Reflections

時のかけらたち

九州旅行 スピンオフ ・・・ Kyushu trip spin-off

2025-03-06 23:59:54 | people

旅行中は最初はほとんどTVがない部屋で、後半の九州の温泉宿にはTVがあり、天気予報とか見ようと思って
つけたTVからおもしろい番組があり、引き込まれました。

 

1月27日 美の壺 選 「時をつなぐ橋」(5:55~6:25)



移動の手段だけでなく、人の出会いや別れの場としてさまざまな舞台になってきた「橋」。
古典芸術にみられる橋から、現代の橋と人の物語まで時空を超えた橋の物語を紹介。

祝!国宝「通潤橋」▽嫁入り道具にも「橋」。縁起の良い意匠として珍重される▽もうすぐ百歳!隅田川に架かる
「復興橋」▽「永代橋」と「清洲橋」、二つの橋は名コンビ?▽構造美と自然が響き合う「猿橋」
▽建築写真家・藤塚光政さん、亡き友・大野美代子さんの代表作「鮎の瀬大橋」を撮る▽創建350年!「錦帯橋」
を受け継ぎ、守る大工たち▽長崎・出島で橋を「拭く」?▽草刈さんも「橋」造りに挑戦!?<File 592>



 

鮎の瀬大橋が架かる緑川渓谷は、阿蘇南麓に深さ140mものV字形のダイナミックな景観を呈している。その風景を
活かした橋づくり−「橋のある風景」をつくることがデザインの目的である。
 谷の片側は開けているが、反対側は山が迫り、しかも谷の斜面の中程に岩棚のあることから、斜張橋とV字橋脚を
組み合わせたアンバランスな形態のイメージを地形に重ねた。即ち、開けた側にタワーを、岩棚にV脚を立てた。
崖の表面には岩肌が露出し、それにはコンクリートのテクスチャーが馴染みやすい。又、斜張橋の持つ緊張感を強調し、
鋭く切り立つ谷の厳しさに対応させた。ケーブルは2面吊り、緑を背景に刻々と表情を変えるメタリックオレンジである。
 鮎の瀬大橋では「橋を渡ること」に加えて、橋や橋詰めに設けた広場から「谷の風景を眺めること」も大切にしている。
                                         
                                            熊本県ホームページより

 

日本のデザインアーカイブ実態調査 大野美代子デザイナー

「今まで、日本の土木の世界はやや閉鎖的で、これだけ重要な役割を果たしているにもかかわらず、世間一般に認められて
こなかった。今、それが様々な弊害を引き起こしている。今後は積極的に情報を発信し、美しく橋を創ることによって、
人々に親しまれ、橋づくりに関わる私たち全員が誇りを持って仕事のできる分野になっていくことを望みたい。」
                       (『スツールからブリッジまで』2018、エムアンドエムデザイン事務所)

JID NEWS 273 大野美代子さんを偲んで

橋の風景 変えた人 不世出の橋梁デザイナ・故大野美代子さん 


 

デザイナーの大野美代子さんを友人でカメラマンの藤塚光政さんがその作品を写真に撮って、紹介していて
その橋の美しさに感動しました。私の友達は彼女のことを知っていて、この橋も女性らしい色使いが斬新だと
話していました。

プロダクト/インテリアデザイナーだった彼女がその繊細な感覚で土木の世界にも美しい作品を作りました。
そんな人がいたことを初めて知りました。横浜ベイブリッジも彼女のデザインでした。

 

 

1月28日  先人たちの底力 知恵泉
   悪評なんかぶっ飛ばせ「自分流」をみつけだせ 織田信雄(のぶかつ) (10:00~10:45)

ポルトガル人宣教師からは「知恵が劣る」、歴史作家からは「不覚人」呼ばわりされるなど悪評が目立つ織田信雄。
近年の研究や新史料から偉大な父・信長とは異なる才能を持つ人物だとわかってきた。領国で行った画期的な施策とは!
改易の裏には秀吉によるフレーム・アップがあった?とにもかくにも乱世をのらりくらりと息抜いた信雄の知恵に迫る。
出演:神田伯山(講談師)アンミカ(モデル・タレント)清水克行(明治大学教授)

信長の息子・織田信雄。長きにわたって“暗愚”と評され続けてきた。だが去年発見された新史料や近年の研究からは信雄の
意外な人物像が見えてきた!神田伯山が語る!

 

織田信長の次男のことはほとんど知らなかった私ですが、あの戦国の世に秀吉に利用され続けながらも、最後は徳川について
織田家を守ったということです。それに加えて最近の研究で残酷な戦争とか負のイメージだけではなく国をうまく治めて
いたことがわかりました。信長の弟、有楽斎のことは3年前に茶室如庵を友人に案内してもらって知りました。有楽斎も
豊臣と徳川の間を取り持とうと大坂の陣の時にも尽力していました。最後はお茶を点てて静かに暮らしていたようです。
激動の中を生き残った織田家の人たちのことを知るのも面白いことでした。

私は大河ドラマとかも全然見なくなってしまったので知らなかったのですが、この信雄は一昨年の家康の時に登場して
いたことを今知りました。

京都や名古屋に行くと秀吉の痕跡があちらこちらにあって、日本の歴史が身近ですよね。今頃になって日本に目が行っている
私です。

 

おまけは今回の旅行でいただいた御朱印です。
出発前の成田山と最後の臼杵石仏のものです。

旅行の片付けも完全でなかったので臼杵の御朱印を探してしまいました。
あっと言う間に時間が経って、やるべきこともなかなかできず、時間がいくらあっても足りない私です。


 

 

 

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