昨年の今頃は買い物に出かけていたようです。
4月、下旬に入ろうとしています。沈みがちだった昨年の今頃に比べると、今年は一つの感情の思い出が甦ることがあり、書き出してみました。
過去を振り返ると、ある時、日常の家事の瞬間ですが、ある感情にふと捕らわれて、自分ながら不思議に感じ、それを不安とも思いながら、それでも憩う時の訪れ、人生の微睡のような時間がありました。
『幸せだな』
と思う瞬間です。
そして人生にすれば瞬間でも、その時は確かに時間という間でした、しばし憩う時間があるのです。
生活の中での憩は、稀にこのような幸福の時を送り込んでくれるようです。
家事の合間、一人家族の為にふんふんと立ち働く時、それは訪れたのでした。
朝の家事、布団をしまう時。昼の家事、子供の迎えを待ち、車上で寛ぐ時。
束の間の希少な価値としてそれは確かに訪れたのでした。
そして、自覚できたこの瞬間は、いずれ過去のものとなり今が一番幸せな時なのかもしれない。
初回はそう思ったものでした。
2回目の訪問時は、厳しい未来があるとわかる先がありました。
当時予想できていた困難に、その訪れを前に今この幸せな時を充足したい、堪能しておくべきだと考えたりしました。
そして、3度目の「この時」を感じたのがつい昨日でした。
今回はもう隠居に近い、家事というより自身の仕事の束の間にこの思いが訪れたのですから、やや不安でした。
過去を考えてみても、この時の訪れの後に確かな波乱の時があったのですから、今回はどんな怒涛に出会うのでしょうか?
そんな経験からの予想も訪れたのでした。
最初の時同様、先の読めない3度目の楽しい時。不安と共に去って
のんびりやって行きたい仕事と思っているのに、どんな嵐がやって来るというのか。
不安、楽しい時の後の未来、嵐の前の静けさ、楽あれば苦ありなのでしょうか。
楽しむというほどの憩でもない時なのに、と思ったことです。