「お前何だか変だね。」
黙々と階段を降り始めた私に祖母が声を掛けてきた。
この儘黙って降りろというのだと思っていた私は、おやと意外な気がした。階段から顔を上げて祖母の顔を見詰めると、彼女は2階の部屋を窺う様子で顎を逸らしていたが、話しながらゆっくりとこちらに顔を下げ、そうだろう、人と話すのが好きな子が、と言うと、何か私に言いたい事は無いのかいと細やかに言うのだった。
如何しようかと私は思った。物分かりの良い彼女なら私の言わんとする事を分かってくれると思った。が、そんな彼女も子供の気持ちを蔑ろにする大人の1人なのだ。私はそう考えた。
この時、私は寝所で父に散々邪魔をされてむくれていたのだろう、一呼吸おいて、「べつに、特に何も。」と答えた。そうして胸の内に、暗澹として張り巡らされた蜘蛛の巣に自分の胸がぐっと引き込まれる様な圧迫を感じた。胸に巣食う天邪鬼というものを、こうして私は自らに感じ取っていた。
この様な、自分がこうしたいという思いとは裏腹な言動を、私がしてしまったのはこの時が初めてではなかった。最初の時は胸に痛みは無く、何だか違和感を感じただけで、その正体が何か分からなかった。最初それは暗っぽいだけの小石の様な存在だったのだ。
その後私がこういう場面に出会う度に、この暗い存在は私の胸の内で大きく面積を広げ、遂には私の小さな胸の内に何ヶ所かの闇の触手を張ると、その触手の網の中心に向けて恰も暗い網を引き込む様な張りを持って、私の胃の腑に近い部分にキュンとした痛みという感覚を与える様になった。この時も私はこの自分の人としての負の感覚を、こんな時はこうだと思うと共に確認していた。
『これは多分良く無いものなのだろう。』
自身の内部に痺れる様に感じるこの感覚、これは体に悪いものなのだろう。そう私は薄々感じると共に、遂にはその健康にマイナスになる物の解消法を考え始めようと思い立った。
階下に降り立った私に、再び祖母が声を掛けて来た。
「お母さんは台所だよ。」
お昼の支度をしているから邪魔しない様にねというのだ。私が?、母の?、邪魔などした事が有るだろうかと不思議に思ったが、私は只分かったとだけ答えた。その儘階段から遠ざかろうとした私は、しかし思い直すと、「邪魔した事無いけど。」と、振り返り、祖母を見上げて抗議する様に一言付け足した。
すると、おや、何時ものお前だねと、祖母は言った。
「何時もに戻ったじゃないか。」
祖母は嬉しそうな笑顔を浮かべて笑った。