Reflections

時のかけらたち

ヴィクトール・フランクル -1 ・・・ Viktor Emil Frankl -1

2024-08-30 23:59:28 | thoughts

 

 

NHK Eテレ「こころの時代~宗教・人生~ ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある」
2024年4月から9月まで全6回で放送

若いころから何度も読もうとしては先に進めなかった本、「夜と霧」。
この番組があると知ってとても興味深く、読めなかった本の入門になればと思っていました。
ところが始まってから見逃してしまい見たのは3回から5回までであと6回を残すのみになっていました。

やっと時間ができた8月の終わりに録画してあった第4回を見て、そのあとNHKプラスで第5回を見ることができました。
NHKプラスの「こころの時代」のページでなんと1回から4回までのテープ起こしがあり、助かりました。見ていなかった
ホロコーストの時代の1回と2回を文字で知ることができました。NHKの粋な計らいです。

今回は久しぶりに見たフランクルの番組第4回から心に残った部分を載せておきます。勝田さん、小野さんの説明に
とても深いものがあり、ひとつひとつ新たな発見もしながら「夜と霧」の経験を経てさらに発展させてフランクルが
たどり着いた地点を知ることができました。

絶望の淵に立たされたとき、生きる意味をどう見いだせばよいのか?ホロコーストを生き延びた「夜と霧」の著者
精神科医ヴィクトール・フランクルの人生と思想から紐解きます。

「夜と霧」の著者の人生と思想から探る(4)人生という「砂時計」

講師/勝田茅生 (日本ロゴセラピスト協会 会長)
聞き手/小野正嗣(作家)
朗読/井上二郎(NHKアナウンサー)

「死ぬのは怖いですか?」「怖くはありません。本当に怖いのは『生きなかった』ことです。つまり、大きな意味で
正しいことや大切なことをする機会を十分に生かさなかったとしたら、深い悲しみを感じると思います。しかし、
自分に対して『多くのことを成し遂げることができた』と思えるのなら、これほど素晴らしいことはありません。」
(晩年のインタビュー)

勝田 やっぱり人間は、どういう態度で一日を過ごす、過ごしたかっていうことでずいぶん違うと思うんです。
それによってやっぱり(砂時計を)落ちていく砂の質も違ってくるような気がするんですね。

そういう、自分の時間の使い方、人生の使い方っていうのが、少し深まっていくっていうか、感謝して受け取るって
いうことによって、一日の使い方が違ってくるっていうような気がするんです。

小野 一日一日を、一瞬一瞬を大切に生きて、自分の心をすごく、ある種、こう、楽しく明るいものにしていこう
っていうことの一つの実践というか、そういう生き方の例として「日めくりカレンダー」があるっていうことですか。

勝田 そうです。ことに、たとえば高齢の方なんかは、「私なんか、もうこんな年取って、人の世話にならなくちゃ
生きられないから生きていてもしょうがない。もうできれば早く死にたい」なんて言う人がかなりいるんです。
そういう方にも、「一日のうちに良かった、ありがたいと思ったことを5つ、寝る前に考えて書き留めてください」
って言うのね。そうすると、「ちっとも何もいいことないですよ」なんて言いながら、だんだんだんだん、何か月も
経つと、そういう人たちも少しずつ練習ができてくるんですよね。そういう眼差しの練習というか。

小野 眼差しの練習。

小野 やっぱり、ご高齢になっても、その一瞬一瞬を大切にすることによって、その収穫が豊かになっていくっていう。
常に一瞬一瞬を。その一瞬は、すぐに過去になるわけですから。

勝田 何に価値を見出せるか、何に自分が感謝できるかっていうこと。

 「今ここで」っていうのは、仏教的な考え方、たとえば禅なんかでもものすごく強調する考え方だと思います。物事には
限りがある。それは儚いものだっていうふうな考え方っていうのは、やっぱり「今」「この時間」というものをすごく大事に
する、そこにつながるような気がするんですね、ロゴセラピーだけではなくて。

小野 そういう意味では、本当に「砂時計」のイメージはとても納得いく。

やっぱり上にある砂は有限ですよね。その限られた一粒ひと粒が落ちていけば、一瞬一瞬が大切にされて下に落ちて。でも、
だんだん上の砂は少なくなっていくから、この一粒、この一瞬を自分はどう生きるかっていうことが、より貴重で、よりかけがえ
のないものになっていくっていうことになるんですかね。

勝田 そう。だから、あるいは、また別の言葉で言うと、どういう人生を自分が作りたいと思ったか。それが実現できれば一番
いいわけですよね。

その根底として、やっぱりフランクルが言うには、どんな人間でも生まれたときに何かの使命を与えられている。ミッションを
持って生きる。だから、その人が最後までどういうミッションを持って生まれたかはわからないんですけれども、でも、(人生の)
全体を終えたときに、ああ、この人の生きた意味は実現されたというふうな、そういうふうな生き方になれば、それは一番理想的
ですよね。


自分の人生を振り返り、はたして自分はその役割を果たしているのか考えてしまいます。
死ぬときにならないと自分の人生がどうだったかを知りえないですね。

フランクルの死生観で死は新しい世界への扉のようなことが書かれていたのが、何かポジティブで素敵でした。
あのホロコーストの中、自分の使命を神(運命)から受け取り、ロゴセラピーを実践・確立していったフランクルの
強さを感じます。フランクルだけではなくそこで感覚がマヒするような体験をしても乗り越えた人々も同じです。
またそのような人間としての尊厳を傷つけることに巻き込まれてしまう恐ろしさも感じます。

 

シリーズ・フランクルVol.1~4をテキスト化して公開中

 

 

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