kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「てんがらもん167回」15年目の介護保険。

2015-05-21 20:42:07 | 「てんがらもんラジオ」

 今回の「てんがらラジオ」はこちら ⇒ 「てんがらもんラジオ167回」

 今日のゲストは介護支援専門員協会の事務局の四十代の男性二人です。これを視聴しつつ思い出したのは3月にゲストとして出られた27歳の早田さん、4月に開園した特老施設「七福神」のケアマネジャーの青年です。そしてこれは私のことですが、18年前ヘルパー養成講座を地域で開催し、自分でも受講しつつ運営に携わったことです。

 介護保険制度は2000年の4月から施行され、今年で15年になります。この4月から制度上の大きな改定が行われていました。その後私は福祉の分野から離れて縁遠くなっていましたので今回の改定による介護施設への影響を直接知る機会がなかったのですが、それでも施設の悲鳴のような嘆きを耳にしていました。

 今回のゲストの話にはそれに類する話はないように思えましたので、いくつか関係資料に目を通してみました。やはり介護報酬マイナスの影響をはじめ要支援サービスの見直しなど要支援者とヘルパーなどが受ける影響は大きなものがあると思えます。

 ただ今回の改定は「猶予期間」があり全面実施には3年後2018年4月が設定されています。それに具体化するのは各自治体ごとですので影響の表れ方も一律ではありません。それだけに自分の町の介護保険の有り様に関心を持たねば、と強く思ったのです。

 番組のなかで村永さんが民生委員の経験も踏まえて「要支援者を見守る地域の力をつける」必要を語っていました。私達がヘルパー養成講座に取り組む立場もそういう内容を持っていました。

 このことは今回厚生労働省のガイドラインがえがく「住民主体による支援」と同じこととは考えません。介護保険制度は在宅介護者を家族介護の疲弊から解放することに目的があった筈です。それに共鳴し自分のこと親のことと思い熱心に講座を受け運営に当たったものです。それはコスト削減が目的の「住民ボランティア」「無資格者によるサービス」と一緒になるものではありません。

 高齢者地域から超高齢者地域に向う各地域で、七十代の知恵の発揮が求められています。四十代の人々の体力気力が頼られています。それらが協同し合うことで二十代の早田さんなどの福祉に携わる青年達の希望も大きくなるに違いありません。

 そんなことを深く思うことの出来た「てんがらもん167回」でした、有難うございました。


言の葉を添えて。

2015-05-20 15:52:42 | 逗子 鎌倉 それぞれ

昨日のつづきです、写真がやっと入りましたので言葉は明日に。

その明日が今日です、言葉を文字にして「つぶやき」とします。

小さい写真はクリックで大きくなります、では……。

 

 小町通り、食べ歩き天国といわれています、老いも若きも背中に翼をつけた

天使の気分で通りの中ほどにある教会に入って……?

 神を信じる人も信じない人も「食ベる」ことは共通しています。仏さまもキリスト

さまも食ベて生涯を終えました。人の口は言葉をおぼえる前に食ぺることをお

ぼえました。

 「ぬれせん」は歯が悪くてもしゃぶっていればいいのです。

         

 「ぬれせん」の右「鎌倉御坊」にはこの写真をつけ加えます。この店は最近

ですが本店は沼津で30年以上だそうです、試食したら甘いもの好きの口

に合いましたので「kaeru夫人ー袋買うの図」です。

 小町通りにこられたら試食してみて下さい、お茶がつくともっといいのですが。

 

 

 ワイコマさんのコメントにありましように、甘納豆と豆菓子です、別々の店

だった思います。落花生の煮豆・甘納豆(左)とコンソメピーとショコラピー(右)

です。菓子の試食に気を取られてchidoriさんのコメントにありました漬物屋

さんに気付きませんでした、次の機会にと思います。

          

 

 お腹の話の小町通りから心の話の寿福寺に向いました。

この写真、左が大仏(おさらぎ)次郎の墓、右が高浜虚子で、

 

下がその墓碑です。

     

 寿福寺の境内の井戸、手押し井戸があり、掌に受けて飲んでみました。

やはり美味い、真夏に飲んだら腹にしみこむでしょう。

 私たち夫婦の年代が生活のなかでこういう井戸を使った最期でしょうか。

「てんがらもん」で井戸端会議と言っても分からぬ様になってくるでしょう。

 

 この住所表記は、

  この隧道の手前で  

「扇ガ谷ー丁目12」で下の写真の表記は「扇ガ谷ー丁目13」です。

「トンネルをぬけると1番違った」のです。 

 

 家にもどりお茶をいれ「鎌倉御坊」を食べました、

   終り。 


二人でさんぽとはこれ如何に。

2015-05-18 21:59:45 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 昨日の椋鳩十動物童話集の写真です。

 

 今日の内容はkaeru夫妻鎌倉をぶらぶらの図です。

 まず、鎌倉駅江ノ電口近く、このふくよか体型はほかならぬ彼の人です。

 

 いきなり飯のはなしで恐縮ですが、飯屋です。

 

 店内にはこういう写真が……。

 

なぜかと言うと、こういう店だからです。

 注文したのは、ふたりで1500円。

 これです、玉子が崩れかかっているのは箸をつけてから撮ったからです。

 

 相棒の「ご年配の女性」も満足、当然わが身も大満足。一度鎌倉へ来られたら

どーぞ、小町通り入ってすぐ右です。

 このあと小町通りを「ぬれせん」を食べながら歩き、「あまの」の店を発見。そこで

また試食してひと袋買ってぶらつき、寿福寺に行きました。

 今日は以上の写真がやっと入りました、明日何枚かでも入ったら続けます。


椋鳩十動物童話集。

2015-05-17 21:32:53 | 本のひと言

 鹿児島から椋鳩十の生まれ故郷の長野県喬木村への文学散歩の旅が近づいています。それだからということではないのですが、やはり何かの縁でしょう。私の本棚にはじめて椋鳩十の童話集が四冊納められました。

 今日所用で横浜に出、用をすませていつものことですがある古本屋に入ったら目の前に「椋鳩十動物童話集」が四冊。特に何かを探すわけではないのですが時々これだ!と思うものが目に入る時があるのです、今回もその例でしょう。

 本当はその四冊をここでお見せしたいのですが、今夜もパソコンの調子が悪く写真が入りません。少し文字で解説をしますと、「童話集」は全部で15巻です、店にあったのは第4巻「栗野岳の主」(表紙に猪が描かれています、くりのがたけの主)、第5巻「屋根裏のネコ」(もちろん猫の絵)、第8巻「金色の足あと」(子狐ですが鎖に繋がれている絵です)、あと一冊は第14巻「太郎とクロ」(買い物カゴをくわえた大きな黒犬)。

 最初開いたのは「ネコ」の本でそのなかに「よわい犬」という物語を立ち読みして、これは買っておかなければと思ったのです。「よわい犬」が助けてくれた少女を守るため暴れ牛に立ち向かう話です。クロという黒犬の話も牛の角から男の子を守った話なのですが、これから全部読もうと思います、多分どれも人と動物のあたたかい交流が書かれていると思います。

 以前読んだ「片耳の大シカ」が童話集の第1巻、「月の輪グマ」が続いて2巻目になっています。この童話集の各巻には動物学者の今泉忠明さんが「この本にでてくる動物たち」という解説を書かれていて話の内容が一層頭と心に深く入りこんできます。

 他の巻とも出会い是非全巻を手元におき、改めて人と動物との交流の深さを感じとってみたいと思います。


高齢者の青春とは。

2015-05-16 19:35:39 | 健康・からだ

 昨日の「つぶやき」へのワイコマさんのコメントがこの詩に触れていましたので、kaeruの返信コメントにも関連して少しふれました。

 私にこの詩を教えてくれた方は前期高齢者になったばかりですから、教えてくれた十数年前はまだまだ若年というわけでした。しかし、詩からの感動をしっかりとうけとめて語ってくれたのでした。

 昨日のタイトルを詩として表現すると、と勝手に思い原文と訳文のひとつを紹介します。

 Youth is not time of life-it is a state of

mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

   No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

   Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.

you are yang as your faith, as old as doubt ;
as young as your self-confidence, as old as your fear;
as young as your hope, as old as your despair.


   So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.

 青春  作山宗久 訳

青春とは人生のある期間ではなく、
心の持ち方を云う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異に惹かれる心、おさなごのような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・喜び・勇気・力の
霊感をうける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ
悲嘆の氷に閉ざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。

  「青春とは、心の若さである」  角川文庫


老人よ、大志を抱け!

2015-05-15 21:19:44 | 「てんがらもんラジオ」

 パソコンの調子がよければ見ていただけるのですが、一年前の「kaeruのつぶやき」が届きました。「てんがらもんラジオ116回」目でした。昨日が166回目でしたからこの1年間で50回放送された訳です。

 今改めて視聴しはじめおゃ?と思ったのが、ゲストの姿が見えなかったことでした。当時は一定の時刻にならないと顔を出さなかったことを思い出しました。やはりこの間に改善された点でしょう。

 実は今日の「徹子の部屋」で103歳の日野原重明先生の姿を見、話を聴きました。昨日は94歳で今日15日に95歳になられた瀬戸内寂聴さんをNHKの番組で視聴したのです。それらと合わせて一年前のブログで老害ではなく老益こそ広がるべき言葉だと思ったことをより強く感じたことでした。

 瀬戸内さんは若者の集会に立って「青春とは恋と革命だ!」と熱ぽく語っています。日野原先生の好奇心の発揮は最近始めてヘリコプターで空を飛び、ソフトボールで打席に立ち見事に球を打ち返しています、これも始めての経験だそうです。

 大志を抱くことを青年だけのものにしておく必要はありませんし、瀬戸内さんの向こうを張っていえば、「老年もまた恋と革命だ!」と心を込めて言ってもいいでしょう。未来は青年のものだ、としても同じように「短ければそれだけ内容の濃い未来が老年のものだ!」と云うべきだと、まだまだ100歳にはほど遠い若年者のkaeruのつぶやきです。


「てんがらもん166回」 お母さん達の語る母親。

2015-05-14 22:11:33 | 「てんがらもんラジオ」

 今回は特定のゲストを迎えていません、レギラー四人が各々母を語り合いました。平均年齢69歳の婦人の集まりであれば母を語る人が母親です。 番組は⇒ http://www.ustream.tv/recorded/62241919

 番組でも紹介されたmappeeさんのブログ。自分の母に会いに行こうとしていたら、息子さん達がお祝いに来てくれた、お嫁さんからの花束も届いたとのことです。この話でふと思ったのが自分たち兄弟の嫁さんのことです。

 三人の兄弟夫婦が母親を囲んで過ごす都度思ったのは三人の嫁さんが私達の母親に似ていることでした。そのことを父方の伯母が「三人ともご亭主の母親に似てそろってふくよかで」と評したことです。それを兄は「太った、とは言えんからなー」と言っていましたし私もその程度の理解でした。

 しかし、この番組を視聴してこのふくよかとは大変深みのある言葉だと気づきました。ふくよかのふくは含むを意味し、その名詞がフクロ(袋)だとのことです。命を含むフクロをこう言い表したのです。ですから伯母が私達兄弟の妻たちを評して言ったことは、母性への称賛であったのです。

 その伯母は一人息子を兵隊にとられ戦死、家業の畳屋を継ぐため店の職人と姪を結婚させてその子供が成長し始めた頃の、もう五十年近く前の話です。ぜひ多くの方が番組を視聴して自分の母親を母親像の一人としてレギラーの各母親と重ねられたらと思います。

 自分達の母親についての話の後、雨のなか校舎入口まで車を乗り付けて子供を降ろす母親のことを話しながら、雨のなかを子供に歩かせる母親の強さについて村永さんが話していました。ここにも社会的な先輩母親の社会的発言の役割があると思い、もっと強調される必要があると感じました。


今日は勉強日。

2015-05-13 21:20:24 | kaeruの『資本論』

 午前中は逗子で地域史の会で、午後は資本論勉強会でした。その話の前に

昨日の野良仕事関係の写真です。

 上はそら豆、雑草にまぎれていますが、まぎれもなく昨年植えたそら豆です。

 

 そのまわりに細竹三本を立て紐で囲います、さて昨日の台風に効き目が

あったのでしょうか。

 

 畑から見上げると新しく家が建っていました。

 

 

 午前中、講師の黒田先生が百歳の体を家の中で転倒し、外へ出られないの

で自宅へ、それぞれお茶と茶菓子持参で(私はお茶だけでしたので菓子はご

相伴にあずかりました)。

 午後の勉強会には、仲問が大学時代にゼミで資本論を学んでいた時の先生、

といっても現在90歳に近い方ですが、参加されました。せっかくですので先生と

の話で終始しました。中国の若い人とも交流があるので中国の社会主義のこと

が中心となりました。 新聞テレビだけでなく、関接的ではあっても生の話を適時

耳に入れておく必要を感じることが出来ました。


風雨強かるべし。

2015-05-12 10:36:45 | 葉山そして人
 「風雨強かるべし」は作家広津和郎の戦前の作品
ですが、かなり前にNHKで放映したのを見た記憶が
あります。栗原小巻が演じた若い女性が嵐のなかに
立っている姿が印象に残っています。
 今夜はこの地も風雨強しでガラス窓が時々音を立
て揺すられます。

 昨日は畑仕事の手伝い、キュウリと茄子の植付に
この嵐に備えて収穫前のそら豆を三本のひご竹で周
りを囲う作業、すっかりお百姓さんになりました。

 鍬を土に打ち込んでいると、子供の頃の野良仕事
の感覚が蘇ります。以前同じ畑をスコップで掘り起
こしした時には感じられなかった感覚でした。いか
にも農作業をしているという感覚でした。

 その代り夕食も喉を通らないくらいに疲れていて、
多分寝たのは19時半くらいだったでしょう。起きた
のが9時過ぎ14時間の睡眠、それもトイレに起きる
こともなくでした。

 老骨に鞭打つのはイヤですが、老骨で鍬打ち込む
のは偶にはいいようです。それにしても去年までオ
ジさんはこれらの作業を一人でやっていたことを考
えるとその体力気力に頭が下がります。84歳まで出
来るか? 出来ないだろう。