友人が座禅について、目的をもってするものではないと「こころの時代で」やっていたと教えてくれ、NHK+でギリギリ配信を見ることができました。 こころの時代 医師と禅僧 生と死をめぐる対話 9/17(日) 午前5:00-午前6:00 配信期限 :9/24(日) 午前6:00 まで 元国立がんセンターの総長で、現在は日本対がん協会会長を務める垣添忠生さん。がんで苦しむ人を無くしたいと活動する一方、妻をがんで亡くし、深い喪失感を味わった。長い間、宗教者との対話を望んでいた垣添さんが、母をがんで亡くし、禅の道に入った禅僧、ネルケ無方さんと語り合う。生とは何か、死とは何か。人はいかにすれば喪失を超えて生きられるのか。山深くにある修行道場、安泰寺を舞台に交わされる医師と禅僧との対話。 人生の悲しみの中、人は生きる意味があるのかを問い続けたお二人が行きついた場所とは。力強く感動的な対話でした。 禅-生命をみつめる、仏教は死と生を深く見据えたところがキリスト教とは違う哲学的な宗教だと思います。 ネルケさんの座禅は本来、何かのためにするものではない。何かのためにすると心は満たされない。ただするからこそ満たされる。悟りのためでも苦しみから逃れるためのものでなく、瞑想の中に手に入れたものを手放していくうちに、最後に呼吸だけが残り、生きている自分にぶつかるという言葉に納得。 「放てば手に満てり」 道元 人間は一番大事な宝物に気が付かないもの。一番大事なものは今ここにある、呼吸している自分がこの世にいること。 人生とは一枚ずつもらうカード。あと何枚残っているのではなく、毎朝いただく一枚のカードを大切に使う。 鳥の声、雨の音、呼吸している自分 ・・・安泰寺での自給自足の暮らしの中から体を使うこと、機械に頼らないことから得るものの大切さを教えていただきました。頭だけで考えない。 軽井沢で感じる自然はいつも私をリフレッシュさせてくれます。鳥の声で目覚め、雨や風の音を聞いて暮らす。またヨガのシャヴァーサナ(屍)は全く座禅と一緒の考え。すべてを手放す。今私は無心になれる茶の湯が似ていると思ってその時間がとても貴重になってきています。 NHK+を見た後、NHKのYouTubeチャンネルを知り、抜粋版にリンクを貼りました。夏に聴きに行ったN響夏のコンサート、北村朋季のモーツアルトもYouTubeにアップはアナウンスがあったのですが、検索してもさっぱり上がってこなかったのですがやっと見つかりました。藤田真央のキラキラのモーツァルトと比較しても面白いものかと思いました。光と陰のある北村朋季のモーツァルトです。 [こころの時代] 医師と禅僧「生と死をめぐる対話」医師 垣添忠生・禅僧 ネルケ無方 | NHK モーツァルト/ピアノ協奏曲 第24番|北村朋幹 - 熊倉優 - NHK交響楽団
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