その2は一昨日の続きで、まずこの地図です、下の方に「集合場所」とあるのは逗子小坪の飯島公園プール前です。
そこからプール脇を回って裏手から正覚寺の駐車場を抜けて「入り口フェンス」です。入り口から慰霊碑まで登り坂ですが歩きやすい道でした。
慰霊碑の周りの草取りなどして、碑に花を供え各自が焼香して思いを伝えました。
これは碑の裏面を見ている会員、
裏面には昭和二四年と彫られていました。
昭和20年10月20日の「事件」ですから、碑が建てられるまで四年の歳月が経っていました。
そして建立されたのはここではなく砲台跡の入り口でした、このことについては後日に、明日にと言いたいのですが明日は一日手を取られることがありますので……。
最後に案内していただいた地元の市議会議員の丸山さんからの会長宛のメールのなかの一部を紹介させてもらいます。
「慰霊碑を見るだけでなく周りをきれいにして頂いて、線香まであげて霊を慰めて頂いて、心から感謝申し上げます。こんなに手厚くたくさんの方に慰霊して頂いたことは最近では全くありませんでした。有難くて涙が出そうになりました。」
丸山さんはこの碑に眠る草柳喬少年(当時小学五年生)の弟さん(草柳博氏)の女婿でもあります。