夕食後横になって寝込んでしまって、いま23:32という数字が……。
タイトルに「5月の終わる日に」として、イヤ終わるというのは次の事が始まるということだから、と書き替えました。同じ日を指してはいても、それを見る気持ちは違う、と気づくのです。
特に明日は我が身の誕生日であれば、尚のこと。1937(昭和12)年6(六)月1(一)日、はて何時頃生まれたのか? どこで生まれたかは記録があった筈だがあとで印そう。
肝心なのは、何時頃清司という名前がつけられたか? なのです。
なぜそこが肝心なのか? 生まれた時1500グラムだったので、当時の新生児としては、生命長らえること難しい、ということだったそうです。多分生きながらえる諸手段が尽くされたでしょう、それもあって、遂に生き抜いたのです。とは言え我が身の生命力の強さ、これは母親が「お前は生命力が強い」と口にしていたことですが。
で、どの段階で名前を付けたのか、実はそういうことを87歳になる明日を前にして、今日考えたのです。死産でないので落胆する父母が、名前くらいは付けてやろう、と……、イヤかなり経ってどうやら生きながらえそうだ、となって名前を、ということになったのか、聞いておくべきでした。
そう言えば、我が家の3人兄弟は、啓之、清司、荘市と、一郎、二郎、三郎的ではない、それぞれ何か意味を持っているようで、
ここで気づくのですが、
これは各自の名前は産まれてくる前に、男の子だった、女の子だったら、と決めていたのかも知れません、これも聞いておくべきでした。
そんなふうに書き連ねているうち23:59です。
明日も良い日になるでしょう。