kaeruのつぶやき

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防災のソフト面を考える。

2018-03-30 20:03:02 | 「てんがらもんラジオ」

「てんがらもんラジオ第314回」は、

http://www.ustream.tv/recorded/113904263  です。

昨日のブログで、大平さんの話のなかのピアノに関することはのびたさんのブログに頼る、とつぶやきましたので、そのブログを紹介しておきます。

のびたさんのブログ、

https://blog.goo.ne.jp/new-nobita/e/7e62d1922352a0ecb2f9b849f9cf87bc

なお、この新聞の「かお」は大平さんのフェイスブックのものです。のびたさんのブログとともに目を通していただければ理解が深まるでしょう。

 

   私は、大平さんの話のなかの「防災のソフト面」について、考えさせられました。昨日の話と重なりますが、これも大平さんのフェイスブックからです。

   大平さんの防災の話はソフト面を強調されました。私の場合まずハード面のことですが、我が家では枕元にヘルメットが置かれ、妻は必需品を纏めて置いています。その点私はボンクラだなと思います。ヘルメット以外のものは置いてない、その分ソフト面への心構えをしっかりさせることだと思い直しています。

   そのためには、自分のなかで大災害を風化させない、被害を直接体験したのではありませんが支援活動という体験を決して風化させてはならないのです。大平さんも「慣れの恐ろしさ」を言われました。その通りで1995年神戸長田区を中心に一週間ほどの支援の時も、「3・11」の時も戻った当初はかなり意識的に地域での活動をした記憶があります。ところが、先ほどのヘルメットも妻が持ってきたもので、町の防災訓練への参加も、はじめの頃は率先して出かけましたが、最近は妻の誘いについて行くという有様です。

  それではこれからどうするか。新学期から長男一家が近くに住む、となると老夫婦としては頼りになる、と思うことが間違いのもとです。それが大平さんが言う「命てんでんこ」の大切さです。このことは「3・11」が悲劇をも含めて証明したことでした。だからこそ地震の規模、津波の恐れとか発生の時刻、曜日などなど状況によって異なる対応を普段から決め、家族各自の意識にしておかねばならないというのが大平さんの主張ですし、我が家の心構えにしなければならないのです。

   そしてなるほどと思ったのが野外生活の体験の大切さです。大平さんはこのことを「遊びとは考えていない」と言われました。リクレーションとしてのキャンプではなく、建物の中に入れない!という状況を想定したとき、水や火が工夫をしなければ使えない状況のなかでどう生活をするのか、生活の原点というような時間を体験することです。それが災害を実感することになるし、何よりも生活の原点は命が原点でもあるということを身をもって実感することになります。