kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「第2日目」、 つぶやき追加。

2022-12-02 22:55:47 | どこまで続くかこのブログ

「分かる、分かる」は「読めば」ですからその一部でも読まねば、「分からぬ」ですからその一部を……、

ページを広げただけで立読みして下さい、というのもカエルらしくないので2ページ分を文字移ししておきます。

《父親から子供へ伝えたいこと》

(1)「試行錯誤」が人をつくる
 子供がいろいろなことを身につけるのもすべて試行錯誤というプロセスを経る。 大人が困難を解決するときも同じである。スラスラ通りぬけたり、通りぬけ方を教わったのでは人は人になれない。おそらく猿から人になるためにも何百万年もの試行錯誤があったはずである。 系統発生でおこったことは個体発生の中でもくりかえされなければならない。

(2)歴史的な見方ができるようになれ
 現在は過去の歴史の上にのっている。 その歴史に規定されている。現在の複雑な現象を正確につかまえるには過去の歴史を知らなくてはならない。
 近現代史——ことに戦後史を学問として学んでいないことが現代をみる目を鈍らせている。明治維新以後の近代史を独学せよ。 そうすれば歴史はたえず進歩するものでもないことを知るであろう。 時に後退し崩壊することもあるのである。

(3)物事を相対的にみよ
 自分に困難がおそったとき人は視野が狭くなり視点が固定しがちである。 自分よりもっと困難な人がいること、その人も必死に生きようとしていることを見よ。また、陥った困難が逆につくり出している有利な点を考えよ。
 たとえば病で臥したとき、それは休息のときでもあり、いつも考える時間もない人生をふりかえる貴重な時でもあり、やろうにもやれない語学や長編小説を読む好機でもある。
 こういう風になるためには、常日頃から、立場を逆転させて考える習慣をもつことである。私が相手だったら、相手はどう考えどう動くかと......。

(4)人の価値を決めるのは意志力である
 明晰な頭脳でも豊かな感性でもない。こうと思ったらやりつづける意志力である。

 遅くともよい。 未到でもよい。 意志がつよくなるにはライバルがいる。 自分にとって、一番のライバルは自分である。 自分の内なる、 サポリ好きの自分に克たねばならぬ。

(5)国民として生きる前に地球人として生きよ
 個人としての欲望も、国家としての覇権も、二十一世紀では、地球を保全する努力の前にとりさげざるをえなくなる。 今すぐやめても間に合わぬほどの産業廃棄物がすでにこの水の惑星の生命をおびやかしている。温暖化、オゾン層の破壊、内分泌攪乱物……どれ一つとっても、もう手おくかもしれないのである。


 何かすごく格調の高いものなってしまった。こう並べてみると、 つよがりの私が苦しい思いで受けいれてきた教訓であったり、我が子の世代に欠落している視点であることに気付く。
 親から子へ遺す言葉は「一つ」がいい。 五つもあっては、言われた方もこまっちゃうし、ひき

(p88以降 立読みか買ってか借りてかして読む)


師走月、 第2日目ですな。 

2022-12-02 22:10:19 | どこまで続くかこのブログ

これは昨日の「つぶやき=師走月、第一日目」へのワイコマさんへの返信コメントで、「この後については、ブログで……。」の続き。

歴史的見方 (カエル)    2022-12-02 22:04:04

中沢正夫という精神科医が書いた本に、自分の子供へ「伝いたいこと」として5つのことが書かれています、その2番目に「歴史的な見方ができるようになれ」とあります。

「現在は過去の歴史の上にのっている。その歴史に規定されている。現在の複雑な現象を正確につかまえるには過去の歴史を知らなくてはならない。
 近・現代史ーーことに戦後史を学問として学んでいないことが現代をみる目を鈍らせている。明治維新以後の近代史を独学せよ。そうすれば歴史はたえず進歩するものでもないことを知るであろう。時に後退し崩壊することもあるのである」

この後については、ブログで……。

「中沢正夫」を検索すると( 中沢正夫 - Wikipedia  )

略歴に「代々木病院精神科部長」とあります。私が先生に診て貰ったのは部長の頃なのかその前なのかわかりませんが、確かに代々木病院の一室で話を聴いて頂き幾つかテスト的なことがあったと思います。

診断結果として「疲れているのです、休みを取りなさい。自然の中に入ってゆっくりすること、良い絵を観るとか音楽を聴くとかする時間を持つことです」と。

当時、ある意味で猛烈社員的な日常でした、ある朝突然事務所の玄関前からクルリと戻って……、その日一日都内をぶらついて自分でも「これはヤバイ」と感じて病院へ向かったのでした。その時に休みをとり出かけた奥只見の光景が、列車の響きとともに快く身体全体を揺すってくれました。

先生の芸術鑑賞の勧めには応えているとは言えませんが、芸術が人一人の精神を支えるものだという理解は持ち続けています。

さて、上に引用した一節はこの本からです、

 1937年生まれ、私と同じ年齢でこれを出されたのが2000年ですから63歳ですね。老人初体験記とでも称すべき本で読めば「分かる、分かる」という内容です。