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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室と看板の下地

2020-09-05 07:31:35 | モザイク教室

今日はキウイ教室だったんだけれど、画像がブレていて、それは明日にするとして、大きく残っていたバックの部分はほとんど張り終わったのね。そんな中、前回のこの部分の張り方についての話になり、ここまで来てこれだけで何か変わる?

って質問だったのね。だからその言葉のままなのね・・・前回はお団子じゃ無くて空みたいな比喩で、いかに横を意識出来るか?って話だったが、それも切る事が上手いキウイでは、意識が高いと同じ形で揃ってしまうから、意識としては、

空は縦長では無くて横長、そして同じ形に揃わないように・・・の意識。これがその技術が無い人なら、そもそも同じ形には揃わないのだから、横長ね・・・だけで済む。上手くなれば自然と揃うから、揃わないような意識になり、初心者は

きちんと揃うように・・・の意識。意識1つで上手さは大きく変わって来るもので・・・ただ更に言えば更に、進みたい欲よりも、質として時間を掛け、美しさに徹すれば、例え初心者でも労作展の子供達のような作品になるのね。

話は質問に戻って、ここまで来て何か変わる?って文章から伺える事は、ここまで来て・・・これはもう終わりだよとも聞こえるし、そこに、何か変わる?って付け加えると、今更・・・って感じにも思えるのね。でもその通りなのね。

じゃ何でやるの?って事になるのだけれど、それが目的意識になるのね。そもそもが最後の最後に来て、今更何が変わる?って言う質問にした方が判りやすいでしょ?その質問の答えを、それじゃ何も変わらないよね・・とする。

だって本人がそう言うのだから。では最初の意識の話に戻り、お団子では無く横長って意識で、何も変わるはずの無い事が、もし今までと変わったように見えたとしたら?・・・それが変わった証明になる。変わるはずの無い事なのに。

しかももし変わらなかったとしても、変わらないのなら、その工夫は必要無いな・・・って確認になる。そうね、例え良い結果にならなかったとしても、たったそれだけの事だっただけで、大した事はやっていない事になるから、大きな

失敗にはならない。そして得た結果の良し悪しに寄って、次回の作品にその結果は活かされるのね。もし良い結果なら、今度のバックは最初からやって見よう・・・とか、逆に大した結果じゃ無かったから、今まで通りで良いやとかね

・・・これがチャレンジの部分なのね。常に安定した繰り返しは、刺激も無ければ、切る事を上手いキウイには単なる作業になる。けれど、たった少しのその意識でやった場所は、ここまで来て・・・変わるはずの無い場所。

ならば、大した影響は無いはずなのに、そんな少しの部分で変わったように見えたのなら?大きなスペースなら?思い切り変わるはず・・・しかも、技術がそこに乗っかるのだから。そしてこのやり方が失敗を恐れないチャレンジのやり方

になるのね。だって大きな失敗が無いのに、変わった事をして、失敗するかも知れない、そして今までとは違う結果を得る。良いか悪いか判らない結果をね。でも本人の言う通り、今更変わる事の無い少しのスペース。なら影響は少ない

はずなのね。この小さなチャレンジが出来ないのに、大きなスペースでチャレンジ出来る?きっとこれが出来ない人は、そう簡単にはチャレンジは出来ないだろうね。だって失敗したくない・・・って事になるからね。

でもこのやり方のチャレンジは、誰にも気が付かれずに自分の中だけで、リトマス試験紙代わりのチャレンジとなる。もしこの考え方があっているのなら?これこそが1を知って10を知る・・・の仕組みだと思うのね。

ただこのやり方は次があるからであって、これでおしまいって1作で終わるのなら、こんな事は一切必要が無く、そのままそっと終わるべきだろうが。上手くなった人へのアドバイスって言うのは、モザイクの技術論では無いのね。いつも

・・・そんなこんな後、斜向かいのバイク屋さんが、katsuさん正式依頼になったんで・・・となり、その足でコーナンに下地を作りに。ちなみに上の木が普通のままなんだけれど、薄い色がお好みらしく、ヤスって薄くしたのね。

後はニスを塗れば張り出しとなる。


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