2011.3/11~15日
8度目のネパール訪問予定は3/16日からでした。
その5日前の3/11日、14:46分にあの東日本大震災が起こりました。
千葉でも東京湾の埋め立て地にある我が家ではすぐに水が出なくなりました。 外に出ると液状化で泥水が噴き出し、みるみる広がって溜まり、足が沈み込んで歩けなくなってしまいました。
水はお風呂の残り湯があったのでトイレ等しばらくはなんとかなりました。 困ったのが飲み水と調理用の水です。
夕方スーパーに行った時にはもう棚には何もない状態でした。
地震2日目から自衛隊の給水車のお世話になりました。
何時から来てくれていたのか私は気がつかなかったのですが、娘からのメールで給水車の事を知りました。
私が貰いに行ったのは地震から丸1日と6時間ほど過ぎた、夜の9時ころでした。
それからは毎日大きな鍋やバケツを持って5Fの我が家まで1日に何度も往復する作業が始まりました。
3日目には噴出した泥の片づけを住民総出で行いました。
最小限、人の通り道だけは確保しようと始めましたがその重いこと重いこと・・・
重い土嚢袋は若者に運んでもらいましたが、その袋は4月になった今も玄関まわりに並べたままで片付く様子はありません。
出かける前々日になってやっと「あれ!飛行機は飛んでいるのだろうか」と気づき、チケットを買った旅行会社に連絡をとろうとしましたが電話がつながりません。
公衆電話でコインを入れて使っていたら、後ろで待っていた方が「料金はかからないようになっているのですよ」と教えて下さった。 「あ~こんなときはそうなるんだー」と思いつつ「ありがたい」と納得してしまいました。
・・が電話はいつも話し中でつながらず・・・
出発の前日、ようやく我が家からの電話が通じたのですが、その旅行会社では飛行機が飛んでいるかどうかはわからないという・・・ 今回に限りキャンセル料はかからないということだけは教えてくれました。
飛行機が飛んでいるのかどうかは直接聞いてくれとばかりに航空会社の連絡先を教えてくれた。
航空会社の連絡先が分かっているのなら連絡して聞いてくれればいいのに・・・と思いましたが、自分で電話を入れることにしました。
ところがそこでも「明日の便が飛ばないという情報はありません」との返事。
それではと「ちなみに前日の便は飛んでいましたか」と聞いてみると、それもはっきりせずでした。 「結局、当日空港まで行ってみないとわからないということですね」と言い、すっきりしないまま電話を切ったのでした。
すると5分ほど後に、先の航空会社の方から電話があり、「昨日は飛んでいました」とのこと。 「それでは明日もよほどのことがない限り飛ぶでしょう・・」ということで電話は切りましたが、本当は出かける当日の朝までどうしようかと悩んでいました。
出かける当日、午前の仕事に行く自転車をこぎながら、「水は出ないし、スーパーには食料品もなくなっているし、思い切ってでかけよう」と決心がついたのでした。
それが「8度目のネパール訪問 1日目」 の前日の3/15日でした。
午前中の仕事を済ませ午後は出かける準備の総点検、冷蔵庫の片づけなどを済ませ、6時ころには夕食も済ませ、お風呂はネパールに着いてから入ることにし、ためてある水を沸かしてシャンプーだけしました。
道路事情もよくわからなかったので、予定した空港までのバスを2時間早めて出かけました。
時間を早めたために我が家のすぐ近くにある給水所にはまだ人がたくさんいました。 「しばらく避難してきます」といって通り過ぎました。
高速道路は全く渋滞することなくいつもと同じ時間で着いてしまったので拍子抜けでした。
前回、初めて羽田からの出発でしたが、その時はANAのマイルで取ったチケットだったためほとんど並んでいる人がなくすぐにチェックインカウンターに進めました。
ところが今回はタイ国際航空。 2時間早めて行った訳ですが既にけっこうな行列。まだカウンターは開いていません。
それから1時間ほどでチェックインが始まりました。 手続きが終わったのは並んでから2時間以上も過ぎたころでした。 ずっと立ち通しなのと出かけるまでの数日の疲れも重なり、既に披露感がありました。
チェックイン後、前回江戸小路の探策ができなかったので今回こそ行ってみようと上に上がりました。 2時間早く出かけたおかげで出来たことでした。
時間も時間なので(3/15日 23:00頃)閉まっっている店も多かったですが、ゆっくり座ってソフトクリームなどを食べ、目薬も買うことが出来、搭乗口へと進んだのでした。
8度目のネパール訪問予定は3/16日からでした。
その5日前の3/11日、14:46分にあの東日本大震災が起こりました。
千葉でも東京湾の埋め立て地にある我が家ではすぐに水が出なくなりました。 外に出ると液状化で泥水が噴き出し、みるみる広がって溜まり、足が沈み込んで歩けなくなってしまいました。
水はお風呂の残り湯があったのでトイレ等しばらくはなんとかなりました。 困ったのが飲み水と調理用の水です。
夕方スーパーに行った時にはもう棚には何もない状態でした。
地震2日目から自衛隊の給水車のお世話になりました。
何時から来てくれていたのか私は気がつかなかったのですが、娘からのメールで給水車の事を知りました。
私が貰いに行ったのは地震から丸1日と6時間ほど過ぎた、夜の9時ころでした。
それからは毎日大きな鍋やバケツを持って5Fの我が家まで1日に何度も往復する作業が始まりました。
3日目には噴出した泥の片づけを住民総出で行いました。
最小限、人の通り道だけは確保しようと始めましたがその重いこと重いこと・・・
重い土嚢袋は若者に運んでもらいましたが、その袋は4月になった今も玄関まわりに並べたままで片付く様子はありません。
出かける前々日になってやっと「あれ!飛行機は飛んでいるのだろうか」と気づき、チケットを買った旅行会社に連絡をとろうとしましたが電話がつながりません。
公衆電話でコインを入れて使っていたら、後ろで待っていた方が「料金はかからないようになっているのですよ」と教えて下さった。 「あ~こんなときはそうなるんだー」と思いつつ「ありがたい」と納得してしまいました。
・・が電話はいつも話し中でつながらず・・・
出発の前日、ようやく我が家からの電話が通じたのですが、その旅行会社では飛行機が飛んでいるかどうかはわからないという・・・ 今回に限りキャンセル料はかからないということだけは教えてくれました。
飛行機が飛んでいるのかどうかは直接聞いてくれとばかりに航空会社の連絡先を教えてくれた。
航空会社の連絡先が分かっているのなら連絡して聞いてくれればいいのに・・・と思いましたが、自分で電話を入れることにしました。
ところがそこでも「明日の便が飛ばないという情報はありません」との返事。
それではと「ちなみに前日の便は飛んでいましたか」と聞いてみると、それもはっきりせずでした。 「結局、当日空港まで行ってみないとわからないということですね」と言い、すっきりしないまま電話を切ったのでした。
すると5分ほど後に、先の航空会社の方から電話があり、「昨日は飛んでいました」とのこと。 「それでは明日もよほどのことがない限り飛ぶでしょう・・」ということで電話は切りましたが、本当は出かける当日の朝までどうしようかと悩んでいました。
出かける当日、午前の仕事に行く自転車をこぎながら、「水は出ないし、スーパーには食料品もなくなっているし、思い切ってでかけよう」と決心がついたのでした。
それが「8度目のネパール訪問 1日目」 の前日の3/15日でした。
午前中の仕事を済ませ午後は出かける準備の総点検、冷蔵庫の片づけなどを済ませ、6時ころには夕食も済ませ、お風呂はネパールに着いてから入ることにし、ためてある水を沸かしてシャンプーだけしました。
道路事情もよくわからなかったので、予定した空港までのバスを2時間早めて出かけました。
時間を早めたために我が家のすぐ近くにある給水所にはまだ人がたくさんいました。 「しばらく避難してきます」といって通り過ぎました。
高速道路は全く渋滞することなくいつもと同じ時間で着いてしまったので拍子抜けでした。
前回、初めて羽田からの出発でしたが、その時はANAのマイルで取ったチケットだったためほとんど並んでいる人がなくすぐにチェックインカウンターに進めました。
ところが今回はタイ国際航空。 2時間早めて行った訳ですが既にけっこうな行列。まだカウンターは開いていません。
それから1時間ほどでチェックインが始まりました。 手続きが終わったのは並んでから2時間以上も過ぎたころでした。 ずっと立ち通しなのと出かけるまでの数日の疲れも重なり、既に披露感がありました。
チェックイン後、前回江戸小路の探策ができなかったので今回こそ行ってみようと上に上がりました。 2時間早く出かけたおかげで出来たことでした。
時間も時間なので(3/15日 23:00頃)閉まっっている店も多かったですが、ゆっくり座ってソフトクリームなどを食べ、目薬も買うことが出来、搭乗口へと進んだのでした。