今日も2日続けてわんちゃん教室。昨日の葉っぱの話は、3つの画像を見比べてくれれば、違いが判ると思うのね。
種類が違うのだから、特徴も変わって来る。ただ色を変えるとか、ただきちんと揃えるじゃなくて、葉っぱを作っている・・・しかも良く見る。
そんな話と、そうね・・・浮世絵なんて話もしたのね・・・今日は。100年以上も前にあんな絵がある。今でも通用するアニメのポスターみたいなね。
そこで若冲の話になる・・・・これはね、あくまで個人の見解だから、何を調べても事実なんて判らないし、俺はこう思う・・・って1つの考え方としてね、何で若冲の鶏の絵が特化してリアルなのか?・・・ってね。どうして鶏だけ・・・。
それはね、何百、何千と殺せるから。象だの虎はそう簡単には見られないし、動かないように殺す事は出来ない。当時はパソコンもデジカメも無い。
動き回る生き物を観察だけで書けば限界はある。他の人達のものが一定のタッチで何を描いても描かれているのに、若冲の鶏だけ特化する理由・・・。
1人だけ・・・上手い奴なんて何処にでもいる。要するに特化している奴って言うのは、狂気の沙汰なのね・・・人のやらない事をするって事・・・。
さてもしこれが正解だとするのなら、繊細さって言うのは良く見て真似る事・・・人よりも良く見て・・・になるのだけれど・・・・。
そう言う点では、わんちゃんはブログでの指導を頼りに1人で台湾で作っているのだから、こんな説明は何度となく出て来るから知っているし、理解もしてくれている。だから、こうなっている・・・って事なんだけれど、逆に落とし穴があって・・・それが西洋のタッチと東洋のタッチって話。
西洋は劇画タッチのアニメのように何本もの線を重ねたりしてリアル感の追及をする。それとは逆に東洋・・・つまり浮世絵なんてもんは輪郭線をしっかりとり、少ない線で判りやすく・・・特徴だけを捉える。そんな差がある・・・って違いをはっきりさせたとするでしょ?
さてそれじゃそれって何の分野?って言うと、絵なのね。ここはモザイク・・・つまりタイルを切ってぶきっちょな絵を作るって分野なのね。
当たり前の事を当たり前にやるのなら、フレスコ画をベースに西洋画に作るんでしょ?そんなの俺でも無理ぃぃ。だってフレスコ画なんて掛けないもん。
じゃそれは諦めよう。しかも別に宗教画を作りたい訳じゃないし、壁画として何十mの大きさなんて作る訳じゃない。だから、みんなにはみんなの大きさや作り方があると思うのね。じゃどんな作り方か?って言うのが、浮世絵的な発想。つまり漫画。これならみんなにも描けるようになる。
輪郭だけはしっかり・・・良く見て・・・・って、下絵は出来たとして、そこからまた繊細を求めるが故に、また良く見て繊細に切ろうとする・・・。こんな事を言うと、さっき繊細さを求めるには良く見て真似るって言ったじゃん・・・と言われそうなんだけれど、ここが大事なのね。
つまり最初は良く見ないから良く見て・・・って指導なのね。じゃ良く見て作った人は?となると、わんちゃんのようにここまで出来るようになった。では良く見る人への指導は・・・・良く見て特徴を考えて、全ての葉脈を作るのでは無く、大事な部分のみを選択して作る。
ここが落とし穴でね、こんなに繊細に切れるようになると、ついつい良く見て、ここにもここにも・・・って線を見つけてしまう。けれど、絵を描く訳じゃないから、数ミリに切るにしても限界がある。なのにその限界にチャレンジし過ぎて、細かく細くし過ぎて、全てがそうなってしまう。
けれどそんなに繊細か?と言うと、絵の精密さから言うと、誰が切っても絵を超える事は出来ない。なのにそこを目指そうとする。
それを全部踏まえて、知らず知らずそこへ向かって作ってこうなったんだろうね・・・・きっと大変だったと思う。ただね、果たしてこれだけの労力を掛けて蓮に見えたか?となると、残念だがレンゲ草みたいな感じに見えるのね。じゃそこを是正すると・・・
何をどうしたか?勿論、色が違う・・・って話じやなくてね、タッチ。こんな狭い敷地に無理やり・・・じゃなくて、繊細さを求めるのに、絵画と競い合う繊細さをしても勝てない。そこでね、俺達はここまで繊細に切れるようになり、ここまで繊細さを追求するのなら?こんなのはどうだろう。
物の考え方なんだけれど、逆も真なり。甘味を増すのに塩。つまり繊細さをより出すには、全部一緒じゃなくて、大きい、小さい、細い、太い、真っすぐにグネっと・・・みたいに大袈裟に表現をする。特徴を良く見て捉えて。つまりメリハリ。ここはいる、いらない・・・って判断してね。
その違いが2枚の画像の違いなのね。それが形についての説明。では次が色。今度は蓮を作るに当たって何色にする?って時に、ついつい自分の好きな色を選ぼうとするのね・・・こらこら、そんな事をしていると、混ぜて作れないタイルの気に入った色なんて、一生出て来ない。
そうじゃなくて、一般的に蓮って何色だと思われているのだろうか?・・・・とまず、より見える色探し。わんちゃんもそうしたんだろうね・・・1つ目の蓮は。所がその色が無いから、似たピンクみたいな色にしたんだろうね・・・・惜しいぃぃ。それは仕方無いかっ・・・になっている。
そこを、じゃみんなの2番目は何色なのかな?・・・・って次に多い蓮は?と調べる。それが白。ほら、白ならあるじゃん。こうして自分の手持ちに有利なものを選ぶようにすれば、必ず何かに当たるのね。でも、それでも無い時は、ここに来るまで、他をやって待つ。
好きな色じゃなくて、一般的に見える色。手持ちに有利な色。そうやって作ると、色が無くて・・・じゃこれで・・・なんて作り方にならないし、似てれば良いや・・・じゃなくて、タイルにある色が意外とあるものなのね。これが絵画とは違う考え方。
この考え方が身に付かないと、常に何も考えずに見たままの色の似ているやつ・・・って感じになる。そうじゃなくて、絵画には出来ない事があるはず。西洋には無い、フレスコ画には無い・・・ってね。折角、無いのなら・・・あっちに有利な事ばかりじゃないってね。
そんな事を教えつつ、わんちゃんが始めた頃とは状況は変わったのね。世の中にはタブレットなんてもんがあって、俺も持っている。ちゃんと画像で教える事も出来る。必ず画像を定期的に送ってくれれば、指導もしやすい。きっと何かの役に立つと思う・・・ってね。
そんな中、キウイと日高氏が来た。まっ、特に広げる話は無いので、お知らせ程度に・・・。いずれにせよ、またね・・・なのね。
種類が違うのだから、特徴も変わって来る。ただ色を変えるとか、ただきちんと揃えるじゃなくて、葉っぱを作っている・・・しかも良く見る。
そんな話と、そうね・・・浮世絵なんて話もしたのね・・・今日は。100年以上も前にあんな絵がある。今でも通用するアニメのポスターみたいなね。
そこで若冲の話になる・・・・これはね、あくまで個人の見解だから、何を調べても事実なんて判らないし、俺はこう思う・・・って1つの考え方としてね、何で若冲の鶏の絵が特化してリアルなのか?・・・ってね。どうして鶏だけ・・・。
それはね、何百、何千と殺せるから。象だの虎はそう簡単には見られないし、動かないように殺す事は出来ない。当時はパソコンもデジカメも無い。
動き回る生き物を観察だけで書けば限界はある。他の人達のものが一定のタッチで何を描いても描かれているのに、若冲の鶏だけ特化する理由・・・。
1人だけ・・・上手い奴なんて何処にでもいる。要するに特化している奴って言うのは、狂気の沙汰なのね・・・人のやらない事をするって事・・・。
さてもしこれが正解だとするのなら、繊細さって言うのは良く見て真似る事・・・人よりも良く見て・・・になるのだけれど・・・・。
そう言う点では、わんちゃんはブログでの指導を頼りに1人で台湾で作っているのだから、こんな説明は何度となく出て来るから知っているし、理解もしてくれている。だから、こうなっている・・・って事なんだけれど、逆に落とし穴があって・・・それが西洋のタッチと東洋のタッチって話。
西洋は劇画タッチのアニメのように何本もの線を重ねたりしてリアル感の追及をする。それとは逆に東洋・・・つまり浮世絵なんてもんは輪郭線をしっかりとり、少ない線で判りやすく・・・特徴だけを捉える。そんな差がある・・・って違いをはっきりさせたとするでしょ?
さてそれじゃそれって何の分野?って言うと、絵なのね。ここはモザイク・・・つまりタイルを切ってぶきっちょな絵を作るって分野なのね。
当たり前の事を当たり前にやるのなら、フレスコ画をベースに西洋画に作るんでしょ?そんなの俺でも無理ぃぃ。だってフレスコ画なんて掛けないもん。
じゃそれは諦めよう。しかも別に宗教画を作りたい訳じゃないし、壁画として何十mの大きさなんて作る訳じゃない。だから、みんなにはみんなの大きさや作り方があると思うのね。じゃどんな作り方か?って言うのが、浮世絵的な発想。つまり漫画。これならみんなにも描けるようになる。
輪郭だけはしっかり・・・良く見て・・・・って、下絵は出来たとして、そこからまた繊細を求めるが故に、また良く見て繊細に切ろうとする・・・。こんな事を言うと、さっき繊細さを求めるには良く見て真似るって言ったじゃん・・・と言われそうなんだけれど、ここが大事なのね。
つまり最初は良く見ないから良く見て・・・って指導なのね。じゃ良く見て作った人は?となると、わんちゃんのようにここまで出来るようになった。では良く見る人への指導は・・・・良く見て特徴を考えて、全ての葉脈を作るのでは無く、大事な部分のみを選択して作る。
ここが落とし穴でね、こんなに繊細に切れるようになると、ついつい良く見て、ここにもここにも・・・って線を見つけてしまう。けれど、絵を描く訳じゃないから、数ミリに切るにしても限界がある。なのにその限界にチャレンジし過ぎて、細かく細くし過ぎて、全てがそうなってしまう。
けれどそんなに繊細か?と言うと、絵の精密さから言うと、誰が切っても絵を超える事は出来ない。なのにそこを目指そうとする。
それを全部踏まえて、知らず知らずそこへ向かって作ってこうなったんだろうね・・・・きっと大変だったと思う。ただね、果たしてこれだけの労力を掛けて蓮に見えたか?となると、残念だがレンゲ草みたいな感じに見えるのね。じゃそこを是正すると・・・
何をどうしたか?勿論、色が違う・・・って話じやなくてね、タッチ。こんな狭い敷地に無理やり・・・じゃなくて、繊細さを求めるのに、絵画と競い合う繊細さをしても勝てない。そこでね、俺達はここまで繊細に切れるようになり、ここまで繊細さを追求するのなら?こんなのはどうだろう。
物の考え方なんだけれど、逆も真なり。甘味を増すのに塩。つまり繊細さをより出すには、全部一緒じゃなくて、大きい、小さい、細い、太い、真っすぐにグネっと・・・みたいに大袈裟に表現をする。特徴を良く見て捉えて。つまりメリハリ。ここはいる、いらない・・・って判断してね。
その違いが2枚の画像の違いなのね。それが形についての説明。では次が色。今度は蓮を作るに当たって何色にする?って時に、ついつい自分の好きな色を選ぼうとするのね・・・こらこら、そんな事をしていると、混ぜて作れないタイルの気に入った色なんて、一生出て来ない。
そうじゃなくて、一般的に蓮って何色だと思われているのだろうか?・・・・とまず、より見える色探し。わんちゃんもそうしたんだろうね・・・1つ目の蓮は。所がその色が無いから、似たピンクみたいな色にしたんだろうね・・・・惜しいぃぃ。それは仕方無いかっ・・・になっている。
そこを、じゃみんなの2番目は何色なのかな?・・・・って次に多い蓮は?と調べる。それが白。ほら、白ならあるじゃん。こうして自分の手持ちに有利なものを選ぶようにすれば、必ず何かに当たるのね。でも、それでも無い時は、ここに来るまで、他をやって待つ。
好きな色じゃなくて、一般的に見える色。手持ちに有利な色。そうやって作ると、色が無くて・・・じゃこれで・・・なんて作り方にならないし、似てれば良いや・・・じゃなくて、タイルにある色が意外とあるものなのね。これが絵画とは違う考え方。
この考え方が身に付かないと、常に何も考えずに見たままの色の似ているやつ・・・って感じになる。そうじゃなくて、絵画には出来ない事があるはず。西洋には無い、フレスコ画には無い・・・ってね。折角、無いのなら・・・あっちに有利な事ばかりじゃないってね。
そんな事を教えつつ、わんちゃんが始めた頃とは状況は変わったのね。世の中にはタブレットなんてもんがあって、俺も持っている。ちゃんと画像で教える事も出来る。必ず画像を定期的に送ってくれれば、指導もしやすい。きっと何かの役に立つと思う・・・ってね。
そんな中、キウイと日高氏が来た。まっ、特に広げる話は無いので、お知らせ程度に・・・。いずれにせよ、またね・・・なのね。