さて昨晩ほぼ完成していたこの下地・・・けれどね、こう考えるのね。
ねぇkatsu、本当にみんなの作品合体して応えられる下地になってる?・・・ってね。
ってなると、昨晩の下地ではまだまだ・・・と感じてしまったのね。
そもそも昨晩そう感じてしまったのだから問題が山積みって事なのね。
何故ならこんなのはどうだろう・・・。朝、日の光に当たって、明るい所で観る前に
夜、単なる蛍光灯の下で悪さを感じる・・・・せめてそこをしのいで朝になったら
思わぬ駄目出し・・・・って言うのなら、夜は良く見えた・・・ともなろうが、
そう言う事を踏まえたら、とてもとても・・・となったのね。
それが更にアトリエで駄目押しとなる。角嶋の親父さんがいて、おっ下地出来たんだ?と
声を掛けてくれるも、焼いただけの木を見て、何か地味だなっ・・・・
洋風な感じのあじさいに思い切り和風って・・・言われた。くぅぅぅぅぅぅ、やっぱりね
そもそもこれもいつも通り。それはこんな事なのね。
俺も親父も好みも違うし、年齢、生き様、こうして掘り下げれば意見が食い違って当然。
なのに、時々こうして意見が合ってしまう事がある。こう言う時は要注意なのね。
そこは一旦立ち止まれの合図みたいなもん・・・なのね・・・しかも必ず結果は出る。
そう言うものなのね・・・。昔から。
そもそもこんな事は考えなくても判って当然。むしろ親父に指摘されたのが・・・・
くそっ・・・って感じなのねぇ・・・言われて嫌な訳じゃないのね。
言われていたんじゃ駄目なのね・・・芸術家として・・・素人の親父に・・・けれど、
時々当たるのね・・・確立は低いが流石に俺をここに置いているだけはある。
けれど、俺が売れないとそれを証明してあげられないのね・・・・節穴だったって
言われてしまってはいけないのね・・・
そう言う点でも、言われた事が図星になっていたんじゃ駄目なのね。
さてさてそれでは是正となる。まずは形から。枠としての幅を最初から狭くすると
失敗が怖いし、焼くと木が痩せるので益々難易度が上がる。
そこで一旦下地として完成させて余分な木を削って行く方法を取った。これは正解。
それが昨晩合体した理由。だから朝から余分な分を切った・・・これで形の是正終了。
次は色。そもそもこの木では、先日の梟やみどりの文鳥・・・と成功例はある。
だから経験値もある。ニス仕上げもペンキでもいずれにせよデ-タはある。
それを踏まえて、朝かぐやと話すと・・・えっペンキっ・・・と吐き捨てるように
言われた・・・ん・・・・そっかっ・・・参加した中の1番上手い奴の意見がそれ。
これは1つの意見。しかしすでにそれを言われる前にペンキを塗るって言う事は
1つの考え方として持っていた。
それを聞くとかぐやは決まっていた事じゃないか・・・と言ったが、余りの愚かさに
怒る気にもならず・・・あのね、決めてあったのでは無く、正確に言えば持っていた。
つまり意見をゆだねるつもりでは無く、決めているのでも無い。持っていた・・・
ゆだねるつもりなら任せる。決まっているのなら聞く必要は無い。
意見を聞く・・・もし本当に影響力がある作家だったり先生だったりするのなら、
相手は本音を出しづらいはず。それは相手に寄っても違うだろう・・・
しかもかぐやは弟子。念には念と考えれば、手の内を隠し意見を聞く・・・・
当然の事ではあるまいか? これによってかぐやがどの程度、それを感じているのか?も
一目瞭然。朝から弟子から見た俺の力量が判った瞬間だった。
ただ同じ事も言える。つまり弟子の力量をも知る事になる。どちらが正しいか?は
かぐやが決めれば良い事。何を朝からしたのか?・・・付き合って行く以上、
一生付きまとう事・・・・そう憶えていて貰いたいエピソ-ドである・・・・
そもそも師匠katsuとかつさん、かっちゃん・・・どう扱っても相手の勝手だが、
弟子かぁ・・・何ともお粗末なのね・・・メリハリ無くて・・・・。そもそも、
人にモノを教える・・・こんな基礎中の基礎が判らないようじゃ、人としての生き様が
聞かずとも知れている。こんな事では親として子供の意見を聞いているとは思えない。
つまり自分が上の立場であるのなら、こうしたモノの考え方が判って当然。
しかも人にモノを習う姿勢って言うのがあると思うのだが・・・弟子としてなら。
そこを恐縮ですが・・・と自分の意見を言うのでは無いか?まっそれが出来ないから
修行しているのだから、それ以上言った所で判るはずも無い・・・・残念だが。
そもそも己の立場をわきまえていない証拠なのね。ばかちんはこの態度で望みながら
都合が悪いと自分の位置を下げる・・・それが体裁で生きて行く一番初歩。
安心したいのなら一番下で生きる事。そうすればねたまれないし、争い事も起きない。
多分ね・・・ただ世の中絶対は無いのね・・・母ちゃんが言ってた・・・・
では例外があったとしたら・・・あはははは。簡単な事。他人さんの評価が高かった時。
どうする気なんだろうか?テレチャンの時の俺にでもなるのか?ばかちんが・・・
何度も言うが、優勝した時のパ-ティの中で製作会社の偉い人からおめでとう・・・と
言われて、いえいえ・・・たまたまです・・・みんなのお陰です・・・と
当たり前の言葉・・・有難うございます・・・が言え無かった・・・その時に、
1度の謙遜なら美徳だが何度もやるとイラっとする・・・と言われた。
理由は1つ。勝った者はまだ良いが、負けた者にも同じようにねぎらいのパ-ティに行く
俺達の気持ちにもなれ・・・だった。
その時に俺は、褒められた事が無いから正しいリアクションが判らない。
人に勝っても嬉しく無いし、負けても嬉しくない。俺はそれまで頑張って引き分け・・・
・・・・を目標にして、負けない・・・・ただでは・・・と生きていた。
だから勝った時のリアクションなんて持っているはずも無かった・・・・すると、
ならばこれから、有難うございます・・・また頑張ります・・・とでも言えるように・・
と教わった。しかし俺がそれで自分なりに解釈したリアクションはこれだった。
決勝での対戦相手の家に遊びに行き、何回戦っても負けないように頑張ります。
世界一目指して・・・・いつか必ず迎えに来ます・・・その時まで待っていて下さい。
これにした。だから世界遺産なんてたわけた事を掲げてやってんのね・・・・。
俺がこんな事を掲げているのだから馬鹿にされているうちは笑われるだけで問題は無い。
がしかし、もし認められているとしたら?そんな場所、そんな人と出くわしたら・・・
果たしてどんなリアクションが弟子として出来るのだろうか?すでにかぐやは2度失敗を
している。岐阜がらみでね・・・まぁ良いリベンジの場所を見つけたのでお手並み拝見。
美術の関係者と会うのね・・・さてどの位の成長してんだか見せて貰おうかっ・・・
下について楽すんのか?katsuの弟子を名乗るつもりなのか?心構えがあるのなら、
しっかりとした話は持っているんだろうが・・・ただ聞いているだけでなく・・・。
心技体の心。どの程度なのかな・・・かぐや・・・
そんな事を踏まえれば、みんなの作品意味を知り、それに応える・・・上に立つもので
あるのなら、結果も問われて当然でしょ?
更に踏まえて言えば、かぐやの否定、親父の意見、何も用意していなければ迷う事に
なりゃしないか?そもそも人に会う、質問を受けるかも知れない・・と考えているのなら
自分の考えはいついかなる時も持っていなければいけない。しかし、決めてもいけない。
俺の意見が正しくなるのは売れた後であって、まだそんな特権は無い・・・・
何故ならこれはあくまで趣旨はみんなで作る・・・なのだから。
これを踏まえて考えればどんな色が適正か?となった時に、こんな考え方があるだろう。
鎌倉の美術館で展示・・・かぐやは普通に美術館と言う格式、そして観る人の年齢を
考えて焼いた木のままの雰囲気が良いと言ったのであろう・・・
当然それは普通に考えて当たり前。誰でも考えるだろう。
所が親父は大工で和風が大好きな人。なのにあじさいを見て、洋風なのに和風ソ-ス・・
みたいな表現をした。見たまま、感じたまま・・・ね。
では俺の持っていた意見は? 確かに鎌倉の美術館の展示だけれど、その後何処行く?
そうニュ-ゆみんち。余りに和風過ぎしないか?まだ若い人なのね。
となると、もう一度考え直す。美術館って何だ・・・?からね・・・
俺はハイカラさんが集まる場所だと思っているのね。だって貧乏人じゃ中々縁が無いし、
遊びに行くって場所じゃないでしょ?だって映画に行くとか、遊園地じゃない。
娯楽施設とは違うのね・・・・つまり文化教養の場所。敷居は消して低くない。
そんなハイカラな年配者にも受けが良く、でもニュ-ゆみんちにも合う・・・果てさて。
となると、キ-ワ-ドはハイカラとなる・・・つまり普通じゃなくてハイカラ。
ハイカラならニュ-ゆみんちにも合うかも知れない・・・ハイカラねぇ・・・
ハイカラと和風のブレンド・・・・木を焼く・・・形は和風、だから問題は色となる。
そこでやり過ぎない程度のハイカラな色とは・・・?それが紫。
おそらくこんな所だろう・・・それが俺が持っていた考え・・・・
ただ常に無難って・・・・と言っている俺。となると、いくらかチャレンジ・・・とか
斬新・・・なんて事が必要かな?とか、やっぱり無難かなぁ・・・?とか迷いも出る。
それが中途半端になって、最初は茶色っぽく塗ってしまった・・・それを親父が見て、
あの意見となる・・・。チャレンジしに行くつもりが地味になってどうする?って話。
まっ情けない話だが、遠回りしながらの着地って感じ。
それで俺はかぐやにこんな話をした。不謹慎かも知れないが、人の上に立って生きようと
するのなら、パイロットなんかをイメ-ジしてみっ・・・ってね。
何も起きなければ無事着地。しかしもしトラブルがあった場合、回避しなければならない
その時にどう残りのガソリンを有効に使えるか?すべて任されている人の責任。
命を預かる。人の作品を預かる。重みが違うが、しかし相手の大事なものに違いない。
お教室での目地なんて言うのも同じ。頑張って張った人の仕上げをする。
それなりの重みはあるはずである。作品の依頼を受けるとて同じ事。
自分の分を完成する・・・それだけではみんなと一緒になる。
上手いだけなら技が優れているだけ。心と言うのは、こう言う心使いや気配りであって
師匠としてもまだまだ未熟と考えているのに、それに教わっているのであれば、
当然、心技共々劣っている・・・・勝っているのは若さのみ。そう思うのが普通である。
しかしいつしか技が身に付いて来たのであろう・・・それか慣れかな?
こうやって時々確認しないとすっかり忘れてしまう・・・・。かぐやは弟子だから言う。
それは言わなきゃならないから。判って当然なのだから。
正直そうは言いつつも、常連にも一緒にやりたい・・・と名乗った場合のみ、
ほんの軽くだけは伝えてはいる・・・・自分の身を下に置いて楽して生きるなっ・・と。
そして思い上がりとは・・・・一体何か?考えろ・・・とね。
更に言えば、誰にでもそんな強要じみた事を言うつもりは無い。
俺はそんな事を言わない人もいる。自分より先輩や男の人には言うつもりは全く無い。
聞く耳を持たない人にも、一緒に生きない人にも言うつもりも無い。
当然、体験教室なんて人達には楽しく・・・をモット-にしている。
そもそも思想は戦争にも繋がるもの・・・強要なんてするはずは無い。
必要な人が何かの足しにでもなれば・・・これ幸いくらいな話であって、
どう感じようが勝手で良い。ただ一緒に作るとなれば話は別って言っているだけ。
仕事だから・・・。ただそれだけ。
そう一緒であるべき・・・は、仕事の時のみ。
まっそんな訳で結果はまずまず。
ねぇkatsu、本当にみんなの作品合体して応えられる下地になってる?・・・ってね。
ってなると、昨晩の下地ではまだまだ・・・と感じてしまったのね。
そもそも昨晩そう感じてしまったのだから問題が山積みって事なのね。
何故ならこんなのはどうだろう・・・。朝、日の光に当たって、明るい所で観る前に
夜、単なる蛍光灯の下で悪さを感じる・・・・せめてそこをしのいで朝になったら
思わぬ駄目出し・・・・って言うのなら、夜は良く見えた・・・ともなろうが、
そう言う事を踏まえたら、とてもとても・・・となったのね。
それが更にアトリエで駄目押しとなる。角嶋の親父さんがいて、おっ下地出来たんだ?と
声を掛けてくれるも、焼いただけの木を見て、何か地味だなっ・・・・
洋風な感じのあじさいに思い切り和風って・・・言われた。くぅぅぅぅぅぅ、やっぱりね
そもそもこれもいつも通り。それはこんな事なのね。
俺も親父も好みも違うし、年齢、生き様、こうして掘り下げれば意見が食い違って当然。
なのに、時々こうして意見が合ってしまう事がある。こう言う時は要注意なのね。
そこは一旦立ち止まれの合図みたいなもん・・・なのね・・・しかも必ず結果は出る。
そう言うものなのね・・・。昔から。
そもそもこんな事は考えなくても判って当然。むしろ親父に指摘されたのが・・・・
くそっ・・・って感じなのねぇ・・・言われて嫌な訳じゃないのね。
言われていたんじゃ駄目なのね・・・芸術家として・・・素人の親父に・・・けれど、
時々当たるのね・・・確立は低いが流石に俺をここに置いているだけはある。
けれど、俺が売れないとそれを証明してあげられないのね・・・・節穴だったって
言われてしまってはいけないのね・・・
そう言う点でも、言われた事が図星になっていたんじゃ駄目なのね。
さてさてそれでは是正となる。まずは形から。枠としての幅を最初から狭くすると
失敗が怖いし、焼くと木が痩せるので益々難易度が上がる。
そこで一旦下地として完成させて余分な木を削って行く方法を取った。これは正解。
それが昨晩合体した理由。だから朝から余分な分を切った・・・これで形の是正終了。
次は色。そもそもこの木では、先日の梟やみどりの文鳥・・・と成功例はある。
だから経験値もある。ニス仕上げもペンキでもいずれにせよデ-タはある。
それを踏まえて、朝かぐやと話すと・・・えっペンキっ・・・と吐き捨てるように
言われた・・・ん・・・・そっかっ・・・参加した中の1番上手い奴の意見がそれ。
これは1つの意見。しかしすでにそれを言われる前にペンキを塗るって言う事は
1つの考え方として持っていた。
それを聞くとかぐやは決まっていた事じゃないか・・・と言ったが、余りの愚かさに
怒る気にもならず・・・あのね、決めてあったのでは無く、正確に言えば持っていた。
つまり意見をゆだねるつもりでは無く、決めているのでも無い。持っていた・・・
ゆだねるつもりなら任せる。決まっているのなら聞く必要は無い。
意見を聞く・・・もし本当に影響力がある作家だったり先生だったりするのなら、
相手は本音を出しづらいはず。それは相手に寄っても違うだろう・・・
しかもかぐやは弟子。念には念と考えれば、手の内を隠し意見を聞く・・・・
当然の事ではあるまいか? これによってかぐやがどの程度、それを感じているのか?も
一目瞭然。朝から弟子から見た俺の力量が判った瞬間だった。
ただ同じ事も言える。つまり弟子の力量をも知る事になる。どちらが正しいか?は
かぐやが決めれば良い事。何を朝からしたのか?・・・付き合って行く以上、
一生付きまとう事・・・・そう憶えていて貰いたいエピソ-ドである・・・・
そもそも師匠katsuとかつさん、かっちゃん・・・どう扱っても相手の勝手だが、
弟子かぁ・・・何ともお粗末なのね・・・メリハリ無くて・・・・。そもそも、
人にモノを教える・・・こんな基礎中の基礎が判らないようじゃ、人としての生き様が
聞かずとも知れている。こんな事では親として子供の意見を聞いているとは思えない。
つまり自分が上の立場であるのなら、こうしたモノの考え方が判って当然。
しかも人にモノを習う姿勢って言うのがあると思うのだが・・・弟子としてなら。
そこを恐縮ですが・・・と自分の意見を言うのでは無いか?まっそれが出来ないから
修行しているのだから、それ以上言った所で判るはずも無い・・・・残念だが。
そもそも己の立場をわきまえていない証拠なのね。ばかちんはこの態度で望みながら
都合が悪いと自分の位置を下げる・・・それが体裁で生きて行く一番初歩。
安心したいのなら一番下で生きる事。そうすればねたまれないし、争い事も起きない。
多分ね・・・ただ世の中絶対は無いのね・・・母ちゃんが言ってた・・・・
では例外があったとしたら・・・あはははは。簡単な事。他人さんの評価が高かった時。
どうする気なんだろうか?テレチャンの時の俺にでもなるのか?ばかちんが・・・
何度も言うが、優勝した時のパ-ティの中で製作会社の偉い人からおめでとう・・・と
言われて、いえいえ・・・たまたまです・・・みんなのお陰です・・・と
当たり前の言葉・・・有難うございます・・・が言え無かった・・・その時に、
1度の謙遜なら美徳だが何度もやるとイラっとする・・・と言われた。
理由は1つ。勝った者はまだ良いが、負けた者にも同じようにねぎらいのパ-ティに行く
俺達の気持ちにもなれ・・・だった。
その時に俺は、褒められた事が無いから正しいリアクションが判らない。
人に勝っても嬉しく無いし、負けても嬉しくない。俺はそれまで頑張って引き分け・・・
・・・・を目標にして、負けない・・・・ただでは・・・と生きていた。
だから勝った時のリアクションなんて持っているはずも無かった・・・・すると、
ならばこれから、有難うございます・・・また頑張ります・・・とでも言えるように・・
と教わった。しかし俺がそれで自分なりに解釈したリアクションはこれだった。
決勝での対戦相手の家に遊びに行き、何回戦っても負けないように頑張ります。
世界一目指して・・・・いつか必ず迎えに来ます・・・その時まで待っていて下さい。
これにした。だから世界遺産なんてたわけた事を掲げてやってんのね・・・・。
俺がこんな事を掲げているのだから馬鹿にされているうちは笑われるだけで問題は無い。
がしかし、もし認められているとしたら?そんな場所、そんな人と出くわしたら・・・
果たしてどんなリアクションが弟子として出来るのだろうか?すでにかぐやは2度失敗を
している。岐阜がらみでね・・・まぁ良いリベンジの場所を見つけたのでお手並み拝見。
美術の関係者と会うのね・・・さてどの位の成長してんだか見せて貰おうかっ・・・
下について楽すんのか?katsuの弟子を名乗るつもりなのか?心構えがあるのなら、
しっかりとした話は持っているんだろうが・・・ただ聞いているだけでなく・・・。
心技体の心。どの程度なのかな・・・かぐや・・・
そんな事を踏まえれば、みんなの作品意味を知り、それに応える・・・上に立つもので
あるのなら、結果も問われて当然でしょ?
更に踏まえて言えば、かぐやの否定、親父の意見、何も用意していなければ迷う事に
なりゃしないか?そもそも人に会う、質問を受けるかも知れない・・と考えているのなら
自分の考えはいついかなる時も持っていなければいけない。しかし、決めてもいけない。
俺の意見が正しくなるのは売れた後であって、まだそんな特権は無い・・・・
何故ならこれはあくまで趣旨はみんなで作る・・・なのだから。
これを踏まえて考えればどんな色が適正か?となった時に、こんな考え方があるだろう。
鎌倉の美術館で展示・・・かぐやは普通に美術館と言う格式、そして観る人の年齢を
考えて焼いた木のままの雰囲気が良いと言ったのであろう・・・
当然それは普通に考えて当たり前。誰でも考えるだろう。
所が親父は大工で和風が大好きな人。なのにあじさいを見て、洋風なのに和風ソ-ス・・
みたいな表現をした。見たまま、感じたまま・・・ね。
では俺の持っていた意見は? 確かに鎌倉の美術館の展示だけれど、その後何処行く?
そうニュ-ゆみんち。余りに和風過ぎしないか?まだ若い人なのね。
となると、もう一度考え直す。美術館って何だ・・・?からね・・・
俺はハイカラさんが集まる場所だと思っているのね。だって貧乏人じゃ中々縁が無いし、
遊びに行くって場所じゃないでしょ?だって映画に行くとか、遊園地じゃない。
娯楽施設とは違うのね・・・・つまり文化教養の場所。敷居は消して低くない。
そんなハイカラな年配者にも受けが良く、でもニュ-ゆみんちにも合う・・・果てさて。
となると、キ-ワ-ドはハイカラとなる・・・つまり普通じゃなくてハイカラ。
ハイカラならニュ-ゆみんちにも合うかも知れない・・・ハイカラねぇ・・・
ハイカラと和風のブレンド・・・・木を焼く・・・形は和風、だから問題は色となる。
そこでやり過ぎない程度のハイカラな色とは・・・?それが紫。
おそらくこんな所だろう・・・それが俺が持っていた考え・・・・
ただ常に無難って・・・・と言っている俺。となると、いくらかチャレンジ・・・とか
斬新・・・なんて事が必要かな?とか、やっぱり無難かなぁ・・・?とか迷いも出る。
それが中途半端になって、最初は茶色っぽく塗ってしまった・・・それを親父が見て、
あの意見となる・・・。チャレンジしに行くつもりが地味になってどうする?って話。
まっ情けない話だが、遠回りしながらの着地って感じ。
それで俺はかぐやにこんな話をした。不謹慎かも知れないが、人の上に立って生きようと
するのなら、パイロットなんかをイメ-ジしてみっ・・・ってね。
何も起きなければ無事着地。しかしもしトラブルがあった場合、回避しなければならない
その時にどう残りのガソリンを有効に使えるか?すべて任されている人の責任。
命を預かる。人の作品を預かる。重みが違うが、しかし相手の大事なものに違いない。
お教室での目地なんて言うのも同じ。頑張って張った人の仕上げをする。
それなりの重みはあるはずである。作品の依頼を受けるとて同じ事。
自分の分を完成する・・・それだけではみんなと一緒になる。
上手いだけなら技が優れているだけ。心と言うのは、こう言う心使いや気配りであって
師匠としてもまだまだ未熟と考えているのに、それに教わっているのであれば、
当然、心技共々劣っている・・・・勝っているのは若さのみ。そう思うのが普通である。
しかしいつしか技が身に付いて来たのであろう・・・それか慣れかな?
こうやって時々確認しないとすっかり忘れてしまう・・・・。かぐやは弟子だから言う。
それは言わなきゃならないから。判って当然なのだから。
正直そうは言いつつも、常連にも一緒にやりたい・・・と名乗った場合のみ、
ほんの軽くだけは伝えてはいる・・・・自分の身を下に置いて楽して生きるなっ・・と。
そして思い上がりとは・・・・一体何か?考えろ・・・とね。
更に言えば、誰にでもそんな強要じみた事を言うつもりは無い。
俺はそんな事を言わない人もいる。自分より先輩や男の人には言うつもりは全く無い。
聞く耳を持たない人にも、一緒に生きない人にも言うつもりも無い。
当然、体験教室なんて人達には楽しく・・・をモット-にしている。
そもそも思想は戦争にも繋がるもの・・・強要なんてするはずは無い。
必要な人が何かの足しにでもなれば・・・これ幸いくらいな話であって、
どう感じようが勝手で良い。ただ一緒に作るとなれば話は別って言っているだけ。
仕事だから・・・。ただそれだけ。
そう一緒であるべき・・・は、仕事の時のみ。
まっそんな訳で結果はまずまず。