番組でラジオに期待するものとしてゆかりさんが語っていた言葉をタイトルにしました。それでゆかりさんの持ち番組の「DONDONブレイク月曜日」を見てみました。それがこれです、
全部視聴したわけではないので印象しか言えませんが、ひとこと言うとゆかりさんがかなり違った人に見えたことです。「てんがらもん」のゆかりさんが姉に「DON」では妹さん?と見えました。
多分この印象のちがいは「てんがらもん」に出るのでレギラーの村永さん上床さんに合せたのでしょう。プロらしい心遣いが感じられました。番組でコメントを読みましたがさすがプロだの感じですが隅から隅まで心配りが行き届いています。
ゆかりさんを放送のプロだとすれば、上薗さんは人生のプロの域に達した人だと思います。その芯を形作っているのは尽きることのない好奇心と自分の成すべき課題を明確にしていることでしょう。
前回出られた時の「まだ79歳」が印象にのこっていますが、その「まだ」の部分を今回強烈に語ってくれました。椋鳩十の生まれ故郷の信州喬木村での交流会の三日間の語りは迫力に満ちています。
なかでも天竜川に添って北上する飯田線の車窓を語る熱気は私も信州人の一人という思いがあるので大変印象に残りました。右左の車窓を見るので座っていられない、と話す手振りに列車の真中に立って左右に目を移す子供のような79歳が浮ぶのです。この自然こそ椋文学の揺り籠であったのだ、椋文学をもう一度見直さなければとの思いを強くされたのでしょう。
そして村あげて歓迎されたこと、それは村人が持つ椋文学への誇りであり村として椋文学の精神を引き継いでいるからだとの思いを語られました。村人の温かさに深い感謝の気持ちを述べておられました。それは上薗さんが椋鳩十に接して得られた人間への温かい姿勢に通ずるのです。この人への温かさをもう一度椋文学の普及を通じて社会的な風潮にしていきたい、そんな熱意が伝わってきました。それは己への思いに留まらず、鹿児島の行政や報道への期待でもありました。
改めて心の土壌としての風土というものを見つめなければならない、鹿児島に限らず自分の生活の場でどんな心が育てられてきたのかを自分の課題としてとらえねばと思います。