京都ミニクラス会 6
智積院の後で行ったのが、養源院。
京都の寺は特別公開で期間限定だったり、見れるかどうかよくわからないことがある。
公開日と書いてあっても公開していなかったり・・養源院は電話をしてやっていることを
確認して、来た道を戻りました。法事があったのでこの時間なら見れるということでした。
大阪出身のお寺の奥さんの説明がすごく上手でした。
その昔高校の修学旅行で行った時の大徳寺大仙院の庭を説明する
お坊さんがすごく上手で思わず引き込まれて、中国の山水画が
枯山水から浮かび上がり、はるか大自然の中を僧侶が旅しているように
思えたことがありました。中学との時にはあの奈良薬師寺の名物和尚の
説明を聞いたことを思い出しました。
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養源院は東山区三十三間堂廻り町にある浄土真宗の寺院。
1594年(文禄三年)、豊臣秀吉の側室・淀殿が父である浅井長政の供養のために建立したのが始まりで、
寺名の養源院は長政の法名養源院天英宗清に基づく。
淀殿は1615年(慶長二十年)の大阪夏の陣で敗れ秀頼らと共に自害し、養源院も1619年(元和五年)に
焼失したが、1621年(元和七年)に淀殿の妹で徳川秀忠の継室・崇源院によって再興された。
本堂の一部は伏見城の遺構を移築したものであり、伏見城が西軍に攻められた際に鳥居元忠ら380名余りが
自害した部屋の床板を使用したとされる「血天井」があり、今でも血の跡だという黒い染みが見られる。
本堂の襖12面(重文)とユニークな白象・唐獅子杉戸8面の絵(重文)は俵屋宗達の作であり、意図的に
軋んで音の出るように造られた鴬張の廊下は半ば伝説的な名工・左甚五郎の作と伝わる。
また、庭園は小堀遠州の作庭だと伝えられ、本堂手前には秀吉手植えというヤマモモがある。
崇源院はお江のことで、浅井長政供養のために建てられた寺の再興に石田光成によって滅ぼされた鳥居元忠の供養のためにも
その血に染まった城の廃材を使って天井にしたと言われていて、あとがはっきり残っている。その説明を住職の奥さまが
立て板に水で説明してくれるのが面白い。
浅井長政という人はとても人民に慕われた武将、大名だったらしいです。
このあたりは智積院や豊国神社など秀吉の空気の強いところですね。
■「菊」「葵」「桐」の紋
お江によって再興された後、養源院は徳川家の菩提所となり、2代将軍秀忠から14代将軍家茂までの位牌が安置されています。
お江と秀忠の位牌をよく見ると、「菊」「葵」「桐」の3つの紋があります。3つの紋を拝見できる寺院は日本でここだけ。
「菊」は天皇家の紋で、お江と秀忠の子、和子が後水尾天皇のもとに入内したことからつけられています。さらに「葵」は
歴代の位牌がまつられている徳川家の紋、「桐」は養源院を建立した豊臣家の紋。養源院の創建・復興に尽力した人物たちの
家紋を見ることができます。
ここのお寺で一番素晴らしいのは俵屋宗達の生き生きとした杉戸絵を間近で見ることができることです。
襖絵も素晴らしいです。お江が宗達に依頼して、出世作となったということです。
戸を開いた時に驚きを感じさせる素晴らしいものです。
白象図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/06/222614e9a9c5a03038ba236c4bfb626a.jpg)
波に麒麟図
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唐獅子図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/fe/041f1c57065dd60543112edc20f31d33.jpg)
金地着色松図
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養源院を出て、建仁寺まで暑い中を歩きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/f5/41bcf7ac520a0b946a1411d88cbf4697.jpg)
近くに日赤があり、人々が生活する普通の街の顔です。
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京都国立博物館の横を通ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/c1/bf410115649f33b727d7fff34e0f80b8.jpg)
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豊国神社は素通りです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/48/162afc34715eebe57146bd47acb55e04.jpg)
May 21 2018 Kyoto
智積院の後で行ったのが、養源院。
京都の寺は特別公開で期間限定だったり、見れるかどうかよくわからないことがある。
公開日と書いてあっても公開していなかったり・・養源院は電話をしてやっていることを
確認して、来た道を戻りました。法事があったのでこの時間なら見れるということでした。
大阪出身のお寺の奥さんの説明がすごく上手でした。
その昔高校の修学旅行で行った時の大徳寺大仙院の庭を説明する
お坊さんがすごく上手で思わず引き込まれて、中国の山水画が
枯山水から浮かび上がり、はるか大自然の中を僧侶が旅しているように
思えたことがありました。中学との時にはあの奈良薬師寺の名物和尚の
説明を聞いたことを思い出しました。
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養源院は東山区三十三間堂廻り町にある浄土真宗の寺院。
1594年(文禄三年)、豊臣秀吉の側室・淀殿が父である浅井長政の供養のために建立したのが始まりで、
寺名の養源院は長政の法名養源院天英宗清に基づく。
淀殿は1615年(慶長二十年)の大阪夏の陣で敗れ秀頼らと共に自害し、養源院も1619年(元和五年)に
焼失したが、1621年(元和七年)に淀殿の妹で徳川秀忠の継室・崇源院によって再興された。
本堂の一部は伏見城の遺構を移築したものであり、伏見城が西軍に攻められた際に鳥居元忠ら380名余りが
自害した部屋の床板を使用したとされる「血天井」があり、今でも血の跡だという黒い染みが見られる。
本堂の襖12面(重文)とユニークな白象・唐獅子杉戸8面の絵(重文)は俵屋宗達の作であり、意図的に
軋んで音の出るように造られた鴬張の廊下は半ば伝説的な名工・左甚五郎の作と伝わる。
また、庭園は小堀遠州の作庭だと伝えられ、本堂手前には秀吉手植えというヤマモモがある。
崇源院はお江のことで、浅井長政供養のために建てられた寺の再興に石田光成によって滅ぼされた鳥居元忠の供養のためにも
その血に染まった城の廃材を使って天井にしたと言われていて、あとがはっきり残っている。その説明を住職の奥さまが
立て板に水で説明してくれるのが面白い。
浅井長政という人はとても人民に慕われた武将、大名だったらしいです。
このあたりは智積院や豊国神社など秀吉の空気の強いところですね。
■「菊」「葵」「桐」の紋
お江によって再興された後、養源院は徳川家の菩提所となり、2代将軍秀忠から14代将軍家茂までの位牌が安置されています。
お江と秀忠の位牌をよく見ると、「菊」「葵」「桐」の3つの紋があります。3つの紋を拝見できる寺院は日本でここだけ。
「菊」は天皇家の紋で、お江と秀忠の子、和子が後水尾天皇のもとに入内したことからつけられています。さらに「葵」は
歴代の位牌がまつられている徳川家の紋、「桐」は養源院を建立した豊臣家の紋。養源院の創建・復興に尽力した人物たちの
家紋を見ることができます。
ここのお寺で一番素晴らしいのは俵屋宗達の生き生きとした杉戸絵を間近で見ることができることです。
襖絵も素晴らしいです。お江が宗達に依頼して、出世作となったということです。
戸を開いた時に驚きを感じさせる素晴らしいものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/0d/5342966f5681a8bf25e6590fb43e233f.jpg)
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白象図
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波に麒麟図
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唐獅子図
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金地着色松図
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養源院を出て、建仁寺まで暑い中を歩きました。
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近くに日赤があり、人々が生活する普通の街の顔です。
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京都国立博物館の横を通ります。
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豊国神社は素通りです。
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May 21 2018 Kyoto