katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイとお母さんの相席教室とシェテラさんの仕事の完成と・・・・

2015-11-27 03:24:09 | モザイク教室
今日は朝からキウイとお母さんの相席教室。まっキウイについては特に何も無し。来れば進んで1日分進んだ・・・・って話で、ではお母さん。


ここはいくらか問題が起こったのね・・・・何が?・・・それはお母さんの気分の問題なのね。明らかにテンションが下がった。何故?それは簡単な事で、
グレードが自分の思っているより下がったから。じゃ何処が?何故?って話になるのだけれど、全ては会話の中にある。

しかも今日はキウイが相席なので、確認するにも丁度良いのね。2人だけだと先生と生徒の関係性では一方的に言われた・・・・って事になる。
けれど、生徒の中で一番上手いキウイが同席となると、明らかにキウイに言われると生徒目線として同等で事が進む。

これが弟子のかぐやでは上手いのは当たり前で、それ程のグレードを求めていない・・・・と言われては、ある意味先生が2人になるだけで、頭ごなしの上乗せになる可能性が高い。これが高みを目指しています・・・・と言い切れる場合だと、素直に受け入れられるのだけれど。

さてそれを踏まえて、どんな話をしたか?を振り返ると、まず慌てて作るつもりは無い。自宅で最近はやっていない。考える事が少しおっくう・・・こんな事を言ってたんだけれど、そんな中、資料は?って聞くと、別にそれに最初から似せるようにはやっていない・・・・だから・・・って、

資料は持っていても観ていなかった。ほぼこれだけ揃えば間違いなく上手くは行かなくなる材料は揃った。それでは検証となる。まず何処が下がったか?それは一番上の花。どうして?それは資料を観なかったから。そして何故?それは勝手に思い込みで進めてしまったから・・・。

まず一番最初に作った一番下のバラのグレードを確認するとほぼ完璧。これはかなりアトリエに来ていた頃のもの。では真ん中のバラは?いくらかアトリエ色は薄まったものの同じ向きのバラ・・・・それにより大きくは外していない。では一番上のバラは?1つだけ向きが違うのね。

つまり本来なら一番難しいはずなのね。何故なら昔作った1輪のバラもこれ以外の2つのバラも色は違えど向きは一緒。だから作り慣れをしている。
でもこの向きは一度も経験値が無い。なのに資料を観ずに自由に作ってしまった・・・・それによって感でやってしまった。

これでは明らかにグレードは下がる。つまりこだわってやっていた時はきちんと資料を観て作り結果を得ていたのに、その作り方を辞めてしまっては、ただ切る事が上手くなった人だけになってしまう・・・・けれどそれに気が付かずに結果が伴わなくなり、テンションが下がったって話なのね。

大抵、こんな事になった場合、他の作品が作りたい・・・・とか、色の話とかしたりする。ほらみどりがそうだったでしょ?つまりお母さんもそう言う症状が出たって事・・・・何故?思ったように結果が伴わない、その上、単調に同じような色が続いている。そんな悪条件が続いた・・・。って事なのね。

だからお母さんもみどりと全く同じようにそんな話をし始めたのね・・・・ただ良く考えて欲しいのは、そのみどりは一体どうなったか?結局弟子になった・・・・つまり上手くなったって事なのね。そうね、要するにお母さんは上手くなっている人の悩みなのね。

それがキウイも気が付いて、俺が言わずとも判ってキウイに言われた・・・・これは大きい。何故ならみどりは弟子になってかぐや側に近い。
キウイはどんなに上手くても生徒、つまり今のお母さんの目指す一番の目標になる人だから・・・・。

ここが境目で厳しい事は言われたが、高みを目指して弟子になったみどりは1つ上の人になった。ここは目指そうが目指さすまいがその人の自由。
けれどキウイは生徒の一番上手い人。ここは生徒なら誰でも目指すべき位置になる。何せ条件は揃っているから。

つまり月に1回アトリエに通って、サークルに参加・・・要するにキウイと全く同じスタイルになる。しかもキウイはもう自宅ではやっていない。
お母さんも同じなら、全てに置いて一緒・・・・つまり年数分の見劣りはしたとしても、続けていれば時間が掛かるだけの違いになる。

つまりキウイのスタイルを真似ていれば、キウイのグレードに近づくって事。では戻ってキウイは是正に気が付いた。つまりキウイにはこう言う事が起こらないって事になる。要するに見極める眼を持っている違いなのね。

上手くなるっていうのは腕だけじゃなくて、先を読む眼を手に入れないとそれ以上は上手くならない。こうしたらこうなるかも・・・とか、経験値から、先読みを出来れば、こうしたらこうなるかも・・・では無くて、未然に防ぐって言う事も出来たりする。

それは腕では眼。けれどその眼は何故そうなる?って事を知る事・・・つまり自分を知る事になる。今、自分はどう言う状況、状態で通常より見劣りするのか?しないのか?そして基本を忠実に守りやって行けば良いだけだけれど、ある程度上手くなってしまうと、それでどうする?って話。

要するに目標みたいなものが無いから、何をどうしたいか?・・・・になる。野心と言うと大袈裟だが、例えば先生になりたい・・・って思えば、教える勉強をしたくなるし、作家となればネットで売るなんて事を考えたり、素敵なプレゼントを作りたいとか、宿題とか・・・・。

人にはそれぞれそんなものがあったりするが、これを趣味って言うくくりにすると、雨が降って来たくなる?暑い夏に電車に乗って来たくなる?
もっと楽しい事があったりすると思うのね。勿論、それが1人で出来ない頃なら、それでも来たくなるだろうけれど、お母さんくらいになれば、

趣味なら十分だと思うのね・・・・つまり今より何を必要とするのか?になる。その時にモザイクの魅力だけでそれ以上を趣味だけの気持ちで維持するのは難しくなる・・・・それを超えるも超えないも、その1つになるのが相席。モザイクだけじゃなくて、モザイク仲間と楽しむってスタイル。

そこに技術の向上では無い何かがあると楽しむ趣味ってスタイルにもう一つのバリエーションも加わるが、マンツーマンでは技術色が濃くなる。
ただそのモザイク仲間がキウイだと、楽しいだけじゃなくて上手い人と楽しむ・・・になる。

そんな事を踏まえて是正は簡単で、まず必ず資料は観ながらやる。いくら上手くなっても・・・いや上手くなればなるほど。
その上で、バラはこらえて今使った色の中で作り続けて、もし耐えられないのなら葉っぱの緑で気分転換。

何とかそこをこらえていれば、バックはいくらでも華やかに出来る。それを目先にとらわれると、花の部分に色を使えば、ほんの少しの分量しか使えないのにバックに使える色を少なくする事になる。

もしもっと調子が悪いのなら、幅だけ合わせる茎なんかをやる。ただ切るだけなら考える必要は一切無いのだから。もっと言えば、時間を掛けてやる作品・・・・そんな曖昧な表現だから、ついつい作り方を間違えてしまうのね。そして最初に何年掛かっても・・・・って話に戻れば、

それが実は大きさに限らず、その人自身の大作になる。つまりお母さんは自分超えの作品を作っている訳で・・・・その自覚を持っていれば、簡単なはずが無いし、楽しいだけのはずは無いのね。だから今のお母さんは自分の作品と向き合い疲れ・・・。

それでも何とか立て直して結果が伴えばやる気も出て来るだろうけれど、趣味って範囲に留まれば悩み事のように考える・・・なんて作り方を好まないし、けれど弟子になるなんて面倒な事は何らかの目標でも無ければ無理だし、大変だけで辛いだけ。

報われる事があるとしたら師匠の俺が売れてから・・・・って話。今のお母さんはそんな事に巻き込まれるくらい上手くなったって事なのね。
いずれにせよ、キウイにも言われたのだから何とか抜け出せるとは思うのだけれど・・・・ここは待つしか無いだろう。

さてそんなお教室の後、2つのメール。1つは先日サンプルを送った話は流れたのね。まっある意味そんな事は予期もしていたから、どうなんだろう?とやきもきする分、はっきりしたって話で切り替えるには丁度良い。ではもう1つは、シェテラさんから頂いた看板の完成の画像がお礼のメールと一緒に

届いたのね。


こんな感じに仕上がったらしいのね。無事取り付け終わって何よりなのね。何しろ岡山なんで中々観る事は出来ないけれどね。
そんな中、明日かぐやが来るので今日はおしまいにして、いつもより早めの帰宅となり・・・・何と無く塔の上のラプンツェルを観た・・・・。

かぐやから良いと聞いてはいたが、まぁラプンツェルの美しさが抜群で何だろう・・・・魅了されたのね。俺もこう言う子を作りたいな・・・いつかってね。流石に夢の国の映画は世界の人達に好かれるだけあって、こりゃ参るわっ。しかもモザイク壁画まで出て来るし・・・・。

そもそもこの映画にしても、まるで本物のようなのは何故か?・・・・相当本物に近付ける為に良く観て作られている・・・・それは技術として。
でも技術だけでは感動はしない。上手いな、凄いな・・・ではね。感動させるには内容。趣味趣向と言うのなら、ラプンツェルは可愛いって好み。

こんな話であって、好きかどうか?とか単純な事は好みで良いかも知れないが、内容を好みでは変えづらい。何かアナと雪の・・・よりも、キュンとしたのね・・・・泣けなかったけれど。何とも悔しいが、あの可愛さ・・・・いつか必ず俺も・・・。

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