2月の2回の旅行の間にドリアン助川の見逃し配信をNHK+で見ました。(2月8日)
なぜかというと友人が自分はドリアン助川と重なる部分があると話していたので、どういう生き方をした人なのかと
興味を持ちました。以前映画の「あん」の話をしたことがあって、いい映画だったと二人で意見があったこともあり。
積極的感受
初回放送日: 2024年2月2日
2019年に放送した「こころの時代~宗教・人生~ 積極的感受」を、一部再編集してお伝えします。 90年代後半
ロックバンド「叫ぶ詩人の会」のボーカルや、中高生向けの深夜ラジオのDJとして人気を博したドリアン助川。
2013年に発表した小説「あん」はフランスやドイツなどで翻訳、映画化もされ、カンヌ国際映画祭で高い評価を
受けた。生産性や効率が重視される現代、ドリアンは「積極的感受」という生き方を提案する。人は何のために生きるのか
新宿・ゴールデン街の酒場で対話を重ねた。
ところがこの番組を2019年に見ていて、2019年2月3日のブログに感想を書いていました。
途中から見ていたのでドリアン助川の現在に至るまでについては今回初めて知ったと思います。松尾芭蕉についても
あまり記憶は残っていませんでした。
助川氏は若いころいろいろなものに手を出しでもものにならず、自分の心にふたをしてしまったが、感じるという
最低限の才能だけは持っていたと語っていました。
40代の半ばにこの世から消えたいと思ったことが何回もあるというところが友人が共感を持ったところだと思うけれど
私は厭世的な感覚ではなく、存在が肉体を離れたような感覚というところに共感を持ちました。北海道の自然の中を
一人で歩いていた時に、まるで自分が風にでもなったかのように飛んでいるように歩いているような感覚でした。
自分というものは無になっていたような・・・
ドリアン助川は多摩川べりで太陽が沈むのを見ていたときに、太陽との距離がなくなって、太陽になったような感覚と
その奇跡のような気付きについて語っていました。
積極的感受については芭蕉を例として話していました。芭蕉は今私が住んでいる所の近くでも治水工事にかかわったり
していた人ですが、生産はしていなくて大自然と受けとめる人だったと。自分をアンテナのようにして、宇宙と対話した人。
ドリアン助川の言葉で「対話は続いて行くから価値がある」という言葉は深いと思いました。
この世というものはおもしろすぎて、刺激的過ぎて、美しすぎて、ときに醜くすぎて・・
生きている間そこと不可分。そこを離れて生きて行くことはできない。
自然界とかこの世をあたえてくれているものはおもしろい。それを見るために生まれてきた。
私は友人も存在について深く考えてきた人だと思います。その内側に抱えて来たものの大きさを感じずにはいられません。
とても面白そうな本を見つけたので、図書館に予約してみました。
生産性と感じることの大切さについては、聖書のマリアとマルタの話を思い出しました。
山上の垂訓も最近思い出される言葉です。
イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
そこで、イエスは口を開き、教えられた。
「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは
幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように
迫害されたのである。」
(マタイによる福音書 5章1―12節)
こころの貧しいものの解釈が難しいけれど・・・
時に逆説的な表現もあるけれど、対極を経験しないと本当の意味がわからなかったりすることもある。
こころの時代のこの回の感想はたくさんネットに上がっていました。
ドリアン助川 積極的感受
【感想】Eテレ こころの時代~宗教・人生~ ドリアン助川さん「積極的感受」
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