シリーズ「津軽一代様巡り」の第4回は、旧岩木町の「愛宕山橋雲寺」です。
辰巳の一代様です。
場所は、県道3号線を岩木山方面へ走らせ、旧岩木町の賀田地区に入ると右手にローソンとみちのく銀行があるので、その交差点を右折する。
二つ目の信号があるT字路を左折し、ここから道なりに山手に進む。
途中で植田地区の多目的集会所があるので、そこから少し進んだところに石標があるので、山手を200mほど登ると橋雲寺の石段があります。
そこのつきあたりを左手に100mほど登ると、左手に護摩堂と愛宕神社があります(温泉好きな人はわかるでしょうが「あたご温泉」の途中にあります)
自分はよくわからなかったので、石段麓に駐車してから石段を登ったが、これがまた大変に長い急な石段であります。
しかも雪道で危険だし、積雪で折れた林の枝がそこかしこに落ちてます。
なので、自信がない人は護摩堂と神社がある境内まで車で行く事をお薦めします。
護摩堂と奥院の二ヶ所ともに本尊の勝軍菩薩が祀られているので、護摩堂だけ参拝しても大丈夫です。
頑張って頂上まで登ると、景色もそこそこいいです。
「津軽十景之一」といわれるだけあります。ま、昔の話ですが。
頂上には奥院があり、ここには本尊の「勝軍地蔵」が祀られている。見れませんが。
奥院は数度の修復があるものの、建立当時の桃山時代の形式がみられる。
頂上から下り、参道中腹あたりで右手に下りると橋雲寺護摩堂と愛宕神社社殿がある。
右手が橋雲寺護摩堂で、ここにも奥院とは別の、本尊・勝軍地蔵が祀られている。
左手が愛宕神社の社殿です。
橋雲時の歴史を。
津軽統一過程に於いて、津軽為信は浅瀬石城攻めの際に勝軍地蔵を手に入れ、黒石の浅瀬石に地蔵堂を建立する。
慶長14年(1609年)に二代目信枚によって現在地に遷座。
明治初期に、境内入り口にあった大泉坊など六坊が廃仏棄釈によって廃寺。
明治19年に弘前市の豪商・金木屋によって護摩堂が寄進される。
本題であるが、辰巳の守り本尊は普賢菩薩です。
本尊は勝軍地蔵だが、勝軍地蔵は普賢菩薩の生まれ変わりとされているようです。
普賢菩薩が護摩堂に祀られているかは不明(おそらくない)だが、勝軍地蔵が普賢菩薩の代わりとして守り本尊になっているようです。
愛宕五坊の一つ「愛宕山白雲寺」は勝軍地蔵を本尊としたため、戦国時代にかけて愛宕権現は勝軍地蔵が垂迹(仮の姿)した軍神として武士から信仰を集めた。
なので津軽為信の勝軍地蔵信仰はそこから来ているようです。
愛宕権現は愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、地蔵菩薩を本地仏(本来の姿)とする。
愛宕山橋雲寺は神仏習合なのだが、明治の神仏分離令によって橋雲寺と愛宕神社は分かれた。
勝軍地蔵は戦勝祈願のほか、火難除けとしても崇められているので、辰巳の一代様と関係ない人も、関連のお守りなどを授かるのもいいのではなかろうか。
(こちらが山頂の奥院です)
住所・岩木町植田山下63
電話・0172-82-3429
辰巳の一代様です。
場所は、県道3号線を岩木山方面へ走らせ、旧岩木町の賀田地区に入ると右手にローソンとみちのく銀行があるので、その交差点を右折する。
二つ目の信号があるT字路を左折し、ここから道なりに山手に進む。
途中で植田地区の多目的集会所があるので、そこから少し進んだところに石標があるので、山手を200mほど登ると橋雲寺の石段があります。
そこのつきあたりを左手に100mほど登ると、左手に護摩堂と愛宕神社があります(温泉好きな人はわかるでしょうが「あたご温泉」の途中にあります)
自分はよくわからなかったので、石段麓に駐車してから石段を登ったが、これがまた大変に長い急な石段であります。
しかも雪道で危険だし、積雪で折れた林の枝がそこかしこに落ちてます。
なので、自信がない人は護摩堂と神社がある境内まで車で行く事をお薦めします。
護摩堂と奥院の二ヶ所ともに本尊の勝軍菩薩が祀られているので、護摩堂だけ参拝しても大丈夫です。
頑張って頂上まで登ると、景色もそこそこいいです。
「津軽十景之一」といわれるだけあります。ま、昔の話ですが。
頂上には奥院があり、ここには本尊の「勝軍地蔵」が祀られている。見れませんが。
奥院は数度の修復があるものの、建立当時の桃山時代の形式がみられる。
頂上から下り、参道中腹あたりで右手に下りると橋雲寺護摩堂と愛宕神社社殿がある。
右手が橋雲寺護摩堂で、ここにも奥院とは別の、本尊・勝軍地蔵が祀られている。
左手が愛宕神社の社殿です。
橋雲時の歴史を。
津軽統一過程に於いて、津軽為信は浅瀬石城攻めの際に勝軍地蔵を手に入れ、黒石の浅瀬石に地蔵堂を建立する。
慶長14年(1609年)に二代目信枚によって現在地に遷座。
明治初期に、境内入り口にあった大泉坊など六坊が廃仏棄釈によって廃寺。
明治19年に弘前市の豪商・金木屋によって護摩堂が寄進される。
本題であるが、辰巳の守り本尊は普賢菩薩です。
本尊は勝軍地蔵だが、勝軍地蔵は普賢菩薩の生まれ変わりとされているようです。
普賢菩薩が護摩堂に祀られているかは不明(おそらくない)だが、勝軍地蔵が普賢菩薩の代わりとして守り本尊になっているようです。
愛宕五坊の一つ「愛宕山白雲寺」は勝軍地蔵を本尊としたため、戦国時代にかけて愛宕権現は勝軍地蔵が垂迹(仮の姿)した軍神として武士から信仰を集めた。
なので津軽為信の勝軍地蔵信仰はそこから来ているようです。
愛宕権現は愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、地蔵菩薩を本地仏(本来の姿)とする。
愛宕山橋雲寺は神仏習合なのだが、明治の神仏分離令によって橋雲寺と愛宕神社は分かれた。
勝軍地蔵は戦勝祈願のほか、火難除けとしても崇められているので、辰巳の一代様と関係ない人も、関連のお守りなどを授かるのもいいのではなかろうか。
(こちらが山頂の奥院です)
住所・岩木町植田山下63
電話・0172-82-3429