katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

外の池の片付けと2次審査の下絵

2016-06-28 06:52:35 | モザイク作家
そうね、昨日枕な話があったのに忘れちゃったから入れとこうかな・・・昨日の朝、ユーミンのママから電話を貰ったのね。何だろう?って思うと、今NHKの美術の番組で宮川香山って人の特集やってる・・・・ってお知らせだったのね。

その人は陶芸家なのかな?有名なのはワタリガニが付いている壺みたいなのらしいんだけれど、一番最後にユーミンの家に行った時にその人の写真集を見せて貰ったのね。覚えている人もいるだろうけれど、3年の時にユーミンが立体のワタリガニを作ったでしょ?この人がきっかけらしいのね。

なるほどね・・・そりゃ結構衝撃受けるのね・・・こんなのを中学生が見ればね。俺でも思うんだから・・・。こう言うのを見る時って、良く何百年前だから・・・なんて言う事を言われがちだが、確かに物の無い時代なのに・・・って話なんだろうけれど、俺は時代背景やら環境を考えるのね。

例えばね、今の時代に生きていてもギリギリの生活では、先進国らしい環境では無いから先進国の特権みたいな環境は少ないし、美術の学校へ行けたような人とでは、これもまた違うだろうね。つまり狩野派みたいな環境は歌舞伎役者の子供みたいな血も入っているだろうし、英才教育もある。

勿論、逆に言えば職業の選択権は一切無いって言い方もあるだろうが。かと思えば、ロッキーのように山籠もりなんてトレーニングもあれば、相手の選手は最新マシーンなどで管理されたトレーニングなんて言う比較もあったが、一体どんな環境で作ったんだろうか?・・・ってね。

要するに何百年前だろうと、何か人と違うものを・・・と模索するような人はいつの世にもいて、常に常識って言うものを打ち破ろうとするのね・・・。
これが伝統を受け継ぐ者ならそんな事を考えるよりもその伝統を守らねばならないから、常に継承になる。

そう考えれば俺に必要なのは、伝統では無いので常識を打ち破る方へ行くしか道が無い事になるから、ある意味、逆に受け継ぐものも無いのに、選択権として色々とありそうなのに常識じゃない道しか無い気もしたりする。つまりどっちの道でも一緒なのかな?・・・とも思ったりする。

そもそも使う容器を作る陶芸なら、シンプルに何も無いもので丈夫で長持ちが良いだろうが、当然ちょっと変わったものも欲しいって欲求はいつの世もある。そうなると普通は挿絵のような簡単な絵だったり、釉薬としての色にこだわったりするんだろうね・・・普通は。

そうね、例えば風鈴として、ただ鳴れば風鈴と言うのなら音色にこだわる。それを下の紙みたいな所に絵を描くのなら時間も掛からずに変化出来るだろうし、更に言えば風鈴自体に絵をほどこしたりする。手間を惜しまずに人と違う・・・とやれば、いくらでもこだわりは持てる。

がしかし、その風鈴はいくら?って事になるとね、そんなにこだわれば通常の風鈴は何個も作れる訳で・・・。その時にどうしてもその1点モノが欲しいって人と出くわせば、その価値を普通の品物とは違う値段で買って貰えるだろうが、中々そう言う人と出くわす事は難しかったりする。

これがこの人のワタリガニの作品は国のお買い上げらしいのね。ただね、見れば判るんだけれど、何百年も前であっても見劣りがしない。
そうね、先日の若冲と言い、本物ってもんは常にそう言うものだったりする。普通の湯飲みや茶わんでは国はお買い上げしないし、並んでも見たい?

なんて事は起きない。じゃ視点変えて見ると、そんなに凄いものの扱いは一体当時はどうだったんだろう?・・・・ってね。恐らくただの馬鹿なんじゃないのかな?・・・・あんな事ばかりにうつつを抜かして・・・なんてね。だってそんなに凄いなら国はろくろを回している時にお買い上げするよ。

つまりその価値に気が付くのは、もう生産されない・・・って事になってからだったって話。これが芸術、美術は作家が死んでから・・・って話で、所が今はネットで情報はいくらでも流れる。つまり上手く見つかる事が出来れば、昔よりは伝わる事は早い。

これもまた逆を言えば、本物の腕が無いとすぐに飽きられるとも言えるが。そうね昔なら、俺のような貧乏作家は春画なんてご法度に手を出しているんだろうね・・・きっと。何しろ紙や筆が欲しいから、姑息に裸ばっか描くしかない・・・ってね。それでも描ければマシってね・・・。

映画監督だってそう。映画さえ取れれば・・・ってポルノ映画でもAVでも・・って、いつの世でもいて、そこから這い上がって行くなんていくらでもあっただろうし、最初から良い舞台がある奴もいれば、最後に勝ち取ってから自分のやりたい事にたどり着く奴もいる。

俺は後者の方で、今時では無いやり方なんだろうな・・・とつくづく思うのね。ただ作品を見て凄いとか、評論とかそんなもんはどうでも良くて、どう生きたのだろう?どうやってその環境の中でやり続ける事が出来たのか?であって、技術なんて2の次で、続けられれば上手くはなる。

続けられればいくらでも葛藤なんて出来る。けれどその続けるって気持ち・・・心、そんなものは聞いて見たい気はするが・・・。いずれにせよ、また知らない事を教えて貰った訳で・・・とても勉強になった。そんな話。

そんなこんなの朝は、長年楽しませて貰った池の解体。とても1日で出来るようなものでは無いので、3分の1くらい・・・。そんな中、何にものご近所の顔見知りの方が、えっ辞めちゃうの・・・楽しみだったのに・・・と声を掛けられたが・・・。

そんな中、さくらとキウイがやって来て・・・・ここは特に広げる話も無く、そうそう久しぶりにユニディと電話で話した・・・。一応、近況を説明して、2次が通ったら・・・その時は頼むわっ・・・って話をした。そんなこんな中、2次の下絵をやっておしまい・・・。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする