「屋久島で噴火?」勘違いの風評懸念 予約取り消しも
今年の流行語は風評被害ですかね。しかし段々とその対象が劣化してきている気が・・・
箱根の時は結構厳しいことを言いましたが、何も屋久島はこの前行ってきたから庇っているわけではありません。確かに史上初の噴火警戒レベル5の発令は驚きましたけど、屋久杉のでき方でも言及した通り、あの島は火山でなく花崗岩が盛り上がってできた島だと知っていますし、今回噴火した口永良部島とは30kmも離れているから被害が及びようもないことは自明だと思っているので、旅行をキャンセルする連中を杞憂だと馬鹿にできるわけです。同様に御嶽山から飛騨高山も30km以上離れていますけど、箱根の観光地は火口2kmも離れていません。もし同程度の爆発的な噴火が起きた場合、噴煙はもちろん風向き次第では火砕流に飲み込まれる危険があるからこそ、観光地の人々も早目に避難した方が良いと進言したまでです。
このように、どこが危険でどこが危険でないかは、気象庁や現地の発表を待つまでもなく、ある程度常識に照らし合わせつつ自分で地図を開いたり必要な情報を検索したりするだけで簡単に調べることができるわけです。しかし今、「不安だから」という根拠も何もない単なる感情のみの判断で屋久島旅行をキャンセルしている人達が多いのもまた事実。今や世の中の人は、そんなこともできない知的水準だと言うことでしょうか。それに比べればまだ「安全か」と問い合わせる人の方がまともに見えますが、それにしてもちょっと調べれば分かることですし、本当に義務教育を終えたのか疑いたいくらいです。
「生きる力」の合言葉の下、「教え込む」教育から「自ら考え判断する」教育を20年近く行ってきても、ここ数年の急速なネット・スマホ環境の普及には全く追いつかず、口を開けていれば知識が入って来ると勘違いし自分で調べる努力をしない者が最近急激に増加している気がしますね。昨年度のセンター試験の国語の問題文でも言及されていた通り、ネットでのいわゆる「教えて君」や「教えてあげる君」の増加というのは、実際非常に深刻な問題なのかもしれません。
自分が子どもの頃はネットなんてありませんでしたから、分からないことや疑問に思ったことはまず親や先生に聞くしかありませんでした。しかし大人も面倒がり「自分で調べなさい」と言われるので、辞書や本を読んで調べるわけですが、自分の疑問にズバリ答えてくれる本は極稀であり、よく回り道を強いられ、派生して色んな知識が身についたものです。今はそういったプロセスを経ないまま、過去に同じ質問がされていないかすら調べずに質問し、安易に最短ルートで回答を得、それが正しいかどうかの確認もせずに信じてしまうという人がとみに多いのでしょう。これは一見「便利な世の中」になったように見えますが、果たして本当にそうなのでしょうか。教えられた情報が間違っている可能性もありますし、何故そうなるかの根拠も理解しないまま知っている気になっている人が、その情報を生かしきれるとは到底思えないからです。しかし本気で理解したいと願っても、ネットの検索は情報が溢れかえりどれが正しいか判断し辛いですし、本もネットのせいで出版不況になり、理論体系までしっかりと示したまともな本が少なくなってしまいました。自分は逆に、最近は情報を「識る」という点においては非常に「不便な世の中」になってしまったように思えてなりません。その結果、テレビで「屋久島町の口永良部島」と聞いただけで「大変だ屋久島旅行やめよう。」というわけの分からない選択に走ってしまうわけです。「正しく怖がる」ためにも最低限の情報は自分できちんと調べることは必須ですし、そのために義務教育はしっかりと勉強した方が良いですな。
まあここまで来てしまったら、伝える側も自分の流した情報を正しく受け取れる人ばかりじゃないということを心して、「この地震による津波の心配はありません」と言うような多少わざとらしい言い方をした方が良いのかもしれませんね。「屋久島町から30km遠く離れた口永良部島が噴火しました。この噴火による被災地は半径○km以内に及び、それ以上離れた地域は心配ありません。したがって屋久島に被害はありません。海路・航路ともに安全です。ヤクシマルヒロコさんとも関係ありません。」とか・・・
何かこんな感じに色々配慮して本質から外れていくコントをアンジャッシュがやっていたような(笑)
今年の流行語は風評被害ですかね。しかし段々とその対象が劣化してきている気が・・・
箱根の時は結構厳しいことを言いましたが、何も屋久島はこの前行ってきたから庇っているわけではありません。確かに史上初の噴火警戒レベル5の発令は驚きましたけど、屋久杉のでき方でも言及した通り、あの島は火山でなく花崗岩が盛り上がってできた島だと知っていますし、今回噴火した口永良部島とは30kmも離れているから被害が及びようもないことは自明だと思っているので、旅行をキャンセルする連中を杞憂だと馬鹿にできるわけです。同様に御嶽山から飛騨高山も30km以上離れていますけど、箱根の観光地は火口2kmも離れていません。もし同程度の爆発的な噴火が起きた場合、噴煙はもちろん風向き次第では火砕流に飲み込まれる危険があるからこそ、観光地の人々も早目に避難した方が良いと進言したまでです。
このように、どこが危険でどこが危険でないかは、気象庁や現地の発表を待つまでもなく、ある程度常識に照らし合わせつつ自分で地図を開いたり必要な情報を検索したりするだけで簡単に調べることができるわけです。しかし今、「不安だから」という根拠も何もない単なる感情のみの判断で屋久島旅行をキャンセルしている人達が多いのもまた事実。今や世の中の人は、そんなこともできない知的水準だと言うことでしょうか。それに比べればまだ「安全か」と問い合わせる人の方がまともに見えますが、それにしてもちょっと調べれば分かることですし、本当に義務教育を終えたのか疑いたいくらいです。
「生きる力」の合言葉の下、「教え込む」教育から「自ら考え判断する」教育を20年近く行ってきても、ここ数年の急速なネット・スマホ環境の普及には全く追いつかず、口を開けていれば知識が入って来ると勘違いし自分で調べる努力をしない者が最近急激に増加している気がしますね。昨年度のセンター試験の国語の問題文でも言及されていた通り、ネットでのいわゆる「教えて君」や「教えてあげる君」の増加というのは、実際非常に深刻な問題なのかもしれません。
自分が子どもの頃はネットなんてありませんでしたから、分からないことや疑問に思ったことはまず親や先生に聞くしかありませんでした。しかし大人も面倒がり「自分で調べなさい」と言われるので、辞書や本を読んで調べるわけですが、自分の疑問にズバリ答えてくれる本は極稀であり、よく回り道を強いられ、派生して色んな知識が身についたものです。今はそういったプロセスを経ないまま、過去に同じ質問がされていないかすら調べずに質問し、安易に最短ルートで回答を得、それが正しいかどうかの確認もせずに信じてしまうという人がとみに多いのでしょう。これは一見「便利な世の中」になったように見えますが、果たして本当にそうなのでしょうか。教えられた情報が間違っている可能性もありますし、何故そうなるかの根拠も理解しないまま知っている気になっている人が、その情報を生かしきれるとは到底思えないからです。しかし本気で理解したいと願っても、ネットの検索は情報が溢れかえりどれが正しいか判断し辛いですし、本もネットのせいで出版不況になり、理論体系までしっかりと示したまともな本が少なくなってしまいました。自分は逆に、最近は情報を「識る」という点においては非常に「不便な世の中」になってしまったように思えてなりません。その結果、テレビで「屋久島町の口永良部島」と聞いただけで「大変だ屋久島旅行やめよう。」というわけの分からない選択に走ってしまうわけです。「正しく怖がる」ためにも最低限の情報は自分できちんと調べることは必須ですし、そのために義務教育はしっかりと勉強した方が良いですな。
まあここまで来てしまったら、伝える側も自分の流した情報を正しく受け取れる人ばかりじゃないということを心して、「この地震による津波の心配はありません」と言うような多少わざとらしい言い方をした方が良いのかもしれませんね。「屋久島町から30km遠く離れた口永良部島が噴火しました。この噴火による被災地は半径○km以内に及び、それ以上離れた地域は心配ありません。したがって屋久島に被害はありません。海路・航路ともに安全です。ヤクシマルヒロコさんとも関係ありません。」とか・・・
何かこんな感じに色々配慮して本質から外れていくコントをアンジャッシュがやっていたような(笑)