katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

中学生、リピータ―さん教室と看板張り終わり

2020-09-06 07:39:29 | モザイク教室

今日は午前は中学生の最終日、午後からリピータ―さんのお教室。まずはその前に、昨日のキウイの画像。

お団子と横長のパーツの違いって言うのは、こんな感じの話。それではまず中学生。今日は目地をして完成の日。これが目地って言うと、単にセメントみたいなものを塗ってスポンジで拭くって単純な作業に思う人もいるんだけれど、

実はそんなに甘く無いのね。まずそのセメントみたいな目地材を塗る。いつものような大きさの作品なら、100均のクリームなんかを塗るシリコンヘラを使うんだけれど、大きい作品の場合、タイル屋さんが使う目地ゴムって言うコテを

使うのね。この場合も良い事と悪い事は背中合わせで、大きいから上手く塗れれば、作業ははかどる。でも、手慣れない分、モタモタする事にもなる。しかもタイルの材質で難易度も変わって来るのね。そもそもタイルの表面は釉薬で

覆われていたりするから、水の吸収率はほぼ0だとしても、タイルの側面は釉薬は掛かっていなかったりするから、水を吸い込む事になる。下地にしても木なのだから、そうなると目地入れは、タイルとタイルの隙間に入れるのだから、

タイルの側面2つと木の3方から水を吸収されてしまう事になる。後は素材によって・・・例えばぺきぺきの場合だと、側面はレンガみたいにぐんぐん吸収する。そうなると塗っているそばから、カチカチになってしまうのね。

つまりモタモタ禁止。じゃ逆にガラスタイルなら?ガラスは水分を吸収しないから、下地の木のみになるから、慌てなくても大丈夫。ただ今度は吸収されない分、いつ乾くんだよ・・・になり、しかもタチの悪いのは、今度は余り待つと、

ガラスタイルの表面に固まろうとして、専門用語を使うと焼き付くなんて事になるのね。こんな話はタイルと目地材の話。でもここに張り方と目地ゴムの話にすると、ぺきぺきでモザイクって言うのは、ある程度の大きさのパーツで、

持てない程の小ささでは無いので、そのパーツの一部にボンドが付いていれば、剥がれるなんて事にはならない。ただそれ以外のタイルを切った場合、mm単位のパーツだらけ。果たしてしっかりボンドは付いているのか?になる。

もしきちんと張っていなかったら?ただ落ちない程度だとしたら?当然、その目地ゴムで塗る時に引っ掛かり取れてしまうと、剥がれた部分の木もタイルも目地だらけになり、もう乾いてくれる要素は何1つ無くなるのね。

もうこうなると最悪で、たまたま1つなら何とか出来るけれど、あっちもこっちもとなると、また剥がれた、また剥がれた・・・となり、そもそもがボンドの付け方に問題があった事になる。それをアトリエで何度も言う事になるが、自宅

で進めた分は、全く見ていないので、どうなっているか?は目地の時に判る事になるのね。しかも今回は去年と違って、明らかに見なかった部分ばかり・・張り上がりの完成度には何の問題は無くても、ここでのつまづきは無いとは限らず

・・・更にここまでは目地入れの段階の話で、その後スポンジで拭く、乾いてからタイルの表面のボンドを削りつつ、タイルの表面のすすけを乾いた布で拭いて仕上げとなるのだけれど、何度と無くタイルに触れる事になるのだから、

ボンドがしっかり付いているか?は重要になるのね。まぁある程度の1cmタイルの作品の目地をやった事がある人なら、あるあるネタみたいな話だけれど。その目地入れにしても、この話で怖いな・・・取れたら・・・と思うと、ついつい

弱腰でそぉっと入れたりすると、後でスポンジで拭いた時に、入っていない場所が沈んで目地材不十分なんて事になるのね。逆に先に進もうと焦ると、今度はタイルに必要以上の目地材を付けっ放しになり、拭くのに一苦労なんて事も。

いずれにせよ、難しい事は無いのだけれど、何しろひと手間、ふた手間をしっかり掛ける事と、何しろ手際良く。タイルを張る時は丁寧に慎重に・・・なら、目地入れは何しろ手際良く、能率効率のみ。そんな感じ。

そんなこんなで大きく事件は無かったものの、何しろパーツが小さいから、仕上げにも時間は掛かる・・・そんなこんなでも間に合うかな?と思ったけれど、リピータ―さんを待たせる事になってしまい・・・ミス。

ただそのミスも勉強になるきっかけとなり、不幸中の幸いみたいな話になるのだけれど、それは後にして、とうとう完成となったのね。しかも彼は、来年も・・・の人なんで、またね・・・と終れる分、お疲れ様でした・・・で済む。

そんな中、いくらか被った事で、お互いの作品を見せ合う事になって・・・この時に、本当に中学生が作っている・・って事や、目地入れして完成した迫力や、大きさ・・・圧倒するものがあって、委縮したりすると、中々自分の作品を

見せずらい気持ちになったりして、大丈夫だから見せて見て・・・って話で、見せると、凄い・・・きちんとした形で・・・この眼が生きているみたいで・・・って。つまりリアルだって褒められた事になるのね。

そもそも中学生男子、普通なら年齢の離れたとは言え女の人と接する・・・一番苦手な事かも知れないのに、これだけの批評をしてくれた時点で、高評価を得たとは思わないかな?相席とは行かなかったけれど、こう言う事が沢山集まると

それが自信になるものなのね。逆に彼は凄いね・・・と言われても、去年の受賞者なんだから、凄いねって言葉は何度か耳にしただろうから、リピータ―さん程は響かないかも知れないけれど、時間があるのならその説明もしたかった。

当然この話をリピータ―さんには説明をして、もし相手の作品を凄いと思ったのなら、その凄い作品を作った人が、この犬を見てリアルだ・・・って言ってくれた事になるよね?しかも未完成の段階で・・・。つまりこのままのグレードで

終れれば、今よりも条件は良いのだから、もっと凄い事になるでしょ?単純な事なのね。何しろこのままね。ただもしこれ以上と望むのなら?・・・となると、って話になったのは、バックの話が出て、ピンクが好きだからピンクのガラスが

使いたい・・・みたいなね。ここが良くある話で、色から入らないって話なんだけれど、色から入りたいのなら、モザイクじゃ無くて絵画の方が良いのね。何故なら自分の好きな色を作れば良いのだから。でもモザイクって他人の作った

タイルの集合体。だから気に入った色なんて、ほぼ無いに等しいのね。これが形から入れば、その形に切るって行為は上手くなる伸びしろは大きい。けれど色から入っても、ただ好きな色を選ぶだけなら、上達って何だろうか?になる。

つまり色はトッピング程度と考えた方が良いだろうね・・・まだ。そこで、それを説明する為に見本を出すも、そう簡単には好みの色は無く・・・なのね、所詮人が作った色の選択。気に入った色なんてそうは無いのね。

つまり考え方を変える事。例えばピンクが好き・・・これを曲げろとは言わない。ただもっと連想ゲームをする事。例えば子供の頃に歌った、金平糖は甘い、甘いはお砂糖、お砂糖は白い、白いはうさぎ・・・みたいなね。

ピンクって何?・・・これが考えるって構想の練習になる。単純ならお花なんて言うだろうね。そしたらピンクの花って何?・・・って広げる。じゃ何個作る?仮に3個とする。ピンクの花3つでピンクに見える?その時に、ピンクが好きだから

ピンクが一番使いたい・・・って言うのなら、3つの花にピンクを使わずに、バックをピンクにすれば、一番多くピンクを使える事になる。簡単な話なのね・・・こうして聞けば。でも、こうして作る工程は、常に考えるって繰り返し。

オリジナルって言うのは考えなしって言うのは難しいのね。逆に考えたくないのなら、模様を繰り返すとか、模写すると良いだろうね。それなら切る張るの繰り返しで、一切考える事は無いから。ただそれは個性を消せって意味だけど。

常に似ているかどうか?であって、自分の気持ちなんて一切要らない。本当はこんな小難しい話は、まだ早いとは思うんだけれど、1か月に3回の方だから、余裕のある分、説明する事になっちゃうのね・・・。

いずれにせよ、この作品が完成すると、この方の代表作になるような作品。だから後はバック・・・って作り方だけはお勧めしない。そんな話。そんなこんな後は、看板を張る事になり・・・きっと2人に刺激を受けたのかな?

大人げなく、明日はお教室も無いし、日曜だし・・・と、ちょっと本気でムキになったのかもね。

張り終わった。

 


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