Reflections

時のかけらたち

2日目は亀岡へ向かう ・・・ to Kameoka

2018-09-11 23:57:09 | wonderland
京都ミニクラス会 9

2日目はクラス会のハイライトとなる亀岡のへき亭での昼食と保津川下り。
ホテルの近くの進々堂でパンとコーヒーの朝食。
前に出張でハートンホテルに泊まった時にはまだなかったと思う。
進々堂は京大のちかくの伝説の黒田辰秋のテーブルのあるお店には行ったことがあるけれど。










クリームパンと卵サンドは正解でした。





全員で7名のミニクラス会です。




二条駅から嵐山電鉄ではなくJRで亀岡に向かいます。
トロッコ電車は当日券を買うので、今回は保津川下りがメインで
先を急ぎました。




























お昼までに時間があるので、明智光秀のお城があったところに行きました。
ここから挙兵して本能寺に向かったとか。謎の事件でしたね。































何か宗教法人の会館やら中にはありました。


































駅の方まで戻り、タクシーでへき亭に向かいます。

May 22  Kameoka
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祇園へ ・・・ to Gion

2018-09-10 22:43:51 | dish
京都ミニクラス会 8

智積院、養源院、建仁寺と回って、暑い中、良く歩きました。
この辺で休憩かと思ったのだけど、半分は食事の時のビールがまずくなるからと
祇園の近くを散策。半数はもう休憩ということで、抹茶オレみたいな飲み物を
いただき、残りの友人たちを待ちました。
S君はねねゆかりの地石塀小路に連れて行ってくれたということでしたが、あとから調べたら素敵なところでちょっと残念でした。
渇きと疲れに負けてゆっくりと近くのお店で休憩。後から英語圏の観光客が来ていましたが、
なんだか注文がとても大変そうでした。そこのメニューが日本語でも不思議なメニューでした。

最初はホテルの近くの「松長」というお店で知り合いの板さんがおばんさいを作ってくれることになっていましたが、
予定が変更になり、ぎおんの「きらら」というお店をみつけてくれました。




誰を待っているのか舞妓さんともっと若そうな付き人。
外国人のシャッターを浴びていました。













さすが国際観光都市ですね。




夕食をいただくきららは建仁寺から近い祇園の端っこにありました。





カウンターに座ると前には鉢がたくさん並んでどれもおいしそう。




ばってらがおいしそうでしたが、コースの中には出てこなくて残念でした。
















最初の乾杯ビール













次は冷酒。飲んだことがないものにしました。




とてもおいしいお刺身でした。




おばんざい盛り合わせ。 どれもおいしかったけれど、白和えが抜群でした。













大満足のS君のみつけて来てくれたお店でした。下見にも来てくれたのでとてもお世話になってしまいました。




食後は夜の高瀬川沿いを散歩したり、その辺をグルグルまわりました。























May 21  2018  Kyoto

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建仁寺 ・・・ Kennin-ji

2018-09-09 22:39:57 | wonderland
今日は約2週間ぶりのヨガで体をほぐしてきて気持ちが良かったです。
その後スキャンの調子が悪くてソフマップに電話で話しながら遠隔操作で見てもらいました。
メーカーのhpとも途中連絡を取ってもらって通信の不具合なのかプリンター自体の問題なのか
何回もやり取りがありましたが、結局印刷もできない状態になり、これなら相談しない方が良かったかと
思いましたが、他の質問にも答えてもらって、プリンターはもう寿命といえばそうなのかなと
思いあきらめることにしました。電話を切った後、何回か放電するとプリンターの液晶画面が
復活することもあるということで、少し長めにプラグを抜いていたら、元の状態には戻りました。
やれやれ時間の無駄でした。スキャンとコピーが取れないので今後購入の検討の必要あり。
もともとパソコンのおまけでただでもらったものですが・・



京都ミニクラス会 7

京都ミニクラス会は行ってから行先を相談して決めたので、
後追いでどんなところだったか調べながら、復習しています。


建仁寺は、1202年に臨済宗の開祖栄西によって開山、開基は鎌倉幕府二代将軍、源頼家と伝えられています。
栄西は、中国で臨済宗黄龍派(おうりょうは)の虚庵懐敞(きあんえじょう)に教えを請い、臨済宗の教えを
日本に伝えた人物です。帰国した栄西は京都に禅寺を作ろうと試みますが、当時の京都は比叡山延暦寺の勢力が強く
禅寺を開くことはかないませんでした。そのため、栄西はまず博多に聖福寺を建立し、次いで鎌倉に寿福寺を建立
しました。その後、ようやく悲願であった京都に禅寺を開山。建仁寺の伽藍は、宋の百丈山をモデルに造られました。

創建当時、建仁寺には真言宗と天台宗、そして禅宗の三つの宗派が置かれたと伝えられています。これは、当時大きな
力を持っていた真言宗と天台宗に配慮したためです。1259年に11世住職として宋僧の蘭渓道隆が入山したのをきっかけに、
建仁寺はようやく本格的な禅寺になりました。

その後、応仁の乱やその後の戦乱で伽藍が焼失し一時荒廃しましたが、1586年に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)によって
再興されます。江戸時代には京都五山第三位に任ぜられ、大いに栄えました。現在は「けんにんさん」と呼ばれ、地元の方
に親しまれています。

京都有数の大寺院の魅力
建仁寺は京都屈指の大寺院で、広大な敷地を持ち壮大な伽藍を構えています。

広い敷地と大伽藍
建仁寺の境内は広く、伽藍は壮大です。伽藍を一巡りするだけで、それなりの時間がかかります。建仁寺はたびたび戦火に
見舞われたため、創建当時の建物は残っていません。しかし、戦国時代末期から明治時代にかけて、再建や他の寺院からの
移築によって伽藍が整えられました。建物群は重要文化財に指定されているものも多く、一見の価値があります。

個性豊かで美しい庭
建仁寺には、大雄苑・○△□の庭・潮音の庭という3つの高名な庭があります。それぞれ個性豊かで異なる美しさがあり、
見比べて見るのも楽しいです。

国宝や重要文化財も豊富な寺宝
京都最古の禅寺である建仁寺は、たくさんの寺宝を所有しています。中でも有名なのが、国宝指定の風神雷神図屏風です。
現在、建仁寺に展示されているのは精巧なレプリカですが、それでもライトアップされて金色に輝く屏風からは迫力がある
美しさが感じられます。この他、多数の襖絵や法堂の天井に描かれた双龍図なども必見です。




















大雄苑(だいおうえん)は建仁寺で最も広い枯山水庭園で、方丈の南側に面しています。白砂に覆われた地面に
緑苔や石柱が小島のように浮かんでいる意匠で、眺めていると心が落ち着いてくると評判です。そのため、庭を臨む方丈の広い濡れ縁には
常に人が訪れています。
庭園内にある七重の石塔は、織田信長の供養塔です。













2002年(平成14年)、建仁寺創建800年を記念して日本画家の小泉淳作氏により描かれた法堂の天井の双龍図


































































○△□
2006年(平成18年)に造られた〇△☐乃庭、〇は水、△は火、☐は地面を表しており、これらは自然の三大要素である、とされています。
自然の恵みによって生かされていることに感謝することから、心の修行が始まる、との意味合いを持っているそうです。
お庭の中の○△□をみつけよう。













さすが京都らしい和服姿・・




境内をぐるぐる迷ってやっと祇園方面に出ました。




こちらが正面の入口?




建仁寺の見どころはその庭にありました。
濡れ縁に座ってしばし静かな時間が持てます。紅葉や桜のハイシーズンには無理かもしれませんね。


May 21  2018  Kyoto

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やっと体調が戻ってきました ・・・  getting better

2018-09-08 23:54:23 | a day in the life
今日は九段でのベルカント唱法のレッスン日。月に2回となっているクラス。
体調を崩して、おとなしくしていたけれど久々の活動。
発表会を控えて、ぐずぐずの私たちに先生の熱のこもった指導が続く。
ランニングハイの状態に疲れた先に達することができれば。
歌うことはまず頭を使うけれど、筋肉を使わな変えれば上達しない。
イタリアの歌曲だと、歌っていてポジティブになれそう。
家でも練習しないと10月の発表会には難しい。久しぶりに家具になってしまった
ピアノのふたを開けて音でも取ろうか・・・
千代田区の発表会は日経ホールだけれど以前はカザルスホールを使っていたのですって。

これからあと4回プラス1回のレッスンで仕上がるのだろうか?
音符の長さをしっかりとることと言葉を覚えることが必要。


           

残暑が厳しい中家に戻り、パソコンに向かっていた時に、娘が見ていたTVから
荒川静香がフィギアで使いたかった曲ということで One day I'll fly away が聞こえてきて
とても心に残る曲だったので探して載せてみました。Randy Crawford のではなくKimberley Walsh
のようでした。



Kimberley Walsh - One Day I'll Fly Away



I follow the night
Can't stand the light
When will I begin
To live again

One day I'll fly away
Leave all this to yesterday
What more could your love do for me?
When will love be through with me?
Why live life from dream to dream?
And dread the day when dreaming ends

One day I'll fly away
Leave all this to yesterday
Why live life from dream to dream?
And dread the day when dreaming ends

One day I'll fly away
One day I'll fly away
One day I'll fly away
Fly fly away
One day I'll fly away


         


昨日の通勤電車

とてもかわいかったので思わずスマホでパチリ。











最近の食卓

やっと料理を載せられるようになりました。ずっとお腹を壊していたのであまり見たくなく、お粥続きでした。
家にある材料で作った新しい料理。



白茄子が生協の野菜ボックスに入っていたので、作り置きの味噌をかけて、けしの実を振りました。
エノキとしゃぶしゃぶ用の豚肉ともやしとキムチを和えました。




残りの白茄子は翌日、茄子の袋に書いてあった、チーズ焼きにしてみました。
白茄子とかぼちゃを簡単に作るホワイトソースをかけて、ピザチーズを乗せて焼きます。
シュレッドモッツアレラチーズを後がけしました。




一緒に生協の冷凍食品のレバーにをお気に入りのお皿に入れて出しました。




娘が中目黒に髪を切りに行った時には必ず買ってきてくれるチーズケーキ。




今日は食欲ももどってきたので、帰りにバインミーサンドイッチを久々に買って帰り
家で娘と半分ずつにしてランチ。海老アボガドとナムさんのカリカリ焼き豚、ハニーレモングラスチキンの
3種類のミニサイズを分け合って。


夜は中学校同期会の打ち合わせに出かけました。
何と昨日連絡をもらった高校のクラス会とバッティング。時間もほとんどかぶっていました。
高校も今まで3年に一度くらいだったのに急に昨年に続き開催。人生残り少なくなったと
感じたからでしょうか?



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養源院 ・・・ Yogen-in Temple

2018-09-07 23:20:45 | wonderland
京都ミニクラス会 6

智積院の後で行ったのが、養源院。
京都の寺は特別公開で期間限定だったり、見れるかどうかよくわからないことがある。
公開日と書いてあっても公開していなかったり・・養源院は電話をしてやっていることを
確認して、来た道を戻りました。法事があったのでこの時間なら見れるということでした。


大阪出身のお寺の奥さんの説明がすごく上手でした。  
その昔高校の修学旅行で行った時の大徳寺大仙院の庭を説明する
お坊さんがすごく上手で思わず引き込まれて、中国の山水画が
枯山水から浮かび上がり、はるか大自然の中を僧侶が旅しているように
思えたことがありました。中学との時にはあの奈良薬師寺の名物和尚の
説明を聞いたことを思い出しました。

                                                                  


















                                                      


養源院は東山区三十三間堂廻り町にある浄土真宗の寺院。
1594年(文禄三年)、豊臣秀吉の側室・淀殿が父である浅井長政の供養のために建立したのが始まりで、
寺名の養源院は長政の法名養源院天英宗清に基づく。
淀殿は1615年(慶長二十年)の大阪夏の陣で敗れ秀頼らと共に自害し、養源院も1619年(元和五年)に
焼失したが、1621年(元和七年)に淀殿の妹で徳川秀忠の継室・崇源院によって再興された。
本堂の一部は伏見城の遺構を移築したものであり、伏見城が西軍に攻められた際に鳥居元忠ら380名余りが
自害した部屋の床板を使用したとされる「血天井」があり、今でも血の跡だという黒い染みが見られる。
本堂の襖12面(重文)とユニークな白象・唐獅子杉戸8面の絵(重文)は俵屋宗達の作であり、意図的に
軋んで音の出るように造られた鴬張の廊下は半ば伝説的な名工・左甚五郎の作と伝わる。
また、庭園は小堀遠州の作庭だと伝えられ、本堂手前には秀吉手植えというヤマモモがある。


崇源院はお江のことで、浅井長政供養のために建てられた寺の再興に石田光成によって滅ぼされた鳥居元忠の供養のためにも
その血に染まった城の廃材を使って天井にしたと言われていて、あとがはっきり残っている。その説明を住職の奥さまが
立て板に水で説明してくれるのが面白い。
浅井長政という人はとても人民に慕われた武将、大名だったらしいです。

このあたりは智積院や豊国神社など秀吉の空気の強いところですね。

■「菊」「葵」「桐」の紋
お江によって再興された後、養源院は徳川家の菩提所となり、2代将軍秀忠から14代将軍家茂までの位牌が安置されています。
お江と秀忠の位牌をよく見ると、「菊」「葵」「桐」の3つの紋があります。3つの紋を拝見できる寺院は日本でここだけ。
「菊」は天皇家の紋で、お江と秀忠の子、和子が後水尾天皇のもとに入内したことからつけられています。さらに「葵」は
歴代の位牌がまつられている徳川家の紋、「桐」は養源院を建立した豊臣家の紋。養源院の創建・復興に尽力した人物たちの
家紋を見ることができます。


ここのお寺で一番素晴らしいのは俵屋宗達の生き生きとした杉戸絵を間近で見ることができることです。
襖絵も素晴らしいです。お江が宗達に依頼して、出世作となったということです。
戸を開いた時に驚きを感じさせる素晴らしいものです。

   

白象図


 

波に麒麟図


 

唐獅子図




金地着色松図















養源院を出て、建仁寺まで暑い中を歩きました。




近くに日赤があり、人々が生活する普通の街の顔です。










京都国立博物館の横を通ります。







豊国神社は素通りです。




May 21  2018  Kyoto



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智積院 ・・・ Chishakuin Temple

2018-09-05 23:59:03 | wonderland
昨日は朝出勤途中に見た妙正寺川が水かさを増して、水位1Mと赤い字で書いたところまで
来て、濁った水がすごい勢いで流れていました。園の入口を通るだけで滝のような流れる水が
傘をさしても降りかかり、背中の中まで濡れてしまいました。

職員室でも保護者からの電話の応対に追われました。こういう事件続きの現場感も
今月末までとなります。

帰りは川の水位もすっかり低くなり、透明できれいな水が流れていました。
雨も時に強い風と合わさって猛烈な降り方を一時的にしていましたが、
だんだん少なくなってきました。その代り風が強くて、私の傘も飛ばされそうに
なりましたが、こらえたところ、糸が切れて骨の先についていた金属が飛ばされて
うまく糸で付けられるかしらという状態になりました。骨も少しおかしくなって
いるみたいでこれは買い替えないといけません。このくらいの被害で済んで
良かったいうべきでしょうか・・

強い風で今回の台風も大きな被害を各地にもたらしましたが、続いた集中豪雨の
被害も想像より大きくてまだ多くの人が家に戻れなかったり、復旧がなんとなく
置き去りにされているような感じがします。



失われた時を求める京都の続きです。

京都ミニクラス会 5

長谷川等伯親子による障壁画と利休好みの庭で有名な
智積院が最初のお寺です。












広々として気持ちがいい境内です。



















宝物館は桃山時代の最高傑作ともよばれる長谷川一門の障壁画を保存するために建てられたということです。
元は智積院の前身、祥雲寺が建てられた際、その重閣造り(二階建て)の本堂や客殿などの内部を飾るために描かれたもので、
現在智積院に残されている祥雲寺時代の遺構は、大書院の「利休好みの庭」の一部と、この障壁画のみだそうです。













等伯の息子久蔵による「桜図」
25歳の若さで亡くなり、狩野派の陰謀説も流れる。それほど狩野派が恐れた新勢力でした。
デビュー作であり、遺作となったこの絵はクラスメイトの好きな絵ということで
ここにを訪れることを提案してくれました。







父親等伯が描いた「楓図」は久蔵の死後に描かれたとの説もあり、みずみずしさを感じさせる
桜に対比しておちつきと風格を感じさせます。



庭園に入っていきます。


































縁に座って足を投げ出して、水の上を見たり、景色を眺めて少しのんびり過ごしました。

























参考 東山随一の名勝庭園と長谷川派の傑作  智積院宝物館・庭園
障壁画は撮影禁止なのでこちらから引用しました。

May 21  2018  Kyoto
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京都のお寺巡り ・・・ old temple pilgrimage in Kyoto

2018-09-03 23:59:18 | wonderland
やっと5月の京都ミニクラス会まで戻ってきました。
初日のランチで終わっていました。
頭を京都に切り替えて、地図を再びインプットして・・


京都ミニクラス会 4

小学校のクラスメイトと行く京都旅行初日の午後からです。
京阪に乗って七条までやってきました。この辺は一人では選ばない地域ですが、
瑠璃光院や青蓮院、北野天満宮の御土居の青もみじの特別公開などが候補でしたが、
行きたかった瑠璃光院をあきらめて、夕食の場所に近いところで歩くことになりました。

今回のクラス会は行く前にみんなで行きたいところを出し合って、京都で半分仕事を
しているS君のプランと合わせてみんなの希望で行くところを当日決めていくという
やり方でしたが、京都通のHさんのおかげて自分だけだと行かないようなところにも
行くことができました。

お寺を中心に歩きましたが、京都だと仏像より、お庭という感じがしました。
奈良の寺は祈りに溢れていたのが私の印象です。京都にはいろいろなタイプのお寺がありそうです。

京阪七条駅でおりて、三十三間堂、京都国立博物館を左右に見ながら歩くと智積院があります。
日差しが強くて5月とは思えないほどでした。本当に温暖化で今年も早くから暑かったですね。
京都の広々とした道はゆったりとして好きです。周りに山が見えるのもいいですね。


駅から地上に出るとうぞうすいのわらじやが目に飛び込んできました。
昔から有名なお店ですよね。










何でもない和菓子屋さんがおいしいそう。




国立博物館 月曜日だったから休館だったかも。







智積院は真言宗智山派の総本山


初日に回ったのは智積院 養源院、建仁寺 
翌日は 亀岡で地元の野菜が中心の昼食を楽しんだ後、保津川下りをして、宝厳院、常寂光寺
最終日 勧修寺、隋心院、醍醐寺、石峯寺




養源院の御朱印 (書き置き)

「雨寶殿」、歓喜天の住まうところの意味だとか。







「宝樹多花果」日蓮宗の経文からの言葉で、たくさんの花が咲き誇り、果実が実る様子を極楽浄土

をイメージしたお言葉 (書き置き)




隋心院は弘法大師(空海)の弟子が建てた牛皮山曼荼羅寺の塔頭だったことから曼荼羅殿と書かれています。

醍醐寺では御朱印の文言がいろいろ選べました。



深草の石峯寺 若冲がプロデュースした五百羅漢 


御朱印も書き置きとその場で書いてくれるのと2種類ありますが、それぞれ個性的で面白いです。
以前平泉など東北のお寺を旅した時に、御朱印帳を出している人がいたので何かしらと思っていたら、
京都が好きな友人と鎌倉に行った時に御朱印帳を出していたので、おもしろいコレクションだと思いました。
結構ブームなんですね。


May 21   2018  Kyoto


色とりどりの緑の中の京都
5月28日に全体像を載せていますが、その時は京阪で八条まで行ったとまた間違えて書いていますね。
京都の交通は頭の中に入っていないのでマップを見ながら書いていますが、今回は無意識で京阪を阪急って
書いてしまいました。その昔は市電の乗継でもっと分かりにくかった京都の交通。今は地下鉄ができて
便利になりました。京阪って昔は地下ではなく地上に駅がありましたよね? すごい昔のことか・・
間違いを修正しました。
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Nabucco

2018-09-02 23:58:58 | music



指揮 米津俊広
演出 園江治

CAST
9月2日(日)
   村田孝高  ナブッコ(バリトン):バビロニアの王、史実上のネブカドネザル2世。
   飯沼友規  イズマエーレ(テノール):エルサレム王ゼデキヤの甥。
   ジュリアン・ロゥ  ザッカリーア(バス):ヘブライ人の大祭司。
   山畑晴子 アビガイッレ(ソプラノ):ナブッコと女奴隷の間に生まれた子。ナブッコは長女として育てている。
   六角実華 フェネーナ(ソプラノ):ナブッコとその正妻(の一人)との間に生まれた子。アビガイッレの妹。イズマエーレとは恋仲。

合唱 新宿オペラ合唱団
演奏 新宿オペラ管弦楽団
主催 新宿区民オペラ

「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」

ナブッコの初演は28歳の時。二人の子どもと妻を立て続けに失い、ミラノで人生どん底の極貧状態でしかも孤独な生活をしていた
ヴェルディに、スカラ座劇場支配人メレッリが、一つの台本をヴェルディの外套のポケットに押し込んだといわれている。
もうやる気の無いヴェルディは帰宅し台本を放り出したが、開いたページの台詞「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って
(Va, pensiero, sull'ali dorate)」が眼に入り再び音楽への意欲を取り戻した。

これはヴェルディの再生のオペラだったのですね。

オケも良かったし、ソリストも素晴らしかったです。日本人のオペラは初めてでしたが、思っていたよりずっとよかったです。
合唱やオケはプロでも尼でもいいということで募集していますね。アマチュアだけかと思っていたのでオーケストラに全く期待して
いなかったのですが、レベルがとても高かったです。昔他の県のオーケストラのコンサートに行って、聞くに耐えなかったときが
ありました。




ナブッコを演じた村田孝高(よしたか)氏は最後まで声量も衰えず、素晴らしいバリトンでした。
なんと池田理代子のご主人。

私は今日もまだ胃腸が不安定で、行く途中にも苦しくなって、着いたのは始まるギリギリでした。
早く着いていれば池田理代子がピンクの洋服を着て知り会いに挨拶をして回っているのを見れたのに。

ナブッコの主役はもちろんナブッコですが、次はアビガイッレで演じた山畑さんは声楽のレッスンでは
いつも伴奏して下さる方ですが(伴奏なんてもったいないと思うのですが)テノールの安藤さんの説明に
絶妙な合いの手を入れる切れ味鋭い方です。
今回も激しくも悲しい運命の王女を演じていました。

最後には全員で「行け我が想いよ」を歌って終わるのが恒例ということで、上の字幕を見ながら
歌いました。楽譜はついていないので、どのフレーズまで文字を乗せるのかがわからなくて
ちょっと難しかったけれど楽しかったです。



ナブッコの序曲も第2国歌と言われる「行け我が想いよ」も好きですが、このアリア「かつて私の心も喜びに満ちていた」が
せつなかったです。






帰ったら父方の唯一のいとこから葉書が来ていました。
達筆でうらやましいのですが、夏の表現が面白くて載せました。
何しろ多治見に住んでいるのですから!
熱暑、酷暑、激暑、猛暑、猛暑、爆暑
           …残暑

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音のない世界 ・・・ world without sound

2018-09-01 21:31:37 | thoughts
静かで、にぎやかな世界~手話で生きる子どもたち~




以前クラウド・ファンディングで協力した姪のドキュメンタリーに出た玉田宙君が出る番組が今日Eテレで再放送されると
いうことをクラウドファンディングサービスをしている Readyfor からメールで連絡がありました。
ずっとフォローしてくれるのが嬉しいですね。
先ほど放送されましたが、NHKの海外在住邦人のための番組にも海外への英語版も配信の予定とか。

音のない世界はずっと前にハンナ・メーカの「失聴 豊かな世界の発見」を読んで感銘を受けたことがあります。
この方は事故によって聞こえなくなったので玉田君たちのようにもともと聞こえなかったので、当たり前という人たちとは
全然違うのですが、豊かな感性が生まれてくるのです。

手話については5年前の奈良の旅で心洗われての中で書いた、正暦寺へのバスを待つ間に見た手話の流れの美しさに感動したことを覚えています。


手話は全く体系の違う言語です。それはまるでパントマイムのような豊かな表現です。
長年、全国のろう学校では、聴者の世界に適応させるために、声を出して話すという訓練を重視してきたようなのですが、
それはとても無理なことで、子供達にはストレスフルなことでした。このドキュメンタリーの明晴学園では、手話だけで会話をするので、
子どもたちが伸び伸びとしていて、生き生きとした表情でコミュニケーションをしていました。
日本語とは違う言語でコミュニケーションをして、日本語の文字で理解して読み書きをして、英語も習い音のない世界で
どうやってとらえていくのだろうと不思議です。音として発音される文字ではないのですから・・・

玉田宙君には姪が撮ったドキュメンタリの報告会で会ったことがあります。
サポートプロジェクト報告会
夢が広がってで紹介した玉田宙君です。

この時のドキュメンタリーはフランスのTV局のでしたので、日本では放映されていないと思います。第2作の玉田君がフランスのろう者と
交流する作品をクラウド・ファンディングで作り上げたのでした。(あいち国際女性映画祭に招聘されてそういえば賞を取ったと
メールをもらいました。)


玉田君は今壁にぶつかっているということでしたが、聴者の大学の中で声をあげ続け、少しずつ改革が進んでいます。
それぞれの個性を重んじてコミュニケーションが取れる時代を願って。そして最後に手話と言うものが存在することを
どんなものか少しでも知ってほしいと話していました。
今一人でも声をあげるということがとても大切なことと思います。
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