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Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

鐘に夕暮れ

2024-12-07 11:19:48 | 日記
 鐘に夕焼けの日差しといえば、柿食えば…の句が思い浮かぶ所です。唯、今回の場合、季節が思い出せないという曖昧な記憶なので、秋の果物の柿も、釣瓶落としと言われる日暮れの言葉、そうした会話さえも無く、赤蜻蛉の飛び交う中空の記憶も、私の当時の記憶、風景の中で、ハッキリとイメージされ、浮かんで来るというような事象は全く有りません。この事から察すると、時候は秋では無かったようです。

 さて、去った祖母と共に私が葬り去った祖母との遣り取りの一部始終、それを祖父が又この場で復活させて来るとは、私はその場に立った儘で唖然とした衝撃を受けていました。祖母との遣り取りは複数回有ったとはいえその場限りの物、そうしてその場には私達二人だけしか居なかったのです。家族の誰も立ち合っていなかったので、私は自身が忘れて仕舞えば誰にも知られ無い、もうそれっきりの事柄になると考えていました。

 さては祖父母は情報を共有していたのか、と、その時の私は思いました。それでは、祖父も祖母同様に他の従兄姉達に家系の引継ぎを打診して回ったのだろう。私は祖父母の言動の共通性にそう推察しました。

 私の父は祖父母の末子に近く、私も従兄弟姉妹達の中では年少者に分類される彼等の孫でした。それなのに私に迄この跡取り云々の打診が回って来る頃には、彼は相当に時間を費やして彼の孫達とこの遣り取りを行って来た事でしょう。祖母との記憶が私にそう祖父の事を推察させました。それはかつての私がした祖母との度重なる遣り取りの繰り返しや、その時に聞かされた彼女の話からも、私には容易に推察する事が出来たのでした。私はこの手の話題が繰り返されるしつこさに辟易し、既に祖母の時にこの話題を嫌悪していました。私はこの話を又持ち出した祖父を前に、あの憂鬱感に再度襲われるのかとうんざりして肩を落としました。そうして祖父の目の前で非常に渋い顔をしてしまいました。唯、祖母の時からの一、二年の成長の違いが、私の目に年老いた祖父を気の毒にも思わせました。

 低学年〜中学年、中学年〜高学年、祖母と祖父の打診時期の違い、そういった私の成長時の時期の違いがあったのでしょう。又祖母との経験からも、私はこの問題で祖父とああだこうだと問答すると、極めて話が長く成るという事を学んでいました。

 『又私迄話が回って来たのだ、又、従兄弟姉妹達はこの話を断ったのだ。』私は再びそう考えると、『祖父の場合はこれが初回の話し合いなのだ』と感じました。それから、私が過去に祖母に対して、もう家督としての代を継ぐ事によいと承諾の返事をしてしまった事も思い出していました。そうです、私は生前の祖母に対して、既に家の代を継いでもよい旨、過去にはOKとの返事をして仕舞っていたのでした。

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