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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室

2020-09-02 08:05:38 | モザイク教室

今日はキウイ教室。もう特に教えなくても大丈夫だと思うけれど、ここまでやる人にはついつい・・・。だから一言で、空を作ろう・・・空は棒でも無ければ、お団子でも無い。多分、これで判るはず・・・。

これが初めての人なら、入ったぁ・・・ってだけでも、楽しいし嬉しいし、それで良い。これがいつしか、上手くなって行くと、凄くピッタリ、キチっと入った・・・になる。でもこの言葉の中には主語が無いのね。じゃ何を入れる?

そこに大抵はタイルって入れちゃうのね。そして文章が、タイルが凄くピッタリ、キチっと入ったになる。この文章の通りに出来たとしたら、恐らく綺麗に出来ているんだろうな・・・と思うのね。そしてこの感想にも主語が無い。

じゃそこに何を入れるか?って事になり、またそれを繰り返し、入った・・・って後に、入っているね・・に変えただけなら、模様は上手くなっているかも知れないが、リアル感は損なうのね。何故なら素材のタイルを切る事が上手いだけ。

要するに綺麗に上手く切る・・・これでは伸びしろに限界があるのね。何故なら均一にとか、細いとか、細かいみたいにタイルが切れて繊細となったとしても、それ以上が無いから。そこである程度、切れる様になったら、意識をするのね。

何を?・・・タイルを切る。って事は当たり前で、そこでは無く、今、自分はタイルで何を作ろうとしているのか?ってね。その時にキウイの場合なら、空って事になるのだけれど、大抵の人は色だけを意識するのね。えっと、この辺は薄く

・・・みたいにね。でもそれって上手くなった事に関係ある?・・・きっと上手く無かった頃だって、そこは薄くしようとしていたと思うのね。じゃ昔と変わらないじゃん・・・って話になるのね。つまり意識は色では無く形。

色はほっといても、きっとここはこうかな?あぁかな?と自分で考える。でも形はいつまで入ったぁ・・・って言う事を続けるのだろうか?って話なのね。そこで空を作っているって意識を持つと、空ってどんな形だろうか?って事になる。

どう切ると空に見えるんだろうか?って思うと、切るパーツが変わって来ると思うのね。そこをスペースを埋めたみたいに能率効率でタイルを切って入れる・・・ってやると、上手いから簡単に進むし、綺麗にも切れる。ただ空に見える?

全て色に託している感じになるのね。そこを空、空って思えば、どう言う形か?と悩む。そこが伸びしろだと思うのね。これを初心者なら丸を切る・・・ただ角を無くして滑らかに・・・って意識をせずに意識して切る事が出来るが、

良く出て来るいびつ角形となると、相当意識しないと、どんな形が良いのか?さっぱり判らない・・・でも、正解は判らないけれど、不正解だけは判るもので・・・そうして自分なりの正解を見つけ出す・・・それがオリジナル。

その時に、空を作っている?って質問で、ハッと思えば切り方が変わるって事は、座禅で肩を叩かれているような話で、仕切り直ししているって事は、そうでは無い・・・と思えた事になる。けれど気が付かずに、何が?って事だと、何も

変わらずにただ肩を叩かれただけになる。意識をすれば行動が変わるって典型的な例なのね。こんな場合は、うっかり・・・ってだけ。特に指導って話じゃ無くて、肩は叩かずに、それ何?ってだけで直るものなのね。それこそが上級。

このやり取りでフッと浮かんだのは、さくらの指導方針。今までこうしろ、あぁしろって言わなかったのね。理由は以前入れた通り・・・所がここに来て、今までとは違うやり方で・・・となり、みんなと同じようにになった。

それで選んだモチーフがまたフクロウ。そこで、生き物の成功者の人達と同じように、焼き芋みたいな形の量産を薦めて、注意点は角を残さない・・・と言ったものの、やはり直さなくてはならなくて、どうしたら?と思っていたが、

今の話でピンと来た事があって、今までさくらは、桜以外の花を作った事が無いのね。それはさくらが花を作ろうとしないから・・・無理強いするつもりが無かったからなんだけれど、良く考えれば判る事で、マーガレットのような、

ビックリマークのように、中心部の丸と片側を丸く、片側を尖がらせるパーツを繰り返す事で、切り方の練習を普通はやったりするもので・・・それはきちんと揃わないと花にならない・・・それを何個もやると、同じものが作れる。

ある意味、花を作りつつ、切る練習をした・・・こんなケースは多々ある。けれど、生き物のパーツは、何と無く焼き芋みたいな形・・・つまりかなり流動的であって、もしかしたら、さくらにはまだ理解していない部分があるかと・・

もしくは、判っていても我を通す・・・何が良くて何が悪いか?判らないから、それが正しいと言うのなら、それ見て直す・・・こんな2つのケースが考えられると。ただ前者は何度と無く、説明して来たし、理解はされているはず・・・

となると、後者になる。ただもし後者となると、判断する事を辞めてしまった事になり、レシピや楽譜、図面と言ったオリジナルから大きく外れる事になる。そこのさじ加減こそがオリジナルの大事な部分で、どれが良くて、どれがダメ

と言った判断の基準の眼を作る・・・・その練習がお金を拾った話みたいなもので、想像する・・・これが出来ないと、簡単な話で言えば、仮に運動能力がさくらにあったとする。勤勉なんで、宿題のパーツをやるのと同じように、

自主的に練習もやっているだろう。では試合に出た。さくらにボールが来た・・・どうする?この判断。練習通りに誰かにパスをする・・・って選択しか無いんだろうね。何故ならさくらが自分でシュートや決定打になる選択をしないから

・・・練習でしていないから・・・と。一旦、見せて・・・やって見て・・・になるから。でも常に判断を求められるもので・・下手な時はそれで良いが、人に認められたリ、進級や先輩になったりすると、そこに責任を負う事になり、

仕事なら判断を迫られる事がある。これがしっかりした縦ラインや、マニュアルがあれば、判断は上の者がする事になるが、小さい規模の場合、慣れて来ると、判断を迫られるケースは増える。でもさくらはその判断力が乏しい・・・。

そう言う機会が少なかったんだろう・・・もしそうなら、判断をする・・・って事が乏しいのであるのなら、今更、丸の量産をする必要も無いので、マーガレットの花ってお題も良いのかな?と・・・。ただ既存の四角いタイルでは、

初心者扱いになり、そう言う訳にも行かないから、今度試して見ようかな?とも思ったのね。さて、そんな後は空の湯の下絵となるのだけれど、飛行機に関しては見せられる絵にはなった。ただ先方の世界を飛ぶってイメージに程遠い。

ある意味、全日空と日航の日本の飛行機がハワイには行っているが、他の国には行って無い。つまり直接表現なら万国旗みたいとか、有名な建物とか、世界地図なんかを付けて、世界のイメージに見せるって事になるのだけれど、それを

花で比喩なんて考えたから、花を調べたものの、何かパンチも無く・・・それとて花って具体的に直接表現みたいな感じにも思えるし・・・恐らくそうしたいのなら、花のように見える模様とか・・・何々のように・・って比喩しないと

どれもが直接表現になり、しかも鶴亀がふざけて見えるから、フォーマル感をそこで補いたいって気持ちになる。ただ残念な事に1800mmX300mmって細長い銘木に彫るスタイルのモザイク・・・余りモチーフを増やせば銘木部分が無く

なる事になり、本末転倒になる。ある程度、銘木部分が残らないと・・・。ただ今のままではキャラクター的なものになり、ポケモンのような男女問わずって言う感じにはなっているが、大人へのアピールは薄い感じになっている。

そこでそれを補うフォーマル感に見える、世界を飛ぶイメージって何だ?探しになっているのだけれど・・・ん・・・正直、今はこれと言ったものが無い・・・そんな感じ。

 


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