岩波ホールでこの名作を見たのはまだ結婚する前。
ヴィクトル・エリセやヴィスコンティ、タルコフスキーやミハルコフの映画を
よく見ていた頃。 テオ・アンゲロプロスの「旅芸人の記録」なんかもこの頃だったかしら・・
私の心にしみた映画のひとつ。
もっと古い映画では「天井桟敷の人々」とか子どもの頃に見たフェリーニの「道」とか「赤い風船」とか・・
今ではほとんど映画は見ないけれど・・
木靴の樹を始めてみた頃はこれもポリーニと同じくらい40年近く前になるけど、林辺先生の前の
機織りの先生に一日がかりで織りを習いに行っていてその先生が牧師さんの娘さんだったのでオルガンが
お部屋に置いてあった。先生もこの映画を見てすごくよかったと話されていたことを思い出しました。
同じ岩波ホールでの再上映、最終日に飛び込みました。コンサート続きでしたが、今も同じように感動するか
心配もあったけれど、再び見ることができて良かった。もしかすると前以上の感動だったかもしれない。
音楽を演奏し、語らい、動物も家族のように飼い、大地を耕して生きる。
人間らしい生活。話を聞いているときも手を動かして刺繍をしたり・・
家族がいっしょに暮らせることの幸せ。
今では手を動かしてもキーボードをたたいたり、機械の操作だったり
そして食事は命をいただくこと。感謝の気持ちがそれだけでも必要。
生きるために養子を授かった新婚の妻が赤ちゃんを抱く姿は
まるで聖母子のようだった。
すべてのカットが一枚の絵であり、何十年たっても全く色あせない映画。
結婚は聖なる誓いという言葉が響いた。結婚式の時にフロモン神父様が
私たちが読む言葉として聖フランシスコの祈りをあげてくれたことを
思い出しまたその祈りを心に刻む。私は充分に尽くせただろうか、でも
取り合えず最後まで看ることがことができて良かった。
彼が頑張って生きたことをフロモン神父様に報告ができて良かったと
思った。祈りを取り戻そう。
最近聖書を見直すようなきっかけができて、「フラニーとズーイー」を
思い出したり、キリスト教的なものへのフラッシュバックが続いています。
映画の中で実際に流れた音楽
蓄音機からの「ドン・ジョバニ」のアリアと息子のピアノ(えりーぜのために)以外は
全て生活に直接結びついた民族音楽
バックに流れたバッハの音楽
ト短調の小フーガ
無伴奏チェロ組曲 第3番よりサラバンド
片足は墓穴にありて我は立つ>(カンタータNo.156の冒頭のシンフォニアとチェンバロ協奏曲第5番
第2楽章に用いられているもののオルガン編曲、通称アリオーソ)
我を憐れみ給え、主なる神よ (コラール前奏曲BWV721
来たれ安き死、来たれ安らかな憩いよ (シェメッリ宗教歌曲集よりBWV478)
いざ喜べ、愛するキリスト者たちよ(コラール前奏曲BWV734)
愛するイエスよ、我はここにあり (コラール前奏曲BWV731
いざ来ませ、異邦人の救い主よ (コラール前奏曲BWV659)
オルミ監督のコメント
農村を描いたその画面に対して、バッハの音楽は優雅でありすぎるのではないかという意見もあった。
だが私はそうは思わない。詩的な存在としてのバッハの偉大さは、貴族的でもなければ、世俗的でもなく、
ただ真実のごとくに簡潔で本質的なことなのだ。だから私は確信するのだ。農民の世界とバッハの音楽は
たがいに通じ合うもので、『木靴の樹』を音楽的に支えるという以上に、完全に調和するものであるにちがいない。
「戸外には馬車が行きかい、室内には蝋燭のランプが灯され、一家には何人もの子供が生まれ、男は黙って木靴を造り、
女は小川で洗濯し、子供たちは野原を駆けまわり、病人が出れば祈祷師が呼ばれるという北イタリアの貧しい農村。
教会で結婚式を挙げたばかりの若い男女が馬車で船着き場に向かい、家族と別れて無蓋の河船でミラノに向かい、デモで
騒然とした街に驚きつつも徒歩で修道院にたどりつき、そこで初夜を迎えるまでの寡黙な美しさ。そのスタンダードサイズ
の画面には、映画がいま生まれたばかりだというかのような悦ばしい鼓動が脈打っている。」 蓮見重彦
「この映画で描かれているのは、人間が自然の掟の中で生きていた時代の光景であり、人間が尊大になる前の、貧しく、
慎ましやかで、臆病で、それでいて逞しかった時代の家族の肖像である。」
「これほどにも美しく、気高く、悲しみが胸をえぐる、厳格につくられた映画を私はほかに知らない。」 フィガロ紙
April 22 2016