katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

何か思う事があって・・・・レンタルボックスのウダガワさんに

2017-01-22 06:41:20 | モザイク作家
先日行ったばかりなのに随分と早いペースでまた・・・って感じになったが、その時の話にここに気を使って可愛い作品じゃなくても・・・と言われたのね。確かにその場所に合わせようと言うすり寄せた作品を持って行ったとは思うのね。2月に向かってのバレンタインの作品2つと桜の作品って・・・。

ただね、その3つの作品には意味があって、どっちがどっち・・・って話なのね。そもそもさっきの場所に合わせず・・・ってくだりの話。つまりご主人にはバレンタインの作品の2つがすり寄せた作品に見えているんだろうね・・・きっと。ただそれは本当なのだろうか?って事なのね・・・。

要するにご主人のkatsuって作品は芸術家のような感じに見えていて、そう言う点では凄い・・・って宣伝って側に立った感じなんだろうね。つまりバレンタインの作品は可愛いって作品なんでご主人の趣味趣向から離れる。それを踏まえて考えると、その場所自体で考えるとバレンタインの2つが合ってて

、桜の作品が浮いている事になり、逆にご主人の趣味趣向から考えると、桜側なんで、バレンタインの2つが浮いている事になる。つまり本当の意味での気を使ったのはご主人の趣味趣向の桜側の作品だと思うのね。ただ結果として売れた方が正解となるのだから、まだ結果が出ていないのだから、

どっちが正解か?と言ってもまだどちらとも言えない状況ではあるけれどね・・・・。そんな事を踏まえての先日だったのだけれど、フリーマでバレンタインの特集のお知らせが入って来て・・・・かぐやに相談すると、入れ替えて見ましょうか?・・・との事。

そうなるとその2つをクリーマにするのなら、代替えの作品が2つ欲しくなる・・・・ではウダガワさんへの代替えは何?となった時、簡単な話で売る側のご主人が売りやすくなる作品・・・つまり凄いでしょ?・・・と売り込み出来るような作品となる・・・じゃお花を並べようか・・・になる。

そこで、ひまわりと菜の花になったのね。確実にこの場所には合わせずに、ご主人に合わせに行ったのね。簡単な話で、猫と犬みたいなもんで、人に付くのと家に付くみたいな表現あるじゃない?・・・・あんな感じになるんだろうね。

そう考えると、バレンタインの作品自体は見たままであって、値段との比較のみになる。そこにご主人の営業を乗せたとすると、本来は芸術的な作品を作る人なんですけれどね・・・・なんて声が聞こえそうなのね・・・。つまりもっと凄いのが作れる・・・って凄さを強調しようとね。

でも俺を良く知っている人ならお解りだろうけれど、俺って女の人にも負けないような可愛い作品得意だと思うんだけれどね・・・勿論好きだし・・可愛いものって。ただ、俺の可愛さってのは年齢が低過ぎるんだろうね・・・そうね、幼稚園みたいなね・・・。そこに一工夫の是正が必要なんだろうね。

いずれにせよ、そこに求められた作品って入れ替えをした・・・そんな感じ。だからご主人の意向でリアルな花3つ、クリーマはバレンタインの特集だから、そっちにはこれ・・・ってね。ただね、ご主人にも何度と無く言っている事があって、具体的にも今日は判りやすい表現をして来たのね・・・。

15年お世話になった方から離れる事になって、今の俺はご主人しか緊張しない生き方になった・・・勿論、作品依頼のお客さんのように金額の張ったものを作らせて貰えば、その金額分の責任を負うし、お教室ならお教室分の責任を負う。だから、そんな責任の元でお付き合いとなるのだけれど・・・。

お金とは別のもので、今の俺でもその後の俺でも変わる事無く、今十分過ぎる評価をしてプレッシャーを掛けて下さる人・・・更にその上、自分よりも年上である・・・つまりそれによって緊張感を持って会話をしないとならない・・・そんな練習をさせて下さる人なのである・・・。

はぁ?何それっ?って思う人もいるだろうが、いつも言うように伸び伸びなんでも出来る環境ってのは、ホームグランドで戦うとかみたいな話で、何処でも同じならアウエーが・・・っていちいち言わないでしょ?つまり環境が変わると人の心理は変わるだったりするって事。

ではそんなもんの何が必要なのか?となると、そもそもお稽古事ってのは趣味とは違うのね・・・きっと。同じ習うでもね。恐らくお稽古事ってのには、技術だけじゃなくて所作ってもんがあると思うのね・・・・その技術を生かすも殺すもその人自身ってね。

その時にいつも伸び伸び出来る場所、いつも緊張感の無い人、そんな所ばかりではそれ以上の成長は望めない。常にいつか立つ舞台への準備と言うのであれば、我が身もそんな場所に身を置きたい訳で・・・何しろこの歳では習わないと所作なんて教えてくれる人はいないからね・・・。

ただここが難しい所で、全て所作なんてもんは粋なんて事が付いて来る気がするのね・・・しかも粋なんてもんはお金持ちじゃなきゃ無理な訳で。
そうなると目指すは小粋。少しだけ・・・そこが具体的に目指す所。ただそれとて一体誰が教えてくれる?・・・

それをお金出して教えて貰う場所に行く自体、お金を持っている事になる。しかし俺は貧乏作家。そんな余裕は一切無い。そうなると知恵で乗り切るしか無い訳で・・・ただそれはエリートの生き方だと思うのね。例えばお金を払って塾みたいな・・・俺は自主学習って感じ。

そうなると、何が体感出来るか?って事になると、テレビの成功者の話みたいな事からだったり、勿論朝ドラでも良いし、情熱大陸的な番組でも良いし、そんな事からも得ようとしたりもする・・・ただそれも何度と無くやると、当然傾向と対策みたいなもので、ほぼ成功者って言うのは同じ事を言うのね・・・まぁ、当たり前なんだけれどね。何しろ準備と継続。

それはもう聞いた所でそれ程新しい事は生まれない。新しい血が必要な訳なのね。それは今度は生き物の原理みたいな話で、同じ種族の同じような血を掛け合わせても、それ以上の大した結果は得られない。恐らく守る事ばかりになる。つまり守る所まで行くと進化が見られなくなるって事。

それはこれとこれを掛け合わせる・・・みたいな話で、それを繰り返して良質なものに上り詰めても、それ以上は望めなくなる。つまり全力少年の歌詞のように、積み上げたものぶっ壊してぇ・・・ってあれね。ただ普通は今までを中々捨てられない・・・。

何故ならある程度の結果を得ているのに、それを捨てて1から・・・って言うのは、誰にでも出来る事じゃないし、逆に言えば簡単に捨てられるって事は、今まで大した事じゃないって事を認めないとならない訳で・・・・。それは苦痛な事なのね。

だからある程度のままの場所で立ち止まる事になる・・・しかし自分を変えるって言うのは、ある程度のままの自分であったから、ある程度以下の結果であって、何かを変えるって言うのは、それに費やす時間や考え方、出会いなどを意識して変えて行く事になる・・・。

ただそう言う点では、こんなに緊張する人は中々いないので、そこに何度も行って慣れてしまうのは不本意なんだけれど・・・。いずれにしても、何かを変えようとするには、行動を変えて行かないと・・・しかも上っ面じゃなくて、血の入れ替えのように・・・。

そう言う点では、マイブームは落語かな・・・ってよりも落語家って言う方が正しいね。技術じゃなくて人。しばらく追って行こうかな・・・と思っているんだけれどね。弟子と師匠なんて関係はそう簡単じゃないし、職人なんて20年やってはみたものの、何処にも所作なんて無かった。

乱暴な言い方だけれど・・・つまり品など何処にも無い。そっすねぇぇぇ・・・・ってこれが敬語で通る大人ってそうそう無い。それを腕だけで押し通す・・・まぁ単純と言えば単純なんだけれど、その腕って言うのも、継続していればある程度には誰でもなる。

もっと言えば20年もやっていれば、何をやっててもそこそこ達者になる。ただそれは腕が付くだけで、独立して経営するとなると、全く意味の違う事であって、使う人と使われる人では同じ職業であっても何の役にも立たないと言っても良いだろうね・・・。

そう言う点では、タイル屋の頃の俺なんぞゴミみたいなもん。本気でやっていないし、やる気も無い。ただ頑張っていただけ・・・。そんなもんで良く独立までして20年やっていた・・・そっちの方が不思議だわって話。今は誰も教えてくれないし、なのに教える人になった・・・。

自分で得ようと思わなければ何も生まれないし、得ようと思って得られるほど楽じゃない。身の回りに先生もいなければ、芸術家もいないのだから。
それなのに教えた人達はどんどんと上手くなる・・・中々脅かしてくれるようにはなって来た・・・。

そうなると、腕の話だけじゃね・・・作り手の所作・・・そんな事を教えられるようになりたいのね・・・俺は自分の作品を作る作家としてはあるにはあるのだけれど、それは自分だけが判っている事であって、説明出来るほどきちんとしているものじゃないから・・・。

そんな事を思う時間だったりして・・・こんなに長い時間話すのは初めてかも・・・と思うくらい話したのね。それが面白かったのが、1歩外に出て帰り際にご主人がタバコを1本吸う時間に、一言katsuさんと話すの楽しいけれど疲れるわぁ・・・って言われたのね。

だから、人と本気で向き合って話すと、その人の喜びも痛みも背負う事になりますよね?俺はそもそも緊張する・・・って手の内見せての話だったのだから、アウエーでの会話だったはずですよね?じゃ俺の気持ちはどんなだったんでしょうね?・・・って言うと、

おいおいあんまり上から言うなよぉ・・・・って言うので、何にも言って無いじゃないですかぁ・・・ただ俺は?って言っただけですよ・・・ってこんなお開き前の会話が心地良かったのね・・・ただ俺とて疲れるのね・・・そりゃ緊張の中での会話なのだから・・・。

ただ落語っぽい感じではあったけれどね・・・・。何だろう・・・あの落語感。答えは言わずに答えはある・・・良い勉強なのね・・・。
そんなこんなでアトリエに戻って、チュ―リップを張り終えて終了になった。


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店舗の床のご夫婦教室とお花の3作目のチュ―リップ

2017-01-21 01:49:19 | モザイク教室
そうね、今日は知る人ぞ知るkatsuの小部屋のさわりを枕にしようかな・・・曲は朝ドラのミスチルのヒカリノアトリエ。ただね、色々と問題があるので全面的には歌詞が入れられないんだけれどね、歌詞は自分で調べて見てね・・・。

これね、色々と難解と思われる単語がチラホラしているんだけれど、気になる言葉は、夢想家、大量の防腐剤、そして優し過ぎる嘘、そして題名のヒカリノアトリエ・・・。さてこれをどう解釈するか?・・・。まずはどうしてこんな話になったか?って言うのは、かぐやが聞き取れないなんて話から。

そこでそれじゃ・・・と歌詞を確認したら、なるほどね・・・こんな内容ね・・って、それじゃ1番だけやろうかな・・・って。懐かしいのね。昔は趣味として時々、歌詞を自分なりの解釈で解説なんてやっていたのね・・・。まっ、勝手な解釈なんでサラッと流して貰えば・・・・。

それでは・・・そもそも雨が上がると虹、物事がそんなに上手く行くはずが無い・・・・それが夢想家(実現できそうも無い事ばかり考える人)でも分かる・・・って。その次には雨に引っ掛けて、晴れた日だらけじゃないから、梅雨のようであっても大丈夫なように防腐剤を沢山持つって・・・。

何で?どうして?・・・それがその後、ほぼ奇跡に近い確率の1回に出会う為にも、上を向き、虹を信じようって。それでここで優し過ぎる嘘ってのが出て来て、涙を拭いたら虹がそこからここに変わるのね・・・。さてそれでは解釈としては、一体どんな話なのか?って言うと、何かを目指しているのね。

きっと・・・つまり頑張れば叶う・・・なんて単純じゃないって事を、雨上がりに虹ってそんな簡単じゃない・・・って言っている気がするのね。
それを夢想家でも判る・・・って。つまり人様が無理なんて言う事ばかりの非現実ばかりを考える人でも判るのだから、当たり前なんだね・・・。

だから頑張っても、頑張っても結果が出ない日々を湿った日として比喩して、それを乗り越える為に大量の防腐剤がいるって言うのね・・・。雨には防腐剤なら、結果の出ない日常には一体何が必要か?・・・恐らく、夢やら希望なんてもんなんじゃないのかな?・・・しかも大量の・・・。

そんな中、もし成功するなんて事があるとしたら?・・・それが次の歌詞に繋がって行く。

そんな日常の中の成功ってのは100万回に1回位の宝くじの確率みたいなもんで、下を向いていたら?・・・そうね、下を向く・・・は諦めたり、くじけたりしていたら、見逃すって。だから虹を信じ・・・は、虹は空にあるから、上を向けって言っているのね。

さて問題は上を向けと言った後で、優し過ぎる嘘で涙を拭く・・・・って言うのね。つまり上を向く為にする事が優し過ぎる嘘に繋がるのだから、どんな嘘なんだろう?・・・優し過ぎる・・・そもそも優しい嘘でも良いのに、過ぎる・・・多いよね?分量が・・・。おっと気が付いたよね・・・。

大量・・・あったあった、大量の防腐剤・・・それを俺は解釈として夢や希望にしたんだけれど、それとて心がボッキリ折れるような事もある。けれど、大丈夫なフリをする・・・もしそんな事を支える人がいたりしたのなら?・・・そもそもそんなに単純じゃない・・・から始まる歌。

つまり優しい嘘程度じゃ無いんだろうね。だから大量って事で、優し過ぎる嘘になったんじゃないのかな?そんな事からも、辛くても悲しくても平気ってフリで、嘘なんだから笑うんだろうね・・・そんな時に・・・。そんな事が出来ると、虹はそこにあって、きっと虹は気が付くとここにあるって。

そんな日常の繰り返しに一筋の可能性・・・だからヒカリノアトリエ・・・そもそもアトリエって言うのは作業場であって綺麗な場所じゃない。黙々と制作をするって場所であって、辛く苦しい場所だったりもする。必ず満足するものが出来るとも限らず、それが結果に反映するとも限らない。

だから光・・・そうね、そんな事を夢想家が言うんだろうね・・・ただこの夢想家・・・ミスチルの桜井さんだからねぇ・・・成功者だわ。
信じてやり続けるのも悪くは無い・・・ってこんな解釈はどうだろうか?そんなこんなのお教室。

難しいのは体験すら無い状況でのいきなり店舗の床。だから当然基礎が無い。それでも1つだけ可能性があるとしたら?それこそがやる気。ほぼ労作展の子達と同じ。期限があって、初めてなのに大作、そして発表をする・・・つまり人に見せる前提。だから趣味では無い。

趣味って言うのは、気分でいくらでも立ち位置を変える事が出来るが、店舗は待ったなし・・・・やっぱり辞めたって訳には行かない。だから、へこたれる事があったりしても途中で投げ出す事は出来ない。これ1つだけは間違いが無い。

そんなスタートであっても、何しろ切る事は間違いないのだから、花びらを切る・・・ここまでは必死でやれば何とかなった。しかし、1つの事を特化して結果を出しただけだから、切る事が上手くなっただけで、張る事になれば何の役にも立たない。しかし、それでも花びらを張る事は、

綺麗になるのだからテンションは上がる。しかし張る事イコール仕上がりとなると、ついついプレッシャーが掛かるのね。張るって言う経験値が無い分、これで良いのかな?・・・の繰り返しになるから、悩みが多くなる。しかも、正解らしきものの判断が出来ない・・・・。

だから何が正解か質問したくなる・・・当然、習った時間が3時間なのに、自宅ではその何十倍もやる事になるのだから、不安になって当然。がしかし、だからと言ってベテランの質問なら、メールだろうが、電話だろうが、経験値が何んのヒントに繋がったりしても、そもそも基礎が無い。

そこに理解を求める事が無理だし、そもそも常連って言うのはそのやり取りすらもベテランなのだから。長年暮らした夫婦みたいなもんで、指示語のあれ、それ、どれ・・・の前に何か文章があって、それを意味するんだろうな・・・と国語ならそうなる。しかし、老夫婦はいきなりあれ取って。

でもね、はい・・・って出せるのは、何度も繰り返した事から。つまり技術もさる事ながら、そんなやり取りすらも技術の1つだったりする。
つまりいくら聞こうとする気持ちがあったにせよ、ほぼ無理な話で、説明に説明が必要になる・・・。そんな感じ。

けれど切る時以上に、そう言う問い合わせなり、メールが増えるのはそんな理由から。ただ増えた所で何しろ張って・・・としか言えないけれどね。
その時に更に加わるのが、クロスやペンキの色の決定の時の小さいサンプルを見て、家一軒分を決める・・・。

その時に実際とサンプルの時の違いなんかに戸惑ったりするものなのね・・・。思っていたものより濃かったり、薄かったり・・・・。
つまり実際のものを見ないと判らない・・・それも経験値だから、またここも悩む事になれば、また止まってしまう。

切る時とは全く違うのね・・・ただそろそろ花びらも張れて来たらしく、自宅で原寸で並べているらしく、そうなると随分と現物を見られるから、いくらか想像をするのに役立つだろうから、前に進みやすくはなるとは思うのね。いずれにせよ、予定では3月に入っての施工となるらしいのね。

こう聞くとまだ先のように思うけれど、意外とそうでも無く、2月の15日辺りに仕込みが全て終わっていないと、かなり厳しい事になる・・・。
そう考えると、ゆとりがあるのは1月中のみ。2月になったら容赦無く進めるつもりなのね。

そんなこんなで来月早々に現地に足を運ぶ事になったのね。まっ、でもここら辺りまでは予定通りな感じと思うのだけれど。

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棟梁とkameyaさんの常連さんの相席教室と菜の花完成

2017-01-19 23:23:56 | モザイク教室
今日は午後から相席教室。それまでは菜の花のペンキ塗りと目地だったんだけれど、月末のイベントの担当者さんから、もし予定人数を超えた場合、追加は出来るものか?・・・と言う事で、そうなるとそろそろ決定して貰わないと、お教室も詰まって来て、島村さんのイベントの残り10個も踏まえて、

丸2日しか空いて無くて・・・そうなると、結構きつきつな感じになって来たのね。そんな事もあって、追加うんぬんよりも慌てる事の無いように、まずはホームセンターに材料の木を買いに行く事になったのね。万が一在庫無しなんて事の無いようにね。

さてそんなこんなでひとまず、お花の2作目の菜の花が完成。


更にそんなこんなで相席教室。それがリピーターさんのお友達が見学って事で・・・それじゃ、棟梁のアップして・・・。


そうね、棟梁はアトリエ教室の1か月3回ってスタイルになったんで、かなり本気で教えられるんで、手厳しく行けるって言う中、花をやっていたんだけれど、本来好きな色で言えばもっと色濃い仕上がりになるが、好きに自由と感に頼って作る事を辞める事・・・って言う事を意識する事。

では何故か?好きに勝手で良いのなら?教える事は1つも無くなる・・・ある意味その逆であれこれ言う事が出来るのね・・・・。例えば、これ羽根があるのね・・・つまり天使みたいなものなのね。ちなみに妖精も羽根があるから一緒っぽいが、何か妖精は小さそうでしょ?・・・・。

例えば人魚と半魚人みたいな話で、人魚はメスな感じで半魚人はオスっぽく無いかな?そもそも人魚は魚でしょ?だから尻尾があるけれど、半魚人は人だから足がある・・・とか、架空のものなのに、ほぼ決まりがあるのね・・・。それと同じ感覚で、天使も妖精も同じでは無いし、感覚的に違うもの。

そもそも同じなら言い方が変わるはずも無く・・・それを踏まえて、棟梁の考えでは人物も恐竜みたいなのも半透明みたいなものらしく、パールを使うらしいのね・・・それが、何もかもがおかしな展開になって行く構想を聞いて欲しいのだけれど、まず情報として仏像彫刻を習っている事。

一体仏像って何だ?・・・拝むものであって、神様だったりして・・・そもそも神様、仏様、稲尾様・・・まっこれは古き野球ファンなら誰でも知っている西鉄ライオンズのピッチャーの稲尾さんに使った表現なのだけれど、それだけ拝むほど大車輪な活躍をしたらしいのね。

話を戻して、そもそもがこの世にいない偶像崇拝やら、死んじゃったけどきちんと人だった人、生きていて自分がファンのチームの大黒柱の他人って全く違うが、それほど違うものを並べても同等って表現を使う人・・・そんな事を習って神様を作り続けている・・・。

ただどれもこれもが信者で無いと、必要が無いものだったりもする。神様ねぇ・・・初詣や困った時の神頼みしか使わない・・・そんな人だったり、家に仏壇ある?・・・身内が亡くなった?って言う人だったり、野球大好き・・・しかもチーム限定・・・そんな人じゃない限り必要は無い。

逆に必要な人にはどれもこれもがこだわりになる。しかも習っている・・・となれば、後は密着度となる。つまり神様に親近感を持っている・・・習って作っている・・・そんな人は、神様やら蓮やら神社やら・・・普通な事、モノ、みたいに密着していないかな?普通の人達よりも・・・。

しかも大事な犬を亡くした・・・今度はそこに仏様も加わる・・・神様は身近、仏様になった犬・・・そんな題材を選んで、蓮を描こうとした・・・もはや宗教色の強い作品だったのね・・・にも関わらず、悲しくはしたくない・・・と言ってたのね・・・こらこら。

更にまだ続くのは、そもそも濃い色合いが好きなのね・・・本来。それがはっきりしているのは、薄いものを見てシックね・・・と表現をする人は、お洒落ね・・・って表現をしている事で、薄味が素敵って言っている感じがするのね。これはそれが好きな人の表現。

それがそれを見て、何か地味ね・・・と表現をする人は若干の悪意すら感じるのね。好きな人側のシックと感じた人側から見たらね。つまりそんな人は、濃い色が好きな人だと思われるのね。更にそれを超えると、棟梁の表現はボケて無いぃぃ・・・これって・・ってほぼ病院食じゃ無いんだから。

って言っているような表現で、もっともっとしっかりとした・・・そんなものが好きって塩分多めな感じしない?かな。そんな人がいくらパールとは言え、色的にはボケては見えないだろうか?・・・そこに蓮を作ったとしたら?・・・神様の座布団・・・こらこらどうしたらあの世から抜け出せる?

つまり全てが意識せず普通に好きなものを作ろうとしているだけなのね・・・ただね、それが楽しい題材か?って言えば、全て楽しい感覚でいられるのは、神様作りを習っています・・・って時に、犬が生きている幸せな環境だから成立する事なのに、神様な感覚に仏様を並べて、蓮・・・・。

そんな事をして楽しめるはずが無い。しかも知らず知らずあの世を作ろうとしている・・・。だから蓮は禁止にしたのね。すると今度は明るく無理やりしようと、好きな赤が使いたいだけでバラを選んだんだろうね・・・更に明るくしたかったんだろうね・・・ハートなんか付けて見たり・・・。

でもね、そんな上っ面な事は付け刃。そんな事で明るくなるのなら、解決なんて簡単なはず。そうじゃないのね・・・きちんと目的意識を持って、神様、仏様に匹敵する意味のあるバックにしないと自分がその悲しさに負けて行くって話。つまりバランスって言うのはそんな宗教色に負けないバック

って意味なのね。だからこそあの世に見える事じゃなくて、この世に見えるもので、しかもド派手に人には見えて良いくらいのお花畑にして、色んな色の花で満載になるように・・・そこをいかに楽しく作るか?が全てなんだけれどね・・・って話なのね。

その前フリになる髪飾り。するとここを赤く作りたい・・・って。ばかちぃぃん。違うのね、赤じゃないでしょが・・・そこは。それが証拠にこの結果が全て・・・これは赤くしたとは言わないのね・・・どちらかと言うと、ピンクっぽい。もしこれが素敵に見えたのなら?

なのにもし、ここを好きな赤を満載にしたとしたら?・・・品が無く無い?やり過ぎなんじゃないのかな?・・・ここは神様作りなんだから、気品なのね・・・しかも女神って言うのなら女の人色を良く考えて・・・・そう見ると、濃い味付けが好きな人にしては良く抑えたのね。

とても気品ある、しかも女の人らしく見える・・・とても味付けが土井先生の高級割烹って感じの料理って感じで、ちょいと薄味って見えない?あはははは。とても良いのね。そんな事を踏まえて、Kameyaさんの常連さんとなると、まだ1㎝タイルの1作目となれば、今の話は全く必要無し。

まだ意識すべきは、きちんと輪郭を守り、切る事に慣れる事であって、色んな形を切って見る事で、葉っぱはクラッシュも有りで、花は流れを気にして、線で描く事。そう考えると、ステンドをやっているから、ぺきぺきの時は生かされて上手く行ったが、細かく作る1㎝タイルは思うように進まず、

根気やら辛抱の勉強なのね。そこを耐えて長い制作に慣れる・・・ここが大事なのね。そんなこんな後は、お花の3作目は・・・


チューリップなのね・・・。



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今年初めての高洲のサークルと菜の花張り終わり

2017-01-19 00:09:29 | モザイク教室
今日は今年初めての高洲のサークルだったんだけれど・・・タピオカの画像取り忘れしたみたいなのね。それとアルルの母ちゃんがお休み。そんなこんなで今日は4人だったのね。そんな訳でまず画像から・・・。



そんな中、タピオカが月末のイベントのチラシを持って来てくれたのね・・・。


ただね、そもそも5人だから少ないんだけれど、今日は4人で1人お休みってだけなのに、結構いつもと違って何かこじんまりしていた感じなのね。
それと今、高洲公民館は工事していて、人が閑散としているのね・・・そんな事も関係あるのかな?・・・・。

そんなこんなでアトリエに戻って、菜の花のモザイク。張り終わったのね・・・・

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棟梁とみどりの相席教室と島村ファームのイベント下地と向日葵の小物

2017-01-18 06:52:58 | モザイク教室
今日は午後から棟梁とみどりの相席教室。そんな訳でそれまでの間、月末に開催の島村ファームでの節分イベント用の下地作り。


こんな感じで完全にオーダー・・・・1人1人全部違うものを彫る事になっていて、決まった人の分の5個。後10個彫るのだけれど・・・・。
そろそろ時間も無くなって来たし、お教室もチラホラあるし・・・とは言うものの、1個だけで彫る準備をするのも10個を彫るのも一緒なんで、

次に彫る時は一緒に彫りたいのだけれど・・・大人の事情があるのね・・・。それは置いといて、昨日アップ出来なかった向日葵の小物完成。


前回の縁取りと似たような少し攻撃的な色合いだけれど、向日葵って言うと太陽って気がしたから、赤くしたかったのね。ただ真っ赤って言うと、かなりどぎついかな?と思っていくらか抑え気味にしたんだけれど・・・・これでも。って感じ・・・。では相席教室。まずはみどりの画像も。


まっご存知な人はご存知だろうけれど、2人共に内容は一緒で、みどりの場合は自分と子供のお別れを描いているのね。はぁ?何処が?と言う人にもう一度説明すると、老婆心って言う心配で貴方の為だから・・・と言うみどりの気持ちを黒い扉で表現をしているのね。

ただそれが強過ぎると、実は行かせたくない・・・ってすがるとも思えるようにも見える。その扉の掟を破ろうとする花嫁は白いドレスさえも浸食して、もはやそんな奴は・・・・と逆鱗に触れてしまったような状況にも見える。このままだと、石になった花嫁みたいな題名にも見えるね・・・きっと。

ただ趣旨を理解するとね、そうでは無いはずなのね。出来ればそれならそれを脱ぎ捨てて裸になっても出て行く・・・母に貰ったものは全て捨てて・・・ただ1つだけあるとしたら?そう目に見えるモノでは無く、見えない事だけを抱えて・・・そんな感じだと思うのね。

だから黒の部分のみどりは、強くなればなるほど暗くなる。つまりおどろおどろしく、掟を破るのかぁぁぁぁぁぁって魔女の母の逆鱗に触れたように見えるのね。しかも、ドレスにまで浸食するのだから、良くあるおとぎ話やらファンタジーな話に出て来るあんな感じだと思うのね。

そんなに引き留めている。そこまで強く引き留められているように見えては、女の子が力ずくで開けようにも開けられない。開けて良いのか?開けてはいけないのか?一体どう見せたいんだ?って話。そこが大事な事で、それにはまず今どう見えるんだろうか?なのね。

それをただひたすら切って張る・・・それではこんなに思い入れの強い作品はそう簡単では無いのね。それを素直にドレスは白、はい素敵な扉で幸せね・・・って単純なら綺麗に作りゃ良いじゃんって話。ただオリジナルって言うのは、自分の思いを作るのだから、思いが薄いならみんなと一緒。

別に誰が作ってもただ色が違うだけ。それを本気に自分と向き合っての制作なんだから、もっともっと思いの丈ってのを出さないとね。ただそこをはき違えると、ただのエゴを作ってしまうのね・・・どう見せたいのか?であるけれど、そうは見えないなんて事にもなる。ただそう見せる事も出来る。

それには自分の趣旨を明確にして、果たしてそう見えているか?を常に確認しないとならず、こう言う相席は質の高い話が出来る。

話を戻して、もし俺の感じている、老婆心を通り越して行かないで・・・とすがるどころか、逆鱗に触れて石にされて行くように見えているとしたら?趣旨に反するのだから、修整しないとならない。ただ剥がして直すって言うのでは無く、作り手の心の修正。

今そう見える・・・何故?の確認をして、そんなに浸食してしまった老婆心を解く何か?が必要だったりする。それを力で開けようとしたら、レスリングの吉田さんかっ・・・って感じだし、もっと女の子らしいそんな解くってキーワードになるようなアイテム・・・・。

そもそも意地でも出て行くのなら、女の子のドレスが破れて、肌が見えるのも良かろうが、かなり品の無い荒々しい絵になる。例えば扉が少し開いて光が差して・・・なんて説明はとっくにしたけれど、どうして開いたのか?が判らないのね。例えば女の子に涙とかあったら?

バルス・・・・ってラピュタのような呪文にも思えるし、その涙で老婆心が解ける、溶ける・・・でも良いが、それも単純な話で、どちらか一方から描くってのは、棟梁も一緒だけれど、自分サイドのみの作り方。もっともっとこうだったら良いのに・・・・ってもっともっと考える事。

その時に出来ればイーブンになるとバランスって言うのは良いものだと思うのね・・・・つまり花嫁が涙で老婆心が解けるって・・・そんな単純な魔法なの?って思うのね・・・俺なら。俺ならみどりサイドの扉も何処か?に涙に見える色やら形を1つ忍ばせるね。

そこがイーブンになるから、花嫁が泣いて開いた・・・って単純じゃなくて、老婆心の側も判って緩めたんだよ・・・にも見えたら、もっともっと素敵に見えるんじゃないのかな?・・・・それにしても老婆心が強過ぎれば、じゃ良いよっ・・・勝手に行けばっ・・・って感じになる。

そこを打破しないとならない・・・そんな日なんじゃないの?って話。それには今日やるべきは覚悟の1手を打つ。なら行けっ・・・って1手をね。
ではその覚悟の1手とは何?って事なんだけれど、覚悟とはなんぞや?って事なんだけれど、扉を開けて嫁に行くって・・・出て行く訳なのね。

扉を開けると光が差す。光が差すってどんな色?何処に当たるの?つまり砂糖に塩、黒に白みたいに強烈な1手。今までは老婆心側の親の気持ち。そろそろ娘の気持ちになって・・・白。どんな気持ちで出て行くのだろうか?・・・出て行く事が本当に心から嬉しいだけなのだろうか?・・・・。

繊細さとか、汲み取るとか、判らないじゃなくて、判ろうとする気持ちがあるか無いか?でも変って来ると思うのね。ただそれを思い込まずに、そんな事もあるのでは無いか?・・・とありとあらゆる角度で考えて見る・・・。同じように考えれば、棟梁の作品も考え方1つで見え方が変わる。

例えばどちらがやって来たのか?1匹の方が下りて来たのか?それとも2人が迎えに行ったのか?もし1匹の方が下りて来たと言うのなら、この世だし、迎えに行ったのなら?あの世になる。この恐竜のような生き物は飼っている犬の比喩的生き物。しかしながら1匹亡くなってしまった・・・。

そんな悲しみの絵なのね。しかしそのまま悲しみなら悲しく見えるようにすれば良いが、それなら迎えに行けばあの世を作ると良いが、そうでは無いのならこの世を作るべき。そしてこの世ならカラフルな事も出来るが、あの世だと色数は限定されるだろう。

そもそも二人共に悲しみって部分がある作品なのね・・・例えばお葬式。カラフルにする?でしょ?イメージって言う部分から言えば、かなり限定されるはずなのね・・・・悲しみって言うとね。これが逆に喜びと言うのなら?かなり広げる事が出来るのね。

つまりみどりは悲しみを老婆心の扉の部分で鉄っぽい色で表現をしている。逆に棟梁は生き物や女の人を押さえた色にしようとしている事から、華やかにしようとするのなら・・・この世を・・・例えばバックをお花畑にでもするのなら?いくらでも華やかに出来る。悲しみだけじゃなくてね。

そう言う考え方1つで悲しみだらけにはならないはずなのね。ただ俺にはとても似たような作品に見えるのね。いずれにせよ、テーマが重いから身を削るそんな作品。感情移入をし過ぎれば、悲しみをそっくり拾う事になる・・・・向き合い疲れもするだろう。でもね、だから誰にでも出来る・・・

そんな作品では無いのね。いずれにせよ、良い相席教室になると思うのね。


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何だかあっと言う間の1日・・・・

2017-01-17 02:13:02 | モザイク作家
朝、先日のBayFmのパーソナリティの島村さんから15名の参加の連絡を頂いたので、早速100円ショップにマスを買いに行くのだけれど・・・。その話をかぐやに言うと、もうマスは出ていたよ・・・との情報を得て、手に入れられるとは思ったが、色々と大人の事情があって・・・・。

そんな中、4件違う100円ショップを回るもののダイソーにしか売っていない・・・そこに更に大人の事情が加わり・・・・半日掛かってしまった。
そんな中、店舗のDiyの方が材料を取りに来るとの事で、準備をして・・・・。何か何をしたって感じがしない時間が過ぎて・・・。

少し落ち着いた頃に、島村さんからデザインの決まった5名分が送られて来て、その準備に取り掛かるのだけれど・・・・。


この焼き印は消せないか?・・・ってペーパー掛け・・・。そんなこんな後に、向日葵の目地とペンキ塗り。この画像を取り忘れ・・・それは後日として、その後、菜の花作り。いくらか進んだのね。

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班長とリピーターさんの相席教室と向日葵張り終わり

2017-01-16 09:27:26 | モザイク教室
今日は午後から班長教室。それまでは向日葵の小物制作。って事で、何とか張り終わり。


後は目地と額のペンキ塗り。そんな訳で新作となるのだけれど、かぐやに春の花にして下さい・・・って言う事も出ていたので、それを考慮して探していたら菜の花とか出て来たのね・・・普通なら首の長いものは・・・・と特徴を生かした作り方をと言って来た事もあるが、そうじゃないと・・・って、

そんな部分も見せられるのかな?・・・って気持ちも先生としては無い事は無く・・・ただ作家としてはわざわざ特徴を殺して作らなくても・・・って気持ちもあったり・・・でもどんな形でも2.3日の事か・・・とやる事にしたのね。それがこれ。


今の所、割と上手く行っているような気がするのね。そんなこんなのお教室。1月も半ばともなると、流石に明けまして・・・って感じじゃなくて、ひとまず今年も・・・くらいのご挨拶して、それでは開始となるのだけれど、班長、安定感があるのね。

昔は次はどうすれば良いですか?みたいな質問が指示待ちって感じだったが、今日はここやります・・・って感じで、更に言えばこう切ったら・・・みたいなすでに決まった切り方があるみたいで、それは消して楽な方向では無くて、正しいか?正しく無いか?は別にして、姿勢は悪く無い。

先を進みたいって焦ってはいないし、時間が掛かる事でスイスイは進まなくても、美しいと思われる方向へ向かう。ただこれはいつ終わるか判らない作り方だから、みんながみんなやれる事では無いが、この作品に期限が無い以上、自分自身の問題。それを美しいだけの方向へ向かう。

しかも、更に言えば男の人である・・・中々、この若さで男の人で毎月1回とは言え、通い続ける・・・それだけでも凄いとは思うが、当然続けている事で上手くなっているし、何しろ徹底的に形にこだわって、切るって事に集中しているのね。ほぼ色はお任せみたいな感じで・・・。

確かに模写のような場合、選ぶだけしか出来ないモザイクでは、どうせその色は無いから・・・って感じになりやすいんだけれど、それが題材がモザイクに向いているって話なのね。そうね、例えば昔、ガウディの作品を作った人がいたのね。しかもぺきぺきで。

想像して見て?そもそもモザイクの建物をただ縮小しただけなのだから、そっくりに作れそうでしょ?当然それは良い出来栄えだったのね。それはぺきぺきを使った・・・って上乗せもあるのね。つまり大きく見えるパーツも大きいまま切る事が出来る・・・ぺきぺきって言うのは。

これが1㎝タイルだったとしたら?1つのパーツで作りたいものが、ヒビが入ったみたいに何個ものパーツで構成しないとならない・・・。それによって、どんなに上手く切れたとしても、似ているか?似ていないか?となると、多分俺でも似ていないものになると思うのね。

つまり題材と素材が見事だったって事。では他には?と言うと、ここからは結構みんなもご存じのノア。思い出して欲しいのはパエリア。これを見た時、俺はやられたぁ・・・って思ったのね。この場合も題材勝ち。じゃさっきと同じじゃん・・・みたいな話になりそうなんだけれど・・・。

ここが違って来るのは、じゃ一体どんな素材でやれば良いのか?になった時に、ぺきぺきを選んだら、ムール貝やエビなどの具材はとても上手く出来ると思うのね。しかし、ご飯の粒・・・これをぺきぺきで作るって言うのは、柔らかいものはもろいものでね、良い事と悪い事は背中合わせ。

つまりこの場合は、1㎝タイルやエミリアのような固いタイルの方が向いている。ただ固いって言うのは、それだけでリタイアしてしまう人が大勢いた。そんな中、素材の固さにもめげずに最後までやったから、あの完成度になり、あれを経てフラメンコになっている事に繋がっている訳で。

そこを乗り越えたから・・・次に繋がる訳で。中々、そこが難しいのね。そう考えれば、恐らく班長は仕事も変わって外に作る作品は必要無くなったろうし、もっと言えば外用ボンドってハードルの上がる状況にも慣れたし、大きさにも慣れた。つまり室内用のボンドで、大作を作るようになったら?

きっと何もかも楽になるだろうね・・・きっと。そうなった時、もし上へ行こうとするのなら、模写では無くオリジナルを作る為に考える・・・って言う、モザイクでは無い事に手を出す事になるだろうし、室内の模写をするのも良いだろうね。別に何をやっても初めてのようなものだから。

何しろ1人だけずっと外用ボンドだったからね。こんな事を踏まえた上で、美しい流れを考えて切る・・・なんて事を安定した気持ちで取り組めば、間違いなく結果が後から付いて来ると思うのね・・・・正直、今日は偉く進んだね・・・と思ったくらいなのね。

だから、ついついあれ?と思って後から何度か見たんだけれど、迷いが無かったからであって、焦ってスピードが上がったからじゃ無かったのね。
ではお次はリピーターさん。これが体験の始めての作品なの?って位、上手く出来ているのね。


しかも、重いから・・・って理由のみでエンドカッターで切っているのね。ちなみにエンドカッターとは?100円ショップで売っている、針金とかを切るような道具で、タイルを切る用のものでは無いけれど、ぺきぺきなら切れる・・・ってだけのもの。

それでこのグレード・・・上手い人っているものなのね。何か学生の時、美術部だったらしいのね。どうりで下絵をサラッと描いたのね。そんなこんなだから、体験の1回完結無しで、1作目なのにこれで2回。次回張り終わるとは思うんだけれど・・・ただ何しろこれが体験なんで、まず楽しんで。

とは言うものの、ここまで作れるとね・・・・楽しむイコール納得の行くものになっちゃうんだろうね・・・2作目にして・・・。だから、きっと2作目はこれより大きいもの・・・そんな感じになるとは思うんだけれど。まだぺきぺきで出来れば楽しんで欲しいんだけれどね・・・。

出来れば最初はそんなに苦労無く、何か出来たぁぁぁぁって表現になるような事が良いのね。それを何回かね。そうすると、ちょっと落ち着くのね。
そんな中、周りのモザイクに目が行くようになった時、あんなの良いな・・・こんなの良いな・・・って思ったりした時に、あれは大変だよ・・・。

なんて言うんだけれど、それでも・・・ってやり始めたりするんだけれど、乗り越えられた人はもっと・・・になるし、逆に思った以上に辛かった場合、続かなくなっちゃうものでね・・・たった2作目でそんな気持ちになられてもね・・・だから、老婆心としてね。

でも、この方ずっと同じペースなのね・・・とは言え、2回目。まだ何にも知らないから、何とも言えないけれど・・・。でも結果は非常に良いのね。

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亀有カルチャーとさくら教室

2017-01-15 07:54:36 | モザイク教室
今日は今年初めての亀有カルチャー。オードリーが用事があって不在だったので俺1人・・・そんな中、3人。


そうね、今日は人の感じ方なんて話をしたのね。それがひょんな事からユザワヤの話になって、俺が一人でビーズのコーナーで1時間程度いたとしたら?みたいな想像をして貰ったのね・・・すると、クスッって笑われたのね。じゃ逆にみんながいたとしたら?・・・って比較して貰っても、笑わない。

そうなのね、俺は男で、1時間もいるのぉ?って色々と重なると笑いが起こる。ただ、何とか大丈夫と持ち直そうと、平気ですよ・・・って言うものの、さくらがナイスなタイミングで、じゃ先生が買い物している所にこんにちはぁぁって、声掛けられます?って。そうなのね、ちょっとためらうと思うのね。

こんな事と同じように、以前キウイの娘にピンクの自転車を貰ったんだけれど、2回職務質問にあった話をすると、ピンクだからねぇ・・・と言われたんだけれど、それが9時頃と12時過ぎだったのね・・・・勿論夜の。例えば自転車泥棒するとして、いつどんなものをどんな時間に盗るかなぁ?

例えば売るなら高い奴だろうし、ピンクのママチャリを盗むかなぁ?・・・駅に近いから割と人通りがあるのに9時にやるかなぁ?12時過ぎなら判るけれど・・・とか、そもそも声を掛けられた時点で、怪しいと思われた訳でね、容疑者扱いしたんだから、簡単な謝罪は必要なんじゃないのかな?とか、

そもそも状況が揃うと、怪しく見られる・・・って事なんじゃないのかな?とか、普通職務質問って受けるものなのかな?って話。これこそが人は見掛けで判断の典型的な例であって、そう言うものなんだから・・・と思えば、疑わしい感じなんだな・・・と思われる事を極力避けたくなる。

さてこんな枕からどんな展開に繋げるのか?って言うのは、人は見掛けで判断をするのだけれど、そうは言っても知り合いだとそうは思っても助けようとするみたいな・・・そんな感じの話だったとする。ただ、そこに根拠が無いと先生大丈夫ですよ・・・と笑いが起こる。

つまりそこに根拠は無いから、また同じような事は起こり得るって事。それを踏まえて目地をしていないさくらの小物作品を見て欲しいのね。


画像が目地をした方がボケちゃったのでね。さてこれを見てどう表現をするのか?・・・モザイクをやった事が無い人は?ここにいる人は?達者な人達は?そして自分は?・・・その時に、大抵は可愛いぃぃ・・・って言ってしまうのね。確かにその通りだから・・・。

では次は?と言うと、凄いぃぃ・・・細かいって。じゃそれは何処を見たか?・・・当然目なのね。それ以上の細かさは無いのだから。つまり細かい事イコール凄いと言う表現になる。では達者な人達は?と言うと、そこでは無く、体が1枚で切られていると言う事。こんな事やるの?ってね。

つまり一般的な人と達者な人では評価する場所が全く違う。つまり凄いと思う場所が違うと言う事。と言う事は、細かくて凄いでは無く、こんなに厄介な形を1枚で切り抜くの?・・・って感じの表現になる。こんな違いがあった上で、最終的な評価が可愛い・・・。

では更に、その細かいと凄いって言う部分を掘り下げて、もう一度見て貰おう。


お腹の部分・・・1つや2つじゃない。たった1つで凄いなら、50個あったら何て評価するんだろう?そして、これを何て表現するんだろう?可愛いって言った人は?・・・大事なのは、ここの2人が凄いと思った穴の評価は確かに凄いに値はするから、沢山増えればそのまま使えるとは思うのね。

しかし、そのまま流すと、1枚で切った体の部分に気が付かない事になる。ただ当然、おかみさんはそこにも気が付いていて指摘はするものの、鳥の方は判ってはいるけれど、細かいって部分に目を取られるんだろうね・・・。この違いを更に掘り下げると・・・。

この3人が三者三様になるのね。おかみさんは一番冷静な判断だと思うのね。ここが凄い、ここが凄いと凄い部分をきちんと指摘出来る。では鳥の方は細かいって目の部分を特化して評価している。ではさくらは?と言うと、これしか出来ないから・・・って。

ただもし、そう言って小物を見せて、フクロウを作っているのを知ったら?かなりの嘘つきな感じになるよね?これしか出来ないから・・・って言ったのにってね。でも確かに穴の部分は同じだけれど・・・。じゃ鳥の方は?何処を見てどんな評価をするのか?って話・・・。

それが自分の評価に繋がるのね。つまり鳥を細かいパーツにしたくなるが、どんな形に切れば良いか?って言うと、さっきのさくらの場合なら穴を開けた後は、悩まずに丸を切って入れる事になる。つまり入る丸を切る。ではそれに相当する部分は何か?となると、実は鳥の輪郭に沿った部分。

デコボコしていて入り組んでいる。実はここが難しい場所なのね。この輪郭が達磨みたいに緩やかなラインだと簡単になる。つまりそこが難易度としての下地になっていて、今までの数枚の干支よりも格段に難しいのね。でもいつものようにそこまでこだわらなくても鳥にはなる。

そう思って良く見てみると、かなりきちっと輪郭が守られている。つまり何度と無く切り直しをしている成果だと思うのね。だから時間が掛かっているだけなのね。だけど、本人曰く、上手く切れないから時間が掛かってしまう・・・って。明らかに俺の見解とは違うのね・・・。

本当は逆で切る事が以前よりも上手くなった事で、きちんと切ろうとしている。しかし、ガイドのようにそこに沿ってって部分に関しては合わせるって感覚で出来るが、内側をどうして良いか?となると、何の決まりも無い事が考えないとならなくなる。そこが難しいのね・・・。

それとリアル感が好きでは無いと思われるが、可愛過ぎるって言うのも違うようなのね・・・それが一番難しい。つまりそうなると、そもそも下地が合っていない事になるが、ここが難しい話で、これは俺の絵であり、しかも1点モノ・・・この方のみの下絵・・・。

それを好みに合わせるとなると、もうご自分の絵にして頂かないと無理となる。当然オーダーとなると時間も金額も変わるからね・・・。ただこれもほぼオーダーになるんだけれどね。そこでこんな話をしたんだけれど、これから先、十二支には龍なんかがあったりする。

この同じ大きさに絵を描く事は出来たとしても、同じ大きさの中で、お客さんが出来ると思われる絵で描き続けるって言う事になると、同じタッチの雰囲気で続けるのは難しい事がある・・・しかもモザイク教室を重視なのか?飾る事のみを考えるのか?で提案は全然変わってしまう。

さっき言った簡単にするのなら、達磨みたいな輪郭にして入り組んだ部分を辞めれば、簡単になる。しかし龍はそうなるだろうか?つまりこの先、そうなりにくいモノが出て来るが、出来るから丸く、出来ないからデコボコってやったとしたら、見栄えはどうなんだろうか?

そして難易度はどうなんだろうか?これが棟梁のように自分の絵であり、十二支がまとまっているのなら、1つの作品として成立するからそれはそれで良いと思うが、12個俺が提案して全部好みにするのはほぼ無理だったりするから、それにあった自分なりの仕上がりを考えて貰いたいのね。

話はそれたが、上手く切れないから・・・が理由じゃないって事なのね。逆な話で上手く切れるようになって来ているから、の悩みだったりするのね。実は・・・。それを思うように切れない・・・って表現をしたから、1㎝タイルで丸を切って見て・・・と提案したのね。

まだ1度もやった事が無いし、教えた事も無い。たださくらも見ていたが、小さくはなったものの丸くなった。そうなのね、出来るようになったのね。何も教えてなくても・・・。いつも言うように決まりのある丸はいちいち描かなくても頭に浮かぶから意識無く意識出来る。

ただ何も描いていない下地にフリーにやるのが難しい・・・どう切ったら良いか?って思いつつ切るから進まないだけ。そこのこだわりが強い分、思い通りに切れない・・・って勘違いしているだけなのね。そんな事を踏まえての、アトリエに戻ってからのさくら教室は、全く同じ話。

最初さくらはこのフクロウの下絵ありきで同じものを作るって言ってたんだけれど、進歩や進化を求めようと、まず素材のチャレンジとしてガラスタイルを使う事になった。ここで初めてと言う事もあって、謙虚に出来たら良いな・・・位でスタートしたのね。

ただ道中、フクロウの写真のついたカードくらいの大きさのものを見るようになったのね。そうね、ここにはリアルなフサフサ感があったのね。
それが今日は拡大してあったのね・・・ほら変えた。最初は資料無く、以前の下絵のままやっていたのが、カードの大きさから拡大って・・・。

意識無く・・・ただ見づらいからって位だろうね。ただそこが大きく変わった。ワンセグで女優さん見るのと、映画のスクリーンで見るとでは全く違うよね?厳しい現実もいっぱいある・・・。つまり小さい画像の時は、見えづらいからこそ、しっかり見ようとしても良く見えなかったはず。

その中で出来る事と思われるものを拾い集めて作っていたはずなのに、ここに来てもっともっとと欲張ったのね。そう言う意識無く・・。だから、その意識の無かった分、拡大したら思った事と違かった・・・ってね。だから、ここもあそこも違うって。

そう言う事をしたいのなら、最初から図面のような下絵を描く為にも、最初からしっかり拡大した画像を見つつ描くべきだし、そもそも同じものを作るって話から大きく反れているよね?って話。つまり欲が出たって話。悪い事では無いけれど、そこの中で出来る事と出来ない事を判断するのは、

最初であって、その都度変えてしまったら、これも違う、これも・・・になる。それが小物ならスペースが無い分、メインを作れば何も出来なくなるからさくらには都合が良いが、大作の場合、調子が良いと調子が良いから欲張りたくなり、調子が悪いと出来なくなると嫌だから・・・と抑える。

その癖、穴を開けるってスタイルは常に全く変わらず出来る。そんな事を踏まえての、人の気持ち・・・技術を得るのも大事なんだけれど、オリジナルって言うのは、最終的には何がしたいか?って自分のやりたい事が判る事も大事。しかし、出来る事と出来ない事がそこにはあったりする。

その見極めが下手って言うのなら判るが、これだけやれているのに、下手なはずは無いのね。今日悩んでいた2人への提案はそんなに悩むなら、しるししてから切ると良いのね。それをやるとその通りに切れないとダメージを受けると思われるから、進めなかったが、余りに迷うのなら・・・・。

そうして見るのも良いかもね。ただ、それとて根本的な所がグラッとすると、上手く切れても満足は出来ない事になるけれど・・・。いずれにせよ、大事なのは自分の思っている事とやっている事のギャブだったり、結果が思うようにならないって事だけを気にしたりする事だったり・・・。

それを大事なのは経験者に意見を聞ける事なのね・・・こうした場所は。しかもみんなカルチャーって感じの作品では無いのだから。その目を持ってして意見を聞いた時に、明らかに自分の考えとは違う事をみんなが言った時、そこを立ち止まる事が出来て考える事も出来たりもする。

そもそもそんな事を必要としないのなら、1人で進める事も出来る訳で・・・。ただ、誰でも良いから聞くでは無くて、きちんとした意見を言ってくれる経験者・・・ここ。それがあるのと無いのとでは、全く違うし、それこそが財産になる事がある。と思うのね。




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イベント下地完成と向日葵の小物

2017-01-14 05:51:27 | モザイク教室
今日は朝からペーパー掛けにペンキ塗り。色々と大家さんに教わった事を試しつつ、随分と賢くなった気もするのね・・・こんな事1つで仕上がりも良くなるってね。ただやはり水性と油性って言う差ってのはあるんだなぁ・・・って言うのは良く判ったのね。

水性は使い勝手が良いし、後始末も簡単だけれど、油性の発色からはやはり見劣りする。ただ油性は強力な分、後始末も大変だしシンナーとかも使うしね・・・まっ、機会があったら試しては見たいんだけれど・・・。そんな中、かぐやのせがれと話す機会があったのね・・・。

明日はセンタ―試験。月並みだけれど、頑張れよ・・・とは言ったけれど、そんなのは当たり前なんで、何かさぁ・・・つまんなくなったよなぁ・・・大きくなって・・・昔はザリガニ釣り言ってたり、カメ拾って来たり、駄菓子屋行ったり、野球をしたり、釣りにも行ったりしてた・・・。

それが大きくなってからは、大学受験なんて言うと勉強ばっか。当たり前なんだけれど、何か遠くに行っちゃった感じなのね。俺は高校しか行って無いし、小学生の時に受験しただけなんで、何か受験って大変さをほぼ知らずに終わっちゃったから、こうしてちゃんと勉強しているって凄いと思うのね。

みんなこうしてんだろうなぁ・・・って。何の目標も持たず、何と無く受かって、ただ卒業しただけ・・・それで親に頼んでタイル屋に修行に出て・・・
そんだけ。20年やったものの、だから・・・って感じ。そう言う点では、こうして奴らが目指して頑張っている事を何か今ようやくやっている・・・

そんな気にもなっているのね。やっと、この15年は完全に俺が自分で初めて選んだ人生な気がするから。だから休みたいとも思わないし、そんな朝、武田鉄矢さんの母に捧げるバラードを聴いたのね・・・遊びたいとか、休みたいとか思ったら死ね・・・自分の決めた人生を里を捨て、母を捨てで出て行く。

そんな奴は故郷に錦を飾るまで帰るな、そんな歌。厳しいやら優しいやら、この歳だとどっちの気持ちも判るしね・・・20年育てて、大人になって、かぐやはお母さんでどんな気持ちなんだろう・・・。先日のみどりにしても成人式って・・・こう言う時に本当に思うのね・・・同じような歳であっても、

何か奴らが遠い感じがしたりしてね・・・親になるって凄いってね。とても俺には出来ないなってね。ただただ凄いってね・・・大人だわって。俺は毎日モザイクの事しかやっていないしね・・・だからこれを秀でるしか無いのね。ただこんな時に、ちょっとだけ振り返る事になる・・・。

昔は結構へこんだけれど、今は逆に携われた事が感謝なのね。そんな気分になれるのも、こうして話せる時間を過ごした歴史があるから。これが何にも携わっていないのに、頑張って・・・なんて言った所で、会話って感じじゃなくて、ただの呪文みたいなもん・・・おはようってご挨拶された感じ。

言った方も言われた方も、だから・・・って感じ。でもね、そうじゃなかった気がするのね。お互いに・・・大した時間じゃなかったけれど、何かちょっとだけでも話せて良かった・・・いつかまたこんな事を話せると、その積み重ねが思い出になる。

さてそんなこんな後は、向日葵の小物。


あっ、そうそうラジコって言う便利なもので1週間なら聞き逃した番組が聴ける機能で、深夜の島村さんの番組を聴いたんだけれど、イベントの事を話していたのね。時間が遅いと言えば遅い気もするが、それでもラジオに乗せての話だから、誰かが聴いている・・その繰り返しが大事なのね。




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小物の2作目、向日葵と月末のイベント下地制作

2017-01-13 01:45:18 | イベント
今日は朝ドラを枕に使おうかな・・・・一挙に10年経っちゃったんだけれど、気になったのが子育ての部分。そもそも4人で立ち上げた会社の3人は女学生時代の親友。この時点で戦前に女学生って言っている時点でそこそこのお金持ちの娘な訳で。しかし、比較をした時に、恐らくももクロの子が、

一番見劣りする家庭のような気がするのね・・・。主人公は靴屋さんにオーダーをする・・・そんな家庭。更にもう1人の子は嫁ぎ先から見ても、由緒正しそうな家柄のようにも思える。がしかし、そう比較すると、ももクロの子だけは一切家庭について語られない・・・そんな事からも伺える・・・。

そんな事を踏まえて、更に主人公は女の子、もう一人の方は男の子・・・大体想像は付くだろうけれど、2人の子はお嬢さんにお坊ちゃん。男と女の違いがあれど、やはり品がある。ではももクロの子は?・・・まぁ品の無い子なのね。

ではそんななる前の幼い時はどんな育て方をしたか?・・・・ももクロの子は預けた先で問題を起こし、そこにいられなくなる。更に言えば、職場に置いたら置いたで迷惑を掛ける・・・なのに叱らない・・・本当は良い子なんだと言い張り・・・。

では2人は?と言うと、主人公の子は乳母に育てて貰った・・・もう1人は義理の母に・・・。一見、年配者繫がりはるにはあるが、前者には遠慮が入ったりもするだろう・・・ね。だから上からの目線にはならない。逆に義理でも母だから、当然厳しさも入る。

そう考えると、ももクロの子だけは母の時間を多く育てられた・・・同じ職業なのに・・・そんな違いがある中、10年経つと大きく変化が見える。当然一人っ子として大きく甘やかした分、そのまま育ったから若干悪く見える。しかし見逃さなかった人もいるだろうが、ももクロの母が頭を叩いた・・・。

あれだけ子供の時に甘やかしたのに、大きくなると頭を叩く。正直逆だわ・・・叩けるのなら最初にやらなきゃ・・・。良い子なんだって言ってたじゃん。逆に言えば他の2人は年配の人に育てられ、おだやかに何事も無くここまで来たから、何も変わらず大きくなった。

こう比較させたんだろうが、1つ外に出れば悪い事って言うのはルールを破る事ばかりで楽しく見える事ばかり。しかもその悪い事を教えたのは幼馴染。
受け入れやすい環境の中で、そう言う事を知って行く。普通の事と言えば普通なんだけれどね・・・。

ここからはこんな時代背景を踏まえての想像ね。要するに今よりもっと格差が激しかった時代に、勉強したしないの差だったり、食べるのに必死な人と、良い物を作ろうとする人の差だったり、それが成功すると売り上げが何倍にもなる人と、いつまでも食べるのに必死で変わらない人になったり・・・

こう言う差を具体的に比較すると、例えば車を持てる持てない差だとする。じゃ50年後は?どうなっているだろうか?・・・きっと車を買えた人は乗り換えたりしているだろうね・・・きっと。ではもし買えなかった人が買えたとする。じゃ価格の安い車に乗れているかも知れない・・・。

じゃ車繫がりならグレードの違いだけ。どちらもポンコツになれば買い替える事になる。じゃ衣食住で比較すると、衣服も同じく裸では生活しないから、古くなったら買い替える・・・食事も生きる為に食べる人と、美味しいものを食べる人の差だったりするだけ・・・。

でもね、住は貧困の差は大きいのね・・・歴史的財産になるような建物がある。壊されない・・・ね。これ1つで判るのは、あの頃の成功者の凄さって言うのは、持てる持てない、食べる食べられない、着る着られない・・・って永遠に混じる事の無い世界だったはずなのね。

だからこそスターって言うのは、手の届かない場所にいたから憧れだったと思うのね。つまり今の手の届きそうな人達のファン感覚とは全く違うね。
そんな生活の差の中でのスターは一体どんな感じで生まれたか?・・・恐らくこの主人公の3人の子供達みたいな子なんだろうね・・・。

俺にはあの女の子達が、若い頃のユーミンやら加賀まり子さんに思えたりするのね・・・男の子なら文豪だったり、石原兄弟のようにも思える。
裕福な人達の子供が大人な世界での出会い・・・そんな事をしているかと思えば、食べるのに必死に働いていた人達がいる・・・・。

車や衣服は変わって行くから気が付かないが、家はお屋敷だから残されるし、取り壊されるものとは違う。それが老朽化として壊す・・・赤坂プリンスみたいな話で、例え日本の顔のような設計者のものであっても、バブルの頃の何処にでもあるようなものは壊される。

しかし格差の激しかったあの時代の建物は、全ての携わった人達が一流だったって事。だからもっと古いものなのに壊さない。価値が大きく違うから。ここまではそれでもモノの比較。では目に見えないモノ・・・それが人。そんな中で育った子・・一般とは比較にならない程、別物だったろう。

言葉が見付らないが、社交界みたいな場所で若い子達が出会うのだか・・・、単なる大人では無く、そこで遊べる成功者の大人と。そんな中での出会いはもう比較にならない位、一般とは違うだろう。建物のように・・・ね。そんな比較で見ると、俺は一般側の人間だし、その成功例は無理。

若くも無いし社交界も無い。ただね、俺には俺の道があるだろうね・・・きっと。そんな出会いを見逃さなければ良いだけ。

さてそんな中、今日は朝、レンタルボックスのウダガワさんの所に作品の入れ替え。桜も出来たので、バレンタインの2つと共に入れ替えて来たのね。
そうね、恐らく角嶋の親父さんと合わなくなったので、恐らく唯一の緊張する人になったかな・・・・ここは。

本気で応援して下さる人の1人・・・詳しくは言えないが、世話になっている・・・・そう言う気持ちに負けそうになるようなそんな人。本来なら前進した土産話を持って新年のご挨拶をしたいものだが、そうで無くても伺う事になる・・・・それでも・・・。

いずれにせよ、どんな事になるのか?生き方を見せてくれ・・・って言われているので、報告しないとならないのね・・・だから敷居が高い日もある。
そんな後は個人的な生活費の支払い・・・今はお教室しか無いからきつい状況なのね。何とかしないとなぁ・・・家賃の更新もあるし・・・。

そんなこんな後は、月末のイベント下地制作。何とかかんとか彫り終わる所までは終わったのね。そんな中、以前作品を買って下さった三味線のお師匠さんがいらして・・・これ生徒さんに見せてあげて・・・って。中々個人宅に行った作品は簡単に見る事は出来なくなるから・・・。


そんな訳でアトリエにしばらくあるので、ご興味があれば見て下さいませ。そうね・・・俺には華やかな社交界は無いが、応援して下さる方がわずかながらいる・・・そんな気持ちになる1日。


って当然、こっちも進めているけれど、かぐやに春の花にして下さい・・・って言われたんで、次はそうしようかと・・・。

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