謎だらけの今日だ、文机を前に寡黙に座している父も私には妙に謎めいて見えた。思い切ってお父さんと声を掛けてみるが、何となく私が予期した通り、何時もの様な「おう、何だ」という様な返事は、やはり彼から得られなかった。一体全体、家の大人は如何したというのだ!?。私はその場に茫然と立ち竦んだ。
2階の寝室は家でも一番明るく乾燥した場所だ。私は何時もこの部屋の入り口にやって来るとほっとした安らかな感情を得たものだ。が、今日はその明るささえくすんで見える。心地よかった乾燥感さえも、今は感じられない様だ。
『不思議だな。』
そう思った私はもう一度室内を見渡してみる。何時もとそう変化が無いように思われるのだが、どこかが違っているのだろうか。
光の差し込む方向の障子戸は?、開いている。部屋がじめじめしているだろうか?、ここ数日は良いお天気だったけれど、と思う。乾燥や湿り気については既に父から習い、その大気の様子を自身の身をもって知る術も会得していた。私は空間に自分の剥き出しの腕を差し出した。改めて私の素肌に触れる室内の空気は、すいっとして清々しく感じる物だった。はっきりと、じめじめしてはいないと私には判断出来た。
その様に部屋の様子を窺う私に、父は気配を感じたらしく、私の方を向いて振り返った。そうして、お前いたのかと声を掛けて来た。次に何時からそこにいたのだと問いかけて来る父に、私は今来たところだと告げた。
すると父は私を手で招いて、こっちにおいでと言うと、緊張感を湛えた真面目な顔付で、私が彼の傍へ行くのをじっと待ち構えていた。
父の横に立った私は、文机の上に閉じて載せられた本を見詰めた。何だろうかと興味があった。父は何を見ていたのだろうか?。
私の視線の先に気付いた父は、その本の説明を始めた。
「国語辞典だよ。言葉を調べる本だよ。」
そう言うと彼は、本を開いてパラパラと私に繰って見せた。お前にはまだ早いが、文字が読める様になったら、私に聞かなくても、お前の知らない言葉がこれに載っているから、自分で調べられるようになる。そうなれば自分も要らなくなるから。という様な事を彼は私に言った。