チャットモンチーのライヴの為に仙台まで行く事になったが、せっかくなので、ライヴの前にどこかに観光に行こうということになり、アクセスの便利な「中尊寺」に立ち寄る事にした。
弘前から高速道路使ってざっと2時間ほどで到着。
IC降りてから5分程で着くから便利である。
国道4号線を挟んで、中尊寺に近い駐車場は有料で、ほんの少し離れただけの奥の駐車場は無料なので、もちろん無料駐車場へ。
友人が知ってたからよかったものの、普通は看板通りに有料駐車場へ入ってしまうところである。
地下道を通って表参道の月見坂を登る。
この月見坂がまた気持ちよく、道沿いには樹齢数百年の巨木が聳える。
参道の月見坂の両脇には、15ほどの堂が建っており、途中本堂が右手に、そして最終的に金色堂がゴールのようなコースになっている。
中尊寺の歴史であるが、嘉祥3年(850年)に慈覚大師が開創したのがはじまりとされるが、実質的には12世紀初頭、藤原清衡が中尊寺の創建したとされている。
奥州藤原氏4代に渡り栄華を誇った黄金文化は、源頼朝の侵攻によって藤原氏とともに滅亡したが、金色堂などの美しき仏教文化に感銘を受けた頼朝は、中尊寺を庇護する。
戦国時代に荒廃した中尊寺は、その後伊達藩の下で再興され、現在の多くの堂を建築、さらに参道の植林なども行い、現在の形になる。
月見坂を歩いてまずみどころなのが「弁慶堂」である。
源義経と従者の弁慶は、頼朝の威を恐れた藤原泰衡に奇襲され、この平泉にて生涯を終える。
歌舞伎の「勧進帳」でもお馴染みの義経と弁慶は悲劇のヒーローとして多くの人たちから愛された。
義経と弁慶の像、そして弁慶が彫った木像が安置されている。
続いてすぐ左手に「薬師堂」がある。
もちろん本尊は薬師如来像で、日光菩薩と月光菩薩像が脇仏として安置されている。
しかしこれとは別に十二神将の像があり、そちらの方が目を奪われた。
その向かいに中尊寺の「本堂」がある。
現在の本堂は明治42年に再建されたもので、その他の堂に比べるとみどころはかなり薄い。
そこからすぐ右手に「峯薬師堂」がある。
またもや薬師如来三尊像がある。
薬師様なのであらゆる病気を治して下さるだろうが、中でもここでは眼病に効くらしく、網膜剥離になった友人がお守り買っていた。
その向かいには「不動堂」がある。
不動明王像は曲線が美しいあまり見た事のないデザインが斬新だったが、なんせ広い堂内には入れないので、離れている安置されてる場所を遠目で観る事しか出来ず。
もう少し手前に安置して欲しいものである。
そこから右手に「大日堂」「阿弥陀堂」「弁財天堂」と続けて拝観。
あまりに多くて記憶が曖昧なので割愛する。
金色堂の前を右に折れると奥の方が「白山神社」になっている。
拝殿の隣には「能楽殿」がある。
これがまた趣のある建物で、ここが能の舞台として実際に使われていたので、ここで観覧してみたいと思った。
そして道を引き返してメインの「金色堂」へ。
隣の「讃衡蔵」の二箇所が800円で入れる。
金色堂は堂そのものが金箔で覆われた、贅の限りを尽くした建築物であり、もちろん安置されている仏像も金で輝いている。
阿弥陀如来の右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右奥に地蔵菩薩が6体、一番手前右手に持国天、左に増長天という構図のセットが更に、左右ともに同じ構図のになっている。
なので全部で33体の像が飾られている。
問答無用の美しさであり、素晴らしいの一言に尽きる。
金色堂を出て「旧覆堂」へ。
もともと金色堂があった場所であり、見所はほぼない。
「釈迦堂」があったであろう場所は工事中で、あきらかに建物が取り壊されていた・・・。なぜ!?
そこからぐるりと廻り、最後は「讃衡蔵」へ。
「讃衡蔵」には3千点以上の国宝・重要文化財が収蔵されている宝物館であり、仏像・経典などの文化財が拝観出来る。
まずは大仏3体がお出迎え。真ん中が阿弥陀如来、両隣が薬師如来座像がド-ンと座られている。
そして千手観音像があり、これがまたカッコいいのである。
32臂には各種様々な道具を手に持っており、そこには強さと慈しみが感じられる。
左右対称の見事なバランスの高度なデザインにうっとりだ。
平安後期作とは思えぬ保存状態で、ガラスケースにすら入ってない。
更に、大日如来像と文殊菩薩像があるが、特に獅子に乗る文殊菩薩像は圧倒的な迫力で、美のセンスが光っていた。
他にも国宝が山ほどあるのだけれど、机だの装飾品だので、歴史的価値はあるだろうが、芸術的なものではないので、チラ見して通り過ぎる。
仏像があまりに素晴らしかったので讃衡蔵は二周しちゃった。
そんなわけで、大満足の中尊寺巡りでした。
最近、仏像に興味を持ち始めたので、仏像好きにはたまらない観光になりました。
そんなに遠い距離ではないので、また機会があったら訪れてみたい。
弘前から高速道路使ってざっと2時間ほどで到着。
IC降りてから5分程で着くから便利である。
国道4号線を挟んで、中尊寺に近い駐車場は有料で、ほんの少し離れただけの奥の駐車場は無料なので、もちろん無料駐車場へ。
友人が知ってたからよかったものの、普通は看板通りに有料駐車場へ入ってしまうところである。
地下道を通って表参道の月見坂を登る。
この月見坂がまた気持ちよく、道沿いには樹齢数百年の巨木が聳える。
参道の月見坂の両脇には、15ほどの堂が建っており、途中本堂が右手に、そして最終的に金色堂がゴールのようなコースになっている。
中尊寺の歴史であるが、嘉祥3年(850年)に慈覚大師が開創したのがはじまりとされるが、実質的には12世紀初頭、藤原清衡が中尊寺の創建したとされている。
奥州藤原氏4代に渡り栄華を誇った黄金文化は、源頼朝の侵攻によって藤原氏とともに滅亡したが、金色堂などの美しき仏教文化に感銘を受けた頼朝は、中尊寺を庇護する。
戦国時代に荒廃した中尊寺は、その後伊達藩の下で再興され、現在の多くの堂を建築、さらに参道の植林なども行い、現在の形になる。
月見坂を歩いてまずみどころなのが「弁慶堂」である。
源義経と従者の弁慶は、頼朝の威を恐れた藤原泰衡に奇襲され、この平泉にて生涯を終える。
歌舞伎の「勧進帳」でもお馴染みの義経と弁慶は悲劇のヒーローとして多くの人たちから愛された。
義経と弁慶の像、そして弁慶が彫った木像が安置されている。
続いてすぐ左手に「薬師堂」がある。
もちろん本尊は薬師如来像で、日光菩薩と月光菩薩像が脇仏として安置されている。
しかしこれとは別に十二神将の像があり、そちらの方が目を奪われた。
その向かいに中尊寺の「本堂」がある。
現在の本堂は明治42年に再建されたもので、その他の堂に比べるとみどころはかなり薄い。
そこからすぐ右手に「峯薬師堂」がある。
またもや薬師如来三尊像がある。
薬師様なのであらゆる病気を治して下さるだろうが、中でもここでは眼病に効くらしく、網膜剥離になった友人がお守り買っていた。
その向かいには「不動堂」がある。
不動明王像は曲線が美しいあまり見た事のないデザインが斬新だったが、なんせ広い堂内には入れないので、離れている安置されてる場所を遠目で観る事しか出来ず。
もう少し手前に安置して欲しいものである。
そこから右手に「大日堂」「阿弥陀堂」「弁財天堂」と続けて拝観。
あまりに多くて記憶が曖昧なので割愛する。
金色堂の前を右に折れると奥の方が「白山神社」になっている。
拝殿の隣には「能楽殿」がある。
これがまた趣のある建物で、ここが能の舞台として実際に使われていたので、ここで観覧してみたいと思った。
そして道を引き返してメインの「金色堂」へ。
隣の「讃衡蔵」の二箇所が800円で入れる。
金色堂は堂そのものが金箔で覆われた、贅の限りを尽くした建築物であり、もちろん安置されている仏像も金で輝いている。
阿弥陀如来の右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右奥に地蔵菩薩が6体、一番手前右手に持国天、左に増長天という構図のセットが更に、左右ともに同じ構図のになっている。
なので全部で33体の像が飾られている。
問答無用の美しさであり、素晴らしいの一言に尽きる。
金色堂を出て「旧覆堂」へ。
もともと金色堂があった場所であり、見所はほぼない。
「釈迦堂」があったであろう場所は工事中で、あきらかに建物が取り壊されていた・・・。なぜ!?
そこからぐるりと廻り、最後は「讃衡蔵」へ。
「讃衡蔵」には3千点以上の国宝・重要文化財が収蔵されている宝物館であり、仏像・経典などの文化財が拝観出来る。
まずは大仏3体がお出迎え。真ん中が阿弥陀如来、両隣が薬師如来座像がド-ンと座られている。
そして千手観音像があり、これがまたカッコいいのである。
32臂には各種様々な道具を手に持っており、そこには強さと慈しみが感じられる。
左右対称の見事なバランスの高度なデザインにうっとりだ。
平安後期作とは思えぬ保存状態で、ガラスケースにすら入ってない。
更に、大日如来像と文殊菩薩像があるが、特に獅子に乗る文殊菩薩像は圧倒的な迫力で、美のセンスが光っていた。
他にも国宝が山ほどあるのだけれど、机だの装飾品だので、歴史的価値はあるだろうが、芸術的なものではないので、チラ見して通り過ぎる。
仏像があまりに素晴らしかったので讃衡蔵は二周しちゃった。
そんなわけで、大満足の中尊寺巡りでした。
最近、仏像に興味を持ち始めたので、仏像好きにはたまらない観光になりました。
そんなに遠い距離ではないので、また機会があったら訪れてみたい。