慰霊碑から須賀神社へ移る前に、紹介させて頂いたブログの……
……コメント、今日28日のやり取りです、
こうして「慰霊碑のこと」が静かに広がっていくことは、やはりネット時代だということでしょう、ジュワりという感じが心に滲みます。
「小坪 慰霊碑」で検索してみましたら、葉山町の役場前の慰霊塔も含まれていました…
…が「14少年」は入っていません。やはり「かばぶブログ」さんも触れていますように「案内板」とか「説明板」類が設置されて、地図上でも表示して欲しいところです。
今日は娘の誕生日に当たる日でした、朝ブログのコメントにこう書きました、
そしてやはり孫娘から、届きました。
改めて今朝の妻とのやり取りの時の「53歳」と答えた時、「生きていれば」という添え言葉が浮かんでこなかったこと、「53歳」が実感として言葉になったこと……。
慰霊碑の14人、あるいはもう一人二人、彼らと同年代の85歳の男性として私が思うのは、彼らも私も昭和20年8月15日までは戦地に兵隊として行くことが決められていたのでした。
敗戦ということによってそこから解放された少年期、これからの人生を目前に命が絶たれたのです。50歳の娘でさえ生きてる者のなかに生き、歳を共に重ねていくのです、少年もまたこの地で生き続けてそれを迎え入れる人と共に生きるのだと思います。