2022.5.12(木)
山陽路2日目
泊まったホテルの前からちいさな船に乗り、対岸の島に向かいます。
きのう部屋のベランダから見えた島がかの有名な安芸の宮島だったのです。
着いたところは大きなフェリーの船着場とは異なるところ。
向こうに見えるフェリーは私たちが乗ってきた船より豪華です。
歩き始めのころに、
頂いた資料にはなかった解説版があり、あ~そうかと小説で読んだことなどを思い出しました。
シカ(野生だそう)がのんびり歩いています。知り合い?らしい人のところに寄って行くのも見えました。
海沿いの通りをシカと反対に進み厳島神社に向かいます。
ちょっと横道に進み、集合場所の”だいこん屋”さんの確認をし、
まっすぐ進むとやがて修復中の大鳥居が見えました。(言われなかったら気がつかなかったかも)
修復中でもなく晴れていたらこんな風に見えたのですね。(厳島神社入場券)
近くにあった世界文化遺産の宮島案内図
宮島は昔から神の島として崇められていたため海水の満ち干するところに建てられたといわれているそうです。
厳島神社御社殿の創建は推古天皇元年(593)だそう。
仁安3年(1168)、平清盛の篤い信仰のもと寝殿造りを取り入れた現在の様式(規模)に造営。
平成8年(1996)12月にユネスコ世界文化遺産に登録された。
厳島神社入り口前にあった御由緒書き
こちらの地図の方が範囲が狭いので分かりやすいかもしれません。
床以外、柱も梁も真っ赤という派手やかな空間を進みます。
進行方向左の五重の塔が目に入ります。その左に屋根がちょっとだけ見えるのが豊国神社(千畳閣)
案内のままに進むと本殿の前に出ました。
赤い大鳥居が見えないのはちょっと残念ですが仕方ありませんね。
代わりと言ってはなんですが、結婚式を挙げられた花嫁花婿さんとそのご家族のみなさまに出会え、なんだか感激、観光客からおめでとうと拍手がおこりました。
邪魔にならないように私たちもガイドさんに写真を撮って頂きました。
その先には赤い太鼓橋(正確には ”反橋(そりばし)”)がありました。
反橋(そりばし)を反対側から見たところ。まわりの新緑ともマッチし何とも素晴らしい。
途中に能舞台も見えましたがうまく撮れませんでした。
その先にある大願寺(だいがんじ:中に入る時間もないので山門の写真だけ)
山門に向かって右手に”平重盛公お手植えの松”という枯れ木が保存されていました。
松喰虫で枯れてしまった伊藤博文公お手植えの松の切り株もありました。
1年ほど前(2021.4.27)に伐採されたばかり。
大願寺を後に集合場所に向かう途中にも伐採された古い木が保存されていました。
”後白河法皇お手植えの松”だそう。
承安4年(1174)ということですから848年前に植えられ、切り倒されてからも150年近く、ここにこうして保存されているのもすごいことだと思います。
味のある古そうな旅館らしい建物は今は使われていないようです。
道路わきの木はセンダン(栴檀)でした。今が花盛り。
なんとなく道なりに進んでいくと、五重塔の下に出ました。
隣の豊国神社(千畳閣)で手を振る人が見えましたので私と渡辺さんだけが上がってみました。
急な階段があって大変そうということで他の人たちは敬遠しました。
隣の五重塔は応永14年(1407)の建立だそう。 心柱はこの塔の下まで達してなく二層目でとまっているとか。それでも問題はないのですね。
豊国神社(俗に千畳閣という)
天正15年(1387)豊臣秀吉公が戦没将士を慰霊するため安国寺恵瓊に命じて建立を始めた大経堂だそう。完成しないまま秀吉公が逝去したため未完成とのことです。
明治元年(1868)の神仏分離令後仏像は大願寺に移され、明治5年(1872)秀吉公を祀って豊国神社となったそう。
入場料(券には昇殿券とある)を支払い履物を脱いであがります。
傘を差していたこともあって上を見上げなかったので屋根の鬼瓦には気づかず・・。
これが千畳の広さ・・・。
宮島で有名なしゃもじのこと。
大きなしゃもじ、板額絵、油絵なども奉納されています。
床の補修跡。(日本の職人技が冴えて見えます)
頑張れば頑張ったでそれなりのいい思いもできるものです。寄ってよかったところの一つです。
集合場所のだいこん屋さん(お土産やさん)の庭。
小さいけれど日本の風景が凝縮されたような庭。こういう庭を田舎では坪庭と呼んでいたような。
帰りの船は今朝遠くに見た大きなフェリーでした。
でも10分かそこらで本島に着いてしまうとても短い距離です。
ここからは又待っていてくれたバスでの移動です。
次は岩国の錦帯橋に向かいます。(疲れたので続きは又後日・・・)