文明開化と共に、女性が働く職場としても富岡は有名だった模様です。
官営の模範工場ということで、全国から働き手を募集し、技能を身につけたら地方に戻って活躍してもらうと言う、今の技能修習生のような制度を取っていたとか。ただ、やはり頭の固い日本人には中々浸透しなかったようで、最初は「西洋人に生き血を吸われる」などという噂が立ち中々集まらなかったとか。おそらくワインを見間違えたのでしょうけど、文明開化といっても古き風習を打破するのは並大抵の努力ではなかったのでしょうね。週休1日、8時間勤務で、それなりの高給だったそうです。その後全国各地で民営化が進み、劣悪な環境の製糸場もあったそうですが、少なくとも明治政府の目指した姿は今と同じ「女性が輝く社会」だったのでしょう。
写真の場所は女工館と言って、フランスから技術指導に来た女性達が住んでいたそうです。良く見ると、鎧戸に格子状の屋根など、厳重に守られていますよね。まさか夜這い防止?(笑)