碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

8月ジャーナリズム  新たな視点で真実に迫る意義

2021年08月30日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

8月ジャーナリズム 

新たな視点で真実に迫る意義

 

新聞やテレビなどのメディアに関して、「8月ジャーナリズム」という言葉がある。毎年8月になると、「原爆の日」や「終戦記念日」に合わせるように、戦争や平和についての報道が目立つことを指す。その「集中ぶり」、もしくは他の時期の「寡黙ぶり」を揶揄(やゆ)するニュアンスもそこにある。

しかし、近年の民放テレビに関して言えば、8月に放送される戦争・終戦関連番組の数は減少傾向だ。確かに、新たなテーマを見つけ、手間をかけて制作しても、大きく視聴率を稼げるわけではない。特に今年は東京五輪を言い訳にして、このジャンルはNHKに任せてしまおうと思ったとすれば、民放は「8月ジャーナリズム」自体を放棄したことになる。

一方、NHKは8月前半だけで十数本の特集を組んでいる。「長崎原爆の日」である9日に放送されたのが、NHKスペシャル「原爆初動調査 隠された真実」だ。敗戦直後の広島と長崎で行われたアメリカ軍による「原爆の効果と被害」の現地調査。その際、「残留放射線」を計測した科学者たちは、「人体への影響」の可能性を指摘していた。ところが日米両政府は、この残留放射線を「なかったこと」として、認めようとしなかったのだ。

番組は、残留放射線による被害の実態と、国家の思惑によって真実が隠蔽(いんぺい)されていったプロセスを明らかにしていく。実例の一つが長崎の爆心地からは距離のある、山あいの「西山地区」だ。直接の被害は受けなかったが、地区全体に大量の灰や黒い雨が降った。

実は、初動調査チームは住民の血液検査を行って、白血病を発症する可能性が高いことを認識していた。だが、「観察するのに理想的な集団」と判断して、不都合な真実を隠蔽する。いわば動物実験のような扱いのまま、住民たちの原因不明の死が続いた。もしも当時の日米両政府が初動調査の結果を明らかにして、被爆した人たちへの適切な医療や補償を行っていたらと思わずにいられない。

今年7月末、広島で「黒い雨」を浴びた被爆地域外の人たちを被爆者として認め、被爆者健康手帳の交付を命じた広島高裁の判決が確定した。では、長崎についてはどうなのか。今もなお、原爆をめぐる問題は現在進行形だ。

(毎日新聞「週刊テレビ評」2021.08.14)

 


好対照2局の救命ドラマ  圧巻ヒーロー/悩める医師たち

2021年07月11日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

<週刊テレビ評>

好対照 2局の救命ドラマ 

圧巻ヒーロー/悩める医師たち

 

日曜劇場「TOKYO MER~走る緊急救命室~」(TBS系)。そして月9「ナイト・ドクター」(フジテレビ系)。両局の代表的ドラマ枠が同時に「医療ドラマ」をスタートさせた。しかも通常の医療ではなく、「救命」という共通点を持つことが興味深い。

医療ドラマは、どれだけ娯楽の要素を含んでいても、本質的には<社会派ドラマ>である。なぜなら、医療システムとは社会システムそのものでもあるからだ。また現在ほど医療が危機に直面している時代はなく、市民の間に医療に対する危機感・不安感が充満している時代はない。それでいて医学の世界は外部からうかがい知ることができない。視聴者が持つ医療への関心こそが、医療ドラマが支持される要因の一つだ。

思えば、医療ドラマの主人公である医師は、基本的に「強き(病気)をくじき、弱き(患者)を助ける」存在であり、「ヒーロー」の要素を持った職業だ。これまで医療ドラマの多くが、生と死という究極のテーマを扱う<ヒーロードラマ>だったのはこのためだ。その代表格が「ドクターX」シリーズ(テレビ朝日系)である。

救命救急チーム「TOKYO MER」は、事故や災害の現場に医療用特殊車両で駆けつける。だが、大活躍するのはあくまでもリーダーの喜多見幸太(鈴木亮平)だ。その雄姿は、「私、失敗しないので」と豪語する、ドクターXこと大門未知子を思わせる。まさに「スーパー救命救急医」だ。

昨年から続くコロナ禍で、私たちは逼迫(ひっぱく)する医療現場のリアルを見聞きしてきた。以前のように、医療ドラマをエンターテインメントとして無邪気に楽しめない人も少なくないだろう。いや、だからこそ逆に、喜多見が見せる、躊躇(ちゅうちょ)なきそのスーパーぶりに留飲を下げ、拍手するのかもしれない。

一方の「ナイト・ドクター」は、ある病院が試験的に発足させた、夜間救急医療の専門チームだ。メンバーは波瑠が演じる主人公、朝倉美月を含む若手医師5人。しかし、腕のいい美月も成瀬(田中圭)も、いわゆる「天才外科医」や「スーパードクター」ではない。時には救えない命もある。

この作品では医師たちの活躍ぶりよりも、彼らが悩みや葛藤を抱えながらも成長していく姿に重点が置かれている。医療ドラマでありながら、青春群像ドラマの色合いが強い。それでいて、医師が抱える現実的な欲望や仕事に対する割り切れなさ、さらに医療現場に対する疑問までも描こうとする姿勢に好感が持てる。並走する2本の救命ドラマ、その合わせ技の妙を堪能していきたい。

(毎日新聞 2021.07.10夕刊)


「大豆田とわ子と三人の元夫」  脱ストーリーの実験作

2021年06月06日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

<週刊テレビ評>

「大豆田とわ子と三人の元夫」 

脱ストーリーの実験作

 

困ったドラマだ。「どんな話?」と聞かれて、「こんな筋だよ」と即答しづらいのだ。「大豆田とわ子と三人の元夫」(関西テレビ制作・フジテレビ系、火曜午後9時)である。

珍しい姓の大豆田とわ子(松たか子)。平凡な姓を持つ田中(松田龍平)、佐藤(角田晃広)、中村(岡田将生)が元夫だ。3人は離婚後も、とわ子が気になって仕方ない。とはいえ元妻の争奪戦を繰り広げるわけではない。4人の微妙な関係と日常が、じんわりとユーモラスに描かれていく。

しかし一瞬も目を離すことはできない。いや、正確にはどんなセリフも聞き逃すことができない。ストーリーよりも大事なのは、登場人物たちの関係性が生む「セリフ」だからだ。脚本の坂元裕二が仕掛けた、<脱ストーリー>という実験作と言っていい。

2017年の「カルテット」(TBS系)以上に、舞台劇のような言葉の応酬はスリリングで、行間を読む面白さがある。個々のセリフが持つニュアンスを、絶妙な間と表情で伝える俳優陣にも拍手だ。

とわ子が、亡くなった親友・綿来かごめ(市川実日子)に、元夫との関係が「面倒くさい」と愚痴ったことがある。かごめは「面倒くさいって気持ちは好きと嫌いの間にあって、どっちかっていうと好きに近い」と言い当てる。

また、勝手な持論を展開する元夫の中村に、とわ子が言う。「私が言ってないことは分かった気になるくせに、私が言ったことは分からないフリするよね」

そして、3回の離婚経験があるとわ子は「かわいそう」で、「人生に失敗している」と決めつける取引先の社長がいた。「人生に失敗はあったって、失敗した人生なんてないと思います」と言い返す、とわ子。ドラマ全体が、まるでアフォリズム(警句・格言)を集めた一冊の本のようだ。

さらに、このドラマの特色として、恋愛や結婚そして離婚に関する一般的イメージや既成概念を揺さぶっていることがある。たとえば、かごめは「恋愛になっちゃうの、残念」と言っていた。互いを好ましく思う男女に、恋愛や結婚以外のつながり方があっていい。

同時に、一人でいることを幸福と感じる生き方もある。それぞれもっと自由に、自分らしさを大切にして生きてみたら? かごめは、そう言いたかったのではないか。

ドラマは終盤に入り、とわ子に新たな出会いがあった。オダギリジョーが演じる外資系ファンドの男だ。よもや4度目の結婚でハッピーエンドなんてことはないだろうが、ぜひ見る側の予想など、きれいに裏切ってほしい。

(毎日新聞 2021.06.05夕刊)


16年ぶりの「ドラゴン桜」 原作と「別物」、期待と戸惑い

2021年05月02日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

<週刊テレビ評>

16年ぶりの「ドラゴン桜」 

原作と「別物」、期待と戸惑い

 

日曜劇場「ドラゴン桜」(TBS系、日曜午後9時)が始まった。「半沢直樹」の7年を超える、16年ぶりの続編だ。しかも主人公は同じだが、雰囲気は「別物」と言っていいほど異なっている。それは一体なぜなのか。

前作の舞台は経営難の龍山高校だ。弁護士の桜木建二(阿部寛)は債権者代理として乗り込み、再建案を提示する。それが東大合格者を出して入学希望者を増やすというものだった。原作は三田紀房の同名漫画。その後「ドラゴン桜2」も描かれたので、今回もそれがベースになると思っていた。

しかし、始まってみると原作を大幅に変えている。まず現場は原作の龍山高校ではなく、私立龍海学園だ。理事長の龍野久美子(江口のりこ)は、学力よりも「自由な校風」を重視することで超低偏差値校にしてしまった。彼女の父親で前理事長の恭二郎(木場勝己)はそれをよしとせず、桜木に賭けたいと考えている。

思えば、前作には経営を巡る対立やドロドロした人間関係などほとんど登場しなかった。一方、新作は主導権をめぐって火花を散らす理事会といい、アップを多用した構図や怒鳴り合いといい、まるで「半沢直樹」を見るようだ。なぜここまで変えてきたのか。

最大の要因は、前作が金曜午後10時の「金曜ドラマ」枠だったのに対し、今回は「日曜劇場」枠での放送だからだ。枠を移すと同時に脚本家も制作陣も丸ごと入れ替わった。中心に据えられたのは「半沢」の福沢克雄ディレクターだ。

あくまでも生徒と教師の関係が軸であり、ユーモアも漂わせて牧歌的だった金曜ドラマ時代。そこに企業経営や権力争いなど、「半沢」的要素を導入したのが新作である。同時に重さや暗さも加わった。いかにも日曜劇場らしいが、「ドラゴン桜」らしくない。

また強い違和感を持ったのが、桜木が2人の不良生徒を追いかけるシーンだ。バイクで逃走する彼らを自分もバイクで追跡する。公道だけでなく校舎の中にまで乗り入れる爆走を、何と4分半もの長さで見せたのだ。確かに桜木は元暴走族の設定だが、こんな「アクション」は必要だったのか。「半沢」の剣道とは意味が違う。

もしかしたら、制作陣が試みようとしているのは「ドラゴン桜」の続編ではなく、桜木建二という「キャラクター」を使った新たな物語の構築ではないか。「シン・ゴジラ」ならぬ「シン・ドラゴン桜」だ。その挑戦には期待するが、これを「シン・半沢直樹」にはしてほしくない。かつての「ドラゴン桜」と桜木を応援してきた、たくさんの人たちのためにも。

(毎日新聞 2021.05.01夕刊)


向田邦子没後40年 家族の「実相」見据えた観察眼

2021年03月30日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

<週刊テレビ評>

向田邦子没後40年 

家族の「実相」見据えた観察眼

 

脚本家、随筆家、さらに直木賞作家でもあった向田邦子。亡くなったのは1981年8月22日、台湾での航空機事故だった。享年51。今年は「没後40年」にあたる。

代表作の一つ「寺内貫太郎一家」(TBS系)の放送は74年だ。作曲家の小林亜星が演じた主人公は、どこか懐かしい「昭和の頑固オヤジ」そのもの。沢田研二のポスターを見ながら「ジュリ~!」と身をよじる貫太郎の母親を樹木希林が快演し、人気を博した。

貫太郎の妻、里子(加藤治子)がこんなことを言っていた。「一軒のうちの中にはね、口に出していいことと、悪いことがあるの」。コメディータッチのホームドラマでありながら、家族の深層をのぞかせてくれた作品だ。

また79年の「阿修羅のごとく」(NHK)では、性格も生き方も違う4姉妹(加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュン)を軸に赤裸々な人間模様が映し出される。謹厳実直な父親(佐分利信)に愛人と子供がいたことが判明するという、当時としては衝撃的なホームドラマだった。

娘たちが雑談する場面。「あたし、覚えてるなあ、お母さんが足袋、脱ぐ音」「夜寝る時でしょ、電気消した後、枕もとで」「足のあかぎれに、足袋がひっかかって、何とも言えないキシャキシャした音、立てンのよねえ」といったセリフは向田にしか書けない。

80年「あ・うん」(NHK)の舞台は昭和初期の東京。主要人物は水田仙吉(フランキー堺)と妻のたみ(吉村実子)、そして仙吉の親友である門倉修造(杉浦直樹)だ。門倉は心の中でたみを思い、そのことをたみも仙吉も知っている。不思議な均衡で過ぎる日常を水田家の娘、18歳のさと子(岸本加世子)の視点で追っていく。

ある時、さと子が独白する。「母の目の中に、今までにないものを見ました。子供だと思っていたのが女になっていたという、かすかな狼狽(ろうばい)。ほんの少しの意地悪さ」

思えば家族とは不思議なものだ。互いを熟知しているはずなのに、何かをきっかけとして家族の中に他者を見つけてしまう。向田はそうした瞬間を見逃さない。家族の泣き笑いを慈しむように描きながらも、独特の観察眼でその「実相」を見据えようとしていたのだ。

この3月まで放送された「俺の家の話」(TBS系、宮藤官九郎脚本)も、「ウチの娘は、彼氏が出来ない‼」(日本テレビ系、北川悦吏子脚本)も、その展開から目が離せないホームドラマだった。向田が大切に磨き上げた「家族」というテーマは、今も進化しながら私たちの前にある。

(毎日新聞 2021.03.27夕刊)


「俺の家の話」介護に笑い、クドカンの剛腕

2021年02月15日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

<週刊テレビ評>

「俺の家の話」 

介護に笑い、クドカンの剛腕

 

たくさんのドラマの中から「これを見よう」と決める時、その選択基準は何なのか。告知情報などで知った概要。刑事ものとか医療ものとかのジャンル。好きな俳優や人気女優が出ている。さらに脚本家で選ぶという人も少なくないだろう。中でも宮藤官九郎の名前は吸引力が強い。見たことのないもの、トンデモナイものを見せてくれそうな期待感があるからだ。

長瀬智也主演のTBS系「俺の家の話」(金曜午後10時)は、そんな期待を超えたドラマだ。キーワードは「介護」「プロレス」「能」。普通は想像もつかない。しかし、宮藤の手にかかると、この三つが融合した前代未聞の「ホームドラマ」になってしまうのだ。

舞台は能の宗家。当主の観山寿三郎(西田敏行)は二十七世観山流宗家で人間国宝だ。とはいえ2年前に脳梗塞(こうそく)で倒れ、下半身のまひが消えていない。長男の寿一(長瀬)は家を出てプロレスラーをしていたが、突然、寿三郎が危篤状態に陥ってしまう。驚いた寿一は急きょプロレスから引退し、父の跡を継ごうと決意する。

物語を際立たせているのは、有能な介護ヘルパーの志田さくら(戸田恵梨香)の存在だ。寿三郎は彼女にほれ込み、婚約者扱い。財産を全て渡すと記した遺言状を何通も書く。すでに始まっている認知症の影響らしい。

一方、寿一の弟で弁護士の踊介(永山絢斗)が調べたところ、これまでにさくらは亡くなった被介護者から遺産を受け取っていた。狙いは観山家の財産なのか。性悪な「後妻業の女」なのか。彼女は介護を行っただけだと言うが、まだ多くの謎に包まれている。

引退し、さくらと共に父の面倒をみている寿一だが、時には目を離すこともある。寿三郎にトラブルが発生するのはそんな時だ。「最近は調子がよかったから、まさか」と言い訳する寿一をさくらがしかった。「介護にまさかはないんです! 常に細心の注意で臨んでも、予期せぬ事が起こるんです。介護をナメないでください!」

この作品はホームドラマであると同時に秀逸な「介護ドラマ」でもある。誰かを介護したり、誰かに介護されたりすることが当たり前の社会にいながら、つい目を背けているのが介護問題だ。宮藤は見る側を笑わせながら、「要介護」や「要支援」の規定から、シルバーカー(高齢者用手押し車)利用者の心理まで、ごく普通の事として介護の話題を物語化していく。

父の世話と能の稽古(けいこ)に加え、家の台所事情から覆面レスラー「スーパー世阿弥マシン」としてリングに戻った寿一。「強い体幹を持つ男」を演じる長瀬が頼もしい。

(毎日新聞夕刊 2021.02.13)


生身の人物像「恋する母たち」 

2020年12月01日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

<週刊テレビ評>

生身の人物像「恋する母たち」 

大石静流、引きの強いセリフで

 

同時多発が多い「刑事ドラマ」や「医療ドラマ」に代わって、この秋は「恋愛ドラマ」が目立つ。TBS系「恋する母たち」(金曜午後10時)もその一本だ。

ヒロインは、同じ名門私立高校に息子を通わせる石渡杏(木村佳乃)、林優子(吉田羊)、蒲原まり(仲里依紗)の3人。この「母たち」が同時に恋に落ちた。

杏の相手は、自分の夫と駆け落ちした人妻の元夫で、週刊誌記者の斉木巧(小泉孝太郎)。優子は、同じ部署で働いていた年下の赤坂剛(磯村勇斗)。まりは3回の離婚経験をもつ人気落語家、今昔亭丸太郎(阿部サダヲ)である。

3人の女性と三つの家庭と3組の恋愛という、柔道の「合わせ技一本!」的な仕掛けが功を奏し、1本で3本分の恋愛ドラマを楽しめる。そんな「圧縮構造」によるテンポのよさを上回る特色が、脚本の大石静がちりばめた「引きの強いセリフ」だ。

例えば、3人が互いの身の上相談をする場面。杏は息子の研(藤原大祐)に認めてもらえなければ、斉木との関係を進められないと言う。すると優子は「人生は一度きりなんだから、諦めないほうがいいと思うな」と背中を押す。

まりは、どんなに反発しても息子は母親を嫌いにならないと主張。その理由は「息子にとって“最初の女”は母親なのよ」。

また、夫の愛人と直接対決したまり。慌てて家庭を大切にするそぶりを見せる夫にイライラして、丸太郎に訴えるとこう言われた。「夫婦は愛と憎しみ、両方があって一人前だよ」

さらに、夜のオフィスで仕事をしていた優子。赤坂がやってきて「結婚してほしい」と思いをぶつける。優子は赤坂と自分に対してこんな言葉でブレーキをかけた。

「私たちは今、性欲に支配されてるわ。性欲は、もって3年。その先、人生は50年も続くのよ。よく考えてみて」

このドラマの開始当初、設定や人物像がどこまで求心力を持つのか、気になった。回が進むにつれ、3人のヒロインが生身の人間として膨らみを帯び、目が離せなくなったのは、大石脚本の功績だ。

不幸と同様、幸せの形も人それぞれかもしれない。脚本家の向田邦子は「幸福」と題するドラマで、許されぬ恋をする女性にこんな告白をさせていた。

「惚(ほ)れてしまった男がいるけど、その人はもう、あたしのものじゃないのよ。ひとのもの。あきらめなきゃいけないの」。続けて「でも--駄目なの。いくら自分に言い聞かしても好きなものは好きなんだもの。あきらめきれないの」。

不倫恋愛というテーマは常に古くて新しい。

(毎日新聞「週刊テレビ評」2020.11.28)


「35歳の少女」が照らす、ネット以前・以後の人間と社会

2020年10月25日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

<週刊テレビ評>

「35歳の少女」が照らすもの 

ネット以前・以後の人間と社会

 

大胆な発想のドラマだ。柴咲コウ主演の「35歳の少女」(日本テレビ系、土曜午後10時)である。

1995年、10歳の望美は自転車事故で昏睡(こんすい)状態に陥った。そして25年後の2020年、突然意識が戻る。ただし心は10歳のままだ。外見は35歳で中身は10歳という「異形の少女」の人生が始まった。

目覚めた望美(柴咲)を最も驚かせたのは「家族」の現在だ。大好きだった父の進次(田中哲司)は、事故後に母の多恵(鈴木保奈美)と離婚。今では新たな妻(富田靖子)、その連れ子(竜星涼)と暮らしている。可愛かった妹の愛美(橋本愛)は、ちょっと性格の悪いキャリアウーマンに。また優しく明るかった母も、厳しくて笑顔の乏しい女性になっていた。

当初、オリジナル脚本を書いた遊川和彦(「家政婦のミタ」など)を恨んだ。見た目は大人でも心は10歳なのだ。10歳の心と頭で、25年間に起きたことから現在までを受けとめなくてはならない。そんな過酷な状況に投げ入れて、一体何を描こうとしているのかと。

小さな希望は、小学生の頃に好きだった「ゆうとくん」こと結人(坂口健太郎)との再会だ。元小学校教師で現在は代行業者の結人も、望美のこれからが気になって仕方ない。戸惑うことばかりだった望美は、結人の「無理に大人になる必要なんてない」という言葉に救われる。そして「あたし、成長する!」と決意するのだ。

少しずつだが、このドラマの目指すところが分かってきた。脚本の遊川をはじめとする制作陣は、望美の成長を通じて、25年の間に私たちが「失ってきたもの」「捨ててきたもの」「忘れているもの」に目を向けさせたいのではないか。この「異形の少女」を媒介にして、現代社会とそこに生きる私たちの「在り方」を捉え直そうとしているのではないか。

その意味で、望美の事故が「ネット元年」といわれる95年に起きたのは象徴的だ。当時、日本のネット利用者は約570万人と全人口の5%足らず。現在のような「ネット社会」「SNS(ネット交流サービス)社会」とは程遠い環境だった。

つまり、この年はネット以前・以後の境界線であり転換点なのだ。それ以降、人とのコミュニケーションだけでなく社会構造も大きく変化した。いい面もあれば、その逆もある。それらは、今から成長しようとする「25年前の10歳」の目にどう映るのだろう。

もう一つの大きな見どころは、この難役に挑む柴咲の演技だ。その表情、動き、思考や言葉の中に、見る側が10歳の少女を感じ取れなくてはならない。達成できれば自身の代表作になるはずだ。

(毎日新聞「週刊テレビ評」2020.10.24)


さらに盛り上がる「半沢直樹」

2020年09月20日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

<週刊テレビ評>

さらに盛り上がる「半沢直樹」 

巨悪との戦い、現実に重ねて

 

終盤に差し掛かって、TBS系日曜劇場「半沢直樹」(日曜午後9時)がさらに盛り上がってきた。理由はいくつかある。まず主演の堺雅人をはじめとする俳優陣の熱演。歌舞伎界からの人材投入も功を奏した。

また「チーム半沢」と呼ばれる、福澤克雄ディレクターたちの緩急自在な演出も見事だ。そしてもう一つ、「帝国航空」を巡る後半の物語が、IT企業の買収を軸とした前半以上に、現実を取り込んだ圧倒的な「攻めの展開」になっていることを挙げたい。

このドラマの中で「フラッグ・キャリアー」(国を代表する航空会社)という設定の帝国航空は、やはり「日本航空」を思わせる。10年前の倒産の際は、金融機関が総額5000億円以上の債権を放棄したはずだ。ドラマで描かれるような国土交通省やタスクフォースの動きが実際にあったかどうかはともかく、高度な「政治的案件」だったことは確かであり、視聴者の興味をかき立てるには十分だ。

そして、東京中央銀行本店の次長に復帰した半沢の前に現れたのが、政権を担う「進政党」の幹事長、箕部啓治(柄本明)である。半沢が進めようとした帝国航空の再建案を潰そうとするだけでなく、航空会社も銀行も自身の権力下に置くことを狙う人物だ。白井亜希子・国交相(江口のりこ)も東京中央銀行の紀本平八常務(段田安則)も、箕部にとっては単なる手駒にすぎない。

今週初めに菅義偉官房長官が自民党総裁に選ばれ、16日には第99代首相に就任した。一連の動きの中で、改めて注目されたのが、自民党の二階俊博幹事長の存在だ。何より菅首相の誕生自体が、その「影響力」を想像させる形となった。

菅首相は「安倍政治」の継承を宣言している。しかし「隠蔽(いんぺい)ゲーム」ともいうべき出来事が政治の中枢で多発したように、反省より先に不都合なことを隠そうとする体質は継承してほしくない。視聴者はこうした現実の政治状況を踏まえながら、ドラマが描く半沢と巨悪の戦いを楽しんでいるのだ。

フィクションとはいえ、政権党の幹事長がラスボス(ゲームなどにおける最終的な敵)に当たるキャラクターとして描かれる。しかも箕部が銀行から受けた20億円の巨額融資の実態が追及されようとしているのだ。背後には地方空港の設置や路線開設に絡む利権が見え隠れする。

正しいことを正しいと言えること、そして世の中の常識と組織の常識を一致させることを愚直に目指すのが半沢だ。前回、一旦は箕部に頭を下げざるを得なかった半沢が、ここからどう巻き返していくのか、注目だ。

(毎日新聞「週刊テレビ評」2020.09.19)


「私の家政夫ナギサさん」 性別超えた「母性」の奥深さ

2020年08月16日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

週刊テレビ評

「私の家政夫ナギサさん」 

性別超えた「母性」の奥深さ

 

多部未華子主演のTBS系連続ドラマ「私の家政夫ナギサさん」(火曜午後10時、18日で第7話)は、油断ならないドラマだ。いわゆる「お仕事ドラマ」でも「恋愛ドラマ」でもない。何しろ家政夫である「おじさん」がもう一人の主人公なのだ。しかも根底に置かれたテーマは「母性」である。

相原メイ(多部)が幼稚園児の頃、将来の夢は「お母さんになること」だった。しかし、それを母親(草刈民代)にひどくしかられた。

「そんな夢、やめなさい。お母さんはね、その辺の男たちよりずっとできた。でも女の子だから、お母さんにしかなっちゃダメって言われたの。メイはばかな男より、もっと上を目指しなさい。お母さんになりたいなんて、くだらないこと二度と言わないで」と。

大人になったメイは、製薬会社のMR(医薬情報担当者)に。母親の期待に応えようと、「仕事がデキる女性」を目指して頑張ってきた。現在もプロジェクトのリーダーとして部下を率い、責任ある仕事をしている。

ただし、いつも疲れ切って帰宅しているから一人暮らしのマンションは散らかり放題で、食生活もいいかげんだ。そんなメイを心配した妹の唯(趣里)が、優秀な「家政夫」の鴫野(しぎの)ナギサ(大森南朋)を送り込んできた。

当初は自分の部屋に「おじさん」が出入りすることに抵抗したメイだったが、整った室内とおいしい食事、ナギサの誠実な人柄にも癒やされていく。まるで家に「お母さんがいるみたい」と思うのだ。

メイは恋愛したくないわけでも、結婚したくないわけでも、子供を持ちたくないわけでもない。一方で、今の生活は充実しているし、無理もしたくない。いや、できれば仕事を含む「現在の自分」をキープしたいと思っている。

この辺り、多部がアラサー女子の本音とリアルを等身大で演じて見事だ。しっかり者のようでいて、少し抜けたところもある、愛すべき「普通の女性」がそこにいる。

また、ナギサという人物も興味深い。メイが「なぜ家政夫などしているの?」と失礼な質問をすると、「小さい頃、お母さんになりたかったのです」と驚きの答え。それは例えではなく、本当の話だった。ハードなイメージの大森だからこそ、その繊細な演技が光る。

メイの母親が「くだらない」と言っていた「お母さん」。ナギサにとって家政夫は夢の実現かもしれないのだ。背後には男性の中の「母性」という、これまた複雑なテーマが潜んでいる。

「大切な人」を守りたい。ずっと笑顔でいてほしい。それは性別を超えた「究極の母性」なのか。このドラマ、まだまだ奥が深そうだ。

(毎日新聞 2020.08.15)


「MIU404」予測不能な新感覚刑事ドラマ

2020年07月12日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

<週刊テレビ評>

 綾野×星野「MIU404」 

予測不能な新感覚刑事ドラマ

 

ドラマのシナリオは大きく2種類に分けられる。一つは、小説や漫画といった原作があるもの。そしてもう一つが、原作なしのオリジナルだ。

前者は「脚色」と呼ばれ、本来は、ストーリーや登場人物のキャラクターをゼロから作り上げる「脚本」とは異なるものだ。米アカデミー賞などでは「脚色賞」と「脚本賞」はきちんと区分される。

しかし日本のドラマでは、どちらも「脚本」と表示されることが多い。例えばTBS系「半沢直樹」シリーズがそうであるように、原作を持つドラマの面白さも十分認めた上で、オリジナルドラマならではの醍醐味(だいごみ)が存在する。それは「先が読めないこと」だ。

中でも脚本家・野木亜紀子が手掛けるオリジナルドラマは、物語の展開を予測する楽しみと、いい意味で裏切られる楽しみ、その両方を堪能できる。2018年のTBS系「アンナチュラル」はその典型だろう。

そんな野木の新作が、6月下旬に始まったTBS系「MIU404」(金曜午後10時)である。タイトルは、警視庁刑事部の第4機動捜査隊に所属するチームのコールサインで、伊吹藍(綾野剛)と志摩一未(星野源)を指す。

この2人、キャラクターが全く異なる。直感と体力の伊吹。論理と頭脳の志摩。刑事としての経験も、捜査の手法も、信念といった面でも似た要素はない。いや、だからこそ両者が出会ったことで化学反応が起き、予測不能の物語が生まれるのだ。

例えば第2話では、殺人容疑の男(松下洸平)が通りかかった夫婦の車に乗り込み、逃走する。その車を見つけた伊吹たちは追尾し、下車した男を確保しようとするが、夫婦に邪魔されて取り逃がしてしまう。男は本当に犯人なのか。夫婦はなぜ彼を助けたのか。それぞれが背負う重い過去と現在が少しずつ明らかになっていく。

このドラマの主眼は、刑事ドラマ的な謎解きやサスペンス性に置かれていない。描こうとしているのは、事件という亀裂から垣間見ることのできる、一種の「社会病理」だ。しかも、それは伊吹や志摩の内部にも巣食(すく)っている、いわば「魔物」かもしれない。正義もまた、さまざまな相貌を持つのだ。

志摩は「他人も自分も信じない」と言う。「オレは(人を)信じてあげたいんだよね」と伊吹。だが、そんな言葉も額面通りに受け取れないのが野木ドラマだ。

演出は塚原あゆ子、プロデューサーは新井順子。野木を含め「アンナチュラル」と同じチームだ。その「アンナチュラル」が「新感覚の医学サスペンス」だったように、この「MIU404」もまた「新感覚の刑事ドラマ」と呼べそうだ。

(毎日新聞夕刊 2020.07.11)


リモートドラマの可能性示す「2020年 五月の恋」

2020年06月07日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

週刊テレビ評

「2020年 五月の恋」 

リモートドラマの可能性示す

 

このところ目につくのが「リモートドラマ」だ。新型コロナウイルス対策で、出演者やスタッフがスタジオやロケ先に集まることなく、遠隔撮影といった手法で作られたドラマを指す。WOWOWの「2020年 五月の恋」(全4話、5月末から配信・放送)もリモート制作だが、純粋にドラマとして見応えがあった。

画面は完全な2分割だ。別々の部屋に男女がいる。スーパーの売り場を任されているユキコ(吉田羊)と、設計会社の営業マンであるモトオ(大泉洋)。2人は4年ほど前に離婚した元夫婦だ。在宅勤務のモトオが間違い電話をしたことで久しぶりの会話が始まった。

第1話。ユキコは、家族へのウイルス感染を心配する同僚から、独身であることを「うらやましい」と言われ、傷ついていた。口先だけで慰めるモトオ。怒るユキコ。驚いたモトオはしゃっくりが止まらず、ユキコも苦笑いだ。

第2話では、離婚の原因が話題に。当時、モトオが言った「ユキちゃんはどうしたいの? それに従うよ」という言葉が決定的だったと告白するユキコ。モトオが家庭でも会社でも、言い争いやけんかを避けるのは、子どもの頃に亡くした妹の思い出が原因と分かってくる。

そして第3話。ずっと気になっていたのに、確かめることを避けていた話になる。現在、付き合っている相手がいるかどうかだが、2人とも不在だった。最終話ではモトオの在宅勤務が終わること、ユキコたちが弁当を届けている病院関係者への共感などが語られる。最後に2人の“これから”についてモトオから提案があり……。

会話だけのドラマを駆動させるのはセリフ以外にない。しかも別々の場所にいて表情も見えず、微妙なニュアンスが伝わりづらい。誤解されないようにと言葉が過剰になったり、その逆だったりする。

しかし相手の顔が見えないから言える本音もある。目の前にいない分、少し優しくなれたりもする。本来、不自由であるはずの「リモートな日常」を梃子(てこ)にして、人の気持ちの微妙なニュアンスまで描いていたのは、脚本の岡田恵和(NHK連続テレビ小説「ひよっこ」など)の功績だ。

またドラマというより舞台劇、それも難しい一人芝居に近い構造だが、吉田も大泉も見事に演じた。自身をキャラクターに溶け込ませ、緩急の利いたセリフ回しと絶妙の間で笑わせたり、しんみりさせたり。「ドラマの時間」を堪能させてくれた。

確かにリモートドラマは緊急対応で、苦肉の策かもしれない。しかし平時以上の創造力が発揮された時、ドラマというジャンルの地平を広げる作品が生まれる。そんな可能性を示した。

(毎日新聞夕刊 2020.06.06)


NHK朝ドラ「エール」 夫婦愛が彩る「応援歌」に

2020年05月04日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

<週刊テレビ評>

NHK朝ドラ「エール」 

夫婦愛が彩る「応援歌」に

  

この春、NHKの連続テレビ小説「エール」が始まった。主人公は作曲家の古山裕一(窪田正孝)。モデルは古関裕而(ゆうじ)だ。

古関が昭和を代表する作曲家の一人なのは確かだ。しかし、当時健在だった山田耕筰(こうさく)、また古賀政男や服部良一でもなく、彼を取り上げたのはなぜか。

1964(昭和39)年の東京オリンピック、開会式の入場行進曲「オリンピック・マーチ」の作者であることが大きい。

それはこのドラマの初回で明らかだ。冒頭こそ「原始時代」からスタートする奇策だったが、舞台は開会式当日の国立競技場へと飛び、初老の古山夫妻が現れた。

そして回想シーンには、昨年の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」で阿部サダヲが演じた、田畑政治と思われる黒縁メガネの人物も登場。

「(日本が)復興を遂げた姿を、どーだ!と世界に宣言する。先生はその大事な開会式の音楽を書くわけですから責任重大ですぞ!」とプレッシャーをかけていた。「いだてん」から「エール」へのバトンリレーだ。

そんな「エール」だが、今や幻となった今年の東京オリンピックを意識した企画であることを超えて、多くの人が楽しめる“朝ドラ”になっている。

その第1の要因は、この作品が古山裕一だけを描くのではなく、オペラ歌手を目指していた妻、音(二階堂ふみ)との「夫婦ドラマ」としたことだ。それぞれに1週分を使って二人の

幼少時代をじっくりと見せ、3週目からは文通に始まる純愛物語が展開されている。生い立ちや背景、性格描写も丁寧で、見る側が「愛すべき主人公たち」として受け入れることがききた。

第2のポイントは、「音楽ドラマ」という骨格だ。蓄音機、レコード、ハーモニカで育ち、やがて五線紙と向き合うようになった裕一。

教会の賛美歌に感動し、人気オペラ歌手(柴咲コウ)に憧れて声楽を学ぶ音。二人の人生が重なることで、日常的に音楽が存在するドラマになっている。

古関裕而は数々のヒット歌謡で知られているが、その作品は実に多彩だ。

「若い血潮の予科練の」という歌詞の軍歌「若鷲(わし)の歌」、阪神タイガースの応援歌「六甲颪(おろし)」、映画で小美人を演じたザ・ピーナッツの「モスラの歌」、さらに敗戦から4年後に出た「長崎の鐘」。音楽に彩られた「昭和ドラマ」が期待できそうだ。

タイトルの「エール」だが、元々はオリンピックのアスリートたちを応援する意味が込められていたはずだ。期せずしてではあるが、コロナ禍に見舞われたこの国と、そこに暮らす私たちを励ますドラマになってくれたらありがたい。

(毎日新聞「週刊テレビ評」2020.05.02

 


今期冬ドラを振り返る 圧巻の吸引力「テセウスの船」ほか

2020年03月30日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

<週刊テレビ評>

今期冬ドラを振り返る 

圧巻の吸引力「テセウスの船」

最終回が放送された今期の冬ドラマのベスト3を紹介したい。

原作とは異なる「共犯者」を明かして最終回を盛り上げたミステリー「テセウスの船」(TBS系)。まさか父親の介護をしていた目立たない青年、田中正志(せいや)だったとは。意外性では驚かされたが、登場人物としての存在感が希薄で小物だったため、中には拍子抜けした人もいたのではないか。無理に原作と差別化を図る必要があったか、少々疑問が残る。

柴崎楓雅が好演した主犯の少年、加藤みきおを手助けしたのは、30年後の本人(安藤政信)だったというのが原作だ。そのアイデアは、タイムスリップという設定を生かす意味でもインパクトがあっただけに残念。とはいえ、謎の引っ張り方が巧みで、今期ドラマの中で視聴者に「次を見たい」と思わせる吸引力ではトップだった。

また、回を重ねるごとにSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などで話題が広がったのが「恋はつづくよどこまでも」(TBS系)だ。下手なラブコメは見る側を白けさせるが、このドラマは主人公の新人看護師を多くの人が応援したくなった。

そうさせたのはヒロイン、佐倉七瀬(上白石萌音)の愛すべきキャラクターだ。仕事も恋も初心者で、うっとうしいくらい一生懸命。看護師として一人前になること、5年越しの片思いの相手の天堂(佐藤健)に振り向いてもらうこと、そのためにどんな努力も惜しまない。

失敗しては落ち込んで泣く素朴女子。だが、あきらめずに前を向く強さも持っている。そんな七瀬の天性の明るさと笑顔が、新型コロナウイルス禍で疲れていた私たちも元気づけてくれた。加えて、めったに笑顔を見せない医師を演じた佐藤も魅力的だった。見る側が気持ちよく没入できるファンタジーとして、照れることなくラブコメ道を貫いた制作陣に拍手だ。

そしてもう1本、吉高由里子主演「知らなくていいコト」(日本テレビ系)も忘れられない。週刊誌記者の真壁ケイトが主人公の「お仕事ドラマ」だ。元カレで妻子あるカメラマン、尾高(柄本佑)との恋愛も気をもませたが、週刊イーストが放つ、文春砲ならぬイースト砲から目が離せなかった。

大学と文部科学省の贈収賄疑惑、人気プロ棋士の不倫疑惑、テレビ局のやらせ疑惑にも肉薄するなど、毎回ケイトたちの取材過程が見せ場だ。複数のメンバーでの各所の張り込み、スマートフォンを駆使した動画撮影、そして当事者への直接取材。現実そのままではないにしろ、プロらしい連携プレーはリアルに見えた。まさにドラマならではの臨場感であり快感だ。

(毎日新聞「週刊テレビ評」2020.3.28)


名ミステリー「テセウスの船」 脚本の妙と好演

2020年02月24日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

週刊テレビ評

「テセウスの船」 

脚本の妙と好演、名ミステリー

ミステリードラマにはさまざまなタイプがある。例えば「刑事コロンボ」のように、初めから犯人を明かしていく倒叙(とうじょ)ミステリーも面白い。しかし、一般的には犯人という「謎」を最後まで引っ張ろうとするものが多く、そこが作り手の腕の見せどころだったりする。

一方、ミステリードラマは見る側に対してフェアであることも求められる。ストーリーの中に手掛かりを潜ませる「伏線」を張っていくのはそのためだ。

とはいえ、簡単に犯人を教えたりはしない。時には無実の人を「怪しい」と思わせる、いわゆる「ミスリード」の仕掛けも用意する。優れたミステリードラマはフェアでありながら、見る側に推理と混乱の楽しみを与えてくれるのだ。

TBS系の日曜劇場「テセウスの船」(日曜午後9時)には、名探偵も敏腕刑事も登場しない。主人公は「殺人犯の息子」として生きてきた田村心(竹内涼真)だ。警察官だった父親、佐野文吾(鈴木亮平)が毒物による無差別大量殺人を行ったという31年前にタイムスリップしてしまう。場所は事件が起きた北海道の寒村である。

心にとって最大の関心事は「文吾は本当に殺人犯なのか」だったが、どうやら別に真犯人がいるようだ。しかし、それが誰なのかはつかめていない。怪しい人物が出てきては消えてしまい、心も見る側も暗中模索の状態だ。しかも心が突然現代に戻ったことで、ますます分からなくなってきた。

このあたり、演出はもちろんだが、脚本の高橋麻紀が大健闘だ。原作の漫画を前提としながら、新たな材料を付け加えて増加・拡大させ、さらに物語を加工して改造を試みている。原作通りの結末かどうかも不明だ。

俳優陣の好演も目を引く。特に竹内は「下町ロケット」シリーズ、「陸王」、そして「ブラックペアン」と日曜劇場で存在感を高めてきた。今回、理不尽な「運命」に押しつぶされそうになりながらも、自分と家族の人生を必死に取り戻そうとする姿が共感を呼ぶ。

また父親役の鈴木の迫力が凄(すさ)まじい。子煩悩で職務熱心な善人なのか、それとも狂気を秘めた悪人なのか。前半では、瞬時に変わる鈴木の表情から目が離せなかった。

そして、改めてその演技力に感心するのが上野樹里だ。タイムスリップ前は心の妻だったが、彼が過去から現在に戻ってみると全くの他人になっていた。それでいて心に親しみを感じる難しい役柄だ。上野は繊細な目の動きやセリフの間の取り方で巧みに表現している。脚本、演出、俳優の総合力で、後半の謎解きと真相にも期待が高まってきた。

(毎日新聞「週刊テレビ評」2020.02.22)