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産業革命遺産の光と闇

2015年06月22日 | 時事
世界遺産登録、日韓協力で一致 「徴用工」記載で調整
奇しくも今日は日韓国交正常化50年の記念の日。余り釈然としませんが、とりあえず産業革命遺産正式登録に向けての障壁は無くなったと見て良いようですね。

韓国は当初「我が国にとっては負の歴史だから」と反対していましたが、余りにも子どもじみた言い分だったことに気づいたのか(笑)途中から「登録自体には反対しないが負の部分を隠して登録するべきでない」という主張に変えてきました。日本も当初は全く相手にしていなかったものの、まあ戦時中「徴用」があったことは事実ですから、徴用工について自発的に説明することで折り合いをつけた模様です。コレに関わって韓国の朴大統領も自国内の深刻なマーズ問題も放り投げて告げ口外交に勤しむ始末ですし、もしこのまま登録の可否を巡る投票になれば、事実上各国が日本につくか韓国につくかの旗幟を鮮明にしなければいけなくなってしまい、結果次第で韓国自体が転覆の危機に陥ってしまうことと、そうなった場合流石に外交・経済戦略上困る国も多いでしょうから、事前に「我々が判断しなくて良いよう折り合いをつけてくれ」と頼まれていたことから、それらの国を立てて配慮した結果、今回の合意が得られたという経緯のようです。
自分はもちろん登録に対して他国が干渉すべきでないと思っていますし、韓国がかつて自ら滅ぼした親日的な「百済文化」を登録させようが何の感慨も異論ももちません。ただ、ちょっと韓国を忘れてみて、「世界遺産は良い部分だけに光を当てれば十分で、闇の部分には蓋をするべきか」と考えれば、やはりそれは違うのではないかと思います。

この前行ってきた富岡製糸場でも、「富岡工女」にスポットが当たり、「官営の時代、女性が働ける模範的な環境だった」と説明されていました。しかし、少し調べれば115年の歴史のうち官営の時期は僅か20年しかないことが分かりますし、官営ならば模範工場となるために外国人技術者に高い給金を払ったり、体面重視で採算度外視の経営をしたりしても文句は出ませんが、そもそも民営化は採算が取れなくなって初めてするものですし、いざ払い下げられればたちまち利益優先で労働環境がどんどん悪くなってしまうのは想像に難くありません。その後の過酷な子女労働は「女工哀史」、「ああ野麦峠」などでも語られ、明治政府に初めて労働者保護法を作らせたほどのブラック企業だったわけです。しかも、このような富岡製糸場の負の側面は帰ってから調べて分かったことで、現地では全く説明されていませんでした。
業種は違えども同じ時代の遺物である産業革命遺産にも当然そう言った過酷な労働事情があったことは推して知るべしであり、何があったか正確に知る術のない1000年も前の遺産でなく、僅か100年前のリアルな遺産であるからこそ、「良い時代があった事実」も「悪い時代があった事実」も包み隠さず記録し後世に伝える必要があると思います。ある分野で模範的な素晴らしい人物がいた場合、その人が人格的にも完全無欠で他の面も全て良く見えてしまう現象を「ハロー(後光)効果」と言いますが、韓国に指摘されるまで世界遺産の後光に目が眩み、自身のマイナス面を客観的に見られなかったとしたら、それは恥ずべきことだと思います。それこそ最初から自発的に動いておくべきだったのではないでしょうか。
世界遺産は外国のガイドブックやツアー会社などでも紹介され、多くの外国人がそこを目指して訪日するようになるわけですから、「登録された時代は理想だった」と言い張り、良い面だけ闇雲に「俺スゲー!」と讃えるだけでは、国際的に見ればやはり本当の意味での理解はされず、逆に「日本は誠実でない」と思われてしまう恐れすらあります。今年実際に富岡・八幡・軍艦島と見てきた自分が、色々と問題点を調べた今でも各地を素晴らしい文化遺産だと思っているのは間違いないですし、この前白川郷と富岡が生糸繋がりで交流を始めたというニュースもあり、保護し続ければまた文化の花が未来に向かって開くこともあるわけです。こういう類の問題は近代遺産にはつきものだと捉え、事実は事実として認めた上で堂々と「それでもここは世界に誇れる遺産だ」と胸を張れば良いでしょう。そうすることができる価値や魅力が富岡にも九州にも十分にあると思うからこそ、この際コソコソとしたことはすべきでないと思う次第です。

ただはっきりさせないといけないのは、「徴用」は厳密に言うと自国民も含む「徴兵」以外の戦時動員のことで、当時日本人だった朝鮮人は、日本人と同様に赤紙や白紙によって徴兵、徴用されていても何ら問題はなかったということと、捕虜の徴用についても国際法上(ハーグ陸戦条約)認められ、当時どこの国でも普通に行われたもので、奴隷的な意味合いの強い「強制労働」とは直接結びつかないということです。これもまた日本お得意の「日本語の複雑怪奇さで誤魔化す作戦」の一つかもしれませんけど、例えば話題の軍艦島では、当時の朝鮮人の手記に「それはあたかも強制労働のようだった」という記述が残っており、当の本人が「あたかも」と記したと言うことは、過酷な動労環境であったことは否定できないまでも「強制労働」ではなかったという証明に他なりません。また終戦後、朝鮮人達は自由に祖国に帰れるようになったにも関わらず軍艦島に留まって仕事を続ける人がいたことも事実ですし、朝鮮人専用遊郭も存在し、戦後になってもずっと営業していたということは、彼らが強制労働でなくちゃんと工賃をもらっていた証明にもなるわけです。事実を事実の通り自発的に伝えると、恥ずかしいのはどうも日本ではないような気もするのですが・・・これが望みだったと言うことで良いのですかね?

いずれにせよ、日本は“言霊の幸わう国”であり、慰霊や鎮魂、参拝等、「祈り」は日本にある多くの世界遺産に欠かせない要素になっています。画像は近くのお寺にあった富岡工女達のお墓ですが、ここは一つ、軍艦島にも朝鮮人の慰霊碑の一つでも入口にこれ見よがしにこしらえ、器の違いを見せ付けてやれば良いと思います。日本人はそういうのがあると拝まずにはいられない民族ですし、あの島はどうせそう遠くない未来に侵食されてなくなってしまうでしょうから、禊も早く済むでしょう。そして韓国の百済遺跡にも白杉江の慰霊碑を建て、観光客に拝ませればお互い様で丁度良い譲歩だと思います。

まあ、自分は絶対行かないと思いますが(笑)