junjunのはなまる日和&ときどきネパール

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山陽路めぐり 3日目 角島大橋、元乃隅稲荷神社、青海島、萩、松陰神社・松下村塾

2022-05-22 00:12:04 | 国内旅

  2022.5.13(金)

 

 山陽路めぐり 3日目

午前は下の地図の左の方から角島大橋、元乃隅(もとのすみ)神社に寄り青海島で観光汽船に乗ります。

午後は地図から外れた右(西)の方の萩、松陰神社・松下村塾を訪ね、帰りの便に乗るため萩・石見空港に向かいます。

 

 まずは角島大橋(つのしまおおはし)へ。

橋のたもとにあるこのオブジェが目を引きます。なかなかステキなデザインと色。

角島(つのしま)大橋は下関市豊北町神田と角島をつなぐ全長1780mの橋。生活道路と同じなので通行料はかかりません。無料の橋としては日本一の長さだそう。 

前にも来たことのある人が、晴れていたら海の色はもっともっと青くてきれい・・・と。

今にも雨が降りそうな今日でも十分きれいに見えます。ゴミなんて見えないきれいな浜辺。

波の寄せ方で見え方も変わりいつまで眺めていても飽きないかも!

 

名前のわからない花。

 

どこかで見たことがあるけれど名前が思い出せない。

ほんの30分ほどでここを後にしました。

 

 次に向かうは

みんなが希望した赤い鳥居がたくさん並ぶ元乃隅(もとのすみ)神社。

海をバックに123基の赤い鳥居の並ぶ姿は圧巻です。

地元の網元・岡村斉さんの枕元に現れた白狐のお告げにより昭和30年(1955)に建立なさったという神社。何百年という歴史ある神社とは異なります。

要約された解説版

 

元気のある人は下の大鳥居から小さな鳥居の並ぶ階段を上まで登ってきました。

私たちは上からの景観を楽しむだけにして、賽銭箱の取り付けられた鳥居まで行っただけ。

 

板額のところに取り付けられた賽銭箱にお金を投げ入れるのですがなかなか入りません。

私は5、6回目でやっと入りました。 ばんざーい! 願いが叶うかな。

この神社は狛犬でなく白狐です。ここでもみんなで記念写真。

晴れていたらこんな景色だったようですよ(パンフレットから

 

 

  次は・・・ 

青海島(おおみじま:周囲40km)で観光船に乗ります! (飛鳥Ⅱもこの島に寄るそう

ポスターはいい風に撮られていますね~。

     

 

乗るのは楽しそうなこんな船のひとつ。

    

たまたま進行方向右側に座れたらこちら側の方が島の景色がよく見えました(反対側は雨粒でなにも見えなかった

座席が窓際ではなかったので写真を撮るのにはちょっと苦労しました。

解説もあったのですが、エンジンの音?波しぶきの音?ではっきりと聞き取れません。

短い50分コースでここから出発地点に戻ります。

 

波は静かでしたが、途中で船のスピードがすごく早くなって波しぶきもあがって船もゆれたりしてスリルも味わいました。

でも私はゆっくり静かに走る船が好き!

あっという間の50分でした。

 

 

 次はお楽しみのランチタイム。

海鮮村北長門というところで海鮮丼と焼きアワビ。ここはおいしかったですよ。

 

 

 次は・・・ここから少し東に進んだ萩の城下町歩きです。

有名な方の住宅などたくさんありますが、中に入る時間はなくほとんどが外観を眺めるだけでした。

 

右(東)の江戸屋横丁から歩き始め呉服町すじを通り、菊屋家住宅の拝観をし菊屋横丁に出て戻ってきました。

 

今回の旅で歩いた広島、山口では”夏ミカン○○”と名の付くお土産をたくさん見かけました。

その夏ミカンの花が間近でみられました。

コンクリートの割れ目に咲く花。サクラソウのようにも見えますがちょっと違うような。

 

円政寺(えんせいじ

 

青木周弼(しゅうすけ)旧宅

 

この通りの板塀も味があって私の好きな風景のひとつです。

円政寺の松と言い、立派な松の多いのもさすが萩~と歴史を感じます。

 

木戸孝允(たかよし)誕生地 ただいま工事中といわれたような。

隣の敷地から垣の上に出ている部分を眺めました。きれいに保存されているのがわかります。

 

 

呉服町すじ(御成道)に出ました。

 

通りの左手(南側)の”菊屋家住宅”は昔の御用商人の住宅。

 

慶長9年(1604)毛利輝元の萩入国に従い山口から移り、城下の街づくりに尽力したことでこの地に屋敷を拝領したそう。

 

観覧券を受け取り中にはいりました。

菊屋家の呉服町すじに面したこちらの壁は白壁ですが、観覧後に出た菊屋横丁に面した壁はすばらしいなまこ壁でした。30年ほど前に一度訪問しているはずですがすっかり忘れて改めて感激しました!

書院造りの庭

賓客をもてなす書院座敷

 

別の部屋にあった掛け時計

 

これは? 水をためて使った井戸の代用のような物でしょうか?

 

帳場

 

釜場

鎧兜の展示

広い庭に出ました。

 

外に出たところが菊屋横町でした。そこから呉服町すじ(御成道・北)方面をみたところ。

 

進むのはこちら方向(南)。とにかく長く続くりっぱななまこ壁です。

 

この先も白壁の塀が続きます。

通りの右手に高杉晋作生誕の地。集合時間が気になり中には入りませんでした。

門の左には高杉春樹旧宅地とあるので晋作と同じ家で育ったということでしょうか(説明読まなかった・・)。

 

この通りにきて初めて萩のマンホールのふたを見かけました。

   

 

 萩焼のお店もたくさんありした。

こちらは若い方の工房かな?

 

晋作広場にあった高杉晋作像。(遠くから見ただけ

 

駆け足で見て歩いた萩の見学、たったの40分しかなかったのです!

 

で、次に向かうのは松陰神社と境内にある松下村塾です。

神社手前広場のつつじがきれいでした。

私たちはガイドさんについて右の赤い点々↓の表参道から進みました。

明治維新胎動の地と。

奥まったところにあったものですがどなたの像でしたか、説明があったのですが忘れました。

 

松下村塾が松陰神社の境内にあったとは・・・(歴史小説好きの私が読んだ小説によく出てきた場所

一組前の団体さんが説明を受けていました。

帰りに見たらどなたもいなかったのですが、人がいないとちょっとさびしい風景。

 

右隣にあった松陰の幽囚された実家(松陰の父・杉百合之助の旧宅)。

この地で過ごしたのは塾で講義をした1年半と幽囚期間1年のたったの2年半ほどとか。

 

その奥にあったのが松陰神社でした。

今回の旅も無事だったことのお礼を述べ、世界が平和になるようお願いしてしまいました。

 

これで3日間の観光を終えましたが、なんと目まぐるしいことだったことでしょう・・・。ツアー旅は自分には向かないなあと思いつつも自分で計画するのも面倒でつい・・・というところ。

 

 ここからは一路萩・石見空港に向かいます。

 

 空港にはずいぶん早く着きました。 

出発まで2時間近くあるので、軽く夕食を済ませることにしました。

たくさんあるメニューから私は塩ラーメン。

   

 

出発は18:20 羽田には19:55の予定が少し早めに到着。

 

20:13の空港バスで約1時間。家に着いたのは22:30ころ。

遅くても一応荷物の片付けだけは済ませ洗濯は翌日することにして床につきました。