碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

言葉の備忘録30 亀山郁夫『ドストエフスキーとの59の旅』

2010年08月22日 | 言葉の備忘録

ロシア文学“古典新訳”シリーズの亀山郁夫さんは、東京外語大の学長さんでもある。

近著『ドストエフスキーとの59の旅』(日本経済新聞出版社)は自伝的エッセイ。


『罪と罰』のラストが示しているのは、かりに法が罪を裁くことができるにしても、それはあくまで外形のみであり、罪人の内面まで裁くことはできないという真実である。

『罪と罰』はできるだけ早い時期に読んだほうがいいが、『悪霊』はできるだけ遅くまで読まないほうがよい。何ならいっさい手をつけずにおいてもよい、と。『悪霊』は、それほど危険な小説である。
――亀山郁夫『ドストエフスキーとの59の旅』

ジャッキーもいいぞ、映画『ベスト・キッド』

2010年08月22日 | 映画・ビデオ・映像

映画『ベスト・キッド』を観た。

カンフー少年の成長物語。

ジェイデン・スミスの少年らしさがいい。

カンフーシーンもきっちり。

堂々の主役ぶりだ。

80年代後半の『ベスト・キッド』シリーズもリアルタイムで見ているけど、よかったのはパート2まで。

パート3は「あらあら」だったし、パート4には、もはや「ダニエルさん」はいなかった(笑)。

師匠であるミヤギ老人(ノリユキ・パット・モリタ)も懐かしいが、新作のジャッキー・チェンはうまく脇に回っていい味。

ただ、わからないのはジェイデン君の相手役の女の子だなあ。

アメリカ人から見ると、ああいうタイプが可愛いんだろうか。

うーん、わからん(笑)。

北京の街のあちこち、新旧の風景、そして分かりやすいサービスとしての紫禁城や万里の長城など、観光気分も盛り込んでおりました。

夏も終盤?

2010年08月21日 | 日々雑感

午前中、しっかり仕事。

午後、甲子園の決勝戦をテレビ観戦。

興南13―東海大相模1で、優勝旗が沖縄へ。おめでとう!

夜、多摩川花火大会。

息子は部活の仲間と二子玉川へ。私・家内・娘は近所の高台から見物。

花火はきれいで、せつなくて、いいよねえ(笑)。

特に緑の発色が鮮やかだった。

甲子園が終わり、多摩川の花火が終わると、なんだか夏も終盤という気がして、少し寂しいです。

『日刊ゲンダイ』で、通販番組についてコメント

2010年08月21日 | メディアでのコメント・論評

このところ、『日刊ゲンダイ』が、「テレビの劣化 ここまで進行」という特集記事の連載を行っている。

TBSサンモニ騒動に始まり、日テレクルー遭難事故、政治報道、選挙特番などを扱い、昨日(21日付)は通販番組だった。

サブタイトルは「氾濫する通販番組に惑わされる視聴者」。

先日、コメントを求められたが、それが掲載されている。

記事では、通販番組が低予算で制作できて利益も大きい、といった話を紹介した後、以下のように文章が続く・・・・


この種の通販番組の位置付けをご存知だろうか。民放連の改訂版放送基準解説書によると、なんと生活情報番組なのだという。

民放連は放送基準のなかで週間のコマーシャルの総量を18%以内とするとしているが、通販番組は生活情報番組だから、この枠外。いくら増えても構わないわけだ。あまりにもテレビ局のご都合主義ではないか。
 
「商品をストレートに視聴者にアピールする通販番組は、対面販売に近い。利便性やメリットばかりを強調し、欠点やネガティブな客観情報は一切報じない。これはもうCM以上にCMですよ。公共の電波を使って、こうした番組を平気で垂れ流すテレビ局の姿勢は、もうけ主義と言われても仕方ありません」(上智大教授の碓井広義氏=メディア論)



・・・・通販番組は、視聴者=買い手と見なした、とてもストレートな“物売り”の時間だ。

「生活情報番組」などと、いかにも建前風に言われると、やはり違和感があるのです。

残暑お見舞い

2010年08月20日 | 日々雑感

今日も暑くなりそうだ。

ちょっと涼しげな写真(笑)で、残暑お見舞いです。

真冬の北海道・千歳で撮ったのですが、題して「アイスコーヒー」。

池上彰さんは“教養エンターテインメント”の保証書

2010年08月20日 | テレビ・ラジオ・メディア


久しぶりで『ルビコンの決断』(テレビ東京)を見た。

飛行機好きな私としては、「日本の空を取り戻せ!~全日空創業 「民」の力を信じた飛行機野郎たち~」というタイトルだと、見ないではいられなくて。

例によって、いくつかの「なるほどねえ~」があった。

日本航空(JAL)のコードネームはJL。で、全日本空輸(ANA)はNH。

なぜNHなんだ?と思っていたが、前身が日本ヘリコプターという社名だったのでした。

だから、ANAのイラストマークは、ダ・ヴィンチが描いたヘリコプターだったんだ、と納得。

「決断プレゼンター(すごいネーミングだ)」である池上彰さんの解説は、ローコストキャリア(LCC)と言われる格安航空会社のことも含めて、やはり分かりやすい。

分かりやすいけど、レベルを下げていないのがいい。

続々と刊行される著作。毎日かと思わすほどの番組出演。

池上さんの大活躍は「池上バブル」などといわれているようですが(笑)、本日も絶好調だった。

池上さんが出ていることが、今や良質の“教養エンターテインメント”の保証書になっているのは確かだ。

バブルはともかく、池上ブームは当分続きそうです。


今週の「読んで書いた本」 2010.08.19

2010年08月19日 | 書評した本たち

週刊誌の”夏休み合併号”の時期が終わり、読んで書くほうも通常のスケジュールとなった。

今週、「読んで(書評を)書いた」のは以下の本です。


・江刺昭子
 『樺美智子 聖少女伝説』(文藝春秋)

・荒俣 宏・高橋克彦
 『荒俣 宏・高橋克彦の岩手ふしぎ旅』(実業之日本社)

・三田文学編集部:編
 『創刊100年 三田文学名作選』(慶應義塾大学出版会)

・今野 浩
 『スプートニクスの落とし子たち』(毎日新聞社)

・遠藤咲子
 『[衰退産業]崖っぷち会社の起死回生』(日本経済新聞出版社)

・保坂正康
 『昭和史の深層~15の争点から読み解く』(平凡社新書)


書評は、発売中の『週刊新潮』8月26日号に掲載されています。


猛暑から逃げるなら、映画『ソルト』だ

2010年08月18日 | 映画・ビデオ・映像

「スーパー熱帯夜」なる言葉も登場した今年の猛暑。

亜熱帯と化した首都圏で最高の避難所は、やはり映画館だ(笑)。

ということで、『ソルト』を観てきた。

アンジェリーナ・ジョリーの主演。監督は『パトリオット・ゲーム』『今そこにある危機』のフィリップ・ノイスだ。

そして、その感想はといえば・・・・

予想をはるかに超えた面白さで、びっくり。

こんなだとは思わなかった。「ごめん、アンジー」(笑)って、感じです。


冷戦時代のロシアで、なーんていう話は、いかにもありそうで。

スパイ物としても、よくできている。

で、アンジェリーナ・ジョリーってば、人間ターミネーターみたいなのだ(笑)。

それでいて、人間らしい、女性らしい複雑な感情も表現している。

サスペンス&アクション映画として感心したのは、いわゆるダレ場がないこと。

テンションが下がらない。スピードが落ちない。映像のキレがいい。

見せ場、山場が、ほどよい間隔で、どどどーっと押し寄せてくる。いや、堪りません。

ぜひ、「ジェイソン・ボーン」シリーズみたいな続編を希望したい。

現在のところ、この夏観た中での、マイ・ナンバーワン作品でした。


ドラマ『熱海の捜査官』の“遊びごころ”

2010年08月17日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

それにしても、連日の猛暑。

暑中お見舞い申し上げます。


さて、『日刊ゲンダイ』に連載中のコラム「テレビとはナンだ!」。

今週の掲載分は、テレ朝のドラマ「熱海の捜査官」についてです。


見出し:

「熱海の捜査官」は遊び心満載のドラマだ

コラム本文:

テレビ朝日「熱海の捜査官」が、じわじわと面白さを増殖させている。

主演のオダギリジョーは「FBIのようなもの」だという広域捜査官。

3年前に熱海で起きた女子高生失踪事件を追っている。

舞台が池袋でも木更津でも東京スカイツリーの押上でもなく、往年の観光地・熱海というのがすでに笑える。

オダギリジョーと三木聡監督のコンビといえば、やはり「時効警察」シリーズ。

「時警」ファンは、この新作を「なんか違う」と言うだろうが、気にしなくていい。

「時警」の続編を避け、また一話完結ではなく続き物にしたことも、警察ドラマの新たな“遊び方”に挑戦している証拠だ。

このドラマを見ていて思い浮かぶのは「ツイン・ピークス」である。

限定された舞台。怪しい登場人物たち。複雑な人間関係。

オダギリジョーはFBI特別捜査官クーパーで、警察署長の松重豊は保安官トルーマンだ。

「ダブルRダイナー」みたいな店には小島聖のウエイトレスもいる。

そして消えた4人の女子高生がローラ・パーマーだ。

その中の1人が突然生還したことで、寛一・お宮の熱海は、アメリカ北西部の田舎町ツイン・ピークスと化してしまった。

そう、事件は解決なんかしなくていい。

増えるばかりの謎と深まる一方の混迷の中、オダギリジョーにはひたすら熱海を漂い続けてほしいのだ。

(日刊ゲンダイ 2010.08.17付)


このドラマを担当している、テレ朝の大江達樹プロデューサーから、メールが届いた。

一部抜粋すると・・・・

日刊ゲンダイのコラム読みました。

さすが、先生!
鋭いですねぇ。

「熱海の捜査官」は、
「ツインピークス」の他にも、
「犬神家」「ピンクパンサー」など
往年の名作のオマージュが散りばめられ、
分かる人には分かる、
分からない人は分からなくていい、
という不親切なドラマになっています。

ですので、
視聴率は想定の範囲内です(笑)。


・・・・だそうです。

どんどん不親切にやって下さい(笑)。

言葉の備忘録29 小林信彦『昭和が遠くなって』

2010年08月16日 | 言葉の備忘録

毎週の連載を読み、単行本が出たら読み、文庫になったら、また入手して読む。

小林信彦さんのエッセイ集は、そういう得難い本だ。

『週刊文春』の連載1年分が、翌年単行本となり、それから数年すると文庫化される。

今回の『昭和が遠くなって~本音を申せば③』(文春文庫)は2006年の連載分。

世の中のあれこれ、政治の話、映画や芸能のこと、この小林さんのエッセイ・シリーズは、私にとって羅針盤か灯台のような存在だ。

文庫だと、単行本にはなかった「解説」が付き、これも毎回、誰が、どんなことを書いてくれるのか、楽しみにしている。

今回は永江朗さんで、これまた嬉しい。

永江さん曰く、「小林信彦の思考は常に重層的であり、時間の軸において複眼的である」。

納得です。


テレビが真実を報じないから、今のような<弱者殺し>の世相になるのです。はっきりいえることは、テレビのニュースは大本営発表になってしまったのです。そんなものを観るのは時間の無駄。
――小林信彦『昭和が遠くなって~本音を申せば③』

言葉の備忘録28 倉本聰『歸國』

2010年08月15日 | 言葉の備忘録

舞台『歸國』の戯曲である。

14日夜、TBSで放送されたドラマは、この戯曲を“原作”としたものだ。

今の日本を見ようと、65年ぶりに帰国を果たした英霊たち。

深夜から明け方までのわずかな時間に、故国と向き合う。


人は二度死にます。一度目は肉体的に死んだ時。二度目は、
完全に忘れ去られた時。
――倉本聰『歸國』

ドラマ『歸國』を見た

2010年08月15日 | テレビ・ラジオ・メディア

TBSのドラマ『歸國(きこく)』を見た。

ずいぶん前から期待していた。

リアルタイムで見ようと、海外旅行の日程も調整し、まさにこれに合わせて“帰国”したのだ。

何しろ、「脚本:倉本聰、演出:鴨下信一」という組み合わせは、ドラマというジャンルを超えて、ちょっとしたテレビ的イベントに近い。

期待して当然なのだ。


見終わってみて、まず、このドラマが訴えたかったこと、伝えたかったことを思った。

テーマだ。現在の日本に対する一種のアンチテーゼ。

また、1本のドラマとして、それも“倉本ドラマ”として、あれこれ思うところがあった。

倉本さんは、番組サイトで、こう言っている。

「戦後十年目の日本人と、戦後六十余年たった現在の日本人の生き方、心情は、それこそ極端に変わってしまった。戦後十年目に帰還した英霊は、日本の復興を喜んだかもしれないが、あれよあれよという間に、経済と科学文明の中で己を見失って狂奔している今の日本人の姿を見たら、一体、彼らは何を想うのか。怒りと悲しみと絶望の中で、ただ唖然と立ち尽くすのではあるまいか」

そう、このドラマの底流には、倉本さんの、今の社会への憤りや怒り、さらに悲しみがある。

時には、そうした思いを盛り込んだドラマがあるべきだと思う。だから期待していたのだ。

ただ、とても残念なことに、このドラマの中の英霊たちは、倉本さんがいう「経済と科学文明の中で己を見失って狂奔している今の日本人の姿」を、ちゃんと見せてもらってない。

彼らは、深夜、人気のない街を歩き、眺め、自分と関係のある人には会った。

しかし、英霊たちが「怒りと悲しみと絶望」を感じるような「今の日本人の姿」は、目にしていないと思うのだ。

言葉では出てくる。

「(物質的には)豊かになったけど、(精神的には)どんどん貧しくなってる」といった意味の台詞もある。

舞台劇(このドラマの原作は戯曲だ)ならそれでもいい。だが、ドラマでは説明に聞こえてしまう。

つまり、ドラマ『歸國』のシナリオの多くの部分が、戯曲『歸國』と重なっていたため、どこか違和感があったのではないか。

特に、生瀬勝久が演じた狂言回しともいえる立花元報道官が、何でも言葉で説明しているように見えてしまうのだ。

もしかしたら、舞台とは違う見せ方が、ドラマのシナリオや演出にあってもよかったのではないか。そんなふうに思う。

全体として、前述した倉本さんの「今の日本への憤り、怒り、悲しみ」を、ストレートな形で提示したにも関わらず、見る人たちに十分伝わっていなかったようなモドカシサがあった。

また、何人かの兵士にまつわる、いくつものエピソードが、今の「日本人」の代表や象徴というより、あくまでも個々(個人)のケースに見えてしまうのも残念だった。

繰り返すが、英霊たちに、「経済と科学文明の中で己を見失って狂奔している今の日本人の姿」を、言葉だけでなく、ビジュアルとして見せて欲しかった。

もちろん、午前1時すぎから4時すぎまで、という英霊たちの“時間制限”では難しいのだが。


映像では、闇に浮かびあがる靖国神社の鳥居に向かって兵士たちが歩いていくロングショットなど、とてもよかった。

言葉の備忘録27 手塚治虫『紙の砦』

2010年08月14日 | 言葉の備忘録

手塚治虫さんの作品群の中から、「戦争」をテーマとした漫画を集めたのが『手塚治虫の描いた戦争』(朝日文庫)。

6年前に『ぼくの描いた戦争』としてKKベストセラーズから出たものが文庫になったのだ。

「ブラックジャック」シリーズの1篇などを含む12篇が並んでいる。

その中で、手塚さん自身といえる中学生が主人公の「紙の砦」が胸に迫る。

戦時中、勤労動員で送られた工場。漫画を描きたい一心の少年の居場所などない。どれほど虐められたことか。

空襲を受けて工場が炎上する。少年は運よく無事だったが、仲良くなった少女は重傷を負う。

やがて終戦、いや敗戦。

しかし、その後、少女の行方はわからなくなってしまう。どこかで生きていてくれたら、と祈りたくなる。

戦後、漫画家となった少年の描く女の子の顔には、あの時の少女の面影が宿っていた。


戦争が終わったら 
自由にマンガ 
かけるようになるだろうね
ぼくは
マンガ家に
なるよ!
――手塚治虫『紙の砦』

NHK「ジブリ 創作のヒミツ 宮崎駿と新人監督 葛藤の400日」

2010年08月14日 | テレビ・ラジオ・メディア

帰国してから、録画しておいた番組を見続けている。


その中の1本が、10日にオンエアされたNHK「ジブリ 創作のヒミツ 宮崎駿と新人監督 葛藤の400日」。

公開中のジブリの新作「借りぐらしのアリエッティ」のメイキングであり、米林宏昌監督への密着ドキュメントだ。


アニメーターとして高い評価を得てきた米林さんが、宮崎駿さんから「監督」の指名を受ける。

それから完成まで、400日間の舞台裏が、73分の番組となっていた。

まず、米林監督の人柄が、何ともいいのだ(笑)。

大人しいというか、控え目というか、素直というか、純粋というか、とにかく応援したくなる。

ジブリの新人監督さんは、宮崎駿監督という強烈なカリスマを、いわば乗り越えていかなくてはならない。

また、自作が、巨大な興行収入を稼ぐ“ヒット作”となることを目指さなくてはならない。

そのプレッシャーたるや、すごいものだと思う。

米林監督は、悩みながらも、一歩ずつ、丁寧に作品と向き合っていく。その悩む姿がいじらしい(笑)。

同時に、それをじっと我慢しながら見守る宮崎監督の姿も印象的だった。まるで、崖から我が子を突き落とす獅子の如く、で。

番組では、アニメ作りの細かい部分も見せている。

基本は、紙に描いて、パラパラとめくって、動きを確認していく。描いて、パラパラ、消して、パラパラを繰り返す地道な作業。

それが、やがて、あのジブリアニメとなっていくのだ。

完成試写が終わり、宮崎監督が米林監督の手をとり、高く掲げるシーンは、ちょっと泣けてきた。


こりゃ、近々「借りぐらしのアリエッティ」を見にいかなきゃなりません(笑)。

言葉の備忘録26 赤染晶子『乙女の密告』

2010年08月13日 | 言葉の備忘録

芥川賞である。

芥川賞受賞作である。

つい先日、市川真人『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったのか』(幻冬舎新書)を読んだばかりなので、芥川賞に過敏になっているのかもしれない(笑)。


これまでに読んだ芥川賞受賞作で、一番インパクトがあった、そして、そのインパクトを今も記憶している作品は何か?

そんなふうに問われたら、どうするか。

多分、1976年の村上龍『限りなく透明に近いブルー』を挙げると思う。

『ブルー』から34年。

それこそ数多(あまた)の受賞作が生まれ、受賞作家が登場した。

現在も活躍中の作家ばかりとは言えないが、それでも我が国の「ジュンブンガク」を支える人たちが並んでいる。

ただ、正直言って、この何年かの芥川賞受賞作を、すぐに思い出せない。内容も、ぱっと浮かんでは来ない。

しかし、今回の、赤染晶子『乙女の密告』(新潮社)には、かなり強い印象を受けた。


京都の外国語大学に学ぶ乙女(女子学生)たち。

バッハマン教授が担当するドイツ語のスピーチのゼミ。

教材は『ヘト アハテルハイス』。日本語の題名『アンネの日記』。

スピーチ・コンテストの暗唱の部は、その一節が課題だ。

みか子、貴代、麗子様、百合子様など、乙女たちは、練習を重ねる。

その裏で、学内で、ある事件が起こる。いや、事件の“噂”が流れる。

やがて、アンネと彼女をめぐる人々の“真実”が、乙女たちの“真実”と、不思議な共鳴を始めるのだ。

おいおい、この作品、読みやすくて、どんどんページが進んでいくが、そこに仕込まされた、仕掛けられたものは、実はかなり危険な、かなり深い、そして重いものじゃないのか。

そんなことに気がつくと、また最初から読み直したりしてしまい(笑)、久しぶりでジュンブンガクに熱くなってしまった。

そもそも、ブンガクってもんは“危険物”のはずであり、その意味で、本書は久々の“問題作”なのではないかと思います。


どうか、忘れるということと戦ってください
――赤染晶子『乙女の密告』