katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

リピーターさん教室とカルビの下地の仕込み

2015-11-21 23:57:17 | モザイク教室
今日は午後から昨日の予約間違えによる振り替え。それまでの間はまず塗料を買いにホームセンターに・・・・カルビの新作にどうしても使って見たいものがあって・・・・何しろこんな事をやった事が無いので、どうなるか?は判らないんだけれど・・・・。

さてさてそれじゃ・・・・と軽く1度塗りで様子を見て・・・・。


こんなものをバックにしたいのね・・・・何しろシンデレラチックにしたいって言うのだから、そりゃね・・・どんだけ可愛く仕上がるか?って話。
普通に額です・・・じゃ物足りなくなる。嫌、言い方間違えると差し障りがあるから、そうね・・・例えばかぐやのグレードなら単なる額で十分。

けれど、そうね・・・アシストも多少必要かな?・・・・ってね。バックでいかに上手に編曲やら演奏をしてより良く見せる事を考えた上なのね。
他にはいかにやる気になる気持ちにさせるか?って下地に出来るかどうか?って言う意味もある。

大作って言うのは、みんながどう考えるか?判らないけれど、割と何と無く始まったりもする。こんなのが作りたい・・・そうね、カルビの場合なら、時計が作りたい・・・ってなり、どんな?ってモチーフを考えて来て、馬車になり、馬車の形のままに下地を切るかどうか?となる。

それが四角くしたいって事で、それならバックが必要になる・・・それじゃ馬車に必要なバックは?となり、お城って事になる。この時点で気が付くと、もはや馬車で始まった話が馬車よりもバックの方が大きくなった・・・・って事なのね・・・・。

だってそんな細かいお城が作れるはずが無いし、でも本人は黒い影みたいなお城で何と無く・・・・と思っていたのね。じゃもしそのままやっていたとしたら、本人の言う通りを言葉に置き換えると、四角い形の中に馬車の時計が作りたい。けれど四角いとバックが必要って言われたから、何と無くお城を

ぼやっと作る・・・・って感じだと思うのね。つまり馬車の時計がメインで後は何と無く・・・・。では対比としてみどりの不死鳥を思い出して欲しいのね。同じスタートだと思うのね、あれも。不死鳥が作りたい・・・・で始まった事。馬車で始まってもね・・・・でも大きく違う事がある。

要するにみどりはめいいっぱい不死鳥を大きくする事で、自分の作りたいもののスペースを大きく取った。これによりバックはその残りってスペースしか残らなくなった。つまりメインがメインとして成立する。勿論、これによって後半、残り少ないバックのスペースに苦しむ事になったんだけれどね。

良い事と悪い事は背中合わせなんでね。これ以上広げると元に戻らなくなるから、この程度にして、ではカルビの場合は?となると、四角い形の中に馬車を入れた時にバックを考えると、どうしてもお城を1cmで作るとなるとこの位の大きさになるって大きさが必要になって来るのね。

それはお城の先端の細かさの都合上ね。そうやってカルビの頭にある理想は何と無く想像は出来ても、実際にそれをカルビが作れると思うものに変えて上げると、こんな大きさになった・・・・明らかに馬車を作りたいでは無くなっていて、もはや馬車は作品の一部に過ぎない・・・・。

つまりこんな場合、2つ道があったとして、やりたい事は馬車の時計とするのか?それとも最初はそう思っていたけれど実際は作りたい馬車の時計が入っているし、それじゃモザイクの大作にチャレンジなのか?・・・・みたいにね。

そんな感じで選択をした時にまた2つに分かれたとする。後者のバックありを選ぶと、メインが大きいもの・・・・つまりみどりの不死鳥、ノアのフラメンコみたいなものになり、メインよりもバックが多いとキウイになる。馬車のみって言うのなら棟梁の犬の顔2つなんて言うものかな。

例外と言うのなら、かぐやの女の人、教会、カサブランカ・・・メインはどれ?って言うのもある。そんな中で考えたのは、バックの時間の長さに苦戦する人が多い事、でも馬車のみでは無い理想・・・・こんな事を踏まえて、余分に困らないように・・・でも何と無くのお城では無くしっかり作る。

それによって大作に見せる・・・ってアイデアなのね。少ないスペースで何と無くの部分を無くしてね。いずれにせよ、明日見せて創作意欲が涌けば・・の話なんだけれどね。って事も踏まえて、リピーターさん教室を見て貰えば、この話を引っ張った意味が判ると思うのね。

要するにもし小鳥ありきで作っていたとしたら・・・・小鳥はとっくに終わっていて、バックが果てしない感じになっている。けれど何と無く雰囲気だけなら特に何でも無い話・・・・その時にもしモザイクの練習なんて考えだったりしたら?別に色んな経験が出来れば今後に繋がる。

そんな考え方が出来れば、切る事の練習で色んな形を切る・・・なんて事が出来るが、作品の仕上がりのみに執着すると、安全安心のみを選びたくなる。この安全安心って言うのはクラッシュのみで・・・・みたいな1種類のテクニックのみ・・・みたいな話になる。

そうする事で不慣れな事をせず、慣れる事で進み具合を良くして、飽き無い程度に悩まずに・・・そんな具合で終わると予期しない辛さを味わわずに済むのね。ただクラッシュのみって言うのは、いずれ慣れれば飽きれて来る。何故なら安定感は生まれても質が上がらないから。

例えばストレートのみでストライクが入るようになった・・・・これを繰り返してもいつかそれで?って感じになる。それが単なる的当てなら当たれば良いから別に球種なんてどうでも良いし、単なるキャッチボールならそれでも十分楽しめて何の問題も無い。

けれどひとたび試合に出たい・・・となると、ストレート1本で通用する事はほぼ無い。ではこの場合の試合とは何?って事になると、恐らく自分の作品だけならどんな作り方だろうが構わないが、しかしもしみんなと一緒に・・・・なんて事をいつか・・・と考えたとしたら?

それは色んな経験を積んだ方が良いと思うのね。だからそんな機会の為の練習と考えれば、自分の作品は練習台なんて考え方も出来る。
そんな中、このリピーターさんもいつかみんなと一緒に作って見たい・・・・って話だったので、それなら色んな形を切る練習だと思って、

この作品を取り組んで見て・・・・ってな話となる。そう言う事なら、この作品は作品の良し悪しだけにこだわらずに、色んな形を切る事で練習するって考え方にすれば、この作品が終わると何かしら得る事がある・・・そう思うのね。ただ時間は掛かるかも知れないけれど・・・・。



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