1654回 「台風の季節」
台風台風と騒いでいる割にはそう酷くないと言う人もいますが、地域的には酷い所もあると思います。その時の台風の回り具合で被害の程度が違うのは経験で分かっているので、特に何か言...
昨年は台風が来ていたようですね、台風が来ると災害の出る地域があるので、いつも大変だなと思います。
こちらの地方でも、時には酷い被害が出て、停電と木々の倒壊がありました。
倒れなかった木でも、瞬時の乾燥で一気に枯渇、茶色くなって立ち枯れた大木が何本かありました。
まだ山際に住んでいたころの話なので、山の木々の変化を目の当たりにしたわけです。
倒れた木々の間を縫って、幼稚園まで子の迎えに行きました。
山の上に幼稚園があったのです。家は山の裾、崖際にあり、土砂崩れを防ぐコンクリート固めの上からネットも貼られていました。思えば危険な場所でした。
風台風といわれ、雨が少なく、過ぎ去った後の夜明け、目覚めると布団の上は壁土の藁と砂塵の降り積もった、世にも珍しい光景へと変わり果てていました。
その後の停電で掃除機は使えず、箒と塵取りで掃除、バケツと水で拭き掃除、思えば水が出てよかったものです。炊飯もガスコンロで鍋で炊きました。
災害時の大変さを経験した一時でした。
屋根瓦が割れていて、その後の雨で雨漏り、瓦屋さんが大忙し、大繁盛していました。
家は3日目ぐらいに直してもらい屋根瓦が直ったところで完全復旧でした。
2日目には電気が通っていたからです。
ガス、電気、水道、ライフラインといいますが、水だけでも出ていたおかげで、掃除ができて寝ることができ、食事もできた。
ガスはプロパンで、と思うと、ライフライはも2つ生きていたわけです、ありがたい事でした。洗濯もできて、心配した割には事なきを得ました。
傘をさしてトイレに入った、屋根瓦の復旧だけが大層心配だった、不思議にそれなりに過ごせた台風一過でした。
当時、実家の方と連絡を取って、両親の安否を気遣った、こちらの方が被害が酷かったという事で、我家の事だけを考えていた、まだ主婦新米に近い頃、核家族というのは家庭を預かる主婦の腕の見せ所、母強しを地で行くしかない災害時でしたね。
今は昔、相当前の話です。
今は実家で、昨年、この詩を書いた頃には母一人、父は亡くなり喪中でした。敬老の日は母のみ、気の抜けた時期であったかもしれません。
子も成長して、当時2歳の2番目が社会人になり、何となくのんびり、あくせくする事も無いのに、あれこれと取り掛かってしまう。
何かしていないとというより、何かしら目的を見つけて取り組んでしまう、性分なんですね、チャレンジ精神と克服したい、試みたい気持ち、意欲というか探求心。
私も歳です。少しずつ、少しずつ、
近年では無理せずに過ごしていきたい毎日です。困難は嫌ですね。