Reflections

時のかけらたち

芸術と憲法を考える連続講座第25回 平田オリザ講演 ・・・ Oriza Hirata

2020-01-12 23:55:30 | people
1月10日



東京芸術大学音楽学部学理科主催、自由と平和のための東京藝術大学有志の会共催の「芸術と憲法を考える連続講座」
第25回に行ってきました。イタリア語とベルカントでご一緒のSさんが以前、望月衣塑子さんや元NHKの永田浩三氏の
話を聞いてとても面白かったということで教えていただいた会です。平田オリザさんのお話があるというので是非お聞き
したいと思いました。



もしウィーンに行くとすれば、見ておきたいハプスブルグ展。




夜の上野公園を突っ切って芸大に向かいました。



















残念なことにこの連続講座は第27回で修了するというアナウンスが最後に在りました。芸大主催と言うのが難しく
なってきたのでしょうか・・




タイトルは「憲法と文化政策」



平田氏が世界(ヨーロッパが多い)での仕事を通して、日本の文化政策の遅れを語りました。

最初にイランのことに少し触れて、イランは文化的水準が高く、ヨーロッパの人たちは重要性を知っていて
文化的には結び付いていたいと思っているとのことでした。

各国での活動、上演を通して、得たものはとても興味深かったです。
ハンブルグの公共ホールからオペラの依頼をされて福島を舞台の作品を上演。ドイツ人は舞台には出ていなかった
けれど億単位の費用がかかっている。日本の場合は日本の税金を使えば、どうして日本人を出さないのかと言う
圧力がかかる例がある。

またハンブルグ市はオリンピックの招致を最終的に国民(市民?)投票て否決し、オペラハウスを建てた。
一時的な経済効果でなく、これから本当に必要なことにかける賢明な選択に思わず拍手を送りたくなった。

ヨーロッパでは国を超えて、人類の財産と言う考え方があり、税金を使ったものは商業的に成立しなくてもいい。
フランスからの依頼では宮沢賢治「銀河鉄道の夜」をベースにした「幕が上がる」を上演している最中に3.11があり
パリに戻って上演の時に多くの人たちから被災者への支援が送られたエピソードが紹介された。
また、どんな時でも芸術活動は自粛すべきではない。人を救うものは何かを思います。もちろんパンは必要ですが
パンのみにて生きるに非ずです。あの時海外から送られてきたものに色鉛筆かクレパスかがあったことを
日展の記念講演の時に聞いたことがあります。



日本の文化的な厚みのなさを感じる。
最悪の例は昨年の愛知トリエンナーレ「表現の不自由展」海外ではもう愛知には出さないという人が多い。何と
タイトル通りになってしまったことが記憶に新しい。

平田氏は大阪で維新・橋下時代にファシズムが育つのを見てきたと話されていました。彼は文楽の予算を切った
ことを始めて知りました。ドナルド・キーンは日本の恥と言ったそうです。



憲法25条は9条と並んで制定当時世界最先端の条項だったとのことです。日本人の手で作られました。
にもかかわらず・・・

日本の文化予算は存続にのみで発展をさせていない。これは緩慢なる文化破壊。
日本の文化予算は先進国の1/4、フランや韓国の1/10だそうです。
日本では文化的な最低限度の生活、権利が保障されていない。チケットの高さ。これでは高収入か、
よっぽど好きな人しか行けない。
健康は健康保険、経済的も何とか保障されているけれど、文化的には遅れている。
30代・40代の死因のトップは自殺で休職者のほとんどは心の病。
心についてお金を使っていない。技術が享受できるように企業がもっと負担する必要がある。
健康、経済、そして心のケアがなければ人間は生きて行けない。




獅子舞が復活したところから、ポジティブな考えで住民がまとまり、より高い場所へ集団で住居を
移していったという。被災地の支援、人間が生きていく上にどれだけ文化が必要なことか・・

芸術の役割
① 芸術そのもの
② コミュニティ形成や維持のための役割

町からコミュニケーションの場がなくなっていく。
東京では教育が壊れて行っている。私立に流れ、地域の交流・多様性が無くなる。
無意識のセーフティ・ネットが無くなってきている。

地方の壊滅
市場原理 - 思想統制

地方では大型店が出店して、その土地の商店や産業を壊して、して退店して荒れている
所が多くみられると。
フランスではアマゾン法と言う法律ができて、地方都市の文化発展のために本屋を守ったとのこと。
本屋は本を売るだけではない。

コミュニティスペースがなくなっていく。経済が発展しても社会が壊れてしまっては意味がない。
青少年の居場所・交流の場が少なくなってきている。
市場原理だけで街を拡大した渋谷では、社会的弱者の居場所がなくなり、反社会的集団を作ってしまった。



図書館のこれからの役割は大きい。
公共的文化施設が居場所として、社会の接点として機能。

ゆるやかなネットワークには文化活動が役に立つ。芸術文化による交流の空間をつくる。
ヨーロッパではホームレスプロジェクトがあり、シャワーを浴びて、音楽やアートの鑑賞ができるように
している。炊き出しだけは本質的な解決にならない。mindの問題。
また失業者割引もある。働く気力が持てるように助けている。他人の笑顔が自分の幸せになる体験。
日本だったら失業中なのに芸術を鑑賞なんてという感覚。
中高年のひきこもりも多いという日本。

余談ですが、オリザと言うお名前は本名でドイツ語で稲と言う意味だそうです。



文化による包摂

日本は最も人間が孤立しやすい国になっている。
社会包摂 social inclusion
人間を孤立させない。
セーフティネット 文化やスポーツ、趣味でつながる新しい共同体。


dialogue

演劇の重要性
dialogue は演劇の言葉と出てくる。話し言葉で成立する演劇。
海外では音楽、美術と並んで演劇が教育に入っているとのことです。







話し言葉、対話
対話と会話 日本では会話がほとんど。ヨーロッパでは異なる文化が隣り合わせで説明が必要で
対話力が身についている。
1919年のパリ講和会議で対話のできない国ドイツ、イタリア、日本がファシズムを生む。
国歌と統一が遅れた3国。

対話はAとBが話しCを作る。

ギリシアで哲学と演劇と民主政治は同時期に発生。民主主義の為には対話が必要。

ネットで調べたら人事労務用語辞典で
「一般に「対話、対談」と訳されますが、人材育成や組織開発の分野で用いられる「ダイアローグ」(dialogue)とは、
たんなる情報のやりとりではなく、話し手と聞き手とが理解を深めながら、互いに共感や意識・行動の変化を引き出し合う
創造的なコミュニケーションのあり方を指します。近年、組織における学びや創造、問題解決、ビジョンの共有などに有効な
アプローチとして注目を集めています。」と出ていました。


最後に最初に紹介した宮沢賢治の言葉で締めました。地方再生。今こそ宮沢賢治が必要。



最初に紹介した賢治の言葉







途中たくさんの拍手もありましたが、平田氏は立候補する気持ちはありませんからと笑っていました。

時間がもう無くなって、司会者が質疑はどうしようと言っているときに平田氏は受け付けましょうと
いくつかの質問に答えていました。

その中でどうして豊岡に住まれているのですかと言うものがあり、
開学予定の演劇大学の準備など「キャリアの集大成」となる事業に取り組むためで、風土も好きそうです。
最後にも演劇の役割を語っていました。演劇は多文化共生して居場所を作りやすい。人との接点を持つ、
他者と接触する、個と個が出会うことの重要性。

私自身も振り返ると居場所のない無職老人となってしまいましたが、文化によるつながり、積極的に続けて
行こうと思いました。居場所の問題は年令を問わず、日本の重要な課題となりました。芸術が人々に居場所を与える。

休憩時間中にオリザさんの本を買いました。
「わかりあえないことから」







Jan.10  2020   Ueno

次回のユン・ドンジュはぜひ行きたいけれど、次々回もこの会が最後となればできるだけ行ってみたいと思っています。
オリザさんの話を聞いて、日本と韓国のことも歴史の真相ってなかなかわからないけれど知らないことが多いと思いました。
歴史を知らないと今起きている問題も語れません。
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着物初売りへ ・・・ to new year sale of kimono

2020-01-08 23:58:44 | seasons
なんだか編物を集中していたら、ぐったり疲れて、本来編み物は急がずのんびりするのがあっているけど
習っているので少しでも進めて行かないといけなくて頑張ってしまいました。模様がおかしくなった時に
ほどくと目が抜けて大変なことになっていて、遅い夕飯を食べたら、もう疲れて夜は続ける気がしなくなりました。

日経速報メールでゴーンの会見のライブが入ってきました。英語だけならいいのに、フランス語になると
同時通訳が入らなくてさっぱり・・ フランス語英語のほかにも他の言語も入ってきています。
日本の司法制度に対する批判はあっても日本の法律を破ることには日本が国としてどういう対応を取るのか
はっきりした態度を取ってほしいと思う。国として無視された感じ。ゴーンの問題は社内問題と思っていたので
いきなりの拘束には驚いたけれど、その後いろいろなことが各国でも見つかってきて、すべて裁判で
主張してほしかったと思う。結局お金に物を言わせた感じです。

疲れたのでブログで気晴らしをすることにしました。 


1月7日

七草だった! のに前日七草をスーパーで売っていたのに、まだ早いと感じてしまったのがおとぼけでした。
仕方がないので、家にあった三つ葉と大根で朝、雑炊を作りました。
お節料理が続いた後にはやっぱり、新鮮でした。



昨年末に銀座で呉服のセールを着付けの仲間で、まわったけど、一つお目当ての和服用ヒートインナーは新年にと
言うことだったので、開催する京王プラザホテルまでまた出かけました。何しろ3000円以上するのが100円になるという
特別なもの。以前カレンブロッソしか買ったことがないのに、俵屋吉富のお菓子までいただいてしまいました。




おまけにGさんが帯を買ったので、食事券までいただいて京王プラザの地下のGlass Court というビュッフェスタイルの
レストランでごちそうになってしまいました。前から欲しかった博多佐賀錦の帯で他のお店での底値もリサーチしていたので
お正月と言うことで値段の掛け合いがあって下がったものを手に入れていました。元値が高いとはいえ、驚くように
さげてきます。他にも合わせて安くしますよと言うお店の押しにも「私は人に勧められて買うタイプじゃないのよ」と
はっきり言うところが素敵です。




デザートも充実していました。

そこで日本文化の話になり、Gさんは今日本の古典をさらっていて角川の「ビギナーズ・クラシックス 日本の古典」
でたまたまお孫さんのゲームを買いに行ったブック・オフで見つけたものが面白くて、今昔物語から、方丈記、平家物語
を読んで、特に同じ時代の立場が違う人が書いたのはおもしろいと話していました。

Gさんは器用な方でレースドールの先生をしていますが、組紐も、型染も若い頃習っていて、アメリカに住んでいた時は
組紐をやっていらしたとのことでした。

今度佐原の伊能忠敬関連の場所に行ってみたいねと話がまとまりました。暖かくなったら行きましょうとのことでした。
彼女も家を2件持っているタイプの人で、千葉と東京を行ったり来たりしています。川村美術館はは結構近いらしいです。

伊能忠敬は去年、東洋文庫で地図を見て驚きました。年取ってからの偉業で、しかもすごく正確な地図を作り、
そういうものを持っていた国、ということで植民地化を免れたと思っています。彼の地図は持ち出し禁止だったにも
係わらず、シーボルトにより国外流失して、イギリス人やロシア人、アメリカ人を驚かせたとのことです。
あのころの日本って、英語をしゃべる人も少なかったでしょうに、いろいろ各国と衝突事件があっても
うまく切り抜けていったようです。今の外交力とは違いますね。イランととんでもないことが起きてしまうトランプの
世界で何ができるのだろうかと思ってしまいます。

昨年、彼女はウィーンに9日間滞在して美術史美術館や街を歩き回ったとの話を聞いて、娘と姪の家の訪問が
実現できればいいなーと思いました。音楽と美術が楽しめそうです。航空券の安い時期に行ってみたいものです。



編み物をしながらYouTubeの音楽を流していたのですが、IL Volo の10周年記念のコンサートでも
歌っていたイル・ポスティーノの音楽が流れて、あの南イタリアの海と詩人の話が広がっていきました。

心に残るイタリア映画の名作 イル・ポスティーノ 
若くして亡くなったマッシモ・トロイージの遺作です。




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薬王院のお正月 ・・・ new year in Yakuoin

2020-01-06 23:58:29 | seasons
カードリーダーを買い替えたので、やっと写真を取り込むことができた残りの薬王院の写真をアップします。

昨日windows7サポート終了対応のことを調べていたらになぜか突然、建設会社のアトリエに通っていた時
知り会ったS建設のTさんのことを思い出して、会社名と名前で検索したら、コンペなどでいろいろ受賞していて、
あの痩せてひょろ長い青年が設計部長にまでなって立派になられたことを知りました。彼は大阪に転勤になり、
京都から神戸に行く旅行の途中で大阪でお会いしたこともありました。転勤でお別れのとき、たった1本のピンクの
バラの花をいただいた思い出があります。高齢者にやさしいコミュニティ建築環境デザインコンペティションや順天堂
の高層棟を設計していました。らせん工房の織物の展示会にも来てくれて私の友人が作ったネクタイを買っていただいた
思い出があります。
昨年はT建設のNさんからも展覧会の連絡をいただいて何十年ぶりにかお会いして話が尽きませんでした。そういえばNさん
には彫金でゴールドの指輪を作ってもらったので、お返しにネクタイを織ってあげたことを思い出しました。
今年はあの時の人たちにもっとお会いしたいなと思います。

今日のヨガは新年初めてで、とてもすっきりしました。浄化呼吸をしました。こんなに水がおいしく感じられるのは
久しぶりでした。シャヴァーサナでは突然昨年亡くなった恩師が浮かんで、ちょっと涙が滲みました。ご苦労も
たくさんあったことでしょうが、いつも明るく前向きな先生でした。今では天国で奥さまと子供のころ亡くされた
息子さんと一緒に過ごしているのでしょう。S先生は高校一年の時の担任で英語の教師でした。学生運動の活発な時代に
入り、先生はT高校から去り、予備校や大学で教えるようになりました。青学短大で教えていらっしゃる時に渋谷で
すれ違いお話しましたが、それ以降お会いすることもなかったのですが、出版記念会に誘われて行って、著書「チョークで
夢を運ぶ人」を読んでその後の先生の生き方を知ることになりました。その後どうしてもクラス会に先生をゲストとして
お招きしたくて、当時の幹事にお願いして、担任の許可も取って、来ていただきました。後から幹事にどうして先生に
来てもらいたかったかよくわかったと言われました。担任には失礼なことをしてしまったかもしれません。
その後、S先生からはお花見会に誘っていただき、1年の時のクラスメイトと最後にはお宅にまで寄って、楽しい時を
過ごしたことが2回ほどありました。奥さまも一緒に涙が出るほど笑って過ごしたことが思い出されます。
ヨガの最後の無になるところで、なぜか先生が浮かび、そして今でも何か励ましてくれているようなそんな思いが
伝わってきました。英語と言うコミュニケーション・ツールを教えるのはその奥にある世界に触れさせようとしたのだと
思います。



1月3日




薬王院の取り込めなかった写真です。














































秋の名残や、前回「お正月のゆったり散歩」に載せたスミレっぽい春の花までぽつぽつと咲いていました。
今年は牡丹の季節におくれないように行ってみたいところです。




瑠璃山医王寺薬王院


Jan.3 2020 Yakuoin


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家族の絆 ・・・ family ties 

2020-01-05 23:58:22 | seasons
今日はパソコンの買い替えも視野に入れながら、新宿の量販店に今のPCの問題点の
解決も相談するために行ってきました。

今の写真取り込みの不具合の原因も追究したいと思い、カードリーダーも一応持って行きました。
中国人の店員さんでしたが、とても丁寧にデスク・トップとノートの今の違いを説明していただけました。
日本語も日本人以上にきちんとしていました。写真の取り込みについても、現物を持って
行ったので、カードリーダーを見て一目でコードが伸びで少し断線しているのを発見して
これが原因ではと、実際に読み込んで、教えてもらいました。昔と違ってカードリーダーも100円単位で
買えるので新しくしました。店員さんは少し年配の方で、日本語の先生もしていたことがあるという方で
教えるのは難しいと話していました。

その後、壊れたネスプレッソをどうするか考えていましたが、買い替えと値段はそれほど変わらなそうなので
買い替え、壊れたディスクライトもお手頃なのを開発していたので、それも決めました。すべて年末にと
思っていたのですが、時間的なゆとりがありませんでした。年末はすごく混んでいたとのことで良かったです。
お正月も3日はとても混雑するということもお聞きしました。ポイントとか他にも優遇措置があるそうです。
帰ったらとても疲れていたので、館野泉のノルウェイのピアノ曲を聴いて横になり休憩しました。まるで森林に
囲まれた世界にいるようで癒されました。

夜、Eテレで昨年聴きに行ったアンドラーシュ・シフのベートーヴェンをやっていた終わりの頃に気が付いて
聴きました。アンコールのソナタ24番も素晴らしかったです。ベートーヴェンの音楽はいつも優しく包み込んで
くれます。ピアノと対話するように弾く彼の表情がTVだとよくわかります。演奏の後でシフから次のようなコメント
があり、私がいつも感じていたことと同じなので嬉しくなりました。彼の音楽は決して英雄的ではないのです。

ベートーヴェンの内面的なやさしさ、人間愛。
男性的な優しさに溢れている。対話的。
通信速度は速くなっても、会話や対話が少なくなってきている現代に
ベートーヴェンに学ぶことは多い。


今日は昨日のスマホ写真をアップします。これから3日の薬王院の取り込めなかった写真も取り込む予定です。



1月4日



お正月はかつては両親を中心に家族が集まる日でした。今ではたった一人の妹と一緒にお祝いをします。
今年も妹の家に行って、二家族でお祝いしました。両親の話や、妹が九州にいたときの話とか(父の転勤で
私だけ東京に残りました)ずっとおしゃべりしっぱなし。パッチワークの作品もたくさん見せてもらいました。

持ち寄りでお祝いしました。私は前日ミートローフを焼いて、毎年スモークサーモンときゅうりの細巻きを
朝作って持って行きます。妹は今年はキッシュを焼いて、定番のから揚げと三枚肉の角煮を作っていました。












甥がいつもおいしいお酒を紹介してくれます。この秋田の日本酒、さっぱりとしたきれあじが私好みですごく
美味しかったです。松屋で売っているとか・・

いつもお抹茶を点てます。花びら餅を持って行きました。娘が点てた方がおいしいので全員分お願いしています。






甥が持ってきてくれた「大和みらい」と言う名前の熊本のいちごがとてもジューシーでおいしかったです。




実家にあった掛軸が飾ってありました。日本画は妹に、洋画は私にと言う父の遺言によるものです。




いつもは獅子舞のが飾ってあったのですが、私はこの観音様のが好きです。


帰りはいつも老いがvolvoで送ってくれます。いつもいろいろ話しながら帰るのですが、彼はスェーデン人と一緒に
仕事をすることはすごくプラスになっていると話していました。中国人やドイツ人とも仕事をするそうですが、
スェーデンには学ぶことが多いとのことです。社会として成熟しているし、日本が行き詰っていることをすごく感じるそうです。
普通に暮らしているとグローバルな視点ってなかなか持ちにくいことです。
国策としてのノーベル賞を推進してきた理由は優秀な頭脳をスェーデンにもたらすことがきっかけだったという話も
おもしろかったです。バイキングだった彼らが生き残る道は頭脳と思ったとのことで、大学には優秀な先生が各国から
集まり、工科大学のレベルがとても高いとのことで、そういうエンジニアがボルボに入ってくるそうです。












この青色がとてもシックでした。


1月5日の朝、最後のお雑煮と残り物のお節でお正月も終わりです。明日から娘も出勤で日常生活が戻ってきます。






また1年が始まります。


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お正月のゆったり散歩 ・・・ new year's walk in a leisurely pace

2020-01-04 23:58:54 | wonderland
お正月早々困ったことが起きてしまいました。パソコンの不具合とwindows 7 サポート終了問題です。
最近、USBコネクタの具合が悪く、ファイルは大丈夫なのにフォーマットしろとかメッセージが出て、数週間前から
Gドライブは反応しなくなり、使えなくなりました。残されたFも接触が悪いのかなかなか認識しなくて
開くことができませんでしたが、やっとつながって写真のファイルをコピーして、SDカードからPCに入れようとしたら
20枚近くの写真がエラーでアクセスできないというメッセージが出て、最後にはファイルをフォーマットしてください
みたいなメッセージが出ました。SDカードをカードリーダーで読んでいますが、SDカードには問題なく、
外付けハードはアクセスできるので、パソコンも8年目に入り不安定になってきているのかと思いました。
それで昨日久しぶりにカメラ片手に散歩しましたが、写真がすべて取り込めてない状態でアップしました。
windows 7 もサポート終了がもう10日くらいでやってきます。以前セキュリティの問題でこのままネットにつなげて
使うのは危険と言われていたので、パソコンの寿命も近づいていることもあり、買い替時期が来ているかと思いました。
昨年の暮れは体調が悪くて、windowsもこのまま使って、そのうち考えようと思っていたのですが、パソコン自体が
もう今からおかしいので、替えた方がいいのかな~と思っています。娘のノートに変えようと思い、調べてみたら
windows 8 でこちらの方はすでにサポートが終了していました。windows 7 をお使いの方はどうしたか教えて
いただければ幸いです。


1月3日

再び雲一つない好天の日です。

朝食後に、近くを散歩することにしました。
おとめ山から薬王院までです。途中古そうな神社をみつけましたが、少し荒れ果てた感じで、第二次世界大戦の時に
焼けて、位置を移動したとのことでした。東山稲荷神社と言います。そのあと道なりにある氷川神社を通って
薬王院に抜けました。



おとめ山は老人がベンチでゆったりすごして、子どもたちが上の広場で凧揚げをしたり楽しんでいました。
そちらには上がらず、庭園の方に行きました。鳥の声がいろいろして、気持ちが良かったです。







池ではコサギがお食事中でした。







枝が現れていたので、鳥をみつけやすかったのですが、高いところだったので望遠でないと無理でした。カメラを持った
シニアが一人、木々の間を歩いていました。エナガ、シジュウカラ、ヒヨドリ がいたようでした。




おとめ山を出ると鳥居があったので見に行くことにしました。



東山稲荷神社に説明書きがありました。(東山藤稲荷神社掲示板より)

当社は、かつて此の地方を統治された、清和天皇の皇孫源経基という御方が、今より約一千百年前、延長5年初午の日に
京都稲荷山より勧請御遷宮申し上げた御社であり、「藤稲荷神社」「富士稲荷神社」とも申し上げております。
当社は源経基を始め、源家一族の守神として大変厚く信仰されました。その由縁は、当時平将門が反逆を企てた折、
当東山稲荷の大神様よりその旨御神託あり、経基は早速忍者を走らせ調査した処御神託の通りだったため、帝の許しを頂き、
これを平定致しました。この功により、帝より源姓を賜った経基は、以来東山稲荷神社を源氏の氏神様として一族で崇敬する
こととしたと伝えられております。 やがて時代の流れと共に、武家のみならず庶民の信仰も厚くなり、「知恵と勇気」を
御授け下さる福徳の神様として、その信仰者は農商業、芸能方面と広く江戸市中関東一円に増えていったとのことです。













氷川神社




薬王院


























Jan.3 2020  Shimochiai


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正月2日 ・・・ the second day of new year

2020-01-02 23:56:08 | a day in the life
何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風なし 石川啄木

の句のように元日の朝は雲一つなく、澄み渡っていました。
元日は不思議と晴れやかな日が多いようです。

今日の散歩は昔から毎年お参りに行っている日枝神社にやはり行ってみることにしました。
曇りがちの朝は元旦とはやっぱり空気が違いました。













朝早めだったので参拝にはあまり並ばなかったので、御朱印をもらうことにしました。こちらは長い列でした。





寒くなってしまったので、スタバによって暖かいきな粉と小豆風味のエスプレッソを飲んで帰りました。





家に帰ってから抹茶をいただきました。京都に行った時に祇園辻利で買ったお抹茶「清音」がさわやかな味でした。







お正月のお抹茶。どうも娘の裏千家の点て方の方がおいしいのです。なかなか日常生活にはお茶が取り入れ
られなくて、せめてお正月にはという感じです。




昨日の須賀神社の御朱印




今日並んで書いてもらった日枝神社の御朱印です。


Jan.2  2020  Akasaka
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2020お正月 ・・・  Happy New Year 2020

2020-01-01 23:59:44 | seasons


時間はどんどん進んでいってしまいます。
また一つの区切りを超えました。

今、ここにあることを感謝して、最初に主人をお参りして昨日なんとか用意した
お節で新年のお祝いをしました。









今年は何と伊達巻を失敗して、初めてこがしてしまいました。焦げた方を中に巻きました。
例年よりさらに品数を減らして、たまたま残っていた豚肉の梅酒煮を入れました。かまぼこと小布施の
栗かのこ、かずのこはできあいと買いました。


ゆっくりとした朝食がお昼前に終わって、散歩に近くの神社に行こうということになり、ネットで古い神社を探して
今年は四谷の須賀神社に行くことにしました。例年だと近場に歩いて行くか、日枝神社です。人が多い都会には
行く気がしなくて、四ツ谷にしました。町中にある小さな落ち着いた神社ですが、「君の名は」の聖地と言うことで
結構人が多くて、外国人も目立ちました。




雲一つない晴天の元旦です。


    





















獅子舞の獅子に頭をカミカミしてもらいました。悪いものを食べてくれるとのことです。




















お参りの後は、振る舞われていた甘酒をいただきました。













とても気持ちのいい神社でした。帰りは四谷に抜けました。














Jan.1  2020  Yotsuya










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