カエルのストラップ、左右のカエルの違いが分かります?
新旧とか大小とかは別にして……。
多分直ぐ分かるでしょう。
昨日ある人からいただきました、新しく付け替えたら、ということでしょうが……。
蛙はまだ冬眠中でしょう、でも人間の社会は熱くなっています。
誰が熱くしているか、市民と野党です。
だからこういう数値も……。
そうなると、蛙は出てこなくてもkaeru は「変える、替える」の名に通ずるのだから、出ていって頑張りなさいとの励ましとして有難く頂戴しました。
カエルのストラップ、左右のカエルの違いが分かります?
新旧とか大小とかは別にして……。
多分直ぐ分かるでしょう。
昨日ある人からいただきました、新しく付け替えたら、ということでしょうが……。
蛙はまだ冬眠中でしょう、でも人間の社会は熱くなっています。
誰が熱くしているか、市民と野党です。
だからこういう数値も……。
そうなると、蛙は出てこなくてもkaeru は「変える、替える」の名に通ずるのだから、出ていって頑張りなさいとの励ましとして有難く頂戴しました。
久しぶりに俳句をアップしてみました。
8日の「川柳の題、俳句の季語」で触れたのですが、今月投句した五句です。先生からの教えで推敲しました、元の句を書いておきます。
一句目 雨しみる桜樹蕾に手を触れる
二句目 春灯消す今日を良しとして
三句目 薄氷のグランドかすめ鳶一羽
四句目 枝揺るる桜蕾のふくらみに
(この句に対しては「蕾が膨らんだ重さで揺れてゐる、というような意味づけとも取れます」として推敲句例があったのですが私の当初の感じが「膨らんだ重さ」で揺れる、だったので元のままに。)
五句目 百万の木の芽にロック響かせて
財務省で2人目の“自殺” 理財局国有財産業務課職員で森友案件との関係は不明
(アエラ)
https://dot.asahi.com/wa/2018031500078.html
昨日の「てんがらもんラジオ」でゲストの児島さんがこの三月で2年目に入ります、と話されたので「オヤ?」と思いました。それは一年前も自殺対策強化月間の話をされたというのですが、私の記憶にまったくなかったからです。
そこで一年前の自分のブログを見てみましたら納得、当時「森友問題」の国会質疑を中心に連日追っかけをしていたのでした。ブログだけでなく多くはフェイスブックやツイッターを指先で追っかけていたのです。
私が「森友」を追っかけていた頃、財務省のなかではある仕事で追っかけられていた一群の職員がいたのだなー、と思い至ったのです。それを私達の前に示したのが財務省職員の自殺です。それも2人も、さらに行方不明者も出ているという話もあります。
そういうことが頭にあって、3月が厚労省がアッピールし、各自治体も取組を進める「自殺対策強化月間」を考えると、自殺対策の目的が自殺者の数を減らすだけではないだろう、と強く思うのです。
現在進行形の「森友疑惑」に関わる自殺者については後日に待つのは当然ですが、公務員特に国家公務員の自殺問題は、現在の日本社会の自殺問題の中心的問題だと思います。「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」という憲法第15条をあえて引用するのは、公務員の自殺問題を考えるとき基本に置くべきことだと思うからです。
児島さんも話のなかで触れていました「生き心地の良い地域づくり」を考えるとき、その地域にある職場、その地域に行政機関として関わる職場、その地域に住む人が働きに行く先の職場、それらの職場が自殺者を出さない職場になることが「生き心地の良い」社会をつくるカギを握っているでしょう。
なかでも公務員の働き方は国民の「生き心地の良さ」を全生活の分野でつくりだすうえで関わりを持っています。そのことを反面教師的に教えているのが、裁量労働法規に関連した厚労省のデータねつ造問題です。ですから公務員の職場から仕事関係に原因を持つ自殺者をなくするということは、国民全体への奉仕を保証するものと考えます。
「森友疑惑」の進展を見つつ、厚労省の自殺予防対策を地方自治体や民間諸機関に働きかけつつも「先ず隗より始めよ」の言葉通り膝元の霞ヶ関から、国家公務員の職場から実態にそくした対策を期待したいと思います。
い
このポスターについては、今日の「てんがらもんラジオ」での児島淳子さんの話をこちらで、http://www.ustream.tv/recorded/113618800
児島さんの話はポスターにあるように「3月は、自殺対策強化月間です」ということで、自殺という重い話です。その重さは自分を振り返ってみればわかります。
児島さんは、自殺を自分の身近なところで見るように言われました。自分に一番身近なのは自分です、そこで思い出したのは20年以上前ですから、50歳後半でしょう、何かがきっかけで自分を振り返り「死にたいと思ったことが無い」と気づいたのです。
自分に次いで近いのが妻です。私より4歳下の妻は4歳で昭和20年の敗戦を迎え、シベリア抑留された父親を待ちながら姉と母親との暮らしでした。ある時母親が二人を連れて鉄道自殺をはかりましたが、踏切の前で4歳時であった彼女が大泣きをしたのだそうです。三年ほど前、妻の案内でその踏切を見て来ました。
もう一人、義理の妹のことです。我が家の二世帯住宅の一方の居宅に父親が亡くなったあと妹が自活していました。うつ病が高じ自分で食事をつくれないので私達と食卓を一緒にするようになって一年以上経つでしょう。当初「死にたい」とも言っていたそうですが、医者の診療を受けながらですが現在はそのような状況からは脱しました。
自分のことに戻りますと、生命力ということが頭に浮かんできます。生まれたとき体重1500グラムほど、当時の条件のなかではまもなく死ぬと親も産院も考えたそうです、しかし生き抜いてたので母親が言うことには「お前は生命力が強い」と、それが私にはインプットされ信念となっています。
もう一つ思いつくのは、高校入学時のことです。入学試験に落ちて失意の時の日記を数十年後に読む機会がありました。実はこの落第は高校側の手違いが原因でした、がそれが分かったのはそこから50年くらい経ってからでした。当時は失意と恥ずかしさで自宅に閉じこもっていたという記憶だけでした。ですから日記のなかにはそれこそ「死にたい」というくらいのことが書いてあるかと思ったのです。ところが我ながら冷静に、しかしあくまでも自分が何か大きな落ち度をしてしまったのだろうと、書いていました。
読みながら考えたのは、当時の私はこれを書くことによって自分を客観視できたのではないかということです。今日の話にそっていえば、児島さんの言われた「自分自身が多面体」だと気付くことです。日記の効用、現在進行形でいえばブログとかフェイスブックの効用とも、「てんがらもんラジオ」にコメントを送ることにも同様のことが言えるでしょう。