katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

さてそろそろ作家もやらないと・・・・・

2015-11-09 08:36:43 | モザイク作家
今日は朝から雨。何をすべき・・・・って言うのはひとまず終えたと思うし、そろそろ作家じゃないの?って思い始めたし、それじゃ絵をって話。
そうなるとユーミンママに頼まれた最後の作品となり、前々からイメージはしていたものなので描き始めた・・・・。

今回の3作は全てモチーフが出目金って事で頼まれていて、過去の2作はどちらかと言うとデザインっぽい感じで、何処?って感じでもあった。
それは最後の3作目はきちんと出目金を作ろうとしていたからなのね。

何しろ取り付ける場所が病院のエントランス。なのに出目金ばかり3つもね・・・・。だから思い切り出目金は最後の作品のみにしよう・・・って最初から決めてあったので、今回は思い切り出目金で良いのだけれど・・・・。

じゃどんな?って事になると、それも決まっていて、このエントランスにはすでに3つ俺の作品があって、1つ目は2mもある壁画で、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿はゆりの花・・・・なんて言葉に引っ掛けたのね。お題が芍薬だったんでね。

更にエピソードとして、ユーミンの1作目のモチーフが鯉だったり、お父さんが鯉が好きだと言ったり、その作品の中には携わった家族をモチーフにして盛り込んだのね。そんな1作目から最後の作品のテーマは家族から夫婦に変わったのね・・・。

つまり賑やかだった家族のスタートもいつしか夫婦2人になる。子供達は旅立つからね。だからモチーフは出目金と判るように描いて、更に夫婦と言う事で2匹、更に共に生きる・・・って事を描きたいので、手を繋いで・・・・みたいな感じに見せたいのね。

その時、大事なのは手の繋ぎ方になる。この2つの絵はそんな違いがあって・・・・薄い線の左側の方が良いかな?と思っているんだけれどね・・・・。
それと出目金と頼まれたけれど、判っている人なら判るんだけれど、眼は出ているがこれは蝶尾と言う、尾がアゲハのような形の出目金タイプ。

一概には言えないが、蝶尾の方が値段は高いのね。更に尾の美しさと手を繋ぐには都合が良いのね。理由はそんな事から。
それでもう1つあって、昔はこれを立体でやろうと思っていたんだけれど、今はちょっと変わって来たのね・・・・。

何か立体って言うのは見る人には変わっていて面白いが、作る方としてはモザイク以外の下地って時点で彫刻のような技術が必要になる。
そんなリスクを負って評価は面白い・・・って言うのではね・・・・。それと大きさ。これが大きければ立体としても成立するくらいリアルになるが、

50cm程度の大きさで、そこに2匹・・・・・手間は掛かるわ、評価は面白いわ・・・・それなら、そこは無理に行かないで平面でデザインにした方がお洒落なんじゃないのか?純粋にモザイクで最後に集大成を見せた方が良いんじゃないか?・・・・と気持ちが変わったのね。

それでただ出目金が2匹じゃなくて、完全に出目金には見えているのに、金魚の嫌いな人でも良いかも・・・・と思えるような・・・そんな感じにしていきたいのね。まっ前々から考えていたので、割と早めに具体的な下絵にはなったと思うのだけれど・・・・・。

ただね、こう言うと簡単にここまで来た感じに聞こえても困るが、結構悩んでやってんのね・・・・正直行き詰って・・・そのたんびに額作りをして気分転換して・・・・・・こんな時の額作り。こっちはいくらか慣れて来て、上手く行かないストレスも少なくなって来たのね。

そうなると悩まない分、気分転換くらいにはなるし、出来れば出来たでいずれ使えるし・・・・ね。そんな中、さくらがやって来た・・・・。
随分と調子が悪そうだが、俺の出来る事はモザイク無しなら、状況確認のみ。

何しろ何かが起こる・・・・こう言う場合、必ずその前の段階に何か変化がある。その時にまず俺は師匠であると言うのなら、かなりさくらを見て来たって事を踏まえて、今どの位マイナスなのか?とか考えたりする。その比較対象は一番良い時では無く、比較的普通な時と比べて・・・・。

その時、どの程度変わっているか?を判断して、俺はこう見えるが、本人の見解はどう?と確認をする。その誤差を更に確認させる。それを複雑にすれば、さくらが関わった人達全てになってさくらと向き合った感想を聞かせる。今のさくらをその人達の目線だったら?・・・こうも見えるってね。

勿論、俺がその人達全てを言い当てるとは言わない。がしかし、さくら本人が心当たりのある事に気が付く事があったりする場合がある・・・・。
そんな時、そんな事を思いもせずに相対していた事になる。そもそも俺は何も知らないし、あった事も無い人もいたりする・・・。がしかし、

さくらと出会っている人って言うのなら、俺もその1人であって、俺はそのさくらを良しと考えているから付き合いが成立しているとする。
ならば、付き合い方として俺が良しとしている事を良しとする人だとするのなら?俺が変わらない付き合いをしているのだから、俺と同様みたいな話。

じゃそうならない人がいるとしたら?・・・・まっ簡単な話になる。こんな事を繰り返せば、どうしてこうなっているか?の原因らしきものはかなりはっきりして来る。でもね、仮に判ったとしても、それがあっていたとしても、人間そうは変われない・・・って言うでしょ?

そうなのね・・・・でもね、何も変えようとしなくても良いのね・・・・今確認もしたし。その時に本気でそう感じられたか?どうか?なのね。
もしそれを嫌な気持ちで聞いたとしたら、それは何の役にも立たない。けれどね、もし本気で受け入れる気持ちで聞いたとしたら?

人は変えられずとも、今、脳に話は入ったはずなのね・・・・・入ってしまえば、今意識せずに意識をする記憶の1つになったはず。
そんな場面に出くわした時、あっ・・・・って記憶が蘇れば、進む人には躊躇する間が出来たり、立ち止まる人には背中を押すスイッチの役目にも、

なるかも知れない・・・そんなおまじない的な話・・・・信じる者は救われるのか?触らぬ者に祟りなしなのか?はその人の問題なのね・・・あははは
まっ、そんな事をした後は、俺は1人自問自答になる・・・・・それでお前は?ってね。

人に何か言うって事は、己も同じように問われないと、棚に上げてモノを言う人になってしまう・・・・なるべく先生をやって行くのなら・・・そうならないように・・・と思ったりはする。出来る出来ないはともかく・・・・。

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