るかは頭の中に入っていますが、八条口は全く利用しないので初めてです。
19系統が発着するのはH7乗り場で、アバンティの東の路上(北の方で言うところの東洞院通り)みたいです。今では珍しくなった調整系統(整理券を取る系統)です。
上鳥羽バス停で下車、まずは誓祐寺に向かいます。
誓祐寺は鎌倉時代に苅萱道心によって創建されたとされています。苅萱道心は筑前博多の武士で、妻と側室の仲の悪さに辟易し出家したとされます。出家した父を諸国を探し歩いた息子の石堂丸が高野山で道心に出会うものの道心は父であることを言うことがなかったといいます。歌舞伎「苅萱」の題材となった人物です。
誓祐寺では本堂の大仏を公開しています。近年制作された木像の阿弥陀如来座像です。大きさに圧倒されます。
誓祐寺の御朱印です。
誓祐寺から歩いてすぐに金樹寺があります。
寺伝があまり残っていないため創建がいつかはっきりしないようです。少なくとも江戸時代以前であることは確かで、お寺のある上鳥羽岩ノ本町にあった城と何らかの関係があるのではないかとのことです。このお城は名前さえ不明で、いつの時代に誰がいたのかも分からないみたいです。
金樹寺では本堂を公開しています。
「内陣含め好きに入ってください」「写真も撮って頂いて結構です」とのことでした。
そしてメダカも撮っていいそうですから撮影してきました。
金樹寺の御朱印です。メダカが描かれていますね。
後半に続きます。
この寺院大公開は総本山の知恩院だけでなく、街中の小さな檀那寺も対象となっており、普段拝観できないお寺もお参りできます。合わせて御朱印の有無も公開しており興味深いイベントです。
一方で近年檀那寺の多くは公開期間が非常に短くなっており、中には期間中公開日は1日だけ、それも僅か2時間というお寺もあります。公開日と時間を確認しながら計画を立てる必要があります。
今回は南区の上鳥羽周辺のお寺を回ってみたいと思います。上鳥羽はJR京都駅の南にあたるエリアで、東の鴨川・西の桂川・南の巨椋池に囲まれたエリアです。平安末期には白河上皇の鳥羽殿(今の城南宮)が置かれ、鎌倉以降は西園寺家の荘園となっていました。1918年に一部が京都市に編入され、下京区→南区となっています。一帯は名神高速の京都南ICに近く、物流関係の企業が多くなっています。
上鳥羽へは市バスが便利です。近鉄京都線に上鳥羽口駅がありますが、「口」が付いているとおり東に大きく離れています。上鳥羽を通るバスは18・19系統などです。
振り出しはJR京都駅です。
京都駅からは19系統が利用できますが、八条口からになります。通常利用する烏丸口ならどこからバスが出るかは頭の中に入っていますが、八条口は全く利用しないので初めてです。
19系統が発着するのはH7乗り場で、アバンティの東の路上(北の方で言うところの東洞院通り)みたいです。今では珍しくなった調整系統(整理券を取る系統)です。
上鳥羽バス停で下車、まずは誓祐寺に向かいます。
誓祐寺は鎌倉時代に苅萱道心によって創建されたとされています。苅萱道心は筑前博多の武士で、妻と側室の仲の悪さに辟易し出家したとされます。出家した父を諸国を探し歩いた息子の石堂丸が高野山で道心に出会うものの道心は父であることを言うことがなかったといいます。歌舞伎「苅萱」の題材となった人物です。
誓祐寺では本堂の大仏を公開しています。近年制作された木像の阿弥陀如来座像です。大きさに圧倒されます。
誓祐寺の御朱印です。
誓祐寺から歩いてすぐに金樹寺があります。
寺伝があまり残っていないため創建がいつかはっきりしないようです。少なくとも江戸時代以前であることは確かで、お寺のある上鳥羽岩ノ本町にあった城と何らかの関係があるのではないかとのことです。このお城は名前さえ不明で、いつの時代に誰がいたのかも分からないみたいです。
金樹寺では本堂を公開しています。
「内陣含め好きに入ってください」「写真も撮って頂いて結構です」とのことでした。
そしてメダカも撮っていいそうですから撮影してきました。
金樹寺の御朱印です。メダカが描かれていますね。
後半に続きます。