碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

誕生から50年「番組制作会社」の現在

2020年01月22日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

 

<週刊テレビ評>

番組制作会社誕生50年 

「創造する人」に権利と敬意を

 

日本でテレビ放送が始まったのは1953年だ。そして長い間、「番組を作ること」と「放送すること」の両方を放送局が行っていた。それが変わるのは70年である。番組作りのプロ集団として番組制作会社が登場してきたのだ。

その第1号が「テレビマンユニオン」だった。それまでTBSに在籍していた萩元晴彦、村木良彦、今野勉など先駆的な制作者たちが、「テレビ制作者を狭い職能的テリトリーから解放する組織」、つまり「テレビマンの組織」を創るべく退社して、日本初の独立系制作会社を興したのだ。

50年前はたった1社だった制作会社だが、現在は全国に数百社ある。業界団体の「全日本テレビ番組製作社連盟」の加盟社だけでも124社。総計1万人のクリエーターがドラマ、バラエティー、ドキュメンタリー、報道など多彩なジャンルの番組を作り続けている。

しかも、それは民放に限らない。例えばNHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」にも共同テレビジョンやスタッフラビといった複数の制作会社が参加している。

70年から続く「遠くへ行きたい」(読売テレビ)、86年に始まった「世界ふしぎ発見!」(TBS)、NHKの「サラメシ」などで知られるテレビマンユニオンは、来月、創立50周年を迎える。それは同時に、日本の制作会社の歴史が半世紀に達したということであり、大いに祝したい。

その一方で、制作会社が抱え続ける課題も忘れてはならないだろう。たとえば、50年前にテレビマンユニオンの創立メンバーたちが目指した、放送局との「イコールパートナー(仕事上の対等な関係)」は、どこまで実現できたのか。いわゆる「下請け構造」は過去のものになっているのか。

何より現実的な問題として、制作会社が果たしている役割とその対価(制作費)は見合ったものなのか。実際の作り手であるにもかかわらず、「制作協力」という曖昧なクレジット表記が象徴するように、著作権の帰属も、番組の関連商品化やインターネット配信など2次展開も十分に認められていないのが現状だ。

近年、テレビを取り巻く環境は激変した。今や番組はテレビ受像機だけでなく、さまざまな経路で見ることができる「映像コンテンツ」であり、「デジタルコンテンツ」である。ネットを通じて常時同時配信でさえ現実となってきた。

しかし、そんな状況下でも番組を作るのが「人」であることに変わりはない。いや、そのことがますます重要になってきた。「創造すること」と「創造する人」への敬意が、今ほど必要な時代はない。

(毎日新聞「週刊テレビ評」2020.01.18)

 

 


2019年のテレビは・・・

2019年12月22日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

 

<週刊テレビ評>

2019年を振り返る 

戦争伝えなかった夏の民放

 

今年のテレビ界を振り返ってみたい。まずドラマだが、最も熱かったのが4月クールだ。「わたし、定時で帰ります。」(TBS系)は働き方と生き方の関係を描く、社会派エンターテインメントの秀作だった。

主人公は残業をしない中堅社員、東山結衣(吉高由里子)。かつて恋人(向井理)が過労で倒れたことなどから、働き過ぎを警戒し、定時で帰ると決めている。しかし、その働き方には工夫があり、極めて効率的だ。「会社のために自分があるんじゃない。自分のために会社はある!」という宣言も多くの共感を呼んだ。

同じ時期、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の人たちが登場するドラマも同時多発した。

ゲイの男性教師(古田新太)が主人公の「俺のスカート、どこ行った?」(日本テレビ系)。男性2人(西島秀俊、内野聖陽)の同居生活を描く「きのう何食べた?」(テレビ東京系)。年上の恋人(谷原章介)がいる高校生(金子大地)が女性との恋に悩む「腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。」(NHK)などだ。いずれも「ダイバーシティ(多様性)」を表象したドラマで、自分らしい生き方を求める時代であることが伝わってきた。

次にバラエティーだが、7月に「世界の果てまでイッテQ!」(日本テレビ系)の「やらせ疑惑」に関して、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が意見書を公表した。問題となったのは2017~18年に放送されたタイの「カリフラワー祭り」やラオスの「橋祭り」など。

宮川大輔が世界各地の珍しい祭りに参加する人気企画だが、BPOは二つの「祭り」は伝統的なものではなく、番組のために現地で用意されたものとしながら、「重いとは言えない放送倫理違反」と結論付けた。バラエティーとはいえ、ドキュメンタリー的要素が強い企画だっただけに、制作側の姿勢が問われる事案となった。

8月3日からの2週間、NHKは十数本の戦争関連番組を流した。その中にはNHKスペシャル「かくて“自由”は死せり~ある新聞と戦争への道~」やETV特集「少女たちがみつめた長崎」などの秀作があった。

一方、民放にはこうした番組がほとんど見当たらない。マスメディアの影響力は、何かを「伝えること」だけにあるのではない。何かを「伝えないこと」による影響も大きい。戦争のことを思う時期である8月ですらも、そうした番組を流さないとすれば、視聴者が戦争や平和について考える機会を奪うことになる。テレビのジャーナリズムとしての存在意義が問われる事態だった。

(毎日新聞「週刊テレビ評」 2019.12.14)


『グランメゾン東京』木村拓哉が演じる「尾花夏樹」

2019年11月05日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 


週刊テレビ評

「グランメゾン東京」 

「俳優・木村拓哉」と名脇役陣

 

TBS系の日曜劇場「グランメゾン東京」が始まった。10月20日の初回冒頭は、堂々の海外ロケでパリだ。主人公の尾花夏樹(木村拓哉)はパリで評判の店「エスコフイエ」の実力派シェフ。店ではフランス大統領ら要人たちの会食が行われるまでになったが、その当日、料理にアレルギー食材が混入していたため大騒動となる。尾花はフランスの料理界を追われた。

それから3年後のパリ。尾花は、三つ星レストランの採用面接に挑んでいた早見倫子(鈴木京香)と出会う。彼女は日本で10年間やってきた店を閉め、パリで一から修業したいと思ったのだが、叶(かな)わなかった。そんな倫子を尾花が誘う。「レストラン、やらない? 俺と」「2人で世界一のグランメゾン、つくるっての、どう?」

もしも以前の木村がこんなセリフを口にしていたら、見る側は「ああ、またキムタクドラマか」と白けていたかもしれない。過去、パイロットやアイスホッケー選手など、どんな役を演じても木村本人にしか見えず、視聴者はドラマに集中できなかった。キムタクドラマと揶揄(やゆ)された所以(ゆえん)だ。

しかし、2015年の「アイムホーム」(テレビ朝日系)あたりから、「俳優・木村拓哉」としての存在感を示すようになる。ただし、その後の「A LIFE~愛しき人~」(TBS系)や「BG~身辺警護人~」(テレ朝系)では、時々昔の木村が顔を出し、ハラハラさせた。

今回、第2話までを見る限りだが、演技に変な力みやクセがない。目の前にいるのは尾花夏樹を演じる「木村拓哉」ではなく、木村拓哉が演じる「尾花夏樹」だ。それくらい木村の演技に、また他の出演者との掛け合いに無理がない。最大の関門、もしくは懸念を払拭(ふっしょく)したことになるのではないか。

すでに舞台は東京だ。尾花は倫子の家の車で寝泊まりしている。ある日、2人は評判のフレンチの店「gaku」に出かけた。そこで再会したのが、かつて尾花と一緒にパリの店をやっていた京野(沢村一輝)だ。しかも、シェフはパリの修業仲間で、尾花をライバル視する丹後(尾上菊之助)だった。結局、京野は尾花たちの新しい店「グランメゾン東京」に参加することになる。

このドラマ、かつての挫折から立ち上がり、夢に向かって再チャレンジしようとする者たちの群像劇だ。主演の木村を囲む鈴木、沢村、尾上。さらにパリ時代からの知り合いで、料理研究家の相沢を演じるのは及川光博だ。力のある食材、いや脇役がそろったことで、全体から美味(おい)しそうな「大人のドラマ」の香りが漂ってきた。

(毎日新聞「週刊テレビ評」2019.11.02)

 

 


「凪のお暇」 「空気」よりも自分らしさを

2019年09月29日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

 <週刊テレビ評>

「凪のお暇」

「空気」よりも自分らしさを

 

夏クールのドラマが終了した。今期の特色は漫画を原作とした作品が多かったことである。上野樹里「監察医 朝顔」(フジテレビ系)。石原さとみ「Heaven?」(TBS系)。杏「偽装不倫」(日本テレビ系)。そして黒木華「凪のお暇(なぎのおいとま)」(TBS系)などだ。

ヒロインたちの年齢は、30歳前後のいわゆるアラサー女子であることも共通していた。ただし、「凪のお暇」の主人公、大島凪だけは異色だ。突然会社を辞めてしまい、無職。しかも理由は、「空気」を読むことに疲れ切ったからだ。同僚のミスを押し付けられても空気が悪くなるからと文句が言えない。また彼女たちとのランチでも話を合わせることに必死だった。本当は一人で静かに食べたいのに、仲間外れになるのを怖れたのだ。

さらに、同じ会社にいる恋人の我聞(高橋一生)が、「カラダの関係だけの女」「ケチくさい女」と陰で言っているのを知って、過呼吸で倒れる始末。結局、会社を辞め、我聞との関係を断ち、住居も変えてしまう。これが「お暇」だ。引っ越し後、凪は女性にモテまくりのゴン(中村倫也)や、「空気」を読むのが苦手な坂本(市川実日子)などと知り合っていく。

このドラマ、よくあるアラサー女子の成長物語に見える。確かに凪は徐々に変わっていく。周囲ばかりを気遣うのではなく、自分の思いや考えを口にし、実行するようになっていく。だが、本人以上に周りの人たちを変えていくところにこの作品の醍醐味があるのだ。我聞は、まさに「空気」を読む達人だが、いつの間にか自分の本心が言えない男になっていた。それが凪の不在によって本当の気持ちに気づく。そしてゴンもまた、女性に優しいのは本来の自分を見失っていたからだと分かる。

そして肝心の凪だが、我聞から「お前は他人に関心がないんだ」と指摘され、傷つきながらも妙に納得してしまう。こうした描写が、このドラマのリアルにつながっている。視聴者は、我聞とゴンと凪の奇妙な三角関係にヤキモキしてきたが、最後に凪は「自分らしい道」を選択していくのだ。

劇作家・鴻上尚史さんの近著のタイトルは『「空気」を読んでも従わない』。それが生き苦しさから脱する方法だと言う。思えば凪も途中から、「空気」を分かった上で隷属しなくなっていく。また「空気」に従うことで他者に認めてもらおうとしなくなっていく。自分の「承認欲求」に振り回されることへの決別は、見る側をも勇気づけてくれた。黒木、高橋、中村、それぞれが当たり役で、今年の夏を代表する一本となった。

(毎日新聞「週刊テレビ評」2019.09.28)


戦争関連番組の秀作、ETV特集「少女たちがみつめた長崎」

2019年08月26日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

<週刊テレビ評>

「少女たちがみつめた長崎」 

鎮魂と継承、林京子の意志


戦後74年の夏が終わろうとしている。日本の8月は、「鎮魂」と「継承」の月だ。継承すべきは、戦争という事実はもちろん、その体験と記憶である。

今年の8月4~18日の2週間、民放テレビには鎮魂も継承も見当たらなかった。いわゆる戦争特番、終戦特番と呼ばれる放送がほぼなかったのだ。

実は昨年も同様で、この沈黙がとても気になる。かつてはタレントなどを起用した、民放らしい特番が流れたものだ。手間と予算がかかる割に視聴率を稼げない、つまり商売にならないと判断しての通常編成なら、ジャーナリズムとしての役割放棄だ。

いや、役割放棄ならまだいい。戦争というテーマを「取り上げないこと」自体が民放テレビの意思だとしたら、問題はもっと深刻だろう。マスメディアの影響力は、何かを「伝えること」だけにあるのではない。何かを「伝えないこと」による影響もまた大きいからだ。

たとえ8月であっても戦争を扱った番組を流さないとなれば、視聴者が戦争を話題にすることも、平和について考える機会も少なくなる。民放テレビに「伝えないこと」の意図があるなら知りたい。

一方、NHKは前述の2週間に、7本のNHKスペシャルを含む十数本の戦争関連番組を流した。その全部を視聴した上で取り上げたいのが、17日放送のETV特集「少女たちがみつめた長崎」だ。

タイトルの「少女たち」には二重の意味がある。一つは昭和20(1945)年8月9日に勤労動員先で被爆した、当時の長崎高等女学校(長崎高女)の生徒たち。そしてもう一つが現在の長崎西高校(旧長崎高女)放送部の生徒たちだ。

放送部の面々は、「原爆と女性」をテーマにしたドキュメンタリー番組を制作している。その過程で、生存者である大先輩たちの話を聞いていくのだ。

また今年88歳になる少女たちが大切に保存していた、当時の日記も74年の時を超えて両者をつないでいく。そこに記された「血!血!真っ赤な血!(中略)夢であってくれ」といった肉声を、現在の少女たちが朗読していくシーンは圧巻だ。

そして、このドキュメンタリーを下支えしていたのが、作家の故林京子の存在である。長崎高女在学中に被爆した林は、戦後30年を経て、ようやく原爆のことを書く。生き残ったことへの罪悪感や原爆症への不安を抱える林だが、「伝えること」を自らに課したのだ。そんな彼女の文章も挿入しながら番組は進んでいく。

生ける新旧少女たちの思いと、死せる作家の魂が互いに響き合い、見ている側も何事かを考えずにはいられなくなる秀作となっていた。

(毎日新聞夕刊 2019.08.24



積極的に攻めている、日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」

2019年07月21日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」

「運命の停止」の瞬間に期待

 

旺盛な書き手だった三島由紀夫は、スポーツについても多くの文章を遺している。ただしボクシングや剣道など、自分が実際にやってきたスポーツを対象にしたものが大半だ。特に球技にはあまり興味がなかったのか、扱ったエッセイなども数少ない。

それでも昭和39年の東京オリンピックで、女子バレーの決勝戦を観戦した時、生まれてはじめて「スポーツを見て涙を流した」と書いている。そして、高く上がったボールがおりてくるまでの「間のびした時間」こそが、この競技のサスペンスの強い要素だと断言する。三島はこの時間を「運命の休止」と呼んだ。

そんな三島が今、ラグビーを見たら何と書くだろう。またラグビーを物語の軸とするドラマ、日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」(TBS系)について、どんな感想を持つだろう。

原作は「半沢直樹」や「下町ロケット」の池井戸潤。左遷によって弱小ラグビー部の責任者となったサラリーマンが、チームと自分自身を再生していく話だ。制作陣はヒットを期待される“チーム半沢”の面々だが、そのプレッシャーは大変なものだと想像する。

しかし立ち上がりを見る限り、まったく委縮していない。むしろ積極的に攻めている。その象徴が主人公の君嶋隼人役に大泉洋を抜擢したことだ。もちろん人気者ではあるが、看板ドラマ枠としては冒険に違いない。役者としての力量だけでなく、計測不能の“突破力”に賭けているのではないか。

また松たか子が演じる隼人の妻、君嶋真希の存在感も強烈だ。トキワ自動車で大きな力を持つ、滝川常務(上川隆也)に歯向かったことで、本社から府中工場に飛ばされた隼人。だが、真希は意気消沈する夫を慰めたりはしない。「勝負するって決めたんでしょ? なら負けたって仕方ないじゃない。工場だろうと、どこだろうと胸張って行きなさいよ!」。愛情に裏打ちされた見事な叱咤激励だ。

実はこの「真希」、池井戸の原作には登場しない。シナリオ段階で作られた人物と言っていい。結果は大正解で、ややもすればドラマ的ヒーローになりがちな「日曜劇場」の主人公に、人間味を含む奥行きを与える効果を生んでいる。しかも松たか子という演技派を投入したおかげで、真希は愛すべき恐妻として、ドラマと視聴者をつなぐインターフェイスの役目を果たしているのだ。

すでに隼人は役員会で優勝宣言までしてしまった。ラグビーにサラリーマン人生を重ねたこのドラマ、隼人同様、後へは引けない。ラグビーにおける「運命の休止」の瞬間を見るのも楽しみだ。

毎日新聞「週刊テレビ評」2019.07.20)

 


「わた定」は、働き方と生き方を問う社会派ドラマ!?

2019年06月18日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

「わたし、定時で帰ります。」

働く現場描く堂々の社会派 

吉高由里子主演「わたし、定時で帰ります。」(TBS系)から目が離せない。開始前、よくある「お仕事ドラマ」かと思っていたが、実は堂々の「社会派ドラマ」であることがわかってきた。

32歳の東山結衣(吉高)は企業のウェブサイトやアプリを制作する会社の10年選手だ。所属部署にはクセ者の部長・福永清次(ユースケ・サンタマリア)、優秀なエンジニアで元婚約者の種田晃太郎(向井理)、そして短期の出産休暇で職場復帰した賤ヶ岳八重(内田有紀)などがいる。

結衣は仕事のできる中堅社員だが、決して残業をせず、定時に会社を出る。かつて恋人だった種田が過労で倒れた時の恐怖が忘れられないのだ。もちろん社内には批判の声もある。たとえば福永部長は結衣の「働き方」についてネチネチ言い続けている。

しかも部下の性格やタイプは無視して、「もっと向上心!」とか、「高い志、持ってやれよ!」などと自分の価値観を押し付ける。

さらにトラブルが発生すれば、「穏便にね」と得意の責任逃れだ。結衣は、こういう上司に正面からぶつかるのではなく、自分たちにできること、できないことを明確にし、責任がもてる打開策と着地点を探そうとするのだ。

また第4~5話では、クライアントのスポーツ関連会社が登場した。「根性さえあれば、身体はついてくる!」と主張する男(大澄賢也)が現場を仕切っており、「パワハラ上等!」的な働き方をしている。

結衣のセクションに派遣で来ていたデザイナー、桜宮彩奈(清水くるみ)に対しても、立場を利用してのセクハラ三昧だ。ただし桜宮に「デザインより人付き合いで仕事をとる」傾向があったのも事実で、こうした「働く現場」の重層的な描き方が、このドラマのリアリティーを支えている。

結衣は相手がクライアントであっても、してはならない行為に対しては抗議し、仲間であっても間違っていればやんわりと正していく。だが、彼女は決してスーパーウーマンではない。あくまでも普通の働く女性であり、「人としての常識」が武器だ。

近年、政府が主導する「働き方改革」に背中を押され、企業は主に「制度」をいじってきた。しかし、人が変わらなければ、働き方など変わらない。このドラマは、その辺りを描いて出色と言える。

当初は“たったひとりの反乱”に見えた結衣だが、徐々に周囲を変えつつある。 会社、仕事、そして「働き方」が、自分の「生き方」とどう関わるのかを、明るさとユーモアを交えて問いかける「わた定」も、来週ついに最終回だ。

 (毎日新聞「週刊テレビ評」2019.06.15夕刊)

 


もう一つの大河ドラマ「やすらぎの刻(とき)~道」 

2019年05月12日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 <週刊テレビ評>

もう一つの大河ドラマ

「やすらぎの刻(とき)~道」 

 

4月にスタートした、倉本聰脚本「やすらぎの刻~道」(テレビ朝日系)。このドラマは、一昨年に放送された「やすらぎの郷」(同)の単なる続編ではない。老人ホーム<やすらぎの郷>に暮らす人たちの“その後”が描かれるだけでなく、筆を折っていた脚本家・菊村栄(石坂浩二)が、発表のあてもないままに書き続ける“新作”もまた映像化されていく。倉本はこれを、菊村の「脳内ドラマ」と名付けた。

ここでは現在の菊村たちの部分を「刻」、脳内ドラマを「道」とするが、後者は戦前から始まり現代に至る、まさに大河ドラマだ。倉本は、「この脳内ドラマの方は僕の<屋根>っていう舞台がベースです。あの芝居では明治生まれの夫婦に大正・昭和・平成という時代を生きた無名の人たちの歴史を重ねていったんですが、いわばその応用編ですね」(倉本聰・碓井広義著「ドラマへの遺言」)と語っている。

物語は昭和11年から始まった。主人公は山梨の山村で生まれ育った、根来公平(風間俊介)だ。貧しいながらも養蚕業で平穏に暮らしてきた村に、戦争という激しい波が押し寄せる。すでに小学校の先生が思想犯として特高(特別高等警察)に逮捕された。公平も、家族も、悪がき仲間も、公平が思いを寄せる娘・しの(清野菜名)も戦争の影から逃れられない。菊村が書いている脳内ドラマの現在の時間は昭和16年だ。公平の兄・公次(宮田俊哉)は兵隊にとられ、村全体も満蒙開拓団への参加をめぐって騒然としている。倉本が描こうとしているのは、どこまでも庶民の戦争であり、国家の運命に翻弄されながらも必死に生きようとする市井の人たちの姿だ。

こうしたドラマが、終戦記念日の前後に放送されるスペシャル番組ではなく、連続ドラマとして毎日流されるのは画期的なことだ。とはいえ、現代編の「刻」と比べると、「道」は地味で、暗くて、重いと感じる視聴者も少なくないだろう。しかし、地味で、暗くて、重い時代が確かにあったこと。そんな時代にも人は笑い、歌い、恋をし、精いっぱい生きていたことを、このドラマは教えてくれる。

まだ脚本を執筆中だった頃の倉本と対談を行ったことがある。その際、「ここだけの話ですが」と前置きして、「やすらぎの刻~道」で本当に書きたかったのは、脳内ドラマのほうではないのかと質問してみた。倉本は笑いながら「実はそうです。ここだけの話ですけど」(日刊ゲンダイ、2018年6月20日付)と答えていた。あの時代の社会と人間の実相を伝えようとする執念。確信犯である。

( 毎日新聞 2019.05.11夕刊)

 

 

 

 


定番ジャンルに新風を吹き込んだ「メゾン・ド・ポリス」 

2019年04月03日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

週刊テレビ評

「メゾン・ド・ポリス」 定番の刑事ドラマに新風
 

1月クールのドラマが終了した。印象に残った作品の中で、刑事ドラマという定番ジャンルに新風を吹き込んだ「メゾン・ド・ポリス」(TBS系)に注目したい。

まず、新米女性刑事の牧野ひより(高畑充希)が、退職刑事専用のシェアハウス「メゾン・ド・ポリス」に暮らす高齢者たちの力を借りて事件を解決していく、その設定が新鮮だった。主演の高畑は演技のシリアスとコメディーの配分が絶妙で、大先輩たちのムチャぶりに困惑しながらも彼らに助けられ、同時に彼らを元気にするヒロインを好演していた。

また5人のベテランのキャラクターと、演じている俳優のマッチングも楽しめた。ハウスのオーナーは元警察官僚の伊達(近藤正臣)で、警察内部での影響力をしっかり保持している。ひよりと同じ柳町北署にいた迫田(角野卓造)は、最後まで「所轄」勤務にこだわった職人肌の元刑事だ。

シェアハウスの管理人は現役時代に現場経験がなかった高平(小日向文世)。家事はもちろん、住人たちの健康管理も担当する。藤堂(野口五郎)が所属していたのは科捜研。今も自分の部屋には鑑定用の機材が山積みだ。そして、最も若いのが元捜査1課の敏腕刑事だった夏目(西島秀俊)。集中して何かを考えたい時には、アイロンかけをする変わり者だ。

いずれも極めて個性的なおじさんたちであり、贅沢(ぜいたく)なキャラクターショーになっていた。そんな5人がひよりと共に捜査を行っていくのだが、彼らはいずれも単なる“いいひと”ではない。確かにチームだが、互いにリスペクトする個人の集まり、ゆるやかな連帯といった雰囲気がほほえましい。

原作は「インディゴの夜」や「モップガール」などで知られる、加藤実秋の同名小説だ。ただし脚本の黒岩勉(「謎解きはディナーのあとで」など)が有効なアレンジを施している。たとえば第2話「密室殺人」編。原作では被害女性が働く消費者金融の人たちが事件に関係していた。それがドラマでは小学校のPTAに変えてあり、消費者金融の店長もPTA会長だ。おかげで日常に潜む悪意や殺意が浮き彫りになった。

こうした毎回の事件と、ひよりの父の死を巡る、物語全体を貫く過去の事件。短期と長期の謎がバランスよく融合され、最後まで見る側を飽きさせなかった。さらに、このドラマには女性の働き方、パワハラ、熟年離婚、定年後の人生、シェアハウスという暮らし方、オトコの家事といった現代的テーマが、重くならず、そしてさりげなく、ちりばめられていたことも成功要因の一つだ。

(毎日新聞夕刊 2019.03.30)


『家売るオンナの逆襲』  課題発見&「生き方」提案するヒロイン

2019年02月23日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評


<週刊テレビ評>
家売るオンナの逆襲 
課題見つけ「生き方」提案

決めゼリフ「私に売れない家はありません!」も変わっていない。一度は地方で小さな不動産屋を開いていたヒロイン、三軒家万智(北川景子)が夫となった屋代課長(仲村トオル)を従えて、古巣のテーコー不動産新宿営業所に帰って来た。まさに「家売るオンナの逆襲」(日本テレビ系)である。

今クールでも、「それが私の仕事ですから!」と難しい物件を売りまくっている万智。その驚異的な実績の秘密はどこにあるのか。たとえば、夫の定年退職を機に、住み替えを計画している熟年夫婦がいた。しかし、長年の専業主婦暮らしにうんざりし、離婚したいとさえ思っている妻(岡江久美子)が、どんな物件にも難癖をつけるため、なかなか決まらない。

万智は、この夫婦の自宅を訪問した際に、妻が発揮している生活の知恵と合理的精神に着目する。その上で、妻自身の「自活」に対する甘い認識を指摘し、夫に対する不満の解決策を提示。それによって夫婦は墓地に隣接する一軒家を購入し、今後も2人で暮らすことで一件落着する。

またトランスジェンダーの夫を持つキャリアウーマン(佐藤仁美)も登場した。彼女は夫の気持ちを頭で理解しながらも、感情的にはかなり複雑な思いをしている。万智は、娘を含む家族3人が互いに自分を押し殺すことなく住める家を探してきた。

そして1人暮らしの口うるさい女性客(泉ピン子)。万智は彼女が胸の内に隠していた「孤独死」への不安を察知する。しかも、それを解消すると同時に、彼女が愛用してきた閉鎖寸前のネットカフェを守り、それぞれに事情のある利用客たちも救ってしまった。

こうした万智の仕事ぶりを見ていると、単に家を売っているのではないことに気づく。顧客たちが、どんなことで悩んでいるのか。何に困っているのか。彼らが個々に抱えている問題を発見し、それを解決しているのだ。そのためには徹底的なリサーチを行う。時には探偵まがいの行動にも出る。相手を観察し、課題を見つけ、情報を集めて分析し、顧客に合った解決法を見つけるのだ。これを単独で行っている三軒家万智、やはり天才的不動産屋かもしれない。

しかも万智が見抜くのは顧客自身も気づいていない問題点や課題だ。家はその解決に寄与するツール(道具)に過ぎない。つまり万智は新しい家を提案するのではなく、家を通じて新たな「生き方」を提案しているのだ。このドラマの醍醐味(だいごみ)はヒロインによる問題発見・解決のプロセスにある。脚本は大石静のオリジナル。北川景子の代表作になりそうな勢いだ。

(毎日新聞 2019.02.23 東京夕刊)

NHK大河ドラマ「いだてん」 視聴率“一神教”にさよならを

2019年01月23日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評


週刊テレビ評
NHK大河ドラマ「いだてん」 
視聴率“一神教”にさよならを

第1話15・5%、第2話12・0%。NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)」の視聴率(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だ。さっそく新聞や雑誌、そしてネットでも「低視聴率」が話題となっている。しかし、これは今回の企画が決まった時から予想できたことで、いわば想定内である。

まず、昨年の「西郷どん」もそうだったが、多くの日本人が好む大河ドラマの舞台は戦国時代と幕末・明治維新の時代だ。その意味で、今年の「いだてん」は明らかに異色作と言える。何しろ「時代劇」ではないどころか、「近現代劇」なのだから。

次に、主人公もまた誰もが知る「歴史上の人物」ではない。日本人として初めてオリンピックに参加したマラソンランナー、金栗四三(かなくりしそう)。1964(昭和39)年の東京オリンピック実現に尽力した水泳指導者、田畑政治(まさじ)。どちらもオリンピックやスポーツの世界では有名な人たちかもしれない。しかし社会全体では、このドラマで初めて知る人が多いのではないか。今回の大河は、そんな「知らない男たち」の物語なのだ。

さらに主演俳優は中村勘九郎と阿部サダヲだ。2人とも良い役者であり、演技力も申し分ない。だが国民的ドラマと呼ばれる枠としては、マニアックなキャスティングであることも事実だ。時代、人物、俳優、そのどれもが異例であること。むしろそこに今回の大河の意味があると言っていい。「これまでにない大河」という挑戦であり、実験である。異色作であり、野心作である。

そんなことができる作り手は、NHKの中にもそうはいない。「いだてん」を制作しているのは、脚本・宮藤官九郎、音楽・大友良英、演出・井上剛、制作統括・訓覇(くるべ)圭の「あまちゃん」チームだ。

朝ドラの歴史の中では、「あまちゃん」もまた王道でも正統派でもない。やはり異色作だった。むしろ朝ドラの常識や既成概念を打ち壊し、新たな価値を生み出したことで記憶に残る作品となった。このチームの投入は大河ドラマの可能性を広げるための奇策だ。

語り手は実在した伝説の落語家、古今亭志ん生。明治期を演じるのが森山未来で、昭和期はビートたけしだ。いかにも宮藤官九郎らしい、「いだてん」の姿勢を象徴する仕掛けだが、これも従来の大河ドラマとの落差に違和感を持つ視聴者がいるかもしれない。その一方で、制作陣のチャレンジ精神とユーモアと遊び心に拍手する人たちもいるはずだ。メディアは、ドラマを視聴率という“一神教”で語ることをそろそろ終わりにしてもいい。

(毎日新聞夕刊 2019.01.19)



<2019年2月15日発売>

ドラマへの遺言
倉本聰、碓井広義
新潮社



2018年のドラマ界 女性活躍とおっさん特需

2018年12月09日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評


<週刊テレビ評>
今年のドラマ界 
女性活躍とおっさん特需

今年のドラマ界を振り返ってみたい。まず1月期、親子や家族の本質を問いかけた、坂元裕二脚本の「anone」(日本テレビ系)が目を引いた。だが、「アンナチュラル」(TBS系)の衝撃には及ばない。もの言わぬ遺体を起点に事件の真相へとたどり着くプロセスだけでなく、非日常的に思える「不自然な死」の中に人間の日常に潜む怒りや悲しみを描き出す、野木亜紀子のオリジナル脚本が秀逸だったのだ。

次に4月期というだけでなく、今年最大の話題作となったのが徳尾浩司脚本「おっさんずラブ」(テレビ朝日系)だ。女性にモテない33歳の男(田中圭)が、55歳の上司(吉田鋼太郎)と25歳の後輩(林遣都)から求愛されてしまう。同性間恋愛と男たちの“可愛げ”を正面から描いて新鮮だった。

また深夜にわずか7回という露出ながら、SNSなどソーシャルメディアによって支持の声が広がっていった現象にも注目したい。リアルタイム視聴だけを評価する時代から、ようやく録画などのタイムシフト視聴を加味した総合視聴率の時代へと転換が始まった時期を象徴する1本となった。

7月期、石原さとみ主演「高嶺の花」(日テレ系)があった。野島伸司脚本ということで期待されたが、華道家元のお嬢様(石原)と町の自転車店店主(峯田和伸)との格差恋愛で何が描きたかったのか、やや不明のまま終わった。

一方、森下佳子脚本「義母と娘のブルース」(TBS系)は出色の家族ドラマになった。際立っていたのがヒロイン、宮本亜希子(綾瀬はるか)のキャラクターだ。家でも外でもビジネスウーマンの姿勢を崩さず、奇妙なほど事務的で丁寧な話し方。何事にも戦略的に取り組むバイタリティー。それでいて、どこか抜けているから目が離せない。笑わせたり泣かせたりの展開を通じて、夫婦とは、親子とは何かを考えさせてくれた。

10月期では金子ありさ脚本の「中学聖日記」(TBS系)が賛否両論となった。たとえタブーと呼ばれる恋愛であっても、人の気持ちは誰にも止められない。しかし有村架純が演じるヒロインに、視聴者の共感を得るだけの覚悟が見られないことがもどかしかった。

その点、大石静脚本「大恋愛~僕を忘れる君と」(TBS系)の病を抱えたヒロイン(戸田恵梨香)と、それを支える男(ムロツヨシ)の覚悟には、最後まで見届けたいと思わせるだけの現代性と切実感がある。また戸田とムロの好演も予想を超えていた。

平成“最後”のドラマ界は、女性脚本家の活躍と「おっさん」特需に彩られた1年だったのだ。

(毎日新聞「週刊テレビ評」 2018.12.08)


セリフに込められた言葉の力「大恋愛~僕を忘れる君と」 

2018年11月02日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評


<週刊テレビ評>
戸田恵梨香主演「大恋愛~僕を忘れる君と」 
セリフに込められた言葉の力

金曜ドラマ「大恋愛~僕を忘れる君と」(TBS系)が始まる前、正直言って懸念があった。まず、恋愛ドラマであることはわかるが、一見ふざけているかのような、大胆すぎるタイトルに驚いた。

また番組サイトでは「若年性アルツハイマーにおかされた女医と、彼女を明るく健気(けなげ)に支える元小説家の男」の物語だと紹介されている。「よくある難病モノか」と思ったり、「韓流ドラマみたいな話だな」と感じたりする人も多いのではないかと気になった。映画に「私の頭の中の消しゴム」(2004年韓国)といった佳作があったからだ。

さらに出演者のこともある。戸田恵梨香は、どんなドラマでも的確に役柄を表現できる力を持つ女優だが、「代表作は?」と聞かれたら、すぐに答えられない。また、ムロツヨシは個性派という呼び方がぴったりなクセの強い俳優だ。たとえば「勇者ヨシヒコ」シリーズ(テレビ東京系)のようなカルトドラマでの怪演は誰にもまねできない。「そんな2人で難病系恋愛ドラマ?」と心配したのだ。

しかし実際に始まってみると、まさに杞憂(きゆう)だった。ヒロインの北澤尚(戸田)は難病を抱えているが、それは単なる恋愛の背景ではない。生きること、愛することを突き詰めて描くための設定になっている。新人賞を取りながら筆を折っている作家、間宮真司(ムロ)は、尚にとってようやく出会った運命の人だ。しかし自身の病気を知ったことで、尚はうそをついてでも真司と別れようとする。

そんな彼女に真司が言う。自分には親も金も学歴も将来も、そして希望もなかった。「だから、尚が病気だなんて屁(へ)でもなんでもない」と。続けて「がんでも、エイズでも、アルツハイマーでも、心臓病でも(中略)中耳炎でも、ものもらいでも、水虫でも、俺は尚と一緒にいたい」。

それを聞いた尚の泣き笑いの表情が絶品だ。このシーンだけでも戸田恵梨香で正解だったことがわかる。しかもキスしようとする真司を押しとどめ、「今じゃない」。言われた真司も「(えっ?)ここ、キスするところじゃないの?」と笑わせる。そのタイミングとニュアンスはムロツヨシにしか表現できないものだ。

そんな2人の演技を支えているのは、ベテラン脚本家の大石静がセリフに込めた「言葉の力」である。真司は小説家、つまり言葉のプロだ。言葉が人を動かすことも、その怖さも知っている。生きるとは、愛するとは一体何なのか。見る側がさまざまな思いをめぐらすきっかけとなる得難い言葉を、このドラマの中で聞けそうだ。

(毎日新聞「週刊テレビ評」 2018.10.27)

原作を超えた独自の世界観「義母と娘のブルース」

2018年09月25日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評


綾瀬はるか主演「義母と娘のブルース」 
原作を超えた独自の世界観

7月に始まった夏ドラマが続々と千秋楽を迎えている。今シーズンの最大の特色は、いつも以上に「原作もの」が多かったことだ。

まず、いまや主流ともいえる漫画が原作の作品として「義母と娘のブルース」(TBS系)、「この世界の片隅に」(同)、「健康で文化的な最低限度の生活」(フジテレビ系)などがあった。

また原作小説を持つのが「サバイバル・ウェディング」(日本テレビ系)、「ハゲタカ」(テレビ朝日系)、「ラストチャンス 再生請負人」(テレビ東京系)などだ。

他には韓国ドラマを原作とする「グッド・ドクター」(フジ系)、同名の映画が原作だった「チア☆ダン」(TBS系)。さらにシリーズとして「絶対零度~未然犯罪潜入捜査~」(フジ系)や「遺留捜査」(テレ朝系)があった。

つまりゴールデン帯やプライム帯での純粋なオリジナルドラマは「高嶺(たかね)の花」(日テレ系)くらいしかなかったのだ。

ドラマの根幹は脚本にある。その脚本に書き込まれるのは人物像とストーリーだ。どんな人たちによる、どんな物語なのか。そこでドラマの命運が決まる。

原作がある場合、脚本家を含む制作陣はドラマで最も重要な人物像とストーリーをすでに手にしているのだ。あとは、どうアレンジしていくかについて悩めばいい。一方、オリジナルドラマは何もないところから人物も物語も生み出していく。それがいかに大変なことか。

日本では「原作あり」も「原作なし」も、ひとくくりに「脚本」と呼ばれている。

しかし、たとえばアメリカのアカデミー賞では、ベースとなる原作をもつ「脚色賞」と、オリジナル脚本の「脚本賞」はきちんと分けられている。脚本という形は同じでも、別の価値として評価されるのだ。

それらを踏まえ、今年の夏ドラマの中で突出していたのが、「義母と娘のブルース」だった。

1ページをきっちり8コマに分け、生真面目そうな絵柄の中に、くすっと笑えるネタを仕込んでいく桜沢鈴の原作漫画と、綾瀬はるかが主演したドラマは雰囲気も印象も、いい意味で別ものと言っていい。

脚本家、森下佳子が仕掛けた構成の妙と小気味いいせりふがあり、綾瀬が演じるヒロインの愛すべき、そして品のある変人ぶりがあった。しかも視聴者は笑いながら見ているうちに、夫婦とは、親子とは、そして家族とは何だろうと思いをめぐらせることができた。

そこにあるのは映画「万引き家族」をはじめとする是枝裕和監督の作品にも通じる“読後感”であり、原作を基調にしながら、それを超えたドラマ独自の世界観だった。

(毎日新聞「週刊テレビ評」 2018.09.22) 

ドラマ「夕凪の街 桜の国2018」  73年後の広島「原爆の日」に

2018年08月20日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評



週刊テレビ評
NHK「夕凪の街 桜の国2018」
73年後の広島「原爆の日」を思う

8月6日夜に放送された「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国」(NHK総合)は、NHK広島放送局開局90年ドラマだ。石川七波(常盤貴子)は東京に住む編集者。リストラの対象となっているだけでなく、父親の旭(橋爪功)に認知症の疑いがあることも悩みの種だった。

 ある日、旭が1人で家を出る。七波がめいの風子(平祐奈)と尾行すると、旭の向かった先は広島だった。まるで聞き込み調査のように街を歩き回る旭。やがて亡くなった姉、皆実の足跡を追っていることがわかり、ドラマの舞台は1955年の広島へと移っていく。

て働いている。同僚の打越(工藤阿須加)が彼女に思いを寄せるが、素直に受け入れることができずにいた。それは自分が被爆者だったからだ。原爆症の恐怖と、生き延びたことへの後ろめたさが常に消えなかった。

皆実が幸せを感じたり、美しいと思ったりするとき、彼女の中で原爆投下直後の地獄のような光景(市民が描いたと思われる絵が有効に使われている)がよみがえる。「お前の住む世界はここではないと誰かが私を責め続けている」というのだ。脚本の森下直は、「この世界の片隅に」などで知られる、こうの史代の原作漫画を丁寧にアレンジしながら、印象的なセリフを物語に埋め込んでいく。

打越との未来が見えた直後、皆実は原爆症で短い生涯を終えた。最期に胸の内で語る言葉は厳しく、そして切ない。「うれしい? 10年たったけど、原爆を落とした人は『やった! また1人殺せた』って、ちゃんと思うてくれとる?」

しかもドラマはここで終わらない。大人になった旭(浅利陽介)は広島の復興のために建設会社に入り、皆実を姉のように慕っていた被爆者で孤児の京花(小芝風花)を妻に迎える。それが七波の母だ。老人となった打越(佐川満男)から皆実の話を聞いた七波と風子はそれぞれに思いを巡らせる。

見終わって、あらためて痛感するのは、戦争や原爆はあまりにも多くの命を奪っただけでなく、辛うじて生き残った者たちをも長く苦しめてきたことだ。さらにこのドラマからは、そうした人たちを単なる被害者として描くのではなく、厳然たる事実と声なき声を継承し、静かに伝えていこうとする意思が感じられた。

戦後73年という長い歳月を経て、どこかぼんやりしかけていた戦争の、そして原爆の輪郭がはっきりとした像を結んだ。広島放送局の制作陣、加えて明るさと陰りの両方をみずみずしい演技で表現した川栄李奈に拍手を送りたい。

(毎日新聞 2018.08.18)