タルコフスキーは大好きな映画監督の一人ですが、このサクリファイスだけは当時VHSの時代で録画して
あったのですが、とうとう全部見れずにいたものです。今回、TSUTAYAで借りて見ました。
1月末の熊野旅行の前に見終わっていましたがメモを簡単に作っていただけでした。
台詞の抜粋を加えてアップしておこうかと思いました。
見るのをgive up したブレードランナーにはタルコフスキーへのオマージュがあらわされています。
ブレードランナーは画像はアートでしたが、内容がついて行くことができませんでした。
今見るとロシアは全然進化進化するどころか後退していて、今ロシアや全世界の人に再び見てほしい映画です。
まさに今、核の危機の中にあるヨーロッパや世界についての警鐘、祈りです。映画の世界の中のことではないのです。
40年近く前の映画はタルコフスキーの予言のように響きます。
[スタッフ]
脚本:アンドレイ・タルコフスキー/損影監督:スヴェン・ニクヴィスト/美術:アンナ・アスプ/音楽:J.S.バッハ「マタイ受難曲」
BWV244第47曲“神よ、私のこの涙にかけて憐れみください、みてください” ユリア・ハマリ/スウェーデン民俗音楽/海童道宗祖の法竹音楽/
録音&ミキシング:オーヴェ・スヴェンソン/編集:アンドレイ・タルコフスキー、ミハウ・レシュコフスキー/衣裳:インガー・ペールション/
ヘアー&メイク:チェル・グスタフソン、フロランス・フーキエ/助監督:シェルスティン・エーリクスドッテル/スクリプト:アンヌ・フォン・シドー/
カメラ:ラーシュ・カールソン、ダン・ミュールマン/装置:ハリー・クラーヴァ/プロデューサー:カティンカ・ファラゴ/製作:アンナ=レーナ・ヴィポム
[キャスト]
アレクサンデルー:エルランド・ヨセフソン、妻アデライデー:スーザン・フリートウッド、郵便夫オットー:アラン・エドヴァル、
マリア:グドルン・ギスラドッティル、医師ヴィクトル:スヴェン・ヴォルテル、小間使ジュリア:ヴァレリー・メレッス、
娘マルタ:フィリッパ・フランセン、”子供”:トミー・チェルクヴィスト
1986年/スウェ一デン映画協会(スウェ-デン)、アルゴス・フィルム(フランス)製作/カラー/ヴィスタサイズ/149分
1986年 カンヌ国際映画祭審査員特別大賞、国際映画批評家連盟賞、エキュメニック賞、芸術特別貢献賞
配給:フランス映画社/日本公開:1987年
音楽はスウェーデンの民俗音楽と日本の海童道宗祖の法竹(尺八)が夢幻シーンでたくみに使われ、ハンガリー出身のユリア・ハマリが
歌うバッハの<マタイ受難曲>の<神よ、私のこの涙にかけて憐れみぐださい>が限りなくやさしく美しい。最初のクレジットの
バックの絵はレオナルド・ダ・ヴィンチの<東方の三賢人の礼拝>で、アレクサンデルの書斎にも複製がかざられているが、
タルコフスキーの意図による彩色がほどこされていると思われる。夢と現実、あるいは夢から夢ヘ、いく層にも色彩世界を重ねていく
タルコフスキーの色彩美は、『ノスタルジア』をへて、『サクリファイス』で他の誰も到達しない頂点に達したと言えるだろう。
魂の傑作『サクリファイス』をフランスの<カイエ・デュ・シネマ>誌は86年度のベストワン映画に選び、イギリスの
くインターナショナル・フィルム・ガイド>はくザ・フィルム・オブ・ザ・イヤー>に選んでいる。
[解説]
1986年のカンヌ映画祭で、胸をうつ美しさと心を深くえぐる感動でかつてない賞讃を浴びて、カンヌ映画祭史上初の4賞
(審査貞特別大賞、国際映画批評家賞、エキュメニック賞、そして撮影に対する芸術特別貢献賞)受賞に輝いた『サクリファイス』は、
完成後に病床に伏して、86年12月28日夜、肺ガンのため54才でついに世を去った天才映画詩人アンドイ・タルコフスキーの遺作と
なってしまった。
言葉を話せなかった少年が再び言葉を話せるようになるまでの1日。少年の父である主人公アレクサンデルは生命の樹を植える誕生日に、
核戦争勃発の声をテレビで聞き、自らの狂気を賭けて、信じていなかった神と対決し、愛する人々を救うために自らを犠牲にささげる
サクリファィス(犠牲、献身)を実行する──。カンヌの上映では、タルコフスキーの自画像、現代のルブリョフ像、核時代への黙示録と
絶賛され、授賞式では、ソ連から出国し、病床の父にかわって舞台にあがった息子アンドレイ(愛称はアンドリューシャで、父アンドレイは
この映画を彼に捧げている)が満場の心からの拍手を浴びた。
The Sacrifice | Trailer | NYFF55
このサクリファイスほど人類に対するメッセージがある映画は少ないと思います。40年近く前にヨーロッパの危機を
強く感じて警告した映画。秩序こそが混沌を避ける、内なる敵はパニック・・ 核戦争の恐怖。
彼はこの映画の中で詩人や画家や永遠に生き続けることができると語っているけれど、映画もそうであり、
俳優も同じだと思います。
この映画は希望と信頼と共に息子に捧げられました。しかし今のロシアの状況・・・ 今こそロシアの人にこの映画を
見てほしいと思いました。
生まれてからずっと真の生を待っているような感覚。
画面からは日本文化に対するリスペクトを感じられました。生け花のような日本画のようなカメラ。
登場人物は少なく、まるで舞台を見ているような感じでした。
ハムレットを強く意識しているとどこかで読みました。
彼の映画の中のメッセージをメモしました。
人類は道を誤り、ひどい危機の中にいる。
人間は自分を守ってばかり、周りの人や自然を受け入れない。
今の文明の根底にあるのは力と権力、怖れと征服欲だ。
技術の進歩とよばれるものは画一的で物質的な安楽しか生み出さない。そして権力を守る武器だ。
まるで未開人だ。顕微鏡をこん棒のように扱う。
いや未開人の方が精神的にゆたかだった。何か大切な発見をしても今では破壊の道具に使う。
罪とは人生に必要のないすべてだ。…文明は罪の上に築かれたのだ。物質と精神のおぞましい不一致、
不均衡に我々はたどり着いたのだ。
この貧しい文化は、文明は病んでいるのだ。息子よ、問題を究明し、解決しなければならない。
まだ手遅れでないのなら、間に合うのなら・・
ハムレットと白痴(ドストエフスキーの)とニーチェが言及され、私はニーチェはよくわからないので
そこはどう解釈したらいいのかわからないけど、主人公は無神論者だが、この世の終わりを感じ、神に祈り
自己犠牲で人類を救おうとするというストーリーだと解釈しています。
ヨーロッパの地図も出てきて、三位一体やレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画も何か象徴的です。
画面も日本画的で尺八の音楽は、たしかノスタルジアで武満徹の音楽を使ったことを思い出させました。
人間の行動はなぜなすべきことの反対なのでしょう。
世の終わり、週末戦争。愛するものを死なせない。希望も未来も生命も失おうとしている。
戦争のあと、勝者も敗者もなく、都市も町も無くなり、井戸も渇き、鳥の巣も消えるでしょう。
私は持つものを捧げる。家を焼き、言葉を発せず生きる。神しか救えない。
詩人や画家と違って、俳優は作品の中に生き続けることができない。芸術作品として生き続けることができない。
詩が作者の言葉でありながら、詩人の個を超えた言葉として生き続ける。
画家もその作品の中に生を宿せる。
私は監督も俳優もその作品の中に生き続けることができると思うけれど・・・
三位一体をあらわしている登場人物やよい魔女のマリアの存在、そして母の庭のエピソードなど難解なところが
多い映画だけれど、核戦争や自然破壊への強烈な警告は感じられます。そして何よりすべてが美しい。
雪解けの音、カーテン、風・・・
最後のシーンは子どもが一人で木に水をやるところで終わる。
はじめに言葉があった。でもなぜなのパパ。
この映画はハムレットや言葉をすごく意識しています。
私はレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後に残るのは言葉だ」という言葉を思い出します。画家が最後に残した
言葉のように昔やっていた「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」と言うドキュメンタリー映画の中でエンディングで
流れていたものです。
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